誰が為に未来はある 6
前回までのお話 1は、コチラ。
前回までのお話 2は、コチラ。
前回までのお話 3は、コチラ。
前回までのお話 4は、コチラ。
前回までのお話 5は、コチラ。
6話目にしてやっと本題に辿り着いた気がします…。
今まで長々とお付き合いくださり、ありがとうございます。
ビクトルとシュエの、離婚後の子供たちの養育権の契約により、6月は、たとえ子供たちの学校が夏休みに入っても、通常と同じく、日曜の夜から金曜の午前中まではビクトル、金曜の午後から日曜の夜までがシュエの親権時間だ。
しかし、私たち夫婦の“監視”の下、オンラインゲームがしづらくなってしまったアーロンは、「受験勉強に集中したい」という、伝家の宝刀みたいな言い訳を振り下ろしてビクトルから“特例”を勝ち取り、脱兎のごとく木曜の朝から月曜の夜までシュエの家に逃げた。
しかも、この出来事を境に、6月の残りの週末はすべて、アーロンは弟のエクトルにはかまわず、なんやかんや理由をつけては1日早めの木曜日からシュエの家に行き始めた。
エクトルは、おそらく彼なりにアーロンに対して何かを感じているようで、表面的には普通に会話はするが、極力アーロンを避けている節があった。
だから、木曜日にアーロンが母親の家に行ってしまうと、エクトルはいつも「はぁ~。束の間の自由と平穏の時間だ~。」と、いっちょ前なことを言うのだった。
アーロンにこの“特例”を与えてしまったことが、後の面倒くさい出来事への引き金になってしまったのか、与えたことによって、どっちにしても訪れる出来事がちょっとだけ先延ばしになっただけなのか、今でも判断ができない。
さて、その、大学入試直前も直前の5日間、果たしてアーロンが死に物狂いで受験勉強をしたのかどうかは、誰にもわからない。
おそらく、その期間預かっていたシュエもわからないのではないだろうか。
なぜなら、シュエの家にはアーロンの部屋があり、エクトルの話では、毎回彼らがシュエの家に行くと、アーロンは食事の時とトイレ以外一歩も部屋から出てこず、それをシュエが気にする素振りはないらしい。
そんなこんなで5日が過ぎ、月曜の夜にひょっこりアーロンは我が家に帰って来て、さも「受験生は大変です!」とばかりにノートパソコンの入ったリュックと大量のプリント類を抱えて、早速リビングルームを占領した。
ドアは完全に締め切られ、おそらく勉強しているのであろうが、実際何をやっているのかはわからなかった。
そして翌日、彼は人生を賭けた大学受験へと出かけた。
彼が受験に行っている間、私はリビングルームに掃除機をかけた。
すると、ソファの下から巨大なトイレットペーパーのボールが出てきた。
「ぎゃっ!」と、とりあえず叫んでからビクトルを呼んで、その得体の知れないトイレットペーパーのボールを撤去してもらった。
ビクトルは、「怒りと情けなさで気が狂いそうだ」と言った。
リビングルームのソファの下から発見されたのはこの日が初めてだったが、最近、アーロンのベッドの下には、こういったトイレットペーパーのボールがいくつも捨てられている。
それを見つける度にビクトルは、「梅子は触らなくていい!」と言って、そのボールを汚そうに指でつまむと、アーロンのベッドの上に置いておくのだった。
大学入試期間は3日間。
1日に2~3教科の試験があった。
アーロンは、入試が終わるまで毎晩リビングルームを占拠した。
大学入試が終わっても、アーロンにとっては本命の専門学校の入試が待っている。
入試は約1カ月後の7月半ばで、アーロンの言うように入試が単に絵を描くだけなのであれば、1日2日程度は若干息抜きしたい気持ちもわかる。
ただ、後に我々大人たちが知ったのは、入試内容は単に1つの絵を描くだけではなく、絵を描く科目は2つほどあって、その他にも美術史など美術に関する科目がいくつかあること、例えばとあるメッセージ性のある絵(ポスターなのか?)について、技法や伝えたいメッセージ、作者はどのようにそのメッセージをこの絵に込めたか…などを説明しなければならない科目があるということだった。
