梅子のスペイン暇つぶし劇場

毒を吐きますので、ご気分の優れない方はご来場をご遠慮ください。

17歳→18歳の夏

―8月31日。

私のスマホのメッセージアプリを使って、ビクトルがアーロンにメッセージを送った。

 

1ヵ月ぶりの連絡。

「久しぶり。元気にしてるか?ところでお前のママにはもうあのことを話したか?」

夜になってやっとアーロンから返事が来た。

「うん。もう話したよ。」

 

アーロンからの返信を見ながら「それで?とか、ママは何と言ってた?とか、聞かなくていいの?」と私が聞くと、ビクトルは「これだけ聞けばじゅうぶん。」と言い、親子のメッセージのやりとりは終わった。

 

 

―時をさかのぼって数十年前…。私がまだ子供だった頃。

私がまだ子供だった頃は、祖父母も健在で8人家族の大所帯だった。

その時に私たち兄弟がよく父から言われていたのは、「成人したら家を出て独り立ちしろ。じいちゃんとばあちゃんが死んだら、俺と母ちゃんは2人だけで仲良く暮らすから、俺たちの老後の世話はいらない。」だった。

別にそれを忠実に守ったわけではないが、私たちは進学や就職で、見事に1人残らず高校卒業と同時に家を出た。

 

兄弟の中で、私がいちばん実家から遠い場所、東京に住んでいた。

そしてビクトルとの結婚を機に、今度は国さえも飛び越えて、ますます遠い場所に住むことになった。

結婚したい旨を話しに実家を訪れた時、父が言った。

「お前だけはこの家に戻って来て、俺や母ちゃんの世話をしてほしいと思っていた。」

 

結婚して、継子とはいえ一応子育て…というにはおこがましいかもしれないが、それなりのものを経験して、さらに当時の父や母の年齢に達した今だからこそ、あの時の両親の「俺たち2人だけで暮らしたい」という思いが、今なら理解できるような気がする。

今思えば、あの時両親は本当に夫婦2人だけの時間、子供や年寄りの心配をしなくていい、お互いだけを気遣っていればいい時間が欲しかったのだろう。

 

だけど、我々子供たちが次々に家を出てそれぞれに生活を持ち、祖父母も亡き今、父も母も相応に年老いた。

あんなに思い焦がれていた悠々自適な2人だけの生活を送ってはいるが、老いに対する恐れや心配事が日に日に現実化していく中で、「お前だけは戻って来て、世話をしてほしい。」と、弱気になる気持ちもわからなくはない。

 

そんな両親の思いを振り切って、日本からはるばる1万kmも離れたスペインに嫁いできたのは私だ。

「子供は親の思う通りになんてならない」…などというのをよく耳にするけれども、私は、決して親への反抗心ではなく、むしろどこか後ろめたい気持ちでこの言葉を聞いている。

 

 

―6月の終わり。

ビクトルと私は弁護士事務所を訪れていた。

 

私は1度か2度ぐらいしか会ったことがないが、ビクトルにとっては、前妻シュエと離婚する時からずっとお世話になっている女性弁護士で、もはや顔馴染みだ。

シュエがどんな人間かはもちろんのこと、離婚時から今までの厄介事は、全部把握してくれているから、前置きがいらない。

今回もいつものように挨拶がてら一通りお互いの近況を伝え合うと、早速本題に入った。

「今日は、長男の成人後のことを相談させてください。」と、ビクトルが切り出した。

 

我が家の長男アーロンは、今年の8月で18歳を迎えた。

スペインでは、18歳で成人。

お酒も飲んでいいし、喫煙もOKになる。

が、我が家の場合は、それだけではない。

ビクトルとシュエが離婚後に結んでいる養育権の契約が、アーロンの分だけすべて終了する。

共有口座へのアーロンの分の養育費は振り込みが終了になるし(※実際、18歳を過ぎても大学等、何かしらの学校で学生をしていて就職できない場合は、その学業を終えて就職するまでの間、親には学費等の費用を援助する義務が残る。)、父親の家と母親の家を行き来する生活も終了する。

今回の相談は、この、父親と母親の家を行き来する生活が終わることについてだった。

 

