梅子のスペイン暇つぶし劇場

毒を吐きますので、ご気分の優れない方はご来場をご遠慮ください。

誰が為に未来はある 12

前回までのお話 11は、コチラ

 

7月半ば、アーロンの専門学校の入試が終わった。

終わった次の日から、アーロンの生活習慣が変わった。

 

お昼ご飯に呼ばれるまで起きて来ず、午後もずっと子供部屋にこもり、夜中になってやっと出てきて受験勉強を始めたかと思いきや、たった2時間半しかやらない。

大学受験の結果が思わしくなくて、ビクトルと喧嘩した6月下旬から、この専門学校の入試までの1カ月弱の間、ずっとこんな感じだった。

それなのに、専門学校の入試が終わった翌日から、アーロンは誰よりも早く、なんなら毎朝友達と公園へ運動に出かけるエクトルよりも早起きするようになった。

そして、子供部屋ではなくて、今度はリビングルームにこもるようになった。

 

目的は明確だった。

オンラインゲームのためだった。

 

私がお昼ご飯の準備を始めると、なぜかアーロンはゲームをやめ、大事なノートパソコンを片付け、子供部屋にこもった。

おそらく、私がリビングルームに近いキッチンにいることと、その時間帯は、ビクトルが家の中のことをするためにあちこち動き回るから、私やビクトルにゲームをしているのを見られたくなかったのだと思う。

 

お昼ご飯が済むと、アーロンはまたすぐさまノートパソコンを抱えて、リビングルームにこもった。

お昼ご飯の間、リビングルームのエアコンを付けて、冷気をキッチンまで送っているため、リビングルームはキンキンに涼しい。

だから、その間に快適な状態でゲームを再開したかったのだと思う。

 

受験勉強のためにリビングルームを使わせている時から、私は再三アーロンに「暑い時はエアコン付けなさいよ。」と言ってきた。

だけど、「パパも了承してるから使ってもいいんだよ」といくら説得しても、「ありがとう。でも今はそんなに暑くないから平気。」と言って、どんなに暑い日でもアーロンはなぜか絶対にエアコンを使わなかった。

 

それに、入試が終わってからは特に、お昼ご飯が終わると、リビングルームのエアコンを消すのは、私やビクトルではなく、むしろアーロンだった。

彼なりに、罪悪感のようなものを感じていたのかもしれない。

 

ほぼ毎日、夕方になると、ビクトルと私は外に出かけた。

近所のスーパーに買い物に行ったり、ママ(=義母)の家の片付けに行ったり、そしてその帰り道にはいつもカフェやバルに寄って、コーヒーを飲んだ。

年頃の子供たちにとって、24時間ビクトルや私が一緒にいるのは息が詰まるだろうと思ってのこと…というのもあるが、私たち自身もちょっとした息抜きと、子供たちに聞かれたくないような話をしたいからというのもあった。

 

私たちが帰宅すると、私はすぐにキッチンに立ち、子供たちへの夕食の準備に取り掛かる。

そうすると、またお昼ご飯の時のように、アーロンはノートパソコンを片付け、自室にこもるのだった。

その隙を見計ったかのように、今度はビクトルがリビングルームに入り、映画を1本見始める。

 

子供たちが夕食を終えると、アーロンは今度はキッチンでノートパソコンを広げ、ビクトルの映画が終わるまでキッチンでゲームに興じる。

ビクトルが映画を見終えてリビングルームを出ると、すかさず再びアーロンがノートパソコンを持ってリビングルームにこもる。

そして、夜中の2時半になると、アーロンはようやくゲームを終えて、誰にも「おやすみなさい」も言わず、無言で子供部屋に帰って行くのであった。

 

この、特に夕飯以降の、アーロンとビクトルのバカバカしいリビングルームの取り合いは、結局7月が終わるその日まで続いた。

 

