梅子のスペイン暇つぶし劇場

毒を吐きますので、ご気分の優れない方はご来場をご遠慮ください。

新年は最高のはじまり

新年、明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

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年末に、某占い師のYoutubeチャンネルで、2022年予想を見た。

五黄土星の寅年となる今年は、弱肉強食の爆発の年。

善悪に関係なく、溜め込んでいたものが内へ外へと放出される。

だから、できるだけ負のエネルギーは溜め込まない方がいい。

溜め込むならポジティブな前向きなものにして、ストレスはこまめに吐き出すことが重要らしい。

ふむふむ、なるほど~と、メモを取る…とまではしなかったけれど、できるだけ忘れないように1年を過ごそうと心に誓った。

何事もポジティブに!だ。

そんなことを噛みしめながら見続けていたら、占い師がゲストと語り始めた。

 

「誰かの悪口を言ったり、仕返しをしたい、不幸になればいいとか思っていると、それは必ず自分に返ってくるよね…。」

「うんうん。絶対返ってくる!」

 

聞いて思わずブルっと身震いしてしまった。

それってもしや私のことじゃないか…?

まさにこのブログのことじゃないか!!!

 

このブログは、まさに私の吐き溜めの場。

昨年は特に、アーロンの愚痴だとかビクトルの前妻シュエの愚痴だとか、アーロンだとかシュエだとか…、延々と恨みつらみを書きなぐりまくった。

「ストレスはこまめに吐き出す方がいい。」

そういう意味では、このブログのおかげでこまめに…というよりはむしろ一気にガーッと毎回吐き出すことができた、と、無理くり言い訳ができなくもない。

だけど、ブログというのは書き溜めていくもの。

そう考えると、背筋にスーッと冷たいものを感じるような、感じないような…。

 

そういえば昨年、このブログを再開して間もなく、私は猫の助に思いっきり足を噛まれた。

その後、この噛み傷によって2度も病院のご厄介となってしまった。

2度目の時は精神的にもだいぶ参って、「きっと負のエネルギーが返ってきたんだ…。」などと、オカルト脳全開で怯えたものだ。(※詳しくは過去記事「インフェクション 感染」をご参照ください。)

猫の助に噛まれたことによって、私は去年のうちに自身に返ってくる呪いをすべて清算できたのだろうか。

いやでも、その後も懲りずに書きまくってたしなぁ…。

とにかく、今年は無事に穏やかに平和に1年を過ごしたいものである。

 

さて、日常の生活はというと、大晦日の夜、私とビクトルはいつものように2人だけでご馳走を食べ、TVを付けて年が明ける瞬間を見、ブドウを食べ(スペインでは12時の鐘の音に合わせて12粒のブドウを食べる。)、「明けましておめでとう!今年もよろしく!」とカヴァで祝杯を上げた。

その後、友人たちや、前妻シュエの家で新年を迎えているアーロンとエクトルに、スマホでそれぞれおめでとうのメッセージを送った。

 

子供たちにメッセージを送るのは毎年の恒例だが、今年はここでイレギュラーなことが起きた。

エクトルから「今から電話してもいい?」と返事があったのだ。

今までに子供たちの方から、しかも新年早々に電話をしてくるなんてことは、1度たりともなかったことで、ビクトルと私は驚いた。

電話は、アーロンのスマホからビクトルのスマホにかかってきた。

最初にエクトルが話し、次にアーロンが出た。

アーロンとビクトルは、だいぶ長い間話していた。

一通り2人の話が済んだ頃、アーロンが「梅子とも話したい。」と言ったらしく、私は電話を代わってもらった。

我が家はビクトルと私、そして寝室で寝ている猫の助だけなのに対し、シュエの家にはシュエ夫婦と子供たちが3人、そしてワンコやらオウムやらペットだって盛りだくさんなはずなのに、電話口はまったくの静寂、無音だった。

しかも、何気にアーロンの話し声もボリュームを落として話しているような感じだ。

「アーロン?なんかものすごく周りが静かだけど、大丈夫?どうした?アンタは元気?」と、思わず聞いてしまった。

アーロンは、「ハハハ」と笑いながらも、それでもやっぱりなんだか声のトーン低めに「僕は元気だよ。今、僕の部屋で話してるんだ。だから静かなんだよ。」と言った。

その後私たちは、再び新年の挨拶を交わし、1月6日の祝日に我が家に来て一緒にご飯を食べようと話した。

 

