梅子のスペイン暇つぶし劇場

毒を吐きますので、ご気分の優れない方はご来場をご遠慮ください。

アーロン14 2 発端

前回までのお話は、コチラ

 

私自身が、日本の私の家族関係が、稀なケースなのかどうかはわからない。

でも私が10代の多感な頃、親に真っ向から歯向かって激しく激突するようなことはなかった。

強いて言えば、アルバイト禁止の校則があった高校時代に、内緒でアルバイトをしていたことがバレて、叱られたぐらい。

その時は、親に校則を知りながらアルバイトをしたことを突かれて私も何も言い返せず、すんなり降参。

激しい親子喧嘩などに発展することはなかった。

そういった親への反抗や衝突の類は、私だけでなく、私の姉や兄、弟も皆同じように、大した大騒動もなく、おとなしく思春期を通過した。

父が絶大な強さと気迫を持っていたのと、頭の回転が速くて口も立つから、歯向かうだけ無駄だと、きっと皆そう思っていたのだと思う。

 

ビクトルに聞くと、ビクトルの10代も同じように、親に反発することもなく“良い子”だったらしい。

 

だけど、最近、身近なところで言うと、私の姉のところの長男(私の甥、現在大学生)も、中学時代はとんでもない反抗期で、姉はだいぶ泣かされていた。

ここスペインではと言えば、例えば以前、私が通っていた語学学校で、教科書に例文として取り上げられていたほど、ティーンエイジャーの思春期による性格の激変と親への強い反抗、それに悩む両親の姿は、あたかも“すべての親と子が通る道”でもあるかのように、典型的な出来事のようである。

御多分に漏れず、我が家の長男アーロンも、この“典型的”なパターンに属してしまった。

 

アーロンが、ビクトルに生意気な態度を取るようになったのは、おそらく今年の1月頃からだ。

それは、次男エクトルまでもが驚くほど、突然だった。

 

きっかけは何だったのか…、きっとそれはしょうもないことだったに違いないので、覚えてもいなければ、思い出したくもないのだが、1月のある日、ビクトルがアーロンを叱ったことがあって、いつもならば、叱られている最中はとにかく押し黙り、次に自分の寝室へ行って、ベッドの上で1人でずっと考え込むか、ふて寝を決め込んだ後、とにかく最後は、「僕が悪かった。ごめんなさい。」と言うのが、いつものアーロンの怒られ方だった。

 

だけど、この日はそうじゃなかった。

ビクトルが叱っている最中は、なぜか不気味な笑みをたたえて、「はいはい、そうですね。」とか、「はいはい、仰る通りです。」とか、「はいはい、全部僕が悪いんです。」と、心無い相槌を繰り返した。

その不気味で生意気な態度に、余計に腹が立ったビクトルは、何度も「黙れ!今はお父さんが話をしているんだ!」と言い、その度にアーロンは、「いいえ、黙りません。」と返し続けた。

最後は「いい加減、僕に怒鳴るのはやめてもらえますか?」と言って寝室へ消えると、いつもなら全開にしているドアをぴしゃりと閉めて部屋に籠った。

その日の内に、彼がビクトルに「ごめんなさい。」と言うことはなく、ビクトルも私も正直、アーロンのあまりに突然のこの変わりように、ただただ動揺した。

 

この出来事の数日後に、アーロンはやっとビクトルに「ごめんなさい。」と言った。

でも、「ごめんなさい。」を言うまでの数日間は、彼はずっと私たちと口を利かなかった。

この日のこの出来事について、その後、ビクトルと私は何日か真剣に話し合ったことを覚えている。

そして私たちは、「あんまり目くじら立てて、つまらないことでアーロンを叱るのはやめよう。」と決めた。

 

ただ、この日のこの出来事は始まりに過ぎず、アーロンのこういった親への態度は、どんどんエスカレートしていった。

 

例えば、洗濯物や空の水筒、お弁当箱をすぐに出さない、何かをすればやりっぱなしで片づけない…などという、いつもならこんな些細なことでも「アーロン!」と呼びつけていたところを、この一件以降、私とビクトルは、些細なことに関しては、意識的に見過ごすことにしていた。

しかし、見過ごせば見過ごすほど、アーロンは日々を追う毎に、明らかに何もやらなくなった。

自分の大切な物、例えばDSだとか、趣味のフィギュアだのマンガだのは、きちんと管理するのに、それ以外の物、例えば教科書やら勉強道具やらは、誰かが言うまで永遠にキッチンの椅子を占領し、ベッドは常にめちゃくちゃだった。

その割には、アーロンはなぜか弟のエクトルには手厳しく、「お前、ちゃんと水筒出せよ!無能が!」などと弟を罵り、その傍らで、アーロンのベッドの壮絶にぐちゃぐちゃな布団の中から、私が彼の靴下(それも何日前の物だかもわからないような)を見つけても、素知らぬふり…というような有り様だった。

