梅子のスペイン暇つぶし劇場

毒を吐きますので、ご気分の優れない方はご来場をご遠慮ください。

息子の部屋

18歳の誕生日を迎え成人した、長男アーロンが9月から母親シュエと共に暮らすことになってから、2ヵ月がたった。

 

次男エクトルは引き続き毎週末をシュエの家で過ごしているから、時々エクトルにアーロンの様子を聞くのだが、聞くといつも「アーロンは相変わらず“洞窟”の中に閉じこもってるよ。」と言う。

“洞窟”とは、アーロンの部屋のことだ。

週末の間、特に用事がなく家族で出かけない時は、アーロンはずっと部屋に閉じこもっているらしい。

ドアもきっちり閉められているので、部屋の中で何をしているのか誰も知らなければ、「特にみんな気にしてないし、僕としてはその方が気が楽。」とエクトルが言う。

 

一般論で考えれば、ティーンエージャーなのだから、長時間自室にこもるのは大して不思議ではない。

だけど、我が家での過去の経験上、アーロンが部屋に長時間閉じこもる時は、イコール、彼が機嫌の悪い時だったから、いくらそれが母親の家で閉じこもっているとしても、「何かあったのか?あぁ、やっぱり母親夫婦とも上手くいってないのかな…」などと、ついつい心配になってしまう。

しかしそうかと言って、今のところアーロンから私たち夫婦にSOSの連絡はないので、シュエや継父となるマックス、そして異父弟のフアンと上手くやっているのだろう、我が家と違ってさぞかし居心地が良いのだろうと、思いたい。

 

さて、こうしてアーロンが我が家にいなくなってしまったので、子供部屋を改装しようということになった。

今まではほぼアーロンとエクトルのベッドに占領されて机も置けず、子供部屋と言うよりは“子供たちの寝室”状態だったこの部屋を、今度はきちんと勉強机も置いて、エクトル専用の部屋にするのだ。

夏休みのアーロンとの一件があってからというもの、ビクトルも私も、やはり年頃の子供たちにもプライベートを確保できる部屋を作ってあげないと…という思いが強くなってきた。

私たち夫婦の子育ての完全なる失敗で、アーロンとの関係がこじれてしまったトラウマは大きく、せめてエクトルとは上手くやっていきたい、それが今の私たちに残された願いである。

 

子供たちの部屋は、壁も天井も所々ペンキが剥げたり汚れているので、それも塗り替えることにした。

今まで使っていたベッドもマットレスも、子供たちが長年使い込んでもうガタがきていたので、新しいベッドとマットレスに取り換える。

同じく年季の入ったカーテンも取り換えるし、照明も取り換える。

この部屋に今ある物で今後も残す家具は、数年前に取り付けた壁の棚と、背の高い本棚、そしてこれも数年前に買った小さなタンスだけだ。

予算の関係上、全部いっぺんに大改造することはできないから、少しずつ家具を買い集めてちまちまやっているもんで、実は今もまだ完全に出来上がったわけではない。

 

まずは、ペンキを塗るために部屋を空っぽにしなければならず、部屋の片付けから始まった。

シュエの家に旅立つ際、アーロンはほとんど私物を持って行かなかったので(あの日はたしかほぼ手ぶらで行ってしまった。)、アーロンの物とエクトルの物を選り分けなければならなかった。

その後アーロンに連絡を取り、1度我が家に来てもらった。

アーロンには、私たちが選り分けた物の中から再び要る物要らない物を分けてもらって、要らない物を処分させた。

母親の家に帰る時、アーロンはある程度の物は持ち帰ったようだが、それでもまだたくさん私物が残っていて、それは後日また取りに来てもらうことになった。

アーロンがかつて使っていたベッドは、彼が来る数日前に撤去した。

我が家に来てもらった時に、自分のベッドがなくなっている子供部屋を見て、ショックを受けるかな…と少し心配だったけど、ビクトルは「それでいいんだ。」と私に言った。

 

さて、今度は机やベッドを買うことになったのだが、エクトル1人分の物にするか、それともアーロンのことも一応考えて念のため2人分にするかで、ずいぶん悩んだ。

1週間…、いや2週間近くは悩んでいた気がする。

ちょうどその頃は、前記事でもお伝えしたアーロンと飲んだくれマックスの乱闘騒ぎを聞いたばかりだったので、やはりアーロンの居場所も確保した方が良いのではないかと、ビクトルと何度も話し合った。

