胃袋をつかめ!
今日は、ビクトルが夕方から友人たちと飲みに行った。
学校から帰って来たエクトルが昼寝をしている間に、ビクトルが出かけてしまったので、しばらく過ぎてようやく昼寝から起きたエクトルが、「あぁ、もうパパ出かけたんだね。」と言いながら、私の所へやって来た。
私は、「あら起きたの?うん、そう。もう行っちゃったよ。」と答え、「今夜は2人で一緒にパーティーしちゃおっぜー!」とニヤリと笑った。
ビクトル1人が外出して、私が子供たちと留守番をする時は、私はいつもこうやって子供たちに冗談を言う。
ビクトルの前でも平気で言って、「おいおい、なんだよそれ。」と笑いながら小突かれる。
エクトルは、またいつもの梅子の冗談が始まったとでもいうような、ちょっと呆れたような笑顔でアハハと笑った。
すると、エクトルが言った。
「じゃあさ、今夜の晩ご飯はカツ丼がいいな。カツ丼用のお肉ある?今日作れそう?」
いつもならば、私のこの「今日はパーティー!」という冗談は、本当に単なる冗談にすぎなくて、やってもせいぜい「いつもよりも長い時間ゲームしてもいいよ。」だとか、「今日はお菓子たくさん食べてもいいよ。」ぐらいだということは、子供たちもわかっている。
だから、エクトルが「じゃあさ…」とノッてきたのがめずらしくて、自分で冗談を振っておきながら、一瞬驚いてしまった。
…が、目の前で私の返事を待っているワクワク顔のエクトルにハッとして、私は瞬時に我に返ると、冷蔵庫の中身を思い出そうと、大急ぎで頭をフル回転させた。
昨日、ビクトルとスーパーに行った時に、ボカディージョ(バゲットのサンドイッチ)を作るために買った鶏胸肉がある!
「できるよ。チキンカツ丼になっちゃうけど、いい?」と、ようやく返事をすると、エクトルは、「うんうん。チキンカツ丼も美味しいからOK。やったー!」と喜んで、自室へ帰って行った。
我が家のカツ丼は、卵とじの方のカツ丼ではなく、ソースカツ丼である。
日本の私の地元が、ソースカツ丼をご当地B級グルメで売り出しているのもあって、子供たちに初めてカツ丼を作った時、ふと思い立ってソースカツ丼にしてみたのだが、これが思いのほか大好評だった。
その後、卵とじのカツ丼も作ってみたが、「やっぱりソースカツ丼がいい!」と速攻で却下されてしまい、以降、カツ丼と言えば、ソースカツ丼一択だ。
我が家のカツ丼の作り方は、まず初めに少し深みのある皿の半円に、カレーライスの時のように白いご飯を盛る。
この辺はやはり欧米人とでも言うのか、ビクトルも子供たちも器を持ってかき込むという習慣がない。
底の深い丼にしてしまうと、丼を持たないから箸で食べてもフォークで食べても、傍から見ても食べづらそうだった。
なので、我が家ではカツ丼も親子丼も、丼物はカレーライスのように皿に盛ることにしている。
次に、皿のもう半円側にご飯の上にも若干被さる程度に、レタスの千切りをこんもりとのせる。
カツと言えば、添えるのは千切りキャベツが一般的だが、我が家ではレタスの千切りだ。
理由は、なんてことはない。
カツを作る時に、いつもキャベツを買い忘れてレタスで代用したのが、そのまま定着してしまっただけである。
ご飯と千切りレタスの上に、作っておいたソースをスプーン1杯たらりとかける。
ソースは、ケチャップとトンカツソース、みりん、キビ糖、そして麺つゆを小鍋で火にかけて一煮立ちさせたものだ。
分量はそれぞれ、ザ・目分量。
目分量なので、盛大に余る時もあれば、足りない時もあるのがたまにきずだ。
カツにするお肉は、その時冷蔵庫にあったものを使う。
豚ロースだったり、今日のように鶏胸肉だったり。
最初の頃は、豚ロースのみで作っていたのだが、ある日試しに鶏胸肉でもやってみようかと作ってみたところ、ビクトルにも子供たちにも好評だった。
食べている最中に、ビクトル、アーロン、エクトルの3人で、豚ロース派か鶏胸派かでバッチバチの大論争が巻き起こったほどだ。
(結局3人共、「どちらも美味しい。」という結論に至ったが。笑。)
作ったソースがたっぷりある時は、揚げたカツをソースにくぐらせてから一口大に切り、千切りレタスの上にのせる。
これで出来上がりだ。
「エクトルー!ご飯できたよー!」と、私はキッチンから叫んだ。
いつもなら友達とのチャットやらYoutube鑑賞やらに熱中して、「今行くー!」と言いながら、待てど暮らせど来ないのに、今日は光の速さでキッチンにやって来た。
