梅子のスペイン暇つぶし劇場

毒を吐きますので、ご気分の優れない方はご来場をご遠慮ください。

誰が為に未来はある 8

前回までのお話 7は、コチラ

 

「専門学校の入試まで、オンラインゲームは忘れろ。」

ビクトルにそう言われてブチ切れたアーロンは、「僕の未来に口出しするな」と言ってのけ、我が家には帰らないと宣言した。

…にもかかわらず、ビクトルのメールで事の真相をようやく知ったであろうシュエにおそらく雷を落とされて、アーロンはすごすごと我が家に帰って来た。

しかも、あんなに大事だったノートパソコンなしで。

 

帰って来たはいいが、その後が厄介だった。

こういうことが起こるともはやいつものこと…ではあったが、アーロンはビクトルと口を利かなかった。

私とは必要最低限の会話のみ。

さらに、この狭い家の中で、ビクトルと顔を合わせないことに徹底し始めた。

例えば、ビクトルがキッチンやリビングルームにいる時は、決して子供部屋から出て来ない。

ビクトルが私たちの寝室や書斎に移動すると、隙を見計らったように子供部屋から出てきて、キッチンに水を飲みに行ったり、トイレに行ったり、受験勉強のために用意されたリビングルームに直行&ドアを閉め切って、完全に人の出入りをシャットアウト、といった具合だった。

子供部屋のドアに覗き窓はない。

まるで常にドアの裏側で四六時中聞き耳でも立てているのかと本気で勘繰りたくなるほど、ビクトルの動きに合わせてタイミング良くアーロンが子供部屋にこもったり出てきたリするので、そのバカバカしさに笑いが込み上げ、そして呆れた。

 

ビクトルもビクトルで、こういうところが私にしてみればなんだかなぁなのだが、「あいつが謝罪するまで話したくもなければ顔も見たくない。」と言ってきかない。

次男のエクトルは、完全に“我関せず”を貫いた。

ビクトル、アーロン、私とはそれぞれに普通に会話をするが、ビクトルやアーロンに「もういい加減仲直りしろよ!」などと言って、介入することは1度たりともなかった。

この家の中で、エクトルがいちばん賢い判断と行動をしている。

でもそれも、こんな最悪な状況の中に置かれているが故と考えると、不憫に思えてならなかった。

ビクトルとアーロンの低レベルな意地の張り合いに、右往左往しているのは私だけだった。

 

シュエの家からノートパソコンを持ち帰って来ることができなくなったアーロンは、それなら例えば朝から晩までリビングルームにこもって受験勉強に精を出すのかと思えば、決してそうではなかった。

昼ご飯に呼ばれるまで、午前中いっぱい子供部屋から出てこない。

昼食は、キッチンのテーブルを4人で囲んで食事するのだが、一切顔を上げず、もちろんエクトルやビクトルの会話に参加することもなく、1人で黙々とご飯を食べ続ける。

食べ終わるやいなやすぐさま食器をシンクに下げ、誰にも言葉を掛けることなく、そそくさと子供部屋に引きこもった。

そこからまた、夕飯の時間まで部屋から出てくることはなく、夕飯が終わっても再び子供部屋に直行。

やっとリビングルームへ受験勉強をしに行くのは、なんと夜中の12時を回ってからだった。

しかも、それじゃあ朝方ぐらいまでみっちりやるのかと思えばそんなわけはなく、きっかり深夜2時半になると、勉強道具を抱えて子供部屋に戻り、就寝するのだった。

このサイクルが、あの日我が家に帰って来て以降、なんと専門学校の入試前日まで、毎日毎日、毎日こうだった。

午前中や昼食の後、子供部屋にこもっている間に何か勉強しているのかなとも考えた。

だけど、唯一自由に子供部屋を出入りできるエクトルにこっそり聞いてみると、アーロンは常にベッドの上で寝ているかスマホをいじっているかのみ。

参考書やプリントを読んでいたり、スケッチブックを広げて絵を描いているような姿は、一度も見たことがないとのことだった。

こんな状態なので、ビクトルはもちろんのこと、私も一度も「もっと勉強しなさい!」だとか「勉強は進んでるの?」だとか、そういうことを言わなかったし、言える状況ではなかった。