結果、机は1人で使うには少し大きめの物を買うことにした。

エクトルが友達を呼んで一緒に宿題や課題をすることができるようにという目的もあったが、やはりアーロンが万が一我が家に一時避難して来た時のために、エクトルと机を共有して勉強ができるように…という目的もあった。

もうすぐエクトルにもパソコンを持たせる時期が来るし、いずれにせよ机は大きい方が良いだろう。

 

ベッドは当初やはり机と同じ目的で、エクトルの友達やアーロンが来た時に使えるようにと、2段ベッドにするか、それとも、通常は1人用のベッドだが、下の引き出しを引けばもう1つベッドが出てくるタイプの物にしようか、考えた。

しかし、何日も話し合った結果、エクトルだけが使う1人用のベッドを買うことにした。

「もしエクトルの友達やアーロンが泊まる時は、空気を入れて膨らますタイプの簡易マットレスを買ってそれを使ってもらおう。」と、ビクトルが言った。

 

アーロンが母親シュエや継父マックスと喧嘩して、我が家に避難したいと言ってくる日は、きっといつか必ず来るだろう。

その時は、ビクトルも私ももちろんアーロンを受け入れる。

だけど、1つだけ最も気を付けなければならないのは、アーロンやシュエに「あぁ、父親の家にはアーロンの居場所がちゃんと確保されている。」と認識されてはならないことだ。

酷なようだが、アーロンにはこれ以上逃げ癖を付けさせたくない。

たとえ嫌なことが起きても、その困難に立ち向かって自分自身で解決する力を養い、独立するとはこういうことなのだと肌で感じてもらいたいというのが、私たち夫婦からの最後の親心とも言える願いだ。

それから、シュエについては、まぁこれは彼女の性格と今までの彼女との数多の経験から、いつ何時来るかわからない「というわけで、しばらくアーロンを預かって。」というような理不尽な強行を未然に防ぐためである。

いくら私たちが何も言わなくても、父親の家にも新しく自分の部屋を持てるとワクワクしているエクトルが、あのお喋りなエクトルが、シュエに何も話していないわけがないので、我が家のこの子供部屋大改造の話も、きっと今頃筒抜けだろう。

そんな中で、「アーロンのベッドもあるそうじゃない?」なんて言われてアーロンを押しつけられた日には、私たちは何も言い返せない。

だから、最初から1人用ベッドを買うことにした。

たとえシュエがエクトルからいくら情報を手に入れたとしても、「アーロンのベッドはない。」とわからせるために。

 

壁や天井を塗り替えるためのペンキを買う時、私たちはエクトルを連れてペンキ屋へ行った。

机やベッドを買う時も、これはインターネットで購入したのだが、その時も、予め私たちでめぼしい物を見繕っておいたのを、最終決定はエクトルに任せた。

今回の子供部屋大改造計画は、実はビクトルがいちばん乗り気でやる気満々だ。

だけど、これはエクトルの部屋なのだから、私たち大人ばかりが楽しんでいるわけにはいかない。

エクトルにも、家族みんなで新しい部屋作りをすることを楽しんでほしい。

 

とんでもなく豪華な、とまではいかないけれど、ビクトルはそれなりに金額をかけてエクトルの部屋を作りたいようだった。

だけど、エクトルはいつも「そんなに高額な物でなくていい。そんなにお金を使わなくていい。」と言った。

数日前、私はインターネットで、男の子の部屋に置いたらきっとかっこいいであろう、素敵なキャビネットを見つけた。

ビクトルに見せたら、「いいね!いいね!」と乗ってくれた。

だけど、エクトルには「値段が高すぎる!それにもう僕の部屋の家具は買わなくていい!」と叱られて、速攻で却下されてしまった。

もはやどっちが大人でどっちが子供か…状態だ。

 

しかし、エクトルはどうしてそんなにも、ビクトルがお金を使うことを嫌がるのか。

アーロンが昔よく「パパはケチだ。」と陰でシュエやエクトルに言っていたように、エクトルもまたそう思っているから、目の前でビクトルがどんどんお金を使っていくことに驚いて恐縮しているのだろうか。