テーブルの、熱々出来立てのソースチキンカツ丼を見て「ワ~ォ。」と感嘆の声を上げると、早速席について美味しそうに食べ始めた。
そして終始無言。笑。
アーロンもエクトルも、機嫌の悪い時か好物を食べている時は無言になる。
今日のエクトルは、もちろん、後者だ。
洗い物をしていると、エクトルはあっという間に食べ終えてしまったらしく、「あぁ~、美味しかった~!」と、大満足の顔で食器を下げに来た。
そして、一言。
「最後の晩餐で何食べたい?って聞かれたら、僕は間違いなく“カツ丼!”って答えるね。」
「あらほんと?そんなに喜んでもらえて嬉しいです~。」と、私は笑いながらエクトルの食器を受け取った。
私がビクトルと子供たちと一緒に暮らし始めて、まず考えたのは、どうしたら子供たちと上手くやっていけるか、だった。
「なんちゃってでもいい。この子たちの“もう1人の母ちゃん”になりたい!」といくら意気込んでも、当時はスペイン語もままならなかったし(今もそうだが。)、言葉ができない=働くこともできないから何かを買ってあげることもできない。
どうすればこの子たちを少しでも幸せにできるか、私を家族として受け入れてくれるか、自分なりに考えた方法が、「そうだ!胃袋をつかもう!」だった。
東京での一人暮らしの頃、正直、大して料理はしていなかった。
だけど、それは自分1人のために作るのが億劫だからやらなかっただけで、料理ができないわけではなかった。
これからは3人のために、家族のためにご飯を作れることが嬉しかった。
当時、「エクトルは好き嫌いが激しい。」と、ビクトルから聞いていた。
野菜全般、ダメだった。
でも、それすらも変にやる気が出た。
例えば、いろいろな野菜をみじん切りしてハンバーグを作り、ぺろりと平らげたエクトルに、「すごいじゃーん!ニンジンもズッキーニもタマネギも食べられたじゃん!」と、大袈裟に褒めてあげた。
サラダには、常にカリカリベーコンやハム、炒り卵などを入れて、それらと一緒に野菜を食べると、嫌いなキュウリもレタスも美味しく食べられることを教えた。
そんな中、ある日思いきってにんじんしりしりを作ってみたら、んまー食べる食べる!
あっという間に子供たちの好物になってしまい、それ以来、どれだけ大量に山盛りに作っても、アーロンとエクトルだけで平らげてしまうので、「パパの晩酌用の分も残しておいてくれよ!」と、何度ビクトルが本気で怒っただろう。
私が嫁いで来た時には、すでにママ(=義母)はだいぶ認知症が進んでいたので、ママからスペインの家庭料理を教えてもらうことができなかったのは、今でも悔しい。
スペインの家庭料理を知らないので、当然、私が作るご飯はこのように日本の家庭料理になってしまう。
日本の家庭料理と言えば、やはり米が主役だ。
スペインでも主食はパン(バゲット)だが、パエリアというスペインを代表する米料理があるように、この国では他の欧米諸国と比べて米が多く食べられていることは、私にとってはだいぶ助かる要素だった。
また、子供たちの母親が中国人で、子供たちも何度か中国に行っているため、白米を食べることにあまり抵抗がないのも大いに助かった。
だけどいくらスペインは米料理がたくさんあるといっても、やはり大抵はパエリアのような炊き込み系で、最初から米と共に具材があるか、味や色が付いているものが主流だ。
ビクトルも、私と出会ったばかりの頃や私の実家に初めて行った時などは、白米を食べれずにいた。
だから子供たちが小さかった頃は特に、ただ単におかずと共に白米をポンと出すことが不安で、白米を出す時は必ず日本のふりかけと、桃屋のごはんですよを用意することにした。
そして、各自好きなものを白米にかけて食べさせた。
ふりかけは、丸美屋ののりたまはマスト。
それ以外には、子供たちに少しでも興味をもってもらえるようにと、アニメやかわいいキャラクターがデザインされている、お弁当用の小さい袋詰めのふりかけを、日本に帰る度に毎回たくさん買ってきていた。
ふりかけとごはんですよは、子供たちに大きな衝撃を与えた。
以来、白米を炊くと「やったー!今日は白米パーティーだー!」と叫んで、アーロンもエクトルも小躍りするほど喜ぶようになった。
いつぞやの、エクトルが遠足の時のお弁当では、「白米だけにして!」とリクエストされたことまである。
おにぎりでもサンドイッチでもなく、おかずもいらないから、弁当箱いっぱに白米だけを敷き詰めてほしいと。
