この世界に残されて
夫ビクトルの葬儀を終えて間もなくのとある日、ビクトルの税理士から電話が来て、「スペインでは、死亡日から6ヵ月以内に相続税を支払わなければならないから、それまでに遺産相続を済ませなければならない。遺産相続をするために、これからいろいろな手続きが待ち構えていて、手続きには死亡証明書やら何やら、とにかくいろいろな書類が必要になる。日本にも手続きしないとだしね。ビクトルはとある保険会社に加入していたようだから、近い内その保険会社から梅子に連絡が行くだろう。大丈夫、彼らがすべての書類を集めてくれるからね。その後は梅子が動く番だ。僕が1つ1つ教えるから、その通りに動けばいい。辛いけど頑張ろう。」と言われた。
それから本当に間もなくして、保険会社から電話が来た。
この保険会社は葬儀の手配もしてくれて、私は葬儀のための費用は何もかからなかった。
電話口の担当者は、とても優しい口調の女性だった。
当時の私は、パニックと放心状態が入れ替わり立ち代わり24時間目まぐるしく、そして、今もまだまだスペイン語はままならないが、その時はもっとままならない状態だった。
先の税理士や、ビクトルの友人や、ある程度付き合いのある人たちのスペイン語ならなんとなくだけど、言わんとしていることがわかるのだが、初めての人の慣れていないスペイン語はさっぱりダメで、相手が話し始めた途端にパニックに陥った。
ビクトルがいなくなって何もわからない世界に放り出されたばかりの中、言葉までわからないのは絶望以外の何物でもなかった。
それで私は泣きながら彼女に、「すみません。私はスペイン語があまりわかりません。今あなたが話したことをメールでもう一度教えていただけませんか?メールなら翻訳アプリで読むことができます。」とお願いした。
彼女は、「OK。安心してください。今からあなたにメールでもう1度説明しますね。」と言ってくれた。
電話の最後で、彼女は私のことを日本語で「梅子サン」と呼んだ。
「あなたは日本人でしょう?名前と苗字ですぐにわかりました。私、少し前まで日本語を勉強していたの。でも日本人の友達がいないから話す機会がなくて、どんどん忘れてしまっているわ。ニホンゴ、ムズカシイデス。」
彼女はそう言って、ウフフと笑った。
ほんの一瞬だけ、心の中のどしゃ降りがやんだ気がした。
暖かい風がフワッと心に入ってきたような気がした。
この保険会社の彼女の名前は、マリア。
その後、私はマリアと友達になった。
今ではお互いの都合が良ければ毎週会って、私が彼女に日本語を教え、彼女は私にスペイン語を教えてくれている。
時々、彼女の家にもお邪魔している。
彼女には2人の息子がいて、長男は私に会うのが恥ずかしいと、未だに顔を見せてくれたことがないが、次男はイケメンで人懐っこくて、私のスペイン語の勉強を手伝ってくれる。
何度か旦那さんにも会ったことがある。
背の高い、これまたイケメンの人だ。
「梅子!よく来たね!」と、いつも親切に出迎えてくれる。
旦那さんは今、末期の肝臓がんを患っている。
もう助からない。
マリアが日本語の勉強をやめていたのは、このためだった。
初めてそのことを聞いた時、私は「これ以上私みたいに夫に先立たれる人を見たくない」と、ボロボロ涙を流して泣いた。
「梅子、あなたは突然旦那さんを亡くしてしまったわね。それはとてつもなく辛いことよ。でもね、私は夫が死に向かって苦しんでいる姿を、もう2年以上見続けてるの。これもこれでキツいわよ~。もう涙なんてとっくの昔に枯れちゃった。」
そう言って、マリアはペロッと舌を出す。
マリアの旦那さんは、がんに侵される2年ほど前に脳の病気を患い、それが原因で性格がガラリと変わってしまったらしい。
気性が荒くなり、ほんの些細なことで癇癪を起こして手が付けられなくなる。
今後彼とどう暮らしていけばいいのか悩み苦しんでいる最中に、今度はがんが見つかった。
見つかった時にはすでに手遅れの状態だったそうだ。
マリアは、1度だけ私の前で涙を流したことがある。
でもその1回きりだ。
「たぶん、私も何か心の病気なんだと思うわ。ちっとも泣けなくなったのよ。」と言いながらも、常に前向きに物事を考えている。
彼女も日々大変な毎日を過ごしているのに、私の愚痴にも付き合ってくれるし、困り事が起きるといつも親身に助けてくれる。