それとも、純粋に本心から「僕のためにそこまでしないで。」という孝行心なのだろうか。

よくわからない。

 

そういえば少し前に、エクトルが「ママやアーロンはお金があれば、あるだけ使っちゃうタイプだけど、僕はそうじゃない。」と、時々私に話すことがあった。

「僕はいくらお金があっても、必要最低限の物さえあればいいんだ。アーロンはよく“金がない”って言ってるけど、僕はママの家に貯金がだいぶあるよ。」と。

お金に対するこういったエクトルの考え方は、ビクトルにそっくりである。

ビクトルはとても堅実だ。

例えば、私のクローゼットの中は、移住の時に日本から持って来た昔々の洋服さえも、「思い出がー!」とか言って捨てられず、それらはすでにだいぶ熟成した肥しと化してぎゅうぎゅうに詰め込まれているが、ビクトルのクローゼットはガラガラである。

ビクトルは、新しい洋服を1枚買ったら、古い洋服を1枚捨てることを徹底している。

洋服がヨレヨレになって着れなくなる時まで、新しい洋服を買わない。

そんなビクトルも、たまに「今日は奮発しちゃおう!」と言うことはあるけれど、決して無駄遣いをしない。

「今月は使い過ぎた…。」とこぼすことはあっても、月々の収入額で賄える範囲に留めている。

私が東京で1人暮らしをしていた時は、「来月のお給料が入ればどうにかなる!」などという、だいぶ危なっかしい金銭感覚で日々を生き延びていたので、ビクトルとエクトルの堅実性には頭が上がらない。

エクトルは、「まだ自分の中で部屋のイメージが定まってないんだ。だから、まだ何も余計な物は置きたくないんだ。」と言った。

…ますますこの子には頭が上がらない。

 

今までの子供部屋には、日本のアニメやマンガのキャラクターのポスターや絵がいくつも飾られていた。

それらはすべて、アーロンが以前、何度もコミックイベントに足を運んで買ってきた物だ。

エクトルは、それらはアーロンの物だから撤去してほしいと言った。

「お前もアニメが好きなんだから、何か飾ったらどうだ?」とビクトルが言うと、エクトルは「考えておくよ。」と言った。

 

数日が過ぎ、またビクトルが「何かアイデアは浮かんだか?」とエクトルに聞いた。

エクトルは、最初のうちは「う~ん…。」と言い渋っていたが、やっと話し始めた。

「実は、ママん家の僕の部屋に、マンガのキャラクターのタペストリーがあるんだ。とってもかっこよくて気に入ってるんだけど、あっちの部屋にはもう飾る場所がないから、飾らないで大事にしまってあるんだよ。だからそれを持って来て飾ろうと思ったんだけど、ママに“ウチにあるものをパパの家に持って行くのはダメ!”って怒られて、取り上げられちゃってさ…。」

出たー。

ボスキャラの登場だー。

ビクトルは「そうか…。じゃあ、他のを考えるしかないな。」とだけ言い、エクトルには見えないように、私には「(シュエには)呆れた。」という意味のジェスチャーをした。

 

もし、シュエが我が家の子供部屋をエクトルだけの部屋に改造していることを知っているのだとしたら、彼女の性格上、嫉妬やら気に入らないやらでそう怒るのは想像に難くない。

アーロンとエクトル、いつもセットでビクトルに可愛がってほしい(=お金をかけてほしい)シュエにとっては、アーロンは自分に押しつけられてエクトルにだけえこひいきしているように見えているかもしれない。

自分の家にある物をあちら側の家に持ち出されるのが気に食わないシュエの気持ちは、私も理解できる。

私もそうだった。

アーロンが我が家からシュエの家へ、いの一番に持って行った私物は、私たち夫婦が日本に帰った時に買った、もしくは日本の友人たちが送ってくれた、正真正銘Made in JAPANのアニメグッズの数々だ。

