友情十字路
私は、ホラー映画はあまり得意ではないのだけど、怖い話を読んだり聞いたりするのは、子供の頃から好きだ。
子供時代は、夏休みの定番「あなたの知らない世界」はもちろんのこと、「世にも奇妙な物語」、「奇跡体験アンビリバボー」もほぼ欠かさず見ていたし、「Xファイル」のモルダー捜査官とスカリー捜査官も好きだった。
大人になって東京で1人暮らしをしている頃は、「やりすぎ都市伝説」をよく見ていたものだ。
最近では、もっぱらYoutubeで怪談や都市伝説など、気が付けばオカルト満載のチャンネルばかり好んで見てしまう。
オカルト話は好きだけど、それをすべて鵜呑みにしているわけでもない。
それに、自分は決してスピリチュアル系な人間ではないとも思っている。
宇宙のパワーがどうのこうのとか、霊的エネルギーがなんやかんやとか、光のメッセージがうんたらかんたらとか、そういうのはまったくもってチンプンカンプンだ。
それでも、心身健やかな方々から見れば、もしかしたら私も相当イカれている分野に属しているのかもしれないし、陰謀論者と笑われても仕方がない要素はじゅうぶん持ち合わせているのかもしれない。
それこそ、信じるか信じないかは、今これを読んでくださっているあなた次第だ。(笑)
今年、2021年の始め。
いつものように見漁っていたYoutubeのおススメ欄に、最近日本のテレビでも人気だという某占い師のチャンネルが出てきた。
「ズバリ!2021年はこんな年!」とかなんとか謳ったサムネイルに惹かれて、早速見てみることにした。
占い師は、「2021年は“分裂”の年になる。」と言っていた。
その言葉は、妙に私の心に残り続けていて、時折「たしかに…。」と思わず頷いてしまう時がある。
2020年から始まった、この忌々しいパンデミック。
毎日世界中で本当に多くの人が亡くなったし、2年目となった現在でも、後遺症に苦しむ人、感染中で苦しむ人、無念にも命を落としてしまう人がまだまだ世界中にたくさんいる。
たしかにウイルスが存在し、世界を席巻していることは間違いない。
だけど、今年に入ってワクチンが世に出始めてから、良くも悪くも世の中が大きく変わった気がする。
占い師の言う“分裂”とは、まさにこのことを言いたかったのではないかと思わざるを得ない。―――
先日、ビクトルが「フェルナンドからメールが来た。」と私に言った。
フェルナンドとは、小学校から高校まで同じ学校に通ったビクトルの幼馴染みの1人で、ビクトルの友人同士で夕食会などの集まり事がある時の、“いつものメンバー”の1人でもある。
話し方など普段は飄々としているが、動物が好きで家族や友人を大切に想っている、実は愛の深い人だと、私は密かに感じている。
ビクトルが私を同伴するように、彼も奥さんをよく連れてくる。
彼の奥さんもこれまた愛に溢れた人で、我が家の子供たちのことも私に対しても、いつも「子供たちは元気?何か困ってることはない?相談があったらいつでも連絡してちょうだい。」と、まるで実家の母のように気にかけてくれる。
私はこの夫婦も好きだし、他のメンバーたちも皆好きだ。
ビクトルは良い友人たちに恵まれているなぁと、常々思う。
だが、不変だと思っていたこの友情に、実は今、ちょっとだけ隙間風が吹いている。
吹かせているのは、私たち夫婦、いや、その根源は私…なのかもしれないが。
フェルナンドからのメールには、「そろそろ映画鑑賞会を再開しないか?他のメンバーにも聞いたら皆乗り気だ。僕の家なら大きな窓があるから、大勢集まっても換気の問題はない。また前のようにお前が音頭を取ってくれよ。」とあった。
映画鑑賞会とは、パンデミック以前に月一で開催していた集まりだ。
大の映画好きで、DVDもたくさんコレクションしているビクトルが、この会のそもそもの言い出しっぺ。
我が家を含め、プロジェクターとスクリーンを持っているメンバーの家を当番で開催の場とし、缶ビールや缶ジュース片手にスナックをつまみながら、皆で映画を見る。
映画は、ビクトルが自前のコレクションの中から2つ3つ見繕ったのを、メンバー全員で票を投じて事前に1つに絞り込んでおいたものだ。
映画を見終えたら、宅配ピザを頼むか近くのバルやレストランに出かけて、今しがた見た映画を批評したり近況を語り合って、皆で夕食を楽しみ、そしてお開き…というのが、この会の流れだ。
