エクトル、14歳
少し前、エクトルの誕生日だった。
誕生日当日は土曜日で、エクトルは我が家にはいなかったので、翌週月曜の夜に改めて3人でお祝いをした。
小学生の頃までのエクトルは、誕生日の週に入ると「今週は僕の誕生日週間だから、晩ご飯は毎日特別メニューにしてほしい!」だの言い始め、やっと誕生日が終わったと思った翌日にはもうすでに「来年の誕生日はあれが食べたい!あれがほしい!」だのと、まぁとにかく本人は浮かれに浮かれ、逆に家族全員がますますシラケていく…というのが常だったのだが、さすがに中学生になると、彼の誕生日フィーバーも落ち着いた。
それに今年は、「プレゼントは何がいい?」とビクトルが聞いても、「ありがとう。でもそんなにお金かけなくていいからね。」と言い、「ご馳走、何食べたい?」と私が聞いても、「ありがとう。でも無理しなくていいからね。」と言うばかりで、本人は全然盛り上がっていない。
それでもなんとかプレゼントのリクエストを聞き出し、エクトルのいない週末を利用して、私たちはプレゼントを準備した。
お祝いの食事は何を食べようか、これも結局ビクトルと話し合い、ポテトサラダとカツカレーを作ることにした。
カレーにジャガイモ入るのに、サラダもジャガイモ?と困惑したが、ポテトサラダはビクトルたっての希望。
エクトルが好きなものを…と話し合っていたはずが、もはやエクトルの好物どころの話ではない笑。
誕生日ケーキは、たまたま先日エクトルが「今んとこ僕の中でナンバーワンに美味しい!誕生日ケーキはあれがいいな。」とポロっと言っていた、近所のスーパーのキャロットケーキを買った。
スーパーのケーキだけではちょっと安っぽいかな…と思い、週末の時間もあることから、シュークリームも作ることにした。(過去記事「再会の食卓」以来、ずっとシュークリームが頭に残っていた笑。)
買い物やお菓子作りでバタバタしているそんな週末も、誕生日当日にはビクトルと私からそれぞれエクトルに「お誕生日おめでとう!」とメッセージを送った。
すぐにエクトルから「ありがとう!」と返事が来た。
かくして月曜日。
エクトルが塾に行っている間を見計らって、私は折り紙とリボンで即席のパーティーフラッグを作って、ダイニングテーブル周りに飾りつけをした。
ビクトルは「ほぉー!すごいなー!」などと感激して眺めていたが、私にはそんな暇はない。
エクトルが帰って来るまでに、今度は前日に焼いて隠しておいたシューにクリームを絞って、イチゴを乗せなければ!
そしてトンカツを揚げる準備をして…。
あー!お米研ぐの忘れてた!
…と、1人でてんやわんやの中、ようやくエクトルも帰宅。
「疲れたでしょう。ご飯まだだから、ちょっと部屋で休んで来なよ。」と、エクトルの背中を押してキッチンとダイニングから遠ざけようとしたら、「はいはいわかりましたよ。でも今日はカレーでしょう?だって玄関のドア開ける前から匂ってたんだから!」と、エクトルが笑った。
「うそー!外にも匂ってた?やだー!!」と私も大笑いしながら、ラストスパート。
ビクトルがひょっこりキッチンへやって来て、「梅子が頑張ってるから、僕もちょっとテーブルを華やかにするお手伝いしようかな…。」と言い、おもむろに生ハムを切り始めた。
そんなこんなでようやくテーブルもセッティング完了。
「エクトルー!ご飯だよー!」と呼んで、テーブルに案内すると、エクトルは「ワォ!」と驚いた。
こんな手作り感満載の飾り付けと、大して豪華でもない食事なのに、「すごいすごい!ありがとう!」と、1つ1つ眺めて喜んでくれた。
食事の間は、相変わらずのエクトルのマシンガントーク炸裂で盛り上がった。
食後、誕生日ケーキにロウソクをさして火を付けると、エクトルは「梅子、写真撮ってよ。」と言って火を付けたままのケーキをヒョイと持ち上げてポーズを取った。
最近は、アーロンもエクトルも大きくなって、写真を撮られるのを嫌がるようになってきたので、少し前に私が「アンタたち写真撮らせてくれないからつまらん!」というようなことをこぼしたのを、覚えていてくれたらしい。
