ハウス・オブ・スペイン
スペインで暮らし始めて、当然、文化の違いや考え方の違いに驚いたこと、今でも驚くことはたくさんある。
住み始め当初、私はちょっとした“どちて坊や”(※アニメ「一休さん」に出てくる男の子)ならぬ、“ポルケ坊や”と化していた。
見るもの聞くものすべてが謎で、「¿Por qué?(ポルケ?:なぜ?どうして?)」と私が聞いてばかりいるものだから、うんざりしたビクトルが「あーもう!ポルケポルケうるさいよ!僕は専門家じゃないんだから知らない!この国ではそうなの!以上!」と、何度かブチ切れたことがある。笑。
そんなスペインでの生活で、未だ理解不能、腑に落ちないことはたくさんあるけれど、その中でも今日は、スペイン在住者には「あぁ、それね…。」と、いや~な顔で言われそうな2つのことを書きたいと思う。
1つ目は、gitanoである。
スペイン語で「gitano」と書いて、ヒタノと読む。
ヒタノとは、ジプシーのことだ。
今、ちょっとWikipediaを覗いてきたら、現在はジプシーのことを「ロマ」とも言うらしい。
へー。知らなかった。
ちなみに、スペイン語には男性名詞と女性名詞があるので、女性のヒタノのことは「ヒタナ」と言う。
ところでジプシーと言うと、私はガイ・リッチー監督の映画「Snatch(スナッチ)」を思い出す。
だいぶ暴力的で犯罪的なストーリーだが、見ていてスカッとする痛快コメディである。
この映画の中で賭けボクシングに挑む、ブラッド・ピット演じるミッキーとその家族、その仲間たちがいわゆるジプシーである。(※作品中ではジプシーではなく、たしか「pikey(パイキー)」と呼ばれていた。)
映画の中で、ミッキーとその仲間たちの会話を、主人公のジェイソン・ステイサム演じるターキッシュが「何言ってるかわかんねぇ。」的なことを言うシーンがある。
確かに彼らの英語は崩れすぎていて、何を言っているのかわからない。
こうした独特の言語や訛りは、ジプシーたちの特徴の1つと言えるだろう。
スペインのヒタノも同じだ。
…と言っても、私のようなスペイン語初心者には、実はまったくその違いがわからない。
若干汚い言葉を使いまくってるかなーぐらいは聞き取れるが、それでも私にとっては、普通にスペイン語を話しているようにしか聞こえない。
だけど、ビクトルや我が家の子供たちは、話し声を聞くだけですぐにヒタノだとわかると言う。
普通のスペイン語とは、やはり発音などが異なっていて、独特の訛りのようなものがあるらしい。
また、ビクトルや子供たちは、顔つきや服装ででもすぐわかるらしい。
スペインはイスラム系からの侵略の歴史などがあることもあって、スペイン人というのは白人!金髪!といったようなザ・欧米人!といった感じではなく、肌の色も髪の色も、背丈の高低も多種多様である。
しかし、それでもヒタノたちの容姿は、例えばビクトル曰く、スペイン人とはどこか異なるのだそうだ。
最近では私もほんの少しだけ、特に中年の女性のヒタノであれば、あの人そうかなぁ…ぐらいは見分けがつくようになってきた。
だけど、最近の若者ファッションに身を包んだ若いヒタノたちは、まったく見分けがつかない。
ビクトルに聞いたのだが、彼らはおそらく東欧辺りからやって来た人たちだろうとのことだ。
ジプシーと言うと、無法者、アウトロー、地元警察すらも見て見ぬふりをする…なんていうイメージもある。
今まで自分の身にトラブルが起きたことはないし、実際に誰かがトラブルに巻き込まれているようなシーンも見たことはないので、私は今のところ特に彼らを恐れてはいない。
だけど、やはり実際にヒタノたちによる犯罪は数多いようだ。
彼らが住んでいるエリアには絶対に近づくな、彼らのグループには目を付けられるなと、ビクトルは私にも子供たちにも言う。
ビクトルは大昔、痛い目に遭ったことがあるらしい。
ヒタノと知らずに、ガレージを賃貸で貸してしまったことがあって、契約を満了しても鍵を返してもらえず、延滞の賃料も払ってもらえなかったのだそうだ。