フェルナンドはそもそも、メンバーを仕切るような人ではない。
どちらかと言うと、皆が集まってあーでもないこーでもないと語りながらワイワイやっているのを、ニコニコしながら見ているのが好きなタイプの人だ。
だけど、数年前に彼のとある旧友が急死したことが原因で、いつも真っ先に「集まろう!」と言うようになった。
仕事や家庭の忙しさを言い訳に、「いつでも会えるんだから。」と高をくくっているうちに旧友を失ってしまった後悔が、彼をそうさせている。
実は、今年に入ってから、こうしてフェルナンドが「皆で集まろう!」とビクトル含む“いつものメンバー”に声を掛けたのは、これが初めてではない。
映画鑑賞会ではない集まりならば、すでにもう2、3度開かれている。
ビクトルはそのすべてを断り、私たちは参加しなかった。
そして今回も断ろうとしている。
私にメールを見せてくれた時のビクトルの顔は、憂鬱そのものだった。
「正直言うと、まだ集まりには行きたくないんだ。」と言った。
「誰かしらDVDを持ってるだろうし、今じゃネット配信でだって見れるんだから、僕がいなくても映画鑑賞ぐらいできるだろ。」
発起人のくせに無責任極まる発言である。
ここまで延々とフェルナンドメインの話をしておいてナンだが、ビクトルが集まりに気が乗らないのは、フェルナンドではなくて、メンバーの中の1人、ラファエルに会いたくないからだった。
皆には会いたいけれど、それに関しては、実は私も気が乗らない。
ラファエルもまた、ビクトルやフェルナンドと同じ小学校からの幼馴染み。
彼には、特にビクトルが前妻シュエと離婚後、私や子供たちを含む家族全員が幾度となくお世話になっている人だ。
ラファエルは、良く言えばメンバーの中ではいちばんに面倒見の良い人なのだが、度が過ぎる時が度々ある。
踏み込まれたくないところまで踏み込んできて、ああすべき!こうすべき!と、自身の主張を押しつける節があるので、ビクトルはよく「ラファエルはお節介なおばちゃんみたいだ。」と笑った。(ちなみに彼は独身だ。)
それから、誰かに反論されたりして分が悪くなると、変に悪ふざけしだすこともある。
こうなるともう手が付けられず、周りが「やめろ。」と言えば言うほど、余計にやめない。
しかし彼のそういう性格が原因で、いつぞやの夕食会では彼と本気の口論になった友人がいたし、またいつぞやの集まりでは、ビクトルとフェルナンドVSラファエルの構図であわや口論になりかけたこともある。
実はそもそも、昨年からのこのパンデミックが原因で、私たち夫婦と特にラファエルの間で、少し溝ができていた。
このパンデミックに対する考え方が当初から相反していたのだ。
彼が今はどう思っているのかはわからないけれど、ビクトルと私の中では、まだ彼に対して納得をつけられないでいる。
振り返れば、このブログを2年ちょっとの沈黙から復活させた時の過去記事、「がんばっていきまっしょい!」で、当時の私は、自身のいわゆる“日本人的な考え方”とでも言うのか、独特な危機感の捉え方みたいなものに対して、スペインの人々のなんと危機感のなさよ!みたいなことを嘆いている文章がある。
どうやらウイルスがいよいよイタリアに入って来たという、パンデミックの初期の初期、私は1人「スペインに来るのも時間の問題だな…」と考えていたが、ビクトルをはじめ友人たちは「スペインには入って来ない。」と謎の余裕をかましていた。
当時は、ビクトルもやはりマスクを付けるのを嫌がったので(今も若干そうだが笑。)、私はマスクの重要性をビクトルに懇々と説いた。
マスクの重要性と言っても、付けてりゃ絶対にうつらないとかそういうことではなくて、完全には防げないけれども、誰かの飛沫を直に吸い込むことをいくらか防ぐことはできるし、万が一自分が感染していた場合に、できるだけ他人に飛沫を飛ばさずに、誰かに感染させるのを少しでも防ぐためだという意味での重要性だ。
だから、日本ではインフルエンザの流行時に、感染者も非感染者もお互いマスクを付けるのだと、ようやくビクトルにマスクで互いに助け合う重要性を理解してもらうことに成功した。
ビクトルは、私からのこの受け売りを、早速友人たちにも伝えた。
当時のスペイン人たちは、当時の他の欧米諸国の人々と同じで、「マスクなんて息ができないしダサいし、そんなもの必要ない。」という考え方が主流だった。