 

そうして6月が終わろうとしていた30日の夜、早速事件は起きた。

 

その時私は書斎にいて、自分のパソコンでYoutubeを見ていた。

エクトルは私の傍にあるソファに座って、ビクトルに借りたお古のスマホでこれまたYoutubeを見ていた。

ビクトルは私たちの寝室にいて、アーロンは相変わらず子供部屋に引きこもっていた。

 

ふいにエクトルが、「パパのパソコンを使ってもいい?梅子に話したいことがあるんだ。」と言った。

どうやら込み入った話のようで、私がちゃんと理解できるように、Google翻訳に書きたいのだと言う。

「使っていいよ。」と言うと、エクトルは早速ビクトルの机に座り、Google翻訳に長文を書き始めた。

 

結論から言うと、今度の週末(もう明日明後日の話)シュエの家で過ごしたいのだけど(エクトルの言葉を借りれば「過ごさなければならない」だそうだが)、ビクトルが許可してくれるか、先に私の意見を聞きたいということだった。

Google翻訳で日本語に訳された文章を読んで、私は思わず「まじかー。」と日本語で言ってしまった。

 

エクトルの話によると、この週末、シュエの現夫マックスの実家にとある親戚家族が来て、その親戚家族の誰かの誕生日パーティーが開かれるらしい。

どうやらシュエは、そのパーティーにアーロンとエクトルも参加させたいようだ。

この親戚は少し遠い所に住んでいて滅多に会えないらしく、前回彼らがマックスの実家を訪れたのは、1月6日のLos Reyes Magosの祝日だった。

 

Los Reyes Magosの祝日とは、スペインでは12月25日と並ぶもう1つ大事なクリスマスの祝日で、前年の12月24日のクリスマスイブから始まるクリスマス期間の最終日で、また、学校の冬休みの最終日でもある。

ビクトルとシュエの養育権の契約では、冬休みは開始日から12月31日までがシュエの親権期間で、1月1日からこの1月6日までがビクトルの親権期間に設定されていて、今年のその日も当然子供たちは我が家にいたため、この親戚家族とは会うことができなかった。

 

「今回も彼らに会わないのはさすがに失礼でしょう?」と、エクトルが言った。

私は「知らんがな。」と、心の中で呟いた。

その親戚とやらにいちばん近しいマックスとその妻のシュエ、その子供のフアン(アーロンとエクトルの異父弟)ならともかく、アーロンやエクトルなんぞの連れ子が、ましてや継父の親戚に会わないのがそんなに失礼か?

だったら、日本の私の両親にすら今まで会ったことがないことを、エクトルはずっと心苦しくでも思ってるんだろうか?

一度もそんなこと言われたことないけど。

…と、エクトルのたった一言を聞いただけで、ついつい大人げないことに考えを巡らせてしまった。

 

誕生日パーティーは週末のどの日なのか、エクトルは言わなかった。

だが、「マックスの実家は遠くて、日帰りできないから。」という理由で、翌日7月1日木曜日からシュエの家に行き、いつものように日曜日の夜に帰って来る予定だと言う。

どこぞの富豪か王族でもあるまいし、誕生日のために4日も費やすのかと、思わず皮肉を言いそうになったがやめた。

「要は、アーロンがこの家にいることが耐えられなくてママに相談した結果、ちょうどよくこの親戚が来るから、それを口実に先週までみたいに今週末もママの所で過ごしたい、そういうことだよね?」

私がそう言うと、エクトルは「違う!違う!」と否定した。

エクトルは少し勘違いしているのか、シュエにこのことを告げられ「そういうわけで、パパに行っていいか聞きなさい。」と言われたのは先週の日曜日だから、その後今日までの間にアーロンがこの家でどう過ごしているか、ママは知る由がないと言い張った。