州によっては異なるかもしれないが、私たちが住むこの州では、アーロンやエクトルのように離婚した両親の家を行き来している子供たちが18歳になると、行き来するのはやめて、一人暮らしを始めるか、両親どちらか一方の家に定住することになる。

どこにどう住むかは子供に選択する権利があり、例えば親の家を選んだ場合は、親はそれを拒むことができない。

 

私たち夫婦は、アーロンが18歳になったら一人暮らし、もしくは母親の家に住むことを望んでいた。

…と言っても、進学先もまだ決まらず、一人暮らし…と言うよりはむしろ、本人としては友達の誰かとルームシェアを望むだろうが、今のところそのような友達からの声もなければ計画もなさそうだ。

となると、現状では父親か母親どちらかの家に定住することを優先的に考えなければならない。

上記の通り、アーロンが「パパの家に住む」と決めてしまえば、私たち夫婦には断る権利がないので、どのようにアーロンに母親の家に住むと促すことができるか、それが今回の相談だった。

 

私たちが弁護士事務所を訪れたのが6月の終わり。

というと、前回までの「誰が為に未来はある」シリーズでお話ししたように、その頃はちょうど、アーロンとビクトルがメッセージアプリで大喧嘩して、ノートパソコンなしでアーロンが我が家に帰って来るなり、専門学校の受験勉強そっちのけで怒涛の引きこもり生活が繰り広げられていた最中だ。

この出来事があったから、アーロンが母親の家に住んで欲しいと望んでいるのではない。

もう何年も前から、ビクトルと私が話し合ってきた結果だ。

 

アーロンが小学生の時から、なんとなく、そうなるんだろうなぁぐらいには思っていた。

あんな母親に可愛いアーロンを取られたくない!

そんな思いはまだ私たちにもあった。

でもやっぱり、子供にとっては母親が、どんな母親だろうと本当の母親の愛情が必要なのかもしれないと、ぼんやり考えていた。

 

だけど中学生になり、あの超絶レボリューション(反抗期)が、私もビクトルも意識がはっきりと決まる決定打となった。

気持ちを伝えれば伝えるほど、ことごとく裏目に取られ、挙句の果てには母親とタッグを組んで暴言を吐き、特にビクトルを陥れた。

思春期の反抗だもの、これぐらいはしょうがない。

そう何度も葛藤した。

でも、私たちのしつけや教育は完全に失敗に終わり、惨敗したと悟った。

もう、この子に私たちの言葉や思いは届かない。

諦めるしかないと思った。

 

アーロンの高校生時代、ビクトルはよく「僕たちはもう仮面親子だ。」と言っていた。

超絶レボリューションは落ち着いたとはいえ、ずっと燻っていたのは確かだ。

大きな衝突はなかったけれど、たとえアーロンがニコニコしていても、アーロンが単独で、時にはシュエと手を組んで、ビクトルか私もしくはその両方が騙されたり裏切られるような出来事は多々あった。

未遂のうちに尻尾を捕まえたこともあったし、まんまとしてやられたこともあった。

1つ1つがくだらない些細なことだから、いちいち覚えていないけど、“ちりも積もれば”とはまさにこのことだったし、私たちの我慢のコップの水は常に表面張力が最大の状態で、たった1滴落とされるだけで、いつ溢れ出してもおかしくない、いや、すでに溢れ出ていたのかもしれなかった。

 

でもそれは、きっと私たちだけではなく、アーロンの我慢のコップも同じ状態だったと思う。

あの中学生の時の超絶レボリューションから高校を卒業した今現在までの間、ビクトルとアーロンが喧嘩していようといまいと、母親の家に行く時は、一刻も早く、なんなら1日前倒ししてでも行きたいという気持ちが、いつもアーロンの顔から読み取れた。

「子供たちがもう2~3日いたいと言うから…」と、シュエから滞在引き延ばしの連絡が来る時は、いつも大概「もう少しいたい」とシュエに言うのはアーロンだということを、後にエクトルから聞いていた。

アーロンが母親の元にいたい気持ちは、この2~3年で重々わかったし、もはやエクトルでさえもわかるほど、誰が見ても一目瞭然だった。

 