しかも、それらを知ったのは、専門学校の入試のたった数日前だった。
そんなこととはつゆ知らず、大学入試が終わった後、懲りもせずオンラインゲーム生活に逆戻りしたアーロンを、私たちは白い目で見つつも「でも今度の試験は絵を描くだけだから…」と、悶々として過ごすのだった。
大学受験から10日たったとある金曜日の夜、アーロンもエクトルもすでにシュエの家に滞在中の時、私はアーロンからメッセージをスマホに受け取った。
メッセージは、私宛てではなくビクトル宛てだった。
ビクトルのスマホには、メッセージアプリを入れていないので、アーロンに限らずビクトルの友人たちからも、時々こういうふうに私のスマホ経由でビクトル宛ての連絡を受け取ることがある。
内容は、大学受験の獲得点数がわかったという報告だった。
結論から言うと、結果は惨憺たるもので、第一志望のコンピューターグラフィック学科はおろか、美術学部の中でいちばん基準値が低かった修復・復元学科ですら、到底及ばない点数だった。
私もビクトルも「やっぱりね。そうだろうと思ったよ…。」とは言いながらも、やはりがっかり肩を落とさずにはいられなかった。
ビクトルや私が「勉強しろ!」だのとプレッシャーをかけるようなことを言うと、瞬く間に機嫌を損ねて勉強どころか部屋に閉じこもってどうしようもなくなるのがアーロンだったので、普段、私たちはそういったことは言わない。
だから、どうしてシュエは「勉強しろ!」とそんなにも直球で毎回言えるのか、不思議であり若干尊敬もした。
だけど、学期末の成績が出た時や、今回のように大学受験の結果が出た時は、ビクトルにとっては厳しいことを言える唯一のチャンスだ。
ビクトルは、早速私のスマホからアーロンへ返信した。
「ということは、プランB(修復・復元学科)もプランD(美術一般学科)もなくなったということだな。残されたのは専門学校だけだ。」
アーロンからすぐさま「そうなります。」とだけ返事が返ってきた。
ビクトルは続けてこう返信した。
「とにかく、これからエステバンに電話してお前の結果を報告する。それから、これからは専門学校の受験に成功するために、お前は本気で絵を描きまくらなければならない。つまらないオンラインゲームは入試が終わるまで忘れて、絵を描くことだけに集中しなさい。」
このビクトルの返信が、上記で話した“後の面倒くさい出来事”の始まりの決定打となる。
そしてこの“面倒くさい出来事”は、7月が終わろうとしている現在もまだ、しぶとく継続中だからすごい。
ビクトルの返信の後しばらくしてから、アーロンから返信があった。
「エステバンには僕から話します。これは僕の未来のことであってパパには関係ないので、これ以上僕のすることに口出ししたり介入したり、エステバンに余計なことを吹き込むのはやめてください。」
続けてこうあった。
「それから、パパの家は絵を描くのに最適な場所ではないので、専門学校の入試までママの家にいよう思います。日曜の夜はエクトルだけをそちらに帰します。」
これを読んで、ビクトルの怒りが頂点に達したのは言うまでもない。
それでもビクトルはその怒りをなんとか抑えて、返事を返した。
「絵の勉強をする場所に関しては、心配しなくていい。今からリビングルームにあるダイニングテーブルをきれいにするから、入試までそのテーブルを好きなように使ってくれてかまわない。それから、お前は8月の誕生日が来るまでまだ未成年だ。未成年のうちは、お前も含めパパとママが結んだ養育権の契約に反することはできない。今月いっぱいは平日、それから来月7月は1カ月間はパパの家にいなければならないことを忘れないでほしい。」
実はこの文章には、ビクトルにとってとある思惑があった。
それはまた別の機会に話すことにする。
また、今年は奇数年で、夏休みの7月と8月の各1カ月間のどちらを子供たちと過ごすか、選ぶことができるのはビクトルだった。
今年ビクトルは、7月を選んだ。