アーロンの専門学校の入試が終わって1週間、アーロンは朝から晩までオンラインゲームに勤しんだ。

たった2時間半だった受験勉強の何倍もの時間を勤しんでいるのは、誰が見ても明らかだった。

しかし、その間私は何も言わずに見守った。

受験の結果はどうあれ、1カ月近くゲームを絶っていたわけだし、アーロンにもやっと気の休まる時間ができたのだから、しばらくは好きにさせよう。

少なからず、ゲームに対する私たちの冷ややかな視線は感じているだろうから、いつか自制する時が来るだろう、そう思っていた。

 

でも、2週間目になっても、アーロンのゲーム熱は冷めることがなかった。

私がキッチンでお昼ご飯の準備をしていても、ゲームを終わらせず、ギリギリまで遊んでいるようになった。

食後の昼寝はいつの間にかやめて、その時間さえもゲームにつぎ込み始めた。

最初のうちは大人しくプレイしていたのが、今や朝っぱらから「イェーイ!」だの「チクショー!援護頼む!」だの、1日中友達とオンラインで奇声を上げ始め、それのおかげでエクトル含む家族全員が早朝に飛び起きるというような事態にまで発展してきてしまった。

 

2週間目の半ばを過ぎた頃、いよいよ私がブチ切れた。

 

その日もいつもと変わらず私がキッチンでお昼ご飯を作っていると、リビングルームでギャーギャー騒いでいたアーロンの「ちょっと待って!水飲んでくる!」と言う声が聞こえた。

そして、意気揚々とキッチンにやって来て「やぁ梅子!今日のお昼ご飯は何?」と言いながら、水を飲み、私がかき回しているフライパンをのぞき込んだ。

 

私は、フライパンを見つめたままアーロンには目もくれず、静かに淡々と言った。

「1日にどのぐらいゲームしてるの?」

「え?」と、アーロンが言った。

思わぬ言葉が返ってきて、驚いているようだった。

「先週からずっと毎日ゲームしてるじゃん?1日にだいたい何時間ぐらいゲームしてるの?」

私はもう1度繰り返した。

「わかんない。たくさん。」とだけ、アーロンが答えた。

 

私は続けた。

「専門学校の受験勉強の時はさ、2時間半ぐらいしか勉強してなかったよね?で?今はその時の勉強時間よりもはるかに長い時間ゲームしてるよね?私の意見なんだけど、専門学校の受験勉強の時に、今ぐらいの時間かけて勉強してほしかったんだよね。大学受験の時もそう。」

アーロンが押し黙った。

「私から見た印象なんだけど、相当ゲーム中毒だと思うよ。自覚できてる?もう小さな子供じゃないんだから、自分をコントロールすることを学びなさい。」

 

アーロンは「うん。」と小さく言うと、静かにリビングルームに戻って行った。

そして、おそらくオンライン上では友達が待っているはずなのに、何も言わずパソコンを閉じて片付け始めた。

 

その日から、少しだけ、ほんの少しだけだけど、アーロンの朝から晩までのゲーム三昧生活は落ち着いてきた。

友達に連絡を取り始めて、外出するようにもなった。

私が見た時だけ…かもしれないが、ノートパソコンを開いていても、いつものオンラインゲームではなく、何か別のサイトを見たり、作業してる姿を見るようになった。

 

そんな時、ビクトルの甥っ子エステバンから、ビクトルに電話がきた。

専門学校の合格発表が出たという報告だった。

エステバンは、「今回アーロンはおそらく合格したと思うけど、念のため本人にも聞いてみて。」とのことだった。

アーロンとビクトルは、未だに膠着状態が続いていたので、アーロンに聞く役目は、私が担うことになった。

 

そして、最後にエステバンが言った。

「それから…、それからこの電話を最後に、アーロンの受験の世話役は降ろさせてもらうよ。もうあんなヤツの進路なんぞ知ったこっちゃないって気分だから。」

 