そして、これまたエクトルでさえもが「でもママがどう反応するかだね…」と言うぐらい、私たちもシュエの反応を懸念した。

アーロンが今後ずっとシュエと共に暮らすとわかったら、シュエはおそらく反抗するだろう。

タダでは済まないだろう。

誰もがそう思っていた。

だからこうして、私たち夫婦は弁護士事務所を訪れたのだった。

 

 

―7月31日。

子供たちが明日から母親の家に行くというその日の夕方、ビクトルが初めてアーロンに言葉を掛けた。

「話がある。」と。

ビクトル曰く、拍子抜けするほどアーロンは素直に、そして穏やかに「OK!僕もパパと話したかったんだ。」と言って、話し合いに応じてくれたらしい。

この瞬間まで、実に約1ヵ月半の間、ビクトルとアーロンは口を利いていなかった。

 

その時、私と次男のエクトルは、書斎で各々にYoutubeを見たりしてのんびりしていた。

前日からビクトルが「明日、いつアーロンと話そうか。昼間がいいか、夜がいいのか…。」と若干緊張の面持ちでいたのは知っていたが、まさか今、話し合いを始めたとは思いもよらず、そろそろ夕飯の準備をしようかと廊下に出た時に、閉められたドアの向こう、おそらくリビングルームからビクトルとアーロンの会話する声が聞こえてきて、私は1人、今さらながらに緊張が走った。

今は行かない方がいい。

そう思って、エクトルがいる書斎に再び戻った。

 

リビングルーム

ビクトルは、「来月お前は18歳になる。」と言って、話を始めた。

そして、養育権の契約が切れることを説明した。

アーロンは、「そうなんだ。」と言って、静かにビクトルの話を聞いた。

 

「そこでだ。パパが思うに、お前は今後はママと暮らす方が、お前のためにもいいと思う。」

ビクトルがそう言うと、意外なことに…とでもいうか、予想どおり…とでもいうか、アーロンはショックを受けるでもなく、「うん。僕もそう思っていた。」と答えた。

 

「夏休みが終わって2~3ヵ月ぐらいは、ママの家で過ごそうと思ってるんだ。」と、アーロンが続けた。

ん???

ビクトルの頭に「?」が並ぶ。

「違う違う。そうじゃなくて。」と、ビクトルは言った。

あぁ、ダメだ、やっぱりアーロンはわかっていない。

「2~3ヵ月じゃなくて、その後もずっとっていう意味で話してるんだよ。」

ビクトルがそう言うと、アーロンは「あぁ、そういうこと?」と、ようやく理解したようだった。

 

「この家には空き部屋がないから、お前のプライベートを保てる部屋を作ってやることができない。それに、この1ヵ月間のこともそうだけど、過去にだって何度もパパとお前は何かと衝突してきたよな?そうすると、エクトルや梅子にまで迷惑をかけてしまう。誰にも良いことがない。だから、パパとお前は距離を置いて生活した方がいいと思う。お前もそう思わないか?」

ビクトルが噛み砕いてもう1度説明し直した。

 

すると、今度はアーロンは難しい顔をして「うーん…、たしかにそうなんだけど…」と唸りだした。

雲行きが怪しくなってきた。

「たしかにパパの言う通りで、そこは僕も認める。エクトルや梅子に苦労をかけたことを謝りたい。だけど…。」

だけど、なに?

「だけど、あっちの家にも少し問題があって…。」

そう言って、アーロンはぽつりぽつりと母親シュエの家の事情を話し始めた。

 

アーロンの話によると、シュエの家では、相変わらずシュエとその夫マックスの夫婦喧嘩が絶えないのだと言う。

喧嘩が始まると、シュエもマックスも大声で罵り合い、汚い言葉の連発なのだそうだ。

罵倒合戦にとどまらず、取っ組み合いの喧嘩になることもしばしばで、そうなると誰も止められない。

子供たちは皆それぞれの部屋に避難するしかないのだと、アーロンは言った。

 

今でも時々、特にエクトルが、「ママの家ではね…」だとか、「ママが○○を買った」だの「マックスは○○が上手」だのと、何かにつけては母親の家での出来事を教えてくれるが、夫婦喧嘩のことだとかのネガティブな情報は、昔ほどは教えてくれなくなった。