この話も、話せば少し長いのだが、冬休み前のある日、エクトルが私に「来年の1月6日は、アーロンを招待しようよ!」と、唐突に言い出した。

「私はいつでもアーロンが来るのは大歓迎だよ。でもそれ、アーロンは知ってるの?パパにも話した?」と聞くと、なんだかエクトルの様子がおかしい。

その後ビクトルも加わってよくよく聞いてみれば、アーロンがエクトルに頼んだことだというのがわかった。

「1月6日にパパの家に行きたいんだけど、俺から言うのは気まずいから、お前の提案という体でパパと梅子が俺を招待するよう仕向けてくれ。」と言われたらしい。

子供部屋の改造中、1度はアーロンが我が家に来ていくつかの私物を持って行ってもらったけど、その後はなんやかんや理由を付けて、アーロンはそれ以降私物を取りに来ないままだった。

ビクトルは「あいつめ…。何もそんな小賢しいことしなくたって、来たけりゃ来たいと正直に連絡くれればいいのに…。」とはうなだれたものの、6日の祝日に来ることは「もちろんOK!」と快諾…、という経緯があったのだ。

 

話を戻し、こうして私もアーロンとの短い会話の後、「それじゃあ6日にね。」と、電話を切った。

アーロンは、「最近食欲がなくて、昔みたいにたくさん食べなくなった。」と言っていた。

まぁ、ティーンエージャーだから、ある日突然ダイエットに目覚めたり、そうかと思えば食べても食べてもお腹が空くなんてこともあるだろう。

あまり気にしないようにしようとは思ったが、やはりあの、電話口の異常なまでの静寂とアーロンの声を押し殺したような話し方は、最後まで気になった。

子供たちとの電話を終えて、「電話くれたのは素直に嬉しかったけど、やっぱり気になるよなぁ。あいつらが僕に電話をくれるなんて。」とビクトルが言った。

「もしかしたら、またシュエとマックスの喧嘩でもあったんじゃない?マックスがまた家出したとか追い出されたとかして、ひょっとしたらこの大晦日はシュエと子供たちだけだったとか…。何かが起きて子供たちがあなたのことを恋しく思ったんじゃないかなぁ。」

私がそう言うと、ビクトルは少し照れながら「あんなに大きくなっても、まだ僕を恋しく思ってくれるのなら、それはそれで嬉しいな。」と言った。

 

その電話の後、夜が明けて1日の昼頃、エクトルが母親シュエの家から帰って来た。

ビクトルは、冬休み前からだいぶしつこいぐらい「1日にはちゃんと帰って来るんだぞ。」とエクトルに言っていた。

実はここ2~3年ほど、養育権の契約そっちのけのシュエに「子供たちがギリギリまで私たちといたいって言うから…。」などと言われ、子供たちは1月6日の冬休み最終日まで我が家に帰って来ないことが続いていた。

「だけど今年こそは、僕だって息子と新年をちゃんと祝いたい!散歩でも買い物でもいいから、エクトルと冬休みを楽しみたい!」と、ビクトルがやけに意気込んでいたのだった。

アーロンが我が家で暮らさなくなった今、ビクトルはエクトルまでも自分から遠ざかってしまうのを恐れているのかもしれない。

 

新年1発目のお昼ご飯は、冬休み前にエクトルと約束していたとおり、手巻き寿司にした。

エクトルはその約束をすっかり忘れていたようで、手巻き寿司と知ると「やった!」と小さくガッツポーズをした。

クリスマスイブの、甥っ子エステバンとの食事以降、食べきれなかったエンブティード(サラミや生ハム、チョリソ、チーズなど)を、ビクトルが盛り付けてテーブルに並べてくれたので、手巻き寿司の具材と相まって、テーブルはこれ以上お皿の置き場がないほど、食べ物で埋まった。

「祝杯だから…」と、私がふざけてエクトルのジュースもワイングラスに注いであげて、家族3人で「明けましておめでとう!」と乾杯した。

 

食事の間は、毎度お馴染みのエクトル独演会状態。笑。

次から次へと話題を広げていくエクトルを見ながら、思春期の気難しくなってもおかしくない年頃なのにこんなにたくさん「それでね、それでね…」と話してくれるのが、もしかしたら私たちに気を遣ってくれているのか?と思うと、申し訳なくも思うし、でもやっぱり嬉しくも思う。

このままこの子が、素直でまっすぐな気持ちのまま大人になってくれればいいなと願う反面で、アーロンともこんなふうにたくさん話せていたら、あの超絶レボリューション(超絶反抗期)も上手く乗り越えることができたのだろうか…と、ついぼんやり考えてしまった。

 

