梅子のスペイン暇つぶし劇場

毒を吐きますので、ご気分の優れない方はご来場をご遠慮ください。

誰が為に未来はある 9

前回までのお話 8は、コチラ

 

憎たらしいほどいつものように、シュエの、いや今回はおそらくアーロンも一枚噛んでいる2人の強行により、7月が始まって早々の週末は、本来の養育権の契約を無視して、子供たちはシュエの元へ行ってしまった。

 

近所の映画館で、夏休み恒例の屋外映画上映が始まり、ちょうど子供たちと一緒に見たかった映画が上映予定だったので、「子供たちを連れて観に行こう!」と計画していたのが水の泡となった。

アーロンが超絶レボリューションだった時、「ママやマックスはいつも僕たちをいろんな所へ連れて行って楽しませてくれるけど、パパはどこにも連れて行ってくれたことがない!」と、アーロンがビクトルに文句を言ったことがある。

私たち夫婦は、シュエ夫婦のように車を持っているわけではないし、そんなにアウトドア派でもない。

それでも私たちなりに子供たちとどこかへ出かける計画はいつも何かしら立てているつもりだ。

でも、それをいつも台無しにするのはどこの誰か?!

数年前、当時まだ20代だった友人カップルと、我が家の子供たちを連れてピクニックを計画した時も、シュエはその友人カップルのことをどうせビクトル世代だろうと勘違いし、「老人同士の集まりに、どうやったら子供たちが楽しめるのよ!」と言って、ピクニック当日の朝に子供たちを連れて行ってしまったことがある。

この時、ピクニックをいちばん楽しみにしていたアーロンは泣いていた。

また別の年、いよいよ子供たちを日本へ連れて行こうと計画した時だって、これまた見事なタイミングでシュエが何年ぶりかで子供たちを中国の祖父母の家に連れて行くと言い出し、日本行きはあっけなく頓挫した。

 

私はこれらの出来事を一生忘れない。

今度また、アーロンが「パパはどこにも連れて行ってくれない」などと抜かすようなことがあったら、「この出来事を覚えてるか?」と言って、「パパがどこにも連れて行けないのは、アンタのママのせい!」と言ってやりたいと思っている。

(私に度胸があれば、の話だが。)

 

話を戻して、週末の間、ビクトルと私は「果たしてアーロンは日曜の夜に戻って来るだろうか?」と、毎日のように話した。

2つ前の週末に、アーロンはビクトルに対してメッセージアプリ越しではあるが、「僕の未来のことに口出しするな」と言い切り、我が家へ帰って来ることを拒否した。

結局その時は、アーロンはすごすごと帰って来たわけだが、その後の日々の彼の生活態度は最低最悪だった。

そして極めつけが、この、エクトルをも丸め込ませたなんだかよくわからない“誕生日パーティーの参加”である。

ここまでビクトルをコケにしておきながら、もし日曜の夜に我が家へ戻って来るのなら、よっぽど肝が据わっているか頭が悪いか、そのどちらかか両方だろう。

私がアーロンの立場だったら、シュエと喧嘩してでも絶対に戻って来たくはない。

 

しかしまたしても、日曜の夜アーロンは再び我が家へ帰って来た。

そして再び、ノートパソコンは持ち帰って来ず、あの最低最悪な子供部屋引きこもり生活を始めるのだった。

 

翌月曜日、アーロンが私の所へやって来て「午後、エステバンに会ってくる。」と言った。

エステバンとはビクトルの甥っ子で、アーロンの受験をずっと手伝ってくれている。

今日はどうやら、エステバンと一緒に専門学校の入試の申し込みをしてくるらしい。

おそらくエステバンからも、遅かれ早かれビクトルに連絡が来るだろうけど、アーロンが出かけた後、私は念のためその旨をビクトルに伝えた。

ビクトルは「僕は介入するなと言われたからね、もう関係ないさ。申し込みでも何でもお好きにどうぞ。」と皮肉を言った。

 

夜になって、アーロンが書類を抱えて帰って来た。

無事に申し込みが終わって、エステバンに「パパに見せろ」とでも言われて持って帰ってきたのだろう。

しかし、アーロンはビクトルにはもちろん私にすらも、その書類のことは何も言わなかった。

何も言わないくせに、あたかも「ほら、見てくださいよ」と言わんばかりに、なぜかその書類はその後ずっと何日もキッチンのテーブルの上に置きっ放しにされていた。

お昼ご飯の度に、私はいつもその書類の束をどこか汚れない場所に移動させなければならなかった。

だけどなぜか、お昼ご飯が終わると、いつの間にかその書類たちはテーブルの上に戻されていた。

1度だけアーロンに「汚れちゃうから部屋に持って行きなさい。」と言ったが、「うん」と言うだけでテーブルの上から消えることはなかった。

 