友人たちは一応は話を聞いてくれた。
でも、皆の聞いている顔を見る限り、「はいはい、ビクトルのいつもの日本かぶれがまた始まったよ…。まーた梅子の受け売りだろ?」と、どうせみんな思っているんだろうなぁと、私は1人でいたたまれずにいた。
私の中では、ビクトルが私の気持ちをわかってくれただけでじゅうぶんであって、「日本では~」と、友人とはいえ皆にまで考えを押しつけるのは気が引けたのだ。
だが、そんな中でもラファエルの反応だけは明確に他の友人たちと異なっていた。
ラファエルは「ふん!マスクなんてクソダサい。そんなものは必要ない。俺は絶対に付けないね!」と、真っ向から否定した。
逆にここまではっきりと否定してくれた方が、やっと本音を聞けたような気がして、変に気を遣われるよりも楽と、その時の私はむしろ内心ホッとしたのだが、場の雰囲気は若干ピリつき始めていた。
ビクトルが何と言おうが、友人たちが「まぁまぁ、もういいじゃないか。」と丸く収めようといくら試みようが、ラファエルは最後までマスクの不要性を主張した。
前述の過去記事を書いたのは、2020年の4月。
その頃というと、スペインでは国内全土で厳しい外出規制が敷かれている真っ最中だった。
テレビを付ければ、ネットニュースを見れば、毎日毎日何百人、何千人と感染者数が膨らみ、次々に人が死んでいく話ばかりで、目に見えない物に恐怖して明日は我が身かもしれないと真剣に死を覚悟し始めるような日々だった。
当時は厳しい規制によって、当然ながら友人たちに会うことなんかできなくて、ビクトルはメールや私のスマホのメッセージアプリ経由で、皆と連絡を取り合っていた。
その頃はすでに、スペインでは政府からのお達しで、外に出る時はマスク着用が義務付けられ、着用していないと罰金を科せられた。
だけどやっぱりこの時もまだマスクに抵抗のあるスペイン人は少なからずいて、ラファエルも然り。
メッセージアプリのグループチャットで、誰かが何か書き込む度にラファエルは必ず登場し(そういうところは友人想いの良い人なので)、最後は毎回と言っていいほど彼のマスクに対する異常なまでの嫌悪感満載なコメントを残して去って行った。
私やビクトルの考え過ぎ…と言ったらそうなのかもしれないが、時にラファエルのそういったコメントは、私やビクトルが皆に話したマスクの必要性を、未だに根に持って小バカにしているかのようにも読み取れたし、暗に「マスク信者のアジア人、乙!w」…とでも言わんばかりの揶揄や皮肉を感じざるを得ない時もあった。
5月、6月と、少しずつ外出規制が緩和され始めてきた頃も、彼のそういった態度は変わっていなかった。
当時は、「子供や若者は感染しても無症状の場合が多いから、外出規制が緩和されても高齢の祖父母の家に訪問するのは避けて。」…というような警告がなされていた。
しかしラファエルは、ほぼ毎日、ジョギングしているふりをしてマスクなしで兄弟夫婦の家を訪ね(当時はたしか、運動中はマスク着用が若干免除されていた気がする)、ティーンエージャーの甥っ子や姪っ子に普段と変わらないスペイン式の挨拶(お互いの頬をくっつけ合う)をして彼らとひと時を過ごすと、その後その足で、彼の高齢の母親が住む家に移動し、母親と共にお昼ご飯を食べていると、グループチャットで自慢げに語った。
「それはさすがにやり過ぎでは?高齢のお母さんの家に行くなら、せめて兄弟夫婦宅への訪問は控えたらどうだ?」と、何人かの友人が苦言を呈したが、「親戚や家族に会って何が悪い!」と逆ギレする始末だった。
その後もラファエルは、ウイルスに恐れおののく我々メンバーをあざ笑うかのような発言を何かと繰り返し、そしてある日、とうとうなぜか私がブチ切れた。
彼がこういった発言をしていたのは、映画鑑賞会用のグループチャット内だったので、「ここは映画鑑賞会のためのグループ。別の話をしたいなら、別のグループを作ってほしい!でも私はもう二度とこういう話を聞きたくないので、私のアカウントは入れないでくれ!新しいグループを作らないのなら、私がここから出て行く!」と、怒りに任せてスペイン語ではなく日本語で書いて送信し、その勢いでグループからの退出ボタンまで押してしまった。