ビクトルが借主に「鍵を返してほしい。」と電話すると、すったもんだの挙句、家まで取りに来いと言われ、嫌々行ってみると案の定、そこに待ち受けていたのはヒタノの大家族だったらしい。
「暴力沙汰にはならなかったけど、一族全員に暴言を浴びせられて、生きた心地がしなかった。」と、今でも時々この話をする。
実は、我が家のエリアのすぐ近くに、ヒタノが住むエリアがいくつかある。
我が家の前の大通りを、セントロ方面に背を向けて郵便局のある方向へ歩いて行くと、5分もしない所に、いかにも怪しげな脇道がある。
その道は、車1台ギリギリ通れるような狭い道で、道の両側には、2階建ての古いレンガ造りのだいぶボロボロな家が数軒、軒を連ねている。
それがヒタノたちの家だ。
その脇道を入ってすぐ、大通りからもいちばん見える位置に建っている1軒は、これまたボロボロの古いドアが昼間は年がら年中開きっ放しで、足元まで長い暖簾のようなものが掛けられている。
家の中からはおそらく外の通行人が見えるだろうが、暖簾が目隠しになって外から家の中を見ることはできない。
時々その家の入口や、隣接する高い塀の上から、猫や鶏が道に飛び出してくることがある。
いつだったか、我が家のリビングルームに長年置いていた、飾りの付いた高足の鉢受けを、前妻シュエが買った物だからと捨てたことがあるのだが、その数日後、たまたま用があってこの怪しげな家の前を通ったら、相変わらず開きっ放しのドアの脇にあの鉢受けが置いてあったのには、さすがに苦笑した。
スペインのゴミ収集は、日本のように「○曜日は燃えるゴミの日」…などというのではなく、各通りに定間隔に大きなコンテナが常にあり、そのコンテナに毎日24時間、いつでもゴミを捨てることができる。
コンテナは、プラスチック類用、紙類用…などと、ゴミの種別ごとに用意されていて、毎日深夜や朝方などに、収集車が来てコンテナの中身を回収していくシステムだ。
ヒタノたちは、大きなカゴを取り付けた自転車に乗って、または改造したベビーカーやどこかのスーパーから失敬してきた大型カートを押して、日々このコンテナを巡回している。
コンテナの中から、使えそうなものやお金になりそうなものを拾うためである。
もう1つ、我が家から近いヒタノエリアは、家から徒歩10分ほどのケンタッキーの近くにある。
車の往来が激しい大通りに面して、連立している古めのピソ(マンション)群に突如、1階部分がくり抜かれて通り道のようになっている所がある。
その通り道は灯りがないのでいつも薄暗く、通り道の先にもう1棟、これまた古そうなピソがあるのだなということはわかるのだが、私は1度も行ったことはない。
この薄暗い通り道には、常に誰かが数人で地べたに座り込んだり、立っていたりしてたむろっていて、傍から見ても怖いので、行く勇気すらない。
そこがヒタノたちの住処なのだ。
この薄暗い通り道のあるピソの1室を、なんとシュエが賃貸業目的で購入したと言うのだから驚く。
実は、その話は3年ほど前に子供たちから聞いていた。
「おいおい、あそこはヒタノたちが住んでいるピソだぞ?本当にお前たちのママが買ったのか?」と、ビクトルは目を丸くしながら何度も聞き返した。
子供たちは「うん。そうだよ。」と言っていたが、子供たちの話はたまに間違っていることもあるし、それに、いくら激安物件を買い漁っているシュエとはいえ、ヒタノエリアにまで手を出すほどバカじゃないだろうと、ビクトルは子供たちの言うことを真に受けないことにしていた。
賃貸業をする上で、物件は部屋の中身も大事だが、環境や立地も大事だ。
殊、スペインのピソは、その棟に住む他の住人たちの質や経済状況も最重要ポイントである。
住人達の経済状況が悪いと、例えば外壁の修理や塗装など、共有部分の修復がいつまでもできなかったり、大幅に遅延することがある。
住人同士のトラブルも起きやすい。