ある日の深夜、ビクトルがコッソリその書類を1枚1枚確認したらしい。

その中に、受験料とその支払い方法が説明されているページがあった。

どうやら指定の銀行に直接行って支払い、銀行から領収書を受け取ったら、その領収書を期日までに専門学校のオフィスに提出しなければならないようだった。

「こんな大事なことすらも、あいつは言う気なしか?!」と、ビクトルは激高した。

ビクトルはすぐさま金額を用意し、その書類の上にお金を置いた。

そして「銀行に支払いに行け!」と一筆書いたメモを添えた。

 

翌日、ビクトルがキッチンに行くと、昨夜のお金とメモはテーブルの書類の上に置かれたままだった。

そして、背後のホワイトボードにアーロンからの返事が書かれているのを発見した。

「申し込みをした時にエステバンが支払ってくれたので、あなたからのお金はいりません。」

 

ビクトルがお金とメモを握りしめて、プリプリしながら書斎へ入ってきた。

そして昨夜からの事の次第を私に話してくれたのだが、そこでブチ切れたのは、今度は私だった。

「私、初めから言ってたよね?エステバンには感謝しかないけど、まるで親みたいなことまでさせるのは、さすがに迷惑だからやめてって。」

ここから私の怒りの独演会が始まる。

アーロンがいつも通り子供部屋に引きこもっているのを承知の上で、わざとアーロンにも聞こえるように、私は声を張り上げた。

ビクトルに怒声を浴びせているような恰好ではあったが、どちらかと言うとアーロンに向けて発していた。

エステバンにいろいろ助けてもらったりアドバイスをもらえることは、心から感謝していた。

でも、アーロンに親がいないわけじゃあるまいし、実際の受験の申し込み、ましてや受験料の支払いやお金の用意までさせるのは甘えすぎだ。

エステバンも恋人のラウラも、厚意で今までやってきてくれたけど、彼らにも彼らの生活がある。

「あなたとアーロンのつまらない意地の張り合いにまで巻き込んで、本物の親そっちのけでお金まで払わせて、私はもう恥ずかしくて申し訳なくて、エステバンに顔向けできない!」

そう怒鳴った後、私は続けてビクトルに「すぐさまエステバンに電話して、謝罪して!そして近いうちに会えるか聞いて1日も早くお金返すって約束して!」と言った。

ビクトルは、終始「なんで僕に怒鳴るんだ?怒鳴るべきはあのバカな引きこもりだろう?」とブーブー文句を言っていた。

「金は僕が用意する。でもエステバンに返しに行くのは僕じゃない!アーロンに行かせる!」とビクトルは言ったが、ここで私が再び吠えた。

「僕じゃないとか言ってる場合じゃないでしょう!またホワイトボードでやり取りする気?くだらない!やめてよね?子供の尻は親が拭うのが当たり前でしょうが!ここまでエステバンに迷惑かけたのは、そもそもあなたとアーロンのバカみたいな喧嘩が原因なんだからね!私もエクトルもこんな茶番に巻き込まれて何週間たつと思ってんの?挙句エステバンまで巻き込んで!2人とも恥を知れ!」

 

私の言うことに一理あると思ったのか、ビクトルはデスクにあったスマホを手に取り、エステバンに電話をかけ始めた。

電話に出たエステバンは、ビクトルに受験の申し込みを済ませた報告をした時、さすがにお金の話まではできなかったと、こちらこそ申し訳なかったと恐縮していた。

「僕からお金の催促はできないから、アーロンに“パパにお金のことを話しておけよ”って頼んでおいたんだけど、なんだよあいつ、何も話してないのかよ。」と、アーロンが未だにビクトルに申し込みの話すらしていないことを驚き、呆れていた。

 

エステバンは、返金はいつでもいいと言ってくれた。

だが、それから2、3日して私とビクトルがスーパーへ買い物に出かけると、道中にあるバルでたまたまエステバンが幼馴染のカルロスと1杯引っかけているのに出くわした。

私はエステバンに笑顔で手を振りつつ、「今返して!早く!」と、もう一方の手でビクトルをつついて返金させた。

カルロスは、家も近所で特にビクトルとも付き合いが長く、我が家の事情もだいたいのことは知っている。

「僕の友人にも、離婚した親の家を行き来してるヤツが何人かいますけど…。話聞くとどこも同じですね。一方の家で少しでも気に入らないことがあると、解決もしないまま“別の家に移る!”ってすぐもう一方の家に逃げて…って、僕らぐらいの歳になってもまだ繰り返してますよ。アーロンもそうなっちまったかぁ。」と、カルロスは遠くを見ながらそう言った。

 

 

■本記事シリーズのタイトルは、映画「誰が為に鐘は鳴る」(1943年公開、アメリカ)をモジって使わせていただきました。

本シリーズの内容と映画は、一切関係ありません。