そして、梅干しの日の丸…ならぬ、真ん中にごはんですよをのせた“黒丸弁当”にしてほしいと。
さらにふりかけも持って行って、クラスメートにふりかけの使い方とふりかけの美味しさを教えるんだと、息巻かれた時にはどうしたものかと本気で悩んだ。
「いいの!それでいいの!」とあんまり言うもんで、渋々黒丸弁当を作り、写真に収め(笑えてしょうがなかったので)、SNSサイトに「日本だったら、下手したら虐待弁当。」と投稿したら、友人たちから多くの同情と爆笑をかっさらった。
「日本はずるい!アニメもたくさんあってどれも有名なのに、食べ物までどれも美味しいなんて!」と、いつだったか幼い頃のエクトルが、突然ほっぺを膨らませて怒りだすほど、こうして子供たちは日本の家庭料理を好きになってくれた。
チキンカツ丼の夕飯を終えても、引き続きテーブルで「デザート!」と言ってミカンを食べていたエクトルに、「そういえば、今年のクリスマスイブの夕飯なんだけど、今年はエステバンを招待するのね。」と、私が切り出した。
エステバンは、ビクトルの甥っ子、エクトルにとってはいとこである。
「それで、ご馳走何作ろうかなーってずっとパパと話し合ってて、今年は唐揚げと手巻き寿司作ろうかなーって思って…。」
言うや否や、エクトルが「マジでー!!!」と絶叫し、脱力して天を仰いだ。
ビクトルとシュエの養育権の契約で、子供たちの冬休みは12月31日までの前半がシュエ、1月1日からの後半がビクトルの役目になっているので、私は1度も子供たちとクリスマスイブとクリスマスを過ごしたことがない。
子供たちの好物は、カツ丼だけではない。
他にもカレーライス、ポテトサラダ、鶏の唐揚げや出汁巻き卵、それから手巻き寿司も大好きだ。
エクトルに至っては、ここ数年の彼の誕生日のご馳走は毎年リクエストするぐらい、唐揚げと手巻き寿司に目がない。
寿司と言えば、近所のスーパーの鮮魚売り場では、果たして刺身で食べても大丈夫なのかいまいちわからず、生魚を選ぶのにはいつも苦労する。
なので、我が家はいつも魚系の手巻き寿司の具材は、イチかバチかで冷凍サーモンを買うか、スモークサーモンを買い、漬けにする。
あとはカニカマサラダを作ったり、茹でたエビ、ツナマヨなどでごまかす。笑。
その他にキュウリやレタス、卵焼き、焼肉のタレで焼いた牛肉などを用意すれば、テーブルは十分華やかに埋まる。
「なんで僕がいない時に唐揚げと手巻き寿司なんだよぅ…。」と、引き続き嘆いているエクトルに、私は笑って言った。
「そう落ち込みなさんな。昨日スーパーで鶏もも肉も買ったから、明日明後日辺り、唐揚げ作るから。ね?手巻き寿司は、お正月にアンタが帰って来た時にでもやろうか?」
みるみるうちに、エクトルの顔がパーッと華やいだ。
お正月と言えば、日本ではお餅が登場する。
だが残念なことに、ビクトルとエクトルはお餅が好きではない。
いくら日本食を好きになってくれても、やはり彼らに受け入れてもらえなかった食べ物もいくつかある。
お餅が好きだったのは、アーロンだった。
私とアーロンの2人で、夜な夜なオーブントースターで磯辺焼きを作って食べたのは、今でも良い思い出だ。
アーロンは、納豆も好きだったし、イカと大根の煮物も好きだった。
お味噌汁は、特にサツマイモと大根とニンジンを入れた、豆乳で作ったお味噌汁が好きだった。
それに引きかえ、エクトルはお餅も納豆も煮物も、お味噌汁も好きではない。
お味噌汁に至っては、「泥水みたいな色で食べられない。」と言われたのが、今でも私のトラウマになっていて、お味噌汁を作った時はいつもエクトルに「食べる?」と聞いてから出している。
マンガ飯か!ってほど、どれだけ山盛りによそっても、「おかわりある?」と言うぐらい、いつも気持ちいいほどモリモリ食べてくれたアーロンが懐かしい。
アーロンがいなくなってしまった今、お餅も納豆も、食べられるのは私だけになってしまって、独り占めはできるけど、やはりなんだかつまらない。
ある日、なんとなくエクトルに「アーロン、ウチのご飯が恋しいとか言ってる?」と聞いてみたことがある。
だけど、エクトルにサラっと「別に何とも言ってない。」と言われ、私は1人撃沈した。
聞くんじゃなかった…。_| ̄|○
くっそーぅ、アーロンの胃袋はつかみきれてなかったか…。
■本記事のタイトルは、映画「チャンスをつかめ!」(2009年公開、インド)をモジって使わせていただきました。
記事の内容と映画は、一切関係ありません。