梅子のスペイン暇つぶし劇場

毒を吐きますので、ご気分の優れない方はご来場をご遠慮ください。

そして伯父は逝く

「アーロン14」を書いている途中ではありますが、今日は別の話を急遽お話しすることにします。

 

スペイン全土に非常事態宣言が出され、実質、自宅軟禁とも言える生活が、もう1ヵ月近くも続いている中、私たち夫婦は昨日、思いもよらない、想像したくもなかった知らせを受けました。

 

隣りの州に住むビクトルの母方の伯父が、コロナウイルスに感染し、2、3日前に他界していました。

 

享年は、98歳でした。

 

 

非常事態宣言が出されてから、私は時々ビクトルに、連絡先のわかる範囲でいいから、親戚に連絡を取ってみようと言っていました。

ビクトルは、親戚の中でもいちばん仲良しの、父方のいとこにはちょくちょくメールでやり取りをしているようでした。

そのいとこは今、スペインと同じような惨状のイタリアとヴァチカンで神職をしているので、それもそれで心配です。

 

でも、母方のいとこの所へは、ビクトルはなかなか電話をしてくれませんでした。

母方のいとこ、アウロラの家には、ママ(=義母)のお兄さんにあたる、伯父が住んでいるので、私はずっと気にかけていたのです。

…と言っても、決してネガティブな意味ではなく、今こうして全国民が暇を持て余しているのだから、お互いの無事を確認がてら、久しぶりに親戚とお喋りするのもいいじゃない?ぐらいの感覚で、気にかけていた…程度でした。

 

昨日、私が再び「ねぇ、アウロラに電話してみようよ。」と切り出すと、ビクトルは「わかった、わかった。それで梅子が安心するんなら、電話してみようじゃないか!」と、少々ふてくされながらも、電話をかけてくれました。

 

電話口に出たのは、アウロラではなく、アウロラの旦那さんのアントニオでした。

「Hola、アントニオ。ご無沙汰してます。あなた方のいとこのビクトルです。」と、ビクトルとアントニオの会話が始まりました。

私は、ビクトルの傍らで、時々聞こえてくるアントニオの声を懐かしく聞いていました。

 

実は、私自身は、アウロラとアントニオに会ったのは、今までにたった1度しかありません。

3年前のママの葬儀の時に、2人が駆けつけてくれた時が、初めての出会いです。

2人は、とても気さくに何度も私に話しかけてくれて、私はすぐに彼らと打ち解けることができました。

その時伯父は、残念ながら葬儀には出席しませんでした。

高齢で足腰がもうだいぶ弱く、また、ショックが大きくて、妹の死をまだ受け止められないでいるから、連れて来られなかったと、アウロラがビクトルに謝っていたのを覚えています。

 

ママは、姉と兄の3人兄弟でした。

お姉さんの方は、もうずいぶん前に亡くなっていて、末っ子だったママも亡くなってしまった今、私にとってもこの伯父は、なんだかかけがえのない尊い存在でした。

伯父とは会ったことがなく、私も伯父もお互いに顔も声も知らないのに、ママやビクトルからいろいろ話を聞いていたからか、私は伯父に対して妙な親近感すら感じていたのです。

 

 

アントニオは、開口一番、「あぁ、ビクトルか!久しぶり!元気かい?よかった!こちらから連絡をしたいと思っていたんだ。でも、今、妻が入院していて、君の連絡先を知っているのは妻だけだから、どうしようかと思っていたところだったんだ!」と、矢継ぎ早に話し出しました。

挨拶もそこそこに、「妻(=アウロラ)が入院」という思いもよらないキーワードが飛び出してきて、ビクトルは「お久しぶりです。え?今何と言いました?アウロラが入院?」と、混乱した様子でアントニオに聞き返しました。

そこからはしばらく、アントニオが事のいきさつを話し始めました。

 

その時私は、実は、ビクトルとアントニオが何を話しているのか、さっぱりわからずにいました。

でも、話の端々で、ビクトルが「まさか…、変なこと言いださないでくれよ?アントニオ。」とか、「なんてことだ…。」とか、「ディオスミオ…」とか言うのを聞いて、さっきまでのワクワク感は一気に吹き飛んでいきました。

今、電話で話を聞いているビクトルの後ろ姿を見ながら、まるで部屋の中にまでどんよりした雲が立ち込めて行くような気がしました。

咄嗟に、本棚に飾っているママの写真に目が行きました。

「ママ…。ママはもう何か知ってるの?アウロラかママのお兄さんに何かあったの?」

そう心の中で問いかけたけど、写真の中のママは、いつものように少しはにかんだ表情のままでした。

 