エクトルがケーキを持ち上げた時は、ロウソクの火が髪の毛や服に引火しそうでヒヤヒヤしたが、そういうことかと気が付いて、慌ててスマホで写真を撮った。
この子はいつからこんなに気遣いのできる子になったのか…。
この誕生日で、エクトルは14歳になった。
エクトルが小さい頃は、それはそれはワガママで利かん坊な子だった。
少しでも気に入らないとすぐに癇癪を起こすし、叱るとテーブルに突っ伏すか腕で顔を隠し、負けずに「だって〇〇だもん!」と言い返し、決して「ごめんなさい。」も「わかりました。」も言わない子だった。
私にならともかく、ビクトルに対してもそうだったので、そういう意味ではアーロンよりも度胸のある子だったと思う。
見え透いたウソを並べて、のらりくらりかわすアーロンと異なり、エクトルの場合は、あからさまに顔に出し、嫌なものは「イヤ!」とハッキリ言う子だった。
一緒に遊ぶ時は、いつも何かしらの戦いごっこばかりだった。
おもちゃの銃で撃ち合いもしたし、折り紙の手裏剣も何十個、何百個と作らされた。
そして、銃撃戦ごっこでも手裏剣で忍者ごっこでも、いつも先に死ななければならないのは私だった笑。
あの頃、私は毎日毎日、何度も何度も死んでいた笑。
そんなエクトルの幼少期、ビクトルは「コイツがこのままの性格で大人になってしまったらどうしよう。」と、よく心配していた。
だから私は「大丈夫。いつか穏やかな性格になる日が来るよ。」と、よく言っていた。
というのも、エクトルとまったく同じような性格だった子が、身内にいたからだ。
それは、私の従妹。
彼女もまた、幼い頃はとんでもなく口が悪くて癇癪持ちで、年下なのに「梅子も来たけりゃ来いよ!しょうがないから遊んでやる!」と超絶生意気で、泣きたくなるほど一緒に遊びたくない子だった。
だが、中学校で再会した時は「梅ちゃーん!あ、いけない!梅子先輩!(てへぺろ)」と、劇的な変化を遂げていた。
幼少期のあの勢いはどこ行った?というぐらい、性格も話し方もものすごく穏やかになった。
従妹はその後看護師になり、数年前に結婚もして子供にも恵まれ、義両親にも可愛がられて幸せに暮らしている。
だからエクトルもきっと大丈夫だと、あの頃の私は一縷の望みを抱いていた。
そして今、エクトルはその通りになった。
ビクトルとの議論が白熱し過ぎて、言い争いになりかけることはあるけれど、でもそれは極々稀で、「喧嘩や言い争いは極力避けている。」と、いつだったかエクトルが話してくれたことがある。
でもそれは、レボリューション(アーロンの思春期の反抗期のことを私はこう呼んでいる。)真っ只中の頃のアーロンとビクトルの言い争いや、シュエの家ではシュエとその夫マックスの絶えない夫婦喧嘩を長年目の当たりにしてきたから、彼なりに学んだ自衛策なのかもしれない。
だけど、14歳というこの歳は、今や私の中ではトラウマでもある。
長男アーロンの、あの壮絶なレボリューションが始まったのが、14歳の時だったからだ。
あの時は、ビクトルも私も、よくアーロンやエクトルを叱っていた。
だからこそアーロンは反旗を翻し、私たちに牙をむいたのだろう。
頭ごなしに叱り飛ばす前に、もう少しアーロンの話を聞いてあげればよかったと、今さらながら後悔している。
だからこそ、エクトルには同じ過ちを繰り返さないために、ビクトルも私も、今では聞き役に徹していることの方が多い。
口数の少なかったアーロンと異なり、もともとエクトルは学校のことや友達のこと、シュエ家族とのことなど昔からいろいろ話してくれる子で、それは今も変わらず、こうして中学生になっても本人の口から自主的に話してくれるのはありがたいことだ。
また、これまた要領も学校の成績も悪かったアーロンに比べ、エクトルは要領が良く成績も文句なしなので、これについても目くじらを立てる要素がそもそも少ない。
強いて重箱の隅をつつこうと思えば、毎回言わないと帰宅後にうがい手洗いしないだとか、お菓子を食べた後の袋や容器を捨てないだとかあるけれど、そんなことをいちいち叱らないようにしている。
つまらないことをいちいち叱らない、これは、アーロンのレボリューションから学んだ。