エクトルは、冬休み前半の、シュエの家での出来事も話し始めた。

クリスマスを過ぎた頃、シュエとマックスはまた大喧嘩をしたのだそうだ。

喧嘩の原因については深く話さず、ただ「またマックスが同じこと繰り返して、ママを怒らせたんだ。」とだけ言った。

「あの2人また喧嘩したのか?ついこの間離婚を思いとどまったばかりなのに?」と、ビクトルが呆れた。

エクトルも呆れた調子で、「この前もレストランで話したけどさー(※詳しくは過去記事「ビクトルの大予言…の答え合わせ」をご参照ください。)、やっぱり僕にはママが理解できないよ。どうして同じ過ちを繰り返すマックスといつまでも別れないんだろう。」と言った。

「それはフアンがいるからだよ。」と、私は言おうとしたのだが言えなかった。

心情的に言えなかったのではなく、物理的に言えなかったのだ。

なぜなら、エクトルとビクトルの会話はいつも、エクトルが矢継ぎ早に話し続けるか、そこにすかさずビクトルが相槌を打って話す権利をかっさらっていく。

ようやくビクトルの話が終わるや否や、再びエクトルが絶妙なタイミングで話し出す…と、こういう状況なので、私が会話に入っていく隙がないのだ。

たとえ頑張って「あ、でもさ…」などと入り込んでいこうとしても、これはよくビクトルにも言われるのだが、私の会話時の声(日本人の声とも言われることがある。)は、スペイン人の彼らのように腹から出す声ではなく、喉から出す声だそうで、出だしの声が低く小さくて聞き取れないらしく、無意識に遮られ、かき消されてしまう。

日本人がスペイン人たちの会話に入れないのは、こういった矢継ぎ早の会話と声の出し方の違いがよく言われている原因だ。

 

結局私が何もコメントできないまま、エクトルの話は続いていく。

「だから昨日の夜もね、大晦日のご馳走はマックスが作るって、初めのうちは張りきってたんだけど、結局マックスは何もしなくてさ、全部ママが1人で作ったんだ。全員でテーブルに付いてからは、誰も会話しようとしないんだよ。大晦日のディナーなのにだよ?みんな黙々と食べてるわけ。もう最悪の雰囲気で耐えられなくてさ、僕が全員に話題を振って、なんとかみんなが会話できる雰囲気を作ったんだよ。もしあの時僕も一緒に黙ってたら、きっと誰も話さないまま食事が終わってたね。」

エクトルの独演会が、愚痴大会と化した。

「それにディナーが終わったら、みんな無言でそれぞれ自分の部屋に戻っちゃってさー。マックスは部屋がないから、彼だけリビングのソファに座ってテレビゲームを始めたんだ。それ見たらなんだかマックスが可哀想になってきちゃって…。彼だって家族の1人なのに、今は誰にも相手されなくなっちゃってさ。だから僕はマックスの隣りに座って、一緒に1時間ぐらいゲームをしたんだ。」

 

あぁ、だから昨夜の新年のメッセージの後、子供たちがビクトルに電話をかけてきたのか、と思った。

ビクトルをチラッと見ると、ビクトルも「なるほど、そういうことだったんだ。」というような顔で私を見た。

エクトルはきっと、この大晦日の夜の出来事で、改めて家族の絆の大事さみたいなものを痛感したのだろう。

だから、いくら数時間後の翌日我が家に帰って来るとはいえ、ビクトルに直接「おめでとう」を言いたかったのかもしれない。

アーロンも、こんなに冷めきってしまった母親家族とは逆に、父親家族にはまだ温もりがあるはず…と、温かさを求めてビクトルや私の声を聞きたかったのかもしれない。

あちらの家はやれやれ…な1年の幕開けだなと思った。

 

ところで我が家の場合は、先述の占い師の予想をビクトルに話したところ、「じゃあ今年はネガティブになるのはやめて、ポジティブに感謝の気持ちを忘れずに過ごそう!」ということになった。

毎日次から次へと報道されるパンデミック関連の話には、年が明けた今もほとほと呆れる話ばかりだ。

だけど、去年まではそういう話をして嘆くだけ嘆いておしまいだったが、今年はちょっと思考を変えて、バカバカしいニュースは笑い飛ばすことにしている。

日本では、さぞかし「ヨーロッパは感染者数が爆上がり!」なんて報道されていると思うが、私もビクトルも子供たちも、皆元気に過ごしている。

 

今年も、家族みんなが健康でありますように。

世界中の人たちが健やかに平和に暮らせますように。

ポジティブな心を忘れずに、ポジティブに、ポジティブに。

 

 

■本記事のタイトルは、映画「あしたは最高のはじまり」(2017年公開、フランス・イギリス合作)をモジって使わせていただきました。

記事の内容と映画は、一切関係ありません。