自室だけをいくら完璧にリフォームしたとしても、上の階や隣人からの水漏れや害虫の侵入などは避けられない。
その後しばらくは、子供たちはシュエが購入したというそのピソについて何も語らなかったのだが、最近になってエクトルが再びこの話を持ち出してきた。
とある週末に、エクトルはシュエとアーロンと3人で我が家のエリアにやって来て、例のケンタッキーでお昼ご飯を食べたのだと言う。
ケンタッキーなんぞ、シュエの家があるエリアにもあるはずなのに、なんでまたわざわざ我が家の近くのケンタッキーに来たのだ?というビクトルの問いで、エクトルが話してくれたわけだが、それを聞いてビクトルと私が驚愕したのは言うまでもない。
どうやらその日は、シュエが購入していたそのヒタノたちの住むピソに、注文していた家具が搬入される日だったらしい。
そのピソは古いのでエレベーターがなく、届いた家具をアーロンとエクトルが1つ1つ階段を使って家の中に運び入れたのだそうだ。
普通は配達員が家の中まで運んでくれるものだが、シュエがどう交渉したのか、もうこの辺からすでに不思議な話ではある。
家具は複数の注文先から届いたために、アーロンとエクトルは、時々外で配達車が来るのを待っていなければならなかった。
普段見慣れない人がいて、しかもさっきからやけに新品の家具が次から次へと届くことから、最初のうちはヒタノ一族の子供たちがめずらしもの見たさで集まりだし、ついにはヒタノの大人たちまで数人集まってきた。
最初のうちは、完全無視を決め込んでいたアーロンとエクトルだったのだが、ヒタノの子供や大人までもが「何してるんだ?」、「お前たちが住むのか?」、「このダンボールには何が入ってるんだ?」などと次々聞いてきて、運び終わらない家具を触ったりし始めたので、最終的に2人は、言葉少なに会話しなければならなかった。
後日になって、平日のとある日、エクトルが友達とつるんで我が家の近所を歩いていると、向こうからヒタノのグループがやって来た。
すると、グループの1人が突然エクトルに声をかけた。
「よう!お前この間、オレの家の前で中国人の女ともう1人と引っ越しやってたよな?この辺歩いてるってことは、やっぱりオレと同じピソに住んでるんじゃねーか!ウソつくんじゃねーよ、中国人が!」
エクトルと友達はギョッとした。
しかし、エクトルはこういう時、あまりビビったりしない。
「この辺に住んではいるけど、あの家には住んでないから、ウソはついてないよ。」
そう言って、友達とダッシュで逃げたらしい。
そこまで聞いて、ビクトルが「はぁぁぁ。」と大袈裟な溜め息をついて頭を抱えた。
「お前、完全に顔を覚えられてるじゃないか…。何やってんだよ、お前たち…。あれだけ近づくなと言った場所に、よりによって子供たちを連れて行くなんて…。お前たちの母親にはほとほと呆れるよ、まったく…。」
その後、ビクトルはエクトルにしばらくはそのグループと出くわした場所や、ケンタッキーのあるエリアには近づかないようにと言い聞かせていた。
新しい家具を次から次へと運び入れる姿なんぞ見られてしまったからには、「こいつらは金を持っている。」と、ヒタノたちに目を付けられてしまう可能性がある。
中学生男子とは言え、エクトルはまだ身体も大きくはないので、万が一襲われでもしたらと思うとゾッとする。
それに、それだけ新しい家具を見せびらかしてしまったということは、シュエのピソは大丈夫なのだろうか。
ヒタノたちの中には、「ocupa(オクパ)」がいるからだ。
オクパ。
これが2つ目の、今日紹介したい、私がスペインで驚いたこと、意味不明で腑に落ちないことだ。
スペイン語で「ocupa」とは、占領するという意味なのだが、まさに字の如し。
スペインでは、廃屋や持ち主のいる空き家を占領して、勝手に住みついてしまう輩がいる。
大抵はホームレスだったりするが、中にはヒタノたちが一族総出で住みついてしまうこともある。
