ビクトルの大予言…の答え合わせ
今年もクリスマスの季節がやってきた。
スペインのクリスマスは、12月24日のクリスマスイブを皮切りに、年が明けて1月6日の3賢者の日までと、長い。
日本では大晦日とお正月を重視するが、スペインの年越しは、クリスマスのビッグイベント中に、あらま年も明けたわねというような、ついで感をいつも感じる。
さて、クリスマスと言えば、子供たちにとっては冬休みなわけで、我が家の次男エクトルの学校も23日から冬休みになった。
冬休みのビクトルと前妻シュエの子供の養育権は、12月31日までの前半がシュエの役割になっている。
22日の学校が終わり次第、エクトルは母親の家に行くことになっていたので、21日の夜、私たちはエクトルを連れて近所の中華レストランへ行き、今年最後の家族の晩餐を楽しむことにした。
その数日前に、話はさかのぼり…。
以前の記事、「ビクトルの大予言」の話を、皆様は覚えているだろうか。
ハロウィン直前の頃に、エクトルが「今は話せないけど、2~3週間したらきっと明確になってくるから、そうしたら話す。」と言い、それを聞いたビクトルが「きっとシュエとマックスの離婚だ。」と予言した、あの話だ。
実はあの後、2週間たっても3週間たっても、月が変わっても、エクトルから再びその話が出てくることはなかった。
話が出てこないということは、きっとシュエとシュエの現夫マックスとの離婚話は(いつものように今回も)流れたのだろうと、これまたビクトルは予言した。
こんなふうに、私たちの中ではこれはきっと間違いなくシュエとマックスの離婚話に違いないと、おおよその見当はついてはいたが、でもエクトルからはハッキリそれだと言われてはいなかったので、結局あの話は何だったのか、やはりなんとなくモヤっとするものが残っていた。
もし違うことだったら、それはそれで場合によっては、私たちも何らかの事前準備や心構えが必要になってくるかもしれないからだ。
そこで、ビクトルと話し合い、いつかエクトルに「あの話はどうなった?」とたずねることにした。
だけど、今やエクトルも立派な思春期男子で気難しいお年頃。
タイミングを間違えてご機嫌を損ねようものなら、聞きたいこともろくに聞き出せない。
さてどうする?となった時に、「そうだ!最終夜の外食で聞き出そう!」というわけで、今回のレストランでの食事に白羽の矢が立った。
さて、話は戻り、21日夜。
私たちは、レストランへ繰り出した。
スペインの通常の一般的な夕食時間よりは少し早め、尚且つ、クリスマスバケーション前のまだ平日ど真ん中ということもあり、レストランは閑散としていた。
食事の間、いつものようにエクトルの止め処ないお喋りが続く。
このままでは、肝心のあの話を聞き出せないまま食事が終わってしまうのではないかとハラハラし始めてきた頃、ようやくビクトルがチャンスを得た。
「そういえば、ハロウィンの頃に言ってた“2~3週間したら話せる”って話、あれから全然教えてもらってないけど、結局あれは何の話だったんだ?」
ビクトルグッジョブ!と心の中でビクトルに賛辞を送りつつ、「え?何の話?」とシレっと援護射撃を送る私も、我ながらイヤな性格してると思う。
「あぁ、あの話?」と、エクトルが思い出したように言った。
そしてお待ちかね、答え合わせをようやく聞くことができた。
エクトルは「あの時、ママはマックスと離婚しようとしてたんだよ。」と言った。
やっぱりー!
ビクトルの予言、大正解ー!
続けざまにエクトルが言った。
「でも、結局いつの間にか離婚の話はナシになってたんだ。ママが何考えてるのか、僕にはまったく理解できないよ。」
エクトルは少し怒ったようにそう言った。
はい、これまた大正解ー!