それだけ、アーロンもエクトルも成長して、私たち夫婦に教えても良いことダメなことの判断がつくようになったのだろうけれど、前ほどシュエとマックスのいざこざを聞かなくなっていた私たちは、やっとあの夫婦もおとなしくなったか、ついに平和になったのかと思っていた。

 

でも、現実は違った。

子供たちは、ただ、こういうバカバカしい出来事は、ただ単にビクトルや私の耳に入れたくなかっただけのことだった。

あの夫婦は、何も変わってはいなかった。

アーロン曰く、シュエ夫婦の喧嘩の原因は、「いつまでたってもマックスが学習しないから。」だそうだ。

それを聞いて、ビクトルも内心思ったらしいが、私にしてみれば、学習しないのはマックスだけでなくシュエも同じだと思う。

 

「だから、ママとマックスが喧嘩をしたら、パパの家に帰って来たいんだ。」と、アーロンが言った。

ビクトルは「いいよ。もちろんいつでも遊びにおいで。ママたちの喧嘩に耐えられない時は2~3日ぐらいなら泊めてやるから。」と言った。

「“2~3日ぐらいなら”という部分を強調して、何度か繰り返したよ。」と、後でビクトルが教えてくれた。

 

この話を聞いた時、私は複雑な気分になった。

特に、シュエとマックスの間にできた、アーロンたちの異父弟フアンのことについて。

アーロンやエクトルは、父親の家という逃げ場があるから、まだまだマシだ。

だけど、フアンはそういった両親の醜い争いを、逃げ場もなく毎日毎日目にしているわけだ。

誰も助けてくれる人がいない。

アーロンは、9月から母親家族と住むことにしたとしても、こうやって「喧嘩が始まったらパパの家に逃げたい」と言っている。

アーロンには、年の離れた弟を守りたいという意識はないのだろうか。

 

弁護士事務所にビクトルと相談に行った時の弁護士も、気心知れた友人や仕事仲間にビクトルが話した時の友人たちも、ビクトルの甥っ子エステバンの幼馴染、カルロスまでも、皆が皆言っていた言葉を、私は思い出していた。

「両親が離婚した子供は、大人になっても、何か気に入らないことが起きるとその場にとどまって解決しようとしない。すぐに母親の家、父親の家と逃げる人生になる。私の(僕の)知り合いの子も皆そうだよ。」

でも、これは子供だけに限った話ではないのかもしれない。

私たち親の側もまた、こういった特殊な家庭環境だということにかこつけて、あっちに行け、いやこっちに来いと、自分たちの都合で子供たちを振り回しているのではないか。

今私たちがアーロンにしているように。

「アーロンを、子供を捨てたわけではない。」とビクトルは言う。

だけど、そう言っているビクトルも私も、アーロンに対してどこか後ろめたい気持ちがあるのが、正直なところだ。

だからと言って、今までの出来事を思い返したり、これからあのアーロンと私たちが上手くやっていけるか考えると、やはり着地点は「母親と一緒に住んだ方がいい」になる。

ずっと堂々巡りだ。

 

 

―9月になった。

本来ならば、1日にエクトルだけが我が家に帰って来るはずだが、「2日もしないうちにすぐまた週末で、ママの家に帰って来なくちゃいけないのは面倒だから、5日の日曜日に帰ってもいい?」と、1週間ぐらい前にエクトルからメールが来て、ビクトルも私も「またかよ…」と一瞬萎えたがOKを出すしかなく、エクトルはまだ我が家に帰って来ていない。

 

シュエからは、アーロンのことについてまだ何もアクションがない。

アーロンが一緒に住むことになるとわかって、シュエからどんな反応が返ってくるか、相手がシュエなだけに何とも想像ができないから、あらゆる可能性を考えておかねばならない。

おそらくお金に関することだけは、遅かれ早かれ何か言ってくるだろうと覚悟している。

だから弁護士に相談に行ったわけだし、私たちは6月の時点からすでに臨戦態勢は整えている。

 

 

■本記事のタイトルは、映画「17歳の夏」(2005年公開、フランス)をモジって使わせていただきました。

記事の内容と映画は、一切関係ありません。

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