 

私もビクトルも、そしてエクトルも、正直ストレスが溜まった。

でも、アーロンの見ていない所で、なんとかエクトルをなだめ、この前のようにふてくされないだけまだマシだと、お互いをなだめ合った。

しかし、ビクトルと私が叱らなくなったと、きっと味を占めたのであろうアーロンは、時々どでかいことをやらかしてくれた。

 

それは主に、スマホと性に関することだった。

 

アーロンがまだ小学生だった頃、ある日「スマホが欲しい。」とアーロンはビクトルに言った。

この時、クラスでいちばん仲良しの子が、家庭の事情でスマホを持っていて、ゲームアプリで楽しんでいるのが羨ましくてしょうがなかったのだ。

ビクトルは、当然、「NO」と言った。

「お前が16歳になるまで、スマホは買わない。」と。

習い事に通わせているわけでもなし、学校が終われば毎日真っ直ぐ家に帰って来て、寝るまで宿題に追われ、テスト勉強に追われるだけの平日の日々に、スマホを持たせる理由は何もなかった。

しかし、母親シュエは、違った。

アーロンの11歳の誕生日に、彼女は早速アーロンにスマホを買い与えた。

そして時にはエクトルから、時にはアーロンから、また時にはなんとシュエ自身から、アーロンがスマホで何かやらかして、シュエがスマホを取り上げる…という話が、私たちの耳に入ってくるようになった。

その度に、私とビクトルは、シュエの教育方針の意味不明さを話したものだった。

 

 

この際だからぶっちゃけてしまうが、この頃からアーロンは、本格的に性にも目覚めたらしかった。

 

私ぐらいの世代で言うならば、アーロンぐらいの年頃の男子が、部屋にエッチな雑誌を隠し持っていて、母親が部屋の掃除の最中にそれを見つける…。

な~んていう、お決まりの情景が目に浮かぶが、最近の世代は、もう雑誌なんかではない。

インターネットでこっそりエッチな画像やら動画やらを見るのだ。

 

我が家では、当然のことながら、子供たち用のパソコンはない。

だから、アーロンの場合は、「宿題でパワーポイントのドキュメントを作るから…」などと言って、まずは書斎とビクトルのパソコンの使用権を得る。

そして、家族の誰かが入って来ないよう、細心の注意を払いながら、こっそりエッチなワードを検索しては眺めていたようだった。

私がちょっと書斎に入ると、いつもアーロンはササッとパワーポイントの画面を開き、1時間前から全然変わっていない同じページに、さも熱心に打ち込んでいます!かの如く、せわしなくキーボードを叩いた。

 

始めは、ビクトルが検索ワードで異変に気付き、グーグルの閲覧履歴をチェックして事が発覚した。

その後、アーロンも知恵を積んだのか、ご丁寧に閲覧履歴を削除する…ところまではいったのだが、なんとも詰めが甘いというか何というか…、とある日は、閲覧履歴が全部削除されていて、パスワードを打ち込まなくても良かったウェブページやら何やら、全部がパァになった。

 

パソコンを使えない、使う理由がない時には、「ちょっと調べたいことがある」などと言って、ビクトルのスマホを拝借し、ビクトルのスマホからもエッチなサイトにアクセスするようになった。

パソコンでは、ビクトルはメールをチェックしたい時は毎回ログイン動作をしているが、スマホでは常にメール画面は繋がりっぱなしなので、当然のように、ビクトルのメールに迷惑メールやスパムメールが一気に増えだした。

さすがのアーロンも、スマホのアクセス履歴までは気が回っていなかったようで、履歴を見ると、それはそれは膨大なアクセス数が残っていた。

 

「1度アーロンに忠告しないとダメだな…。」と、ビクトルは言った。

年頃なんだから、そういったものに興味を持ちだすのはしょうがない。

だけど、誰かのパソコンやスマホで勝手に見て、そこから発生するスパムメールや、挙句の果てにはコンピューターウイルスなど持ち込まれた日には、目も当てられない。

だから、アーロンには特に、そういうサイトには、こういった危険性があるんだということを教えたかったのだ。

決行は、とある日曜の夜。

子供たちが前妻シュエの家から帰ってきた時に、アーロンだけを私たちの寝室に呼んで、ビクトルが男同士で話をすることになった。

 

そして、それが大事件となり、しかも、まさか2年先の現在まで苦しまされることになるとは、誰も想像すらしていなかった。

 

 

■本記事のタイトルは、映画「アポロ13」(1995年公開、アメリカ)をモジって使わせていただきました。
記事の内容と映画は、一切関係ありません。