頭の中でピンポンピンポーン♪と正解音を鳴らし続けている私をよそに、エクトルは詳細を語り始めた。
エクトルがビクトルに「2~3週間したら話せる。」と言ったあの日から、さかのぼること1~2週間前、シュエとマックスはかなり盛大な夫婦喧嘩を繰り広げたらしい。
怒ったシュエは、「もう離婚だ!この家から出て行け!」とマックスを家から追い出し、マックスを例のヒタノだらけのピソ(※詳細は前記事「ハウス・オブ・スペイン」をご参照ください。)に一時的に住まわせ、2人はしばらく別居することにした。
その時に、シュエはアーロンとエクトルに、「ママは近い内マックスと離婚するから、協力お願いね。」と言った。
この直後ぐらいに、エクトルがビクトルに「2~3週間したら…」という話をしたらしい。
ところが、それこそ2週間もたたないある週末、エクトルがシュエの家に行くと、別居していたはずのマックスが、何事もなかったようにくつろいでいるではないか。
シュエは再びアーロンとエクトルを呼んでこう言った。
「別居してる間、“俺が悪かった。離婚したくない。やり直そう。”って、毎日毎日マックスが泣いて電話してきていたの。私にはもう愛はないんだけど、彼とは長年一緒に暮らしてきたからね、今回は許すことにしたの。」
「あれだけ散々マックスに苦労かけられてきたのにさー、長く一緒に住んできたからーなんて理由で、あっという間に許しちゃうママが僕には全然理解できないんだよね。あんなヤツ捨ててさっさと離婚すればいいのに。」
一通り話し終えたエクトルは、皿の上の酢豚をフォークでつつきながら、ムスッとした表情でそう言って、話をしめた。
うーん…、何とコメントしていいやら…。
「やっぱりね。」としか出てこない。
そんな中、ビクトルが口火を切った。
「まぁ、あれだな。お前のママとマックスは、これからもこういうことを延々繰り返すだろうな。」
たしかに。
それは大いにあり得る。
「やっぱり?パパもそう思う?僕もそう思うんだよね~。2人共さっさと見切りつけて新しい人生やり直せばいいのに、まーたしょうもないことで喧嘩して、別れる!別れない!ってやるの、ものすごくムダだと思うんだけど。巻き込まれる僕たち子供の身にもなってほしいよ…。」と、エクトルがぼやいた。
エクトルの言うことはもっともだ。
この夫婦がまた壮絶な夫婦喧嘩を繰り広げるのは、時間の問題だろう。
それに直面しなければならない子供たちは、本当に可哀想だ。
だが、やはり大人には大人の事情というものもあるわけで、この辺についてはエクトルが理解するのはまだ早いかもしれない。
だから、ビクトルと私は、もうこれ以上エクトルに言うのも聞くのもやめた。
ちなみに、「アーロンはその後、ママとマックスと上手くやってるの?」と聞いてみたところ、エクトル曰く、アーロンはすでにシュエとマックスには見切りを付けたのか、同じ屋根の下で暮らしてはいるものの、まるでシェアメイトのように、マイペースを貫いて生活しているらしい。
なんてこった…。
後日、ビクトルと私はこの件について話をした。
「あの2人にとって、今離婚するのはお互いに何の得にもならない。利害が一致するからまたくっついたんだよ。」と、ビクトルが言った。
たしかに。
もし今、マックスがシュエと離婚することになったら、車もスマホも身包み全部剥がされて、無一文で追い出されることになるだろう。
今や車もスマホもすべてシュエ名義、着ている服も何もかも、シュエが買い与えたものばかりだ。
マックスがめっぽう可愛がっている息子のフアンの親権だって危うい。
離婚となれば、シュエはきっと容赦しないだろう。
それは、対・ビクトルとの離婚から現在に至るまで、イヤと言うほど彼女のえげつなさを経験している以上、想像に難くない。
夫婦喧嘩で、マックスは今までに何度も警察のお世話になっているから、万が一そこをシュエに突かれたら、女子供には絶対的に甘く暴力には絶対的に厳しいこの国では、下手をすればマックスは親権を失ってしまうかもしれない。
だがその一方で、シュエにとっても今マックスを失うのは痛手だと、ビクトルが言う。
「マックスは彼女にとって都合のいい運転手であり、コックであり、シッターだからね。」
なるほど、たしかにそれもそうだ。
車を所有していない、運転をしないビクトルを、シュエはこれまでに幾度となくマックスと比べてあざ笑ってきた。
また、実の息子フアンはもちろんのこと、アーロンやエクトルも、マックスは本当にいろいろな場所へ連れて行って遊んでくれた。
これについては、超絶レボリューション(思春期の反抗期)だった頃のアーロンが、「マックスはあなたと違って、いつも素晴らしい場所へ連れて行ってくれる素晴らしいお父さんです。」としたためてくれた手紙を、ビクトルは「一生忘れられない言葉。」と、今でも大事に保管している。
マックスが料理好きで、いつも皆のご飯を作っていることも、エクトルから毎週聞かされている。
エクトルの話では、最近シュエが(久しぶりに)作ってくれた料理は、毎度お馴染みのチャーハンとインスタントラーメンだったそうだ。
シュエが料理する時はほぼ毎回チャーハンなので、すっかり食傷になった子供たちが、いつだったか私に「お願いだから、チャーハンは作らないで。もう食べ飽きてるから。」と懇願してきたことがある。
これだけ便利で役に立つマックスを手放すのは、シュエとしても熟考しなければならないだろう。