ビクトルにも私にも、それは衝撃的な言葉だった。

あの温厚なエステバンがここまで言うのは、異常だ。

「いやいや、今まで本当にお前には感謝しかないよ。本当にありがとうな。でもどうした?何があったんだ?」と、ビクトルが聞くと、エステバンが話し始めた。

 

以前の記事、「9」と「10」で、アーロンが専門学校の入試の申し込みのために、エステバンに受験料を立替えてもらっていたことが発覚し、私がわざとアーロンに聞こえるように怒りの独演会をした話、その後風邪を引いて弱気になったアーロンが、その件について私に「ごめんなさい」と謝った話を覚えているだろうか。

 

あの時、私はアーロンに「いくら身内でパパと仲良しとは言え、エステバンはお金の催促まではできないのだから、それは当人のあなたがパパに報告すべきだった」と言い、アーロンは「僕が言うべきだった」と告白してくれた。

私はこれでこの件は解決したと思っていた。

だが実際は、私やビクトルの知らないところで、この話は終わっていなかったのだ。

 

アーロンはあの夜私に自身の非を認めた後、メッセージアプリでエステバンにメッセージを送っていたらしい。

その内容がとんでもなかった。

エステバンが受験料のことをパパに報告してくれなかったおかげで、自分が叱られた。どうしてくれる!」

…という、ビクトルも私も、穴があったら入りたいとはまさにこのこと、というような内容だった。

エステバンは、私がアーロンに言い聞かせたのと同じように、「僕から言うのはさすがに失礼。そもそもお前のことなんだから、お前が言うべきだっただろう?」と返したそうだ。

しかし、エステバンに対してはアーロンの怒りは収まらなかったようで、「とにかく今まで受験のサポートしてくれてありがとう。でも、もうあなたのサポートは今後一切必要ない。さようなら。」と、アーロンから一方的な返事が返ってくると、エステバンのアカウント、さらには通常の通話すらもブロックされてしまったらしい。

「だから、もう僕からはアーロンに何も連絡できなくなってるんだ。僕としても、恩を仇で返された気分だから、もう何もしてやろうとは思わないけどね。」と、エステバンが言った。

ビクトルは、電話口でひたすら謝るほかなかった。

 

そういえば、アーロンは「専門学校の入試が終わったら、パパに謝る」と言っていたのに、2週間たった今でも、まったくそんな素振りすらない。

「思春期だから」、「多感な時だから」と言ってしまえば、それまでのことだ。

もう何年か時が過ぎれば、こんなことはものすごくちっぽけで記憶からなくなっていくか、笑い話になっているかもしれない。

世の中には、ましてや近所ですら、飲酒や喫煙、果ては警察のご厄介になってしまうような、アーロンよりももっと荒んだ思春期を送っている子供たちだっているのだから、それに比べれば、アーロンなんてまだまだカワイイものかもしれない。

でも、今この現状を生きて、この思春期こじれまくりの子を持つ身としては、正直つらい。

アーロンが何を考えているのか、さっぱりわからないのがつらい。

 

このエステバンからの電話の翌日、私は早速、アーロンに専門学校の合格発表について尋ねた。

アーロンは合格発表のサイトを見せながら、自分は合格点にほど遠い点数で、待機リスト入りだと教えてくれた。

エステバンが昨夜「合格してるかも」と言ったのは、専門学校が当初発表していた合格基準値にアーロンの点数が達していたからだった。

だけど実際には、合格基準値をはるかに超える高得点の受験者が多くいて、ほぼ定員数が埋まってしまっていた。

待機リストに入っているとはいえ、ギリギリで合格基準値に達しているアーロンの上には、まだ200人近くの待機者がいるのだった。

入学できるかどうかは、大学同様に9月にならないとわからない。

 

 

■本記事シリーズのタイトルは、映画「誰が為に鐘は鳴る」(1943年公開、アメリカ)をモジって使わせていただきました。

本シリーズの内容と映画は、一切関係ありません。