アーロンがそれらを取りに帰って来る前日まで、実は私はそれらの物は持ち帰ってはダメだと言おうかと、内心考えていた。

でも結局言わなかった。

それらはそもそもすべてアーロンのために買った物だし、私のつまらない嫉妬心で「ダメ!」と言うのは、さすがに大人げないと恥ずかしく思ったからだ。

過去から今までに、子供たちが自ら、時にはシュエがわざと子供たちに持たせて、シュエの家から我が家に持ち帰って来た物は、星の数ほどある。

ハッキリ言って、私は毎回それらにいちいち気分を害してきた。

だけど、その数多の経験のおかげで、私は少なくともシュエよりはそういうことに免疫があるし、気持ちの切り替え方も習得済みだ。

だがその一方で、ビクトルよりも特に私が、かなり徹底的に子供たちが我が家からシュエの家に何かを持って行かせるのは避けてきた。

シュエの家には、子供たちが我が家の私服、パンツ1枚、靴下1足すら着て行ったことは、1度もない。

例えば、もし子供たちがシュエの家に行かなければならない金曜の午後にちょうど雨が降っていたとしたら、子供たちには傘の1本ですら持たせなかった。

そんな時はわざわざタクシーを呼んで、シュエの家の目の前で子供たちを降ろしてもらうように頼むほど、結構徹底していた。

それは、子供たちがそれらをシュエの家に忘れて帰って来て、なぁなぁになってしまうのを避けるためでもあったが、万が一シュエと一悶着があった時に、「子供たちにあんな貧相な・ダサい・古いetc...物を!」とかなんとか言う、シュエからのイヤミ攻撃の種を少しでもなくしておきたかったからだ。

 

だから、おそらくシュエには我が家で子供たちが所持していた物についての免疫がない。

今までは、いくら日本のアニメのキャラクターでも、自国のまがい物を子供たちに買い与えて喜ばせられていただろうが、今回アーロンが持ち帰った物は本場の本物ばかりだ。

あの高層ビルのように高いプライドも、相当ヤラれたのではないだろうか。

アーロンがあんなにどっさりと我が家からの物を持ち込めば、彼女にとってはおそらく発狂レベルだったろうし、だからこそエクトルこそは!と、エクトルの行動に敏感になるのも当然だろう。

 

さて、現在の大改造の進捗は、残すは照明の取り換えと、新しいカーテンの取り付けだ。

カーテンは、今回はブラインドのような物を取り付ける予定で、そのもの自体はもう購入済みなのだが、素人の私たちでは到底取り付けられないことが発覚。

業者を呼んで取り付けてもらうことにしている。

照明も然りで、この週末に近所のちょっと大きな電気屋さんに行って、良さげな照明を選び設置もお願いする予定だ。

それと一緒に、机上ライトも買わなければならない。

照明類は電気代節約のため、すべてLEDにする。

今夏スペインでは、パンデミックで失業率やら経済がとんでもないことになっている最中にもかかわらず、国民にまったく寄り添わない中央政府が、電気代の値上げを発表してくれたおかげで、先月と今月の電気代がエアコン使いまくりだった夏の電気代よりも遥かに上回る値段になっている。

 

現在のエクトルの新しい机の上は、何もなくて殺風景なので、小物入れなど細々した物も買い揃えてあげたいのだけど、「買おうよ!」なんて言えばきっと「いらない!もうお金使わないで!」と、またエクトルに怒られるのだろう。

机の前の壁にコルクボードを付けるのも却下されたし、はぁ…、本当に思春期男子の心を掴むのは難しい。

でも、こうやって怒られながらも、エクトルの部屋を作り上げていくのは、私も楽しい。

不親切なマニュアルに四苦八苦しながら、ビクトルと私が2日かけて組み立てた真新しいベッドとマットレスを、エクトルは「とっても寝心地がいい!」と満足してくれている。

 

「子供部屋の改造はもちろんエクトルのためだけど、僕にとってはそれだけじゃなくて、実は僕自身のためでもあるんだ。人生のリセットって言うのかな…。そんな感じ。」と、今日、スーパーの帰りに立ち寄ったカフェで、ビクトルが言った。

その顔は、どこか清々しかった。

ビクトルのこんな顔を見るのは、本当に久しぶりだ。

 

 

■本記事のタイトルは、映画「息子の部屋」(2002年公開、イタリア)をモジることなくそのまんま使わせていただきました。

記事の内容と映画は、一切関係ありません。