そう思うと、私たちがエクトルと今こうして上手く関係を築けているのは、アーロンのおかげでもある。
だがやはり、エクトルは今、14歳になったばかり。
思春期はこれからますます本格的になっていく。
いつ、どこで、ある日突然、エクトルがものすごく無口になって無愛想になってしまうかもわからない。
「梅子のご飯はいらない。」とか、また言われてしまうかもしれない。
そう思うと、やはりビビってしまう。
最近は、エクトルにムッとされたり嫌な顔をされたくなくて、例えば「出かける時にゴミ出ししてくれる?」だとか、「ミネラルウォーター買って来てくれる?」だとかの、ちょっとしたお使いや頼み事が言えなくなってきた。
そういうのをエクトルに頼みたい時は、いつも「エクトルに言って。お願い!」とビクトルに頼んでしまう。
ビクトルは、「僕にばっかり嫌われ役を押しつけるなよ!梅子も親なんだから、堂々と言いつけてやれよ。」と言う。
だけどやっぱり、嫌われたら怖い、アーロンのように「この家は厳しい!」と思われて、「やっぱりママの家がいい!」と言われたらどうしようという思いが先立ってしまって、だったら自分でやった方が気が楽…と思ってしまう。
「でもそれじゃあ、エクトルに家の手伝いをさせられない!アイツはもう小さい子供じゃないんだから、家のことにも協力させないと!」と、ビクトルは言う。
ビビってしまうのは、私の肝が据わっていない証拠だ。
やはり生みの親でないと、なんちゃって母ちゃんは所詮なんちゃってに過ぎないのかな…、などと、変に落ち込んだりもする。
エクトルが小さい頃、リビングで家族みんなで映画のDVDを見る時は、いつもエクトルは「梅子!こっちこっち!」と、スクリーンがいちばん良く見えるソファの角を陣取り、私を隣りに座らせて、私に寄りかかって見るのが常だった。
映画を見ている最中に、そのまま私の腕の中で寝てしまうこともよくあった。
そんなエクトルがかわいくてたまらなかった。
エクトルも私も、遠慮なく思っていることをバンバン平気で言い合えた。
たとえそれで喧嘩になっても、エクトルも私も怖がることは何もなく、最後は「ごめん。」と仲直りして、また2人でキャッキャする…、そんな感じだった。
中学生ともなったエクトルと、昔のようにワチャワチャとじゃれ合いたいというわけではない。
だけど、ビクトルとはいつまでもお喋りで盛り上がっているのに、私と2人だけになってしまうと、途端に口数が少なくなって、共通の話題が少なくなってしまった今は、なんとなく、昔に比べて距離が遠のいてしまった気がする。
その時その時の瞬間、目先の今の楽しさがすべてだった、単純世界の幼い頃に比べ、今後の進学や勉強のこと、少し複雑になってきた友達付き合いや異性のこと、父親家族と母親家族のそれぞれの状況や心情を把握できるようになった今は、言葉の壁や習慣・文化の違いで深く話し込めない私よりも、ビクトルと話した方がおもしろいし役立つ、為になるのは間違いない。
わかっちゃいるが、やっぱり寂しい。
最近、我が家では、Netflixでとある日本のドラマを見るのがブームになっている。
めずらしくエクトルも興味を持ってくれて、毎晩1話ずつ、リビングで3人で見ている。
昔エクトルと私が寄り添って座っていたソファの角は、今ではエクトルが1人で座り、私は少し離れた所に座っている。
1人で座っているのは寒いので、この前のクリスマスにエクトルからプレゼントしてもらった膝掛けにいつもくるまっている。
先日、エクトルがそんな私の姿を嬉しそうに見つめながら、「その膝掛け、本当に気に入ってくれてるね。」と言った。
「もちろん!」と私はニンマリ笑って、膝掛けを鼻先までかぶった。
エクトルが、もうこの先私の腕の中で眠ることはないし、くすぐりっこや戦いごっこでキャッキャすることもない。
今は思春期という難しい時期だし、男の子だからこれからも私との付き合い方は変わっていくかもしれない。
だけど、時々は昔みたいに甘えてほしいなぁ。
■本記事のタイトルは、映画「スザンヌ、16歳」(2021年公開、フランス)をモジって使わせていただきました。
記事の内容と映画は、一切関係ありません。