これもまた、養育権の契約によるもので、シュエも合意の上だ。
すかさずアーロンから返事が来た。
「絵を描くには、快適さだけではなく創造力を促す環境も大事であることは、世界の常識です。快適さばかりを押しつけられても困ります。それに、この前(大学受験の時)から養育権の契約がーってしつこいけど、常にあなたの都合で振り回される僕たち子供のことも、少しは理解してもらえませんかね?」
この返信には、さすがにビクトルも私も苦笑した。
私は苦笑を通り越して爆笑した。
いやいやいやいや、「子供たちが言うから…」とかなんとか言って、長期休みの度に契約無視して子供たちの滞在日数を延ばしたり、予定より早い時期に帰してよこすのは、常にシュエだ。
4年前にママ(義母)が乳がんを患いこの世を去った時でさえ、ビクトルと私は心身共に限界の中、それでもシュエに子供たちを預けたりすることはなく、契約に沿ってママの葬儀までこなした。
しかし、今のアーロンの中では、自身が一刻も早く逃げたくてシュエの家に予定より早く行くことも、シュエが滞在日数を延ばすことも、すべてビクトルのワガママと、いつの間にかすり替えられてしまった。
たとえ自分が何かをしでかしても、事実を捻じ曲げ、最終的には自分は被害者で、悪いのは自分ではない…。
レボリューション(超絶反抗期)以降、アーロンにはこういった言動が目立つようになった。
アーロンは常に、自分が中心、自身が主人公の世界にだけ生きているような、そんな感じだった。
オトナになればなるほど、時々脇役にならなければ人間関係が上手くいかなくなる。
だけど、アーロンは脇役になることを、レボリューションをきっかけに完全にやめてしまったようだった。
彼がたしか高校2年生になったばかりの頃、「クラスに気になる女の子がいる」と教えてくれたことがあった。
「うんうん!それでそれで?」と、興味津々で話を聞いていたビクトルと私、そしてエクトルであったが、話を聞いていくうちに、どうやら一方的に好意を抱いているのはアーロンで、女の子にはまだアーロンに特別な感情を抱いていないことが見て取れた。
アーロンは思いきってその子に告白したそうだ。
内心、「まさか…」とイヤな予感がしたが、どう告白したのかを聞いて、案の定、私たちは「ん???」と一瞬凍り付いた。
アーロンは女の子に「僕、君のことが好きだから、付き合ってあげてもいいよ?返事は早めによろしくね。」と、超絶上目線な告白をしたらしい。
私たち3人は、その場では「へ、へぇ…。彼女できるといいね…。」と言うのが精一杯だった。
後でアーロンがいない時に、「あんなに偉そうな告白、今まで聞いたことないよ。彼女、絶対ムカついたと思う。」と、中学生になったばかりのエクトルが冷静に分析していた。
後日、アーロンが「彼女と付き合うのはやめた。」と大層ご立腹で報告してくれた。
再び話を聞く限り、どう考えても振ったのは女の子の方なのだが、アーロンは「そういうわけで僕は彼女を振ってやった。」と宣った。
後でやっぱりエクトルが、「やっぱりね。彼女が振るのは当然だよ。」と至極まっとうなコメントをした。
ちなみに、その当時エクトルにはすでに彼女がいて、恥ずかしそうに話してくれる中学生の淡い恋バナに、アラフォーの私はいつも胸がキュンキュンした。
話を戻して、アーロンのこうした言動を見ていると、まるでシュエの生き写しを見ているようで、これはヤバい…と思っていたが、もう私たちには彼のこの変わり様を止めることができなかった。
ビクトルはそれ以上、アーロンに返信するのをやめた。
ところがそれから間もなく、今度はビクトル宛てにシュエから1通のメールが届いた。
「はぁ~。もういい加減にしてくれ…。」と、ビクトルは深い溜め息をつきながら、シュエからのメールを開くのであった。
■本記事シリーズのタイトルは、映画「誰が為に鐘は鳴る」(1943年公開、アメリカ)をモジって使わせていただきました。
本シリーズの内容と映画は、一切関係ありません。