こういった人たちのことを、オクパと言う。
ヨーロッパは、やたらと人権人権うるさい地域だが、スペインも然り。
スペインでコロナウイルスの最初の抑え込みができなかった大きな原因の1つは、中央政府とそのご婦人方が肩入れしていた2020年3月8日の女性デーの大規模デモを決行したこととも言われているぐらいだ。
あのデモの直後に、首相と当時の副首相のご婦人方が相次いで感染、次々とデモの参加者も感染した。
このデモが関係しているかどうかはわからないが、デモの直後に感染者数が跳ね上がったのは事実で、「人の命より女性の人権の方が大事か!?」と、未だに政府叩きがあるほどだ。
そんなスペインなので、当然、オクパの擁護団体なるものも存在する。
擁護団体と言っても、勘違いしないでほしい。
彼らに仕事を斡旋して、きちんと光熱費や家賃を払って生活ができるように…とかいう“厳しい”擁護ではない。
オクパが占拠した空き家に、水道や電気を引いて家賃も無料で提供すべきだ!とそもそもの家主に圧力をかける、なんとも“優しい”擁護なのだ。
数年前に、これらの擁護団体を密着インタビューする報道をテレビで見た時は、あまりの驚きに開いた口が塞がらなくなった。
勝手に他人の家に住みついているオクパ家族の、1日の生活を密着しインタビューするシーンもあって、その時彼らは胸を張ってこう言っていた。
「水道が使えないから、毎日公園へ何度も水汲みに行かなければならず、腰が痛い。電気が使えないからスマホの充電もできなくて不便極まりない。家主に文句を言いたい。」と。
また、別の日には、オクパに自宅を乗っ取られた男性のインタビューが放送されていた。
彼は、2年前に実家の年老いた母親が病気になったので、看病や介護をするために急遽実家で暮らすことになった。
まさかこんなに長い間自宅を空けることになるとは思わず、いつか自宅に帰れると思って、自宅はそのままにしていたのが運の尽きだった。
2年間の母親の介護を終えて、ようやく自宅に帰ると、なんとオクパ家族が住んでいた。
玄関の鍵も勝手に換えられていた。
男性は当然警察を呼んだが、オクパたちは「ここは我々の家だ!」と言って退去を拒んだ。
警察は男性に、「2年間家を空けていたのですよね?それじゃあダメだ。」と、あっさり帰ってしまったのだそうだ。
男性はインタビューで泣いていた。
それからというもの、この男性は、オクパが家を空ける隙をついて家を取り戻すために、自宅前の車道に車を停め、毎日その車の中で生活を始めた。
それに気づいたオクパたちも、男性に家を奪われてなるものかと、(勝手に!)窓に板を打ち付けて中が見えないようにしたり、外出する時は必ず家族の誰か1人は家に残るようにするなど対策を始めた。
「たまには家族みんなで外出したいのに、アイツ(元々の家主である男性)のおかげで散々ですよ。」と、オクパ家族の主が被害者づらでこぼしていた。
スペインでは、年単位で家を誰かに乗っ取られてしまった場合、元々の家主が所有権を失ってしまう場合がある。
いくら法的に所有者であっても、時には裁判でも負けるのだ。
日本人の私からしてみれば、とても信じられない話である。
そう言えば、前副首相を務めていた某極左政党の前党首は、「家を複数所有している等裕福な人は、オクパに家を無償で提供すべき。」と、以前からちょくちょく宣っていたのだが、パンデミック始めの頃、オクパが彼の自宅(豪邸)に侵入した。
当然提供するんだろうな?と思いきや、政府資金で警察を多数導入し、あっという間にオクパを逮捕させていたのには、笑うしかない。
シュエの場合は、なんだかんだ悪運が強いので、あのヒタノたちの住むピソも、上手いこと商売していくのではないかと思う。
ただ、子供たちを巻き込むのだけは、本当にやめてほしい。
■本記事のタイトルは、映画「ハウス・オブ・グッチ」(2022年公開予定、アメリカ)をモジって使わせていただきました。
記事の内容と映画は、一切関係ありません。