ダメだ、話が嚙み合わない。

おそらく2週間前の、アーロンのメッセージアプリでの発言やその後のシュエとビクトルのメールのやり取りの件を知らないのだろう。

私やビクトルがエクトルにこの時の出来事を伝えることはできたが、楽しくもない話を教える必要はない。

シュエもアーロンも、エクトルに対してきっとそういう思いなのだろうが、だからと言って何も知らないエクトルを交渉役にするのはいかがなものか。

シュエとアーロンの意気地なさと汚さをまざまざと実感し、呆れるほかなかった。

 

エクトルの話し方から、誕生日パーティーに行きたいんだろうなということは十分伝わってきた。

ここで私が「実はね…」と2週間前の出来事を教えたとしても、エクトルの行きたい気持ちは変わらないだろう。

「わかった。わかった。」と、私はエクトルが興奮しかけているのを抑えた。

「私の意見を言うね。まずこれはパパとママの養育権の契約に反する行為になるよね?ということは、子供のあなたがパパに話して許可をもらうのではなくて、ママがパパに話して許可をもらうべき案件だと思うのね。あなたがしなければならないことは、パパじゃなくてママに連絡を取って、“ママからパパに聞いて”って言うことなんじゃないかな。あなたからパパに直接話したいなら話してきてみな?きっとパパもそう言うと思うよ。」

 

エクトルはめずらしく私の話を遮ることなく、おとなしく最後まで聞いていた。

そして、少し「うーん…。」と考えてから、「うん、とりあえず僕からもパパにも話してみたいから、行ってくるよ。」と言い、書斎を出て行った。

今私とエクトルが話をしていたこの書斎の隣りは、壁1枚を隔てて子供部屋になっている。

壁の向こうには、絶賛引きこもり中のアーロンがいたわけだ。

Youtubeを見ている間は、時々子供部屋からガサゴソ音がしていたのに、エクトルと私が話している間、子供部屋から音がしなくなっていたことに気付いていた。

おそらくアーロンは聞き耳を立てていたに違いない。

エクトルが書斎から去って間もなく、子供部屋のドアが開き、アーロンがトイレに向かった。

子供たちの使うトイレ(バスルーム)は、私たちの寝室にある別のバスルームとこれまた壁1枚なので、今度はそっちで盗み聞きでもするのだろう。

はっきり言って、アーロンの行動を気持ち悪く思った。

 

話を終えたエクトルが書斎に戻ってきた。

「梅子、パパが話したいから寝室に来てだって。」とエクトルが言った。

私が寝室に行くと、ビクトルは頭を抱えてベッド脇に座っていた。

「勘弁してほしい気持ち、わかります。」と、私は日本語で言った。

ビクトルは「はぁ?何て言ったの?もうこれ以上僕を悩ませないでくれよ。いいからここに座って。」と、だいぶイラつきながら私を横に座らせた。

 

エクトルは、私と話したこととまったく同じようなことをビクトルにも話したらしいが、私に先に意見を聞いたことと私の意見については話していないようだったので、私からビクトルにエクトルと先にどんな会話をしたかを報告した。

ビクトルは、エクトルに「考えさせてくれ」とだけ答えて、私を呼びに行かせたらしかった。

「僕もまったくその通りだと思う。今回の件を仕掛けたのはシュエとアーロンに違いない。前回僕に散々契約のことで叱られたから、きっとエクトルを使ったんだろう。汚いヤツらだよ、まったく。僕も梅子の意見と同じだ。これは親同士で話すべき案件だ。」

 

ビクトルが立ち上がって、書斎にいるエクトルの元へ行こうとしたので、私は「あ、それからね。」と引き留めた。

「エクトルと会話してる時から、たぶんアーロンが聞き耳立ててる気がする。エクトルがあなたの所に行ってから、トイレに入ったきり今もトイレにいるみたいで、たぶんこの会話も聞かれてると思う。」