今はアーロンが一緒に暮らしているけれど、アーロンがマックスのようにここまで役立つとは到底思えないし、シュエは決してそのことをアーロンやビクトルには口が裂けても言わないだろうが、そう思っていることが明確なのは、エクトルからのタレコミによりこちらではすでにわかっている。
エクトル曰く、シュエと2人だけで外出すると、アーロンとマックスに対する愚痴を延々聞かされるのだそうだ。
「それに、中国の両親や親戚の手前、それから僕がこうやって第二の結婚生活を幸せに続けている手前、彼女は離婚したくてもできないし、したくないんだろうね。」と、ビクトルが続けた。
中国の離婚事情はよく知らないけれど、中国でもさすがにバツ2になるのは体裁が悪いのだろうか。
いずれにせよ、祖国に暮らす老いた両親に心配をかけたくないという気持ちは、万国共通なのかもしれない。
それに、ビクトルに離婚したことを知られたくないというのは、高層ビルのようにプライドの高いシュエならではの発想かもしれない。
ビクトルが私と再婚するとわかった途端に、手っ取り早いところでマックスを繋ぎとめ、あれよあれよのうちに「私、あなたより先に幸せ掴んでます!」アピール全開でスピード再婚→フアンを妊娠・出産した手前、離婚という不幸までをもビクトルよりも先に掴み取りたくはないのだろう。
そういう意味では、彼らの結婚がここまで長く続いた一端は、私たち夫婦のおかげと言っても過言ではないかもしれないので、「礼のひとつも聞きたい。」と、ビクトルが笑って言った。
ついでに言えば、マックスの実家もまた、彼女の幸せアピールには欠かせないアイテムの1つだと思う。
自然豊かな海沿いの村の一戸建てという、まるでインスタ映えでもするようなロケーションもさることながら、マックス側の親戚は大勢いるので、結婚式やらお誕生日会やら、今の時期のクリスマスだって、いつも大人数でワイワイ集まる。
ビクトルの極々少数の親戚付き合いに比べれば、「スペインの大家族、楽しんでまーす!」と、ビクトルに一矢報いることができるだろう。
「別居中に、マックスが毎日泣いて電話してきたって話、ひょっとしたら毎日電話してたのはシュエなんじゃないかな。泣いた泣かないは別として…。」
私がポロっとそう言うと、ビクトルは「それは大いにあり得る話だね。うん、たしかに!」と大きく頷いた。
レストランでエクトルの話を聞いている時、私は、なぜシュエが子供たちにわざわざ事の顛末を報告したのか、それが引っ掛かっていた。
アーロンもそうだったが、シュエもやっぱりアーロンと同じように、何か取り繕いたい時やウソの言い訳をする時は、やけに大袈裟で饒舌になる。
最近のエクトルの話しぶりからは、子供たちがもうすでにどれだけマックスを見下しているかが痛いほど伝わってくる。
普通は、いくらダメ夫でも「でも彼は優しいから。」とかなんとか、せめて母親が子供たちの前で夫を立てなくてどうする?という、シュエのダメさも痛いのだが、だからと言って子供たちにまでわざわざ「毎日泣いて電話してきてさー。」なんて言うか、普通?
以前、シュエはビクトルと喧嘩になると、よく、自分のダメなところをビクトルのダメなところだと置き換えて言うことがあった。
例えば、喧嘩の原因となったことが、シュエのウソから始まったことだとしたら、「あなたはウソつき!」と平然とビクトルに言ってのける、こんな具合だ。
心の深いところでは、それは自分のことだとわかっているのに、認めるのが恥だと思ってしまうと、それを相手に擦り付けてしまう。
今回、わざわざ子供たちを呼んでまで話した、「毎日泣いて電話云々…」は、おそらくシュエがしていたことだったのではないか。
シュエは独占欲が強い。
ビクトルとの別居時代も、自身は毎夜、男を取っ換え引っ換え遊びまくっていたのを棚に上げて、ビクトルがシッターの若いお嬢さんを雇った途端、烈火の如く怒り狂い、あの手この手でシッターを辞めさせようとした。
マックスは手癖も酒癖も悪いが、女癖も悪い。笑。
だからシュエは、あのヒタノだらけのピソにマックスが女を連れ込んでいないか、毎日確認する必要があったのではないだろうか。
マックスも、今シュエに捨てられては、悲惨な末路を辿るだろうが、シュエとしても、今ここでマックスに新しい女ができて捨てられようものなら、中国の実家やビクトルに対するプライドどころの話ではないだろう。
だから、落ち着かなくなってどうしようもなくなったシュエの方から、「もう許すから帰って来て。」と懇願?許可?したのかもしれない。
エクトルの言うとおり、シュエとマックスの関係はムダで理解できない。
だけど、お互いに新しい人生をやり直すにはもう歳を取り過ぎて、そんなバイタリティはビクトルと離婚騒動をした時ほどないだろう。
シュエは、妻になっても母親になっても、“女”でい続ける人だ。
だから次の相手ぐらい、彼女が本気になればすぐ見つかると思う。
だけど、2人の間にはフアンという、お互いに捨てられないものもある。
もし、離婚というその時が来るのだとすれば、それは早くても、エクトルが成人して、シュエがビクトルと一切の関わりを終えた時か、遅ければフアンがもう少し大きくなって、手がかからなくなった頃だろう。
シュエは、中国の両親やビクトルへの見栄、友人や子供たちへの見栄を張ることばかりに執着して、自分で自分に鎖を巻き付けすぎた。
自業自得とは、まさに彼女のためにある言葉なのかもしれない。
■本記事のタイトルは、映画「ノストラダムスの大予言」(1974年公開、日本)をモジって使わせていただきました。
記事の内容と映画は、一切関係ありません。