今振り返ると、なぜあの時私があんなにブチ切れたのか、その後のビクトルを含む友人たちの「梅子、ちょっと落ち着こうか。君の気持ちはよーくわかったから。」などといった、オトナな対応を読み返せば読み返すほど、自分の大人げなさが恥ずかしい。
しかし、私はもう後戻りする勇気がない。
ビクトルは「梅子は気にするな。僕もラファエルには一言言いたいと思っていたんだ。」と言うが、ビクトルが築き上げた友情に、私が勝手に割り込んで勝手にぶち壊してしまった気がして、今でも申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
この事件が起きてしばらくしてから、ある日、メッセージアプリのラファエルのアカウント写真が変わったのに気が付いた。
あれだけ嫌がっていたマスクを付けた、彼の顔写真になっていた。
とうとう心を入れ替えたのか、冗談交じりの私への謝罪の気持ちなのか、はたまた、やっぱりマスクや私を小バカにしているのか、心理がまったく読み取れない。
ビクトルは「バカにしてるんだ。気にするな。」とますます怒っていた。
そんなこんなで2020年が終わり、今年に入ってワクチンが世に出始めた頃、ラファエルがまたメッセージアプリ上で騒ぎだした。
何が何でもいち早くワクチンを打ちたいと言い、お前は政府の回し者か?というぐらい、まるでワクチンが特効薬とでも言わんばかりのワクチン信者になっていた。
そして、接種できるのは60代がやっと順番が回って来たという頃、ビクトルや私の世代はまだもう少し先…という頃に、医療関係に勤務する親戚のツテで、メンバーの中では誰よりも早くワクチンを接種した。
それだけにとどまらず、「未接種者エンガチョ!」的な発言も始めた。
あぁ、こういう人、私は無理だ…と思った。
ビクトルも、ラファエルの言動にだいぶ呆れていた。
つい先日、Youtubeでとある動画を見た。
その動画は、その場に居合わせた一般の人がおそらくスマホで撮ったものである。
それは、スペインではない、とある国の飛行機の中での騒動だった。
中年のご婦人が、隣り同士の席になった青年に「ワクチンは接種済みか?」とたずねたら、青年は「接種していない。」と答えた。
それを聞いてご婦人は発狂した。
近くにいたCAをつかまえて、「今すぐ席を変えてほしい!」と頼むも、あいにくその飛行機は満席だった。
「ワクチン未接種者の隣りなんて、恐ろしくて座れない!ウイルスがうつる!」と大騒ぎしているご婦人を誰も手がつけられないでいると、この飛行機の機長がやって来た。
機長はご婦人に対し、「私の飛行機は、ワクチン接種未接種に関係なくどなたでも乗ることができます。それを受け入れられないあなたには、私から“この飛行機を即刻降りること”をご提案いたします。」と言い、彼女を飛行機から降ろした。
機内では、機長の対応を称賛する拍手喝采がいつまでも続いていた。
ラファエルに限らず、どこの国でも、ワクチン未接種者をまるでウイルスの塊か何かのように毛嫌いするこういった人種が少なからず存在している。
今回のパンデミックは、ウイルスからワクチンまでわからないことだらけだ。
だから、専門家でもない私たち一般庶民は、テレビや新聞、インターネットを使って、自分なりに情報をかき集めて知識を得ていくしかない。
でも、かき集めたその情報がやたらと恐怖を煽るものだったり、間違った情報だったりすると、ラファエルやこの飛行機のご婦人のように偏った考え方になってしまう。
そういう意味では、マスコミの罪は本当に重いと思う。
この記事を書いている間に、ビクトルがフェルナンドからあの「映画鑑賞会を再開しよう。」というメールをもらって、実はもう数日がたった。(言葉を選ぶのにものすごく苦労した…。)
ビクトルに聞いたら、「最近梅子の体調が…」とか「家のことで忙しくて…」とか理由をつけて、もうすでにフェルナンドに断りの返事をしたそうだ。
フェルナンドからは「お前はいつもいろいろと忙しいヤツだな。」と、返事が返ってきたらしい。
ビクトルはフェルナンドに「ラファエルに会いたくないから。」とはさすがに言っていないが、勘の鋭いフェルナンドなら、もしかしたらもういろいろと気付いているのかもしれない。
■本記事のタイトルは、映画「愛情十字路」(1948年公開、日本)をモジって使わせていただきました。
記事の内容と映画は、一切関係ありません。