そう話した途端、見事なタイミングで子供たちのバスルームからトイレの水を流す音が聞こえた。

ビクトルがみるみる怒りの形相になって寝室を出て行った。

そして、書斎に向かう途中の子供たちのバスルームの前で、「コソコソしてんじゃねーよ!」と突然怒鳴り声を上げた。

 

ビクトルが書斎に入ると、これまたタイミングよくアーロンがトイレから出てきて、再び子供部屋に入って行った。

ビクトルは、まるでわざとアーロンにも聞かせるような大きな声でエクトルに話し始めた。

「エクトル、今回の件ははっきり言って契約違反なんだ。7月はお前たちはパパと梅子と過ごさなくてはならない。2週間前にお前の兄貴と母親に散々契約のことを話したのに、あいつらは全然わかってくれない。それがこのザマだよ。だから、本来ならばパパはお前たちに“ダメだ。行くな。”と言わなければならないのが筋だ。だけど、お前誕生日パーティーに行きたいんだろう?ママと兄貴のためじゃない、今回はお前だけを思って特例として行ってきてもいいことにする。」

最後のところはもう1度強調して、さらにエクトルよりもむしろ子供部屋のドアに向かって、ビクトルが言った。

「決してアーロンのためじゃない。エクトルのためだ。」

そしてビクトルは続けた。

「ただし、1つ条件がある。エクトル、そのスマホでママと連絡が取れるか?取れるなら、今すぐママにメールして“パパがママからのお伺いがほしいって言ってる”と連絡しなさい。“子供を使って許可を得ようとするな”と。メールができないならそこの宅電で電話しなさい。ママから直接連絡が来ない限り、行かせることはできない。」

エクトルは早速スマホでメールを開き、シュエ宛てにメールを打ち始めた。

 

しかし、その日のうちにシュエからビクトルにメールが来ることはなかった。

翌日木曜日、子供たちがシュエの家に行く当日になってようやくメールが来たが、それは許可を求めるような内容ではなく、またしてもいつものように「今夜、子供たちは私の家に来なければなりません。マックスの実家に行って親戚の誕生日パーティーに参加しなくてはならないからです。日曜の夜に帰します。」という、決定事項連絡だった。

エクトルも「ママの家に行くのは木曜の夜。」と言っていたが、ビクトルはエクトルに「夜まで待たなくていい。ママの家の鍵は持ってるんだろう?お昼ご飯を食べたら行きなさい。」と言った。

子供部屋に引きこもって事の経緯を何も知らないはずのアーロンは、お昼ご飯の時にその日初めて皆の前に顔を出したわけだが、すでにシュエの家の洋服に着替えて出て来た。

それはますますビクトルをイラつかせた。

 

いつもそうだ。

いきなり突然、契約に反することを言い出すのはいつもシュエ。

ビクトルの同意を得る前に子供たちに「〇〇に行くからね!」とか話してしまうから、子供たちはウキウキしてビクトルの答えを待つことになる。

そんな状況でビクトルが「NO」と言えば、当然、悪者になるのはビクトルだ。

子供たちが楽しみにしている顔を見てしまうと、むげに「NO」とは言えない私たちもいる。

だから結局、私たちは「OK」と言うしか選択肢がない。

そして結局、私たちはこうしてシュエに振り回される。

 

もう何年こんな状態が続いてるんだ?

もう何度こんな目に遭っているだろうか。

契約をきちんと守ろうとしているのはいつも私たちなのに、守ろうとすればするほど私たちが子供たちに恨まれ、結局契約を破る片棒を担がされる。

 

私はこれに毎回いちばん腹が立つ。

 

 

■本記事シリーズのタイトルは、映画「誰が為に鐘は鳴る」(1943年公開、アメリカ)をモジって使わせていただきました。

本シリーズの内容と映画は、一切関係ありません。