しばらくアントニオの話は続きました。

最後に、ビクトルは「えぇ、僕たちは皆元気です。今のところ、何も問題なくやっています。アントニオもどうか気を付けて。今日は本当にお話ができてよかった。また、来週にでも電話します。それじゃ…。」と言って、電話を切りました。

何を話していたのか知りたい、でももしかしたらそんなに聞きたい話じゃないのかもしれない…。

そんな私の表情を読み取ってか何なのか、ビクトルは、「はぁ~。」と、1つ大きな溜め息をつくと、「まずタバコを1本吸わせてくれ。」と言って、タバコに火をつけ、窓の外を見ながら、ふぅと大きく煙を吐きました。

 

「2、3日前に、伯父さんが死んだ。コロナウイルスに感染して。」

 

はぁ?

私はビクトルが何を言っているのか、理解するのに数秒かかりました。

ビクトルは続けました。

アウロラも同じ時に感染して、今、入院してるらしい。でも、彼女の方は、症状が比較的軽かったらしい。ICUには入ってなくて、回復してきてるから、もう少しで退院できるみたいだ。」

 

はぁ??

何を言ってるんだ?この人は?

 

思わず、ママの写真を再び見ました。

ママの顔は、「ビクトルの言った通りなのよ。」と言ってるように思いました。

 

 

1週間ほど前、伯父は、椅子に座ろうとしたところ、誤って床に転倒。

その時に、足を骨折してしまいました。

アウロラが、急いで伯父を病院に連れて行き、治療してもらって帰宅。

それから2日後に伯父が、次いでアウロラが、39度以上の高熱を出しました。

2人とも「コロナウイルスに感染」と診断され、即入院。

「それから伯父さんが亡くなるまでは、本当にあっという間だったそうだ。」と、ビクトルが言いました。

アントニオは、「きっと2人は、病院でウイルスをもらってきてしまったんだ。」と言い、ビクトルも「そうですよ!そうに違いない!」と返したそうです。

 

 

スペインでは毎日毎日、4千人、5千人、多い時には8千人…と、何千人もの人が感染しています。

死者は今日の時点で、1万5千人を超えています。

今まで、私の周りでは、感染したという話をまったく聞かなかったので、一体誰がどこでそんなに感染してるんだろうと、不思議でした。

その思いの中には、「だから私もビクトルも、子供たちだって、そんなに簡単に感染なんかするはずがない。」というような、根拠のない変な過信も、正直ありました。

 

でも、今回の件で、その過信はガラガラと音を立てて崩れました。

まさか身内で犠牲者が出てしまったことにもショックでした。

毎日私が、ただ数字として見ていただけの感染者数や死亡者数が、たくさんの人の顔に置き換えられていくような感覚。

「これは人なんだ。数字1つ1つが、誰かに愛されていた誰か。幸せな家族の中にいたはずの1人1人なんだ。」と、今さらながら思い知らされました。

 

私は、ママの写真をもう1度見ました。

ママが「そうなのよ。梅子、わかった?私の兄は、もう私の傍にいるのよ。あなたたちの世界には、もういないのよ。」と言っている気がしました。

私は急に泣けてきて、顔を両手で覆って泣きました。

 

「伯父さんは十分生きたよ。それだけの高齢になれば、あとはいつどんな些細なことで、死んだとしてもおかしくないんだ。」と、ビクトルが私の肩をポンポンと叩きながら言いました。

でも、私は納得できませんでした。

 

伯父は、健康だったのに。

ただ、ちょっと転んで骨折しただけなのに。

それを治療するために、病院に行っただけなのに。

今、死ぬ必要はなかったのに!!!

アウロラだって、父親を長年介護してきた娘として、病院へ連れて行ったのは、至極当然のことをしたまでです。

それなのに、自身も感染して、今までずっと一緒に生きてきた父親の最期を、看取ることができないなんて、こんなに報われない話があるだろうか!!

 

今まで会ったことのない、顔も知らない伯父が恋しくて、私は泣きました。

アウロラの無念はいかばかりだろうかと思って、ますます泣きました。

しばらく泣いて、放心状態になり、ふと思い出したようにまた泣いて、放心状態…。

昨日はその繰り返しでした。

 

私はずっと、伯父に1度会ってみたいと思っていました。

ママが昔、私に教えてくれた伯父との幼少時代の話を、「ママはいつも楽しそうに、あなたのことを話していたんですよ」と教えたかったのです。

でも、今ではそれももう、永遠に叶わぬ夢となってしまいました。

 

このウイルスが憎いと、心の底から思いました。

 

 

■本記事のタイトルは、映画「そして泥船はゆく」(2014年公開、日本)をモジって使わせていただきました。

記事の内容と映画は、一切関係ありません。


www.youtube.com