「まだ私の夫は生きている。とうとうモルフィネも使い始めたけど、それでもまだ生きている。でもね、梅子。私もあなたと同じ道を歩いているわ。私は強くなんかない。見て!こんなに痩せっぽちなんだから!あなたが去年頑張って乗り越えたことが、もう私の目の前にも迫ってきている。私が強いんだとしたら、梅子の方が何倍も強いわよ!あなたは言葉も知らない、家族もいない異国の地で1人で去年を乗り越えたんだから。」
つい先日、旦那さんが入院している病院のすぐそばのカフェで、私はマリアとコーヒーを飲んだ。
「マリアは強いね。」私がそう言った時、彼女が返した言葉だ。
私は「そうかなぁ。」と首をかしげながら、去年の日々を思い出して、人目もはばからずまた涙をこぼした。
「梅子は本当に泣き虫よねー!」と、マリアは大笑いした。
私は夫に残された女。
マリアは、これから夫に残されようとしている女。
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我が家のマンションは、各階に2世帯ずつ部屋があり、玄関のドアが向かい合っている。
我が家のお向かいに住んでいるのは、60代、70代ぐらいだろうか…のご夫婦が住んでいる。
少し前までは息子さんも住んでいたが、何年か前に独立したようで、上の娘さんも、私が嫁いで来た時にはすでに独立して家庭を持っていた。
旦那さんは背が高く、いつも身なりがきちんとした紳士そのものという感じ。
奥さんはいつもバッチリお化粧して、気品溢れるご婦人。
彼らは週末はいつも別荘で過ごしていた。
ご家族みんな気取った感じはまったくなく、エレベーターで出くわすと、こんなアジア人の私にすらも気さくに話しかけてくれる人たちだ。
あれはたしか、パンデミック前の2019年頃だったと思う。
ビクトルと私がスーパーかカフェか、行く先はもう忘れてしまったが、出かけようと玄関のドアを開けると、お向かいのドアも開いて、旦那さんと奥さんが出てきた。
ビクトルと私は思わずギョッとしてしまった。
あんなに素敵だった旦那さんが、驚くほど痩せこけて、見る影もなかったのだ。
旦那さんは奥さんに腕を引かれながら玄関の外までゆっくりやって来て、いつもと変わらない穏やかな笑顔で私たちに挨拶をして、到着したエレベーターに乗り込んだ。
「一緒に乗りましょう?」と奥さんに声をかけられたけど、私たちは咄嗟に「あ、あ、大丈夫です。」と断ってしまうほど動揺してしまった。
「旦那さん、どうしちゃったんだろう…?」と私がビクトルに耳打ちすると、ビクトルも頷きながら「あれはあんまり良くない病気かもしれないな…。」と言った。
パンデミックの外出制限の間も、お向かいの家に何度も訪問医が訪れている声が聞こえていた。
パンデミックが終息に向かい、2022年の3月早朝、ビクトルの出来事があって我が家の次男エクトルと私は救急車を呼んだ。
しかしその甲斐もなく、ビクトルはあっという間にこの世を去ってしまったわけだが、後日、私は別の階のご近所さんと道端やエレベーターで会うと、皆が口を揃えて「あの時の救急車、てっきりあなたの家のお向かいのご主人だと思った。まさかお宅の旦那さんだったとは…。」と、言葉を失った。
去年はそんなわけで、私はどん底の地獄の毎日を、自分でも生きているのか何なのかわからず、いっそこのままビクトルの元へ行ってしまいたいと思いながら過ごしていたから、お向かいのご夫婦のことなどすっかり頭になかった。
ただ、9月にやっと遺産相続が終わって、抜け殻のように秋を迎えていた頃、お向かいの家にやけに毎日のように娘さん家族や息子さん家族が来ているなぁとは、頭の片隅で気がついていた。
エレベーターが着くといつも賑やかな子供たちや赤ちゃんの泣き声が私の家にも聞こえていたのだ。
「毎日お孫さんたちが来てくれて、ご夫婦も嬉しいだろうな。家族っていいなぁ。私もやっぱり子供を作っておけばよかったかなぁ。」なんて、声が聞こえてくる度にとりとめもなく考えたりしていた。
12月になり、私は日本へ一時帰国した。
1月半ばにスペインに帰ってきて、そこからは去年までの弱々しかった自分とは少し変わり、毎日をだいぶポジティブに、アクティブに過ごしていた。
今月に入って、ある日、カウンセリングから帰って来ると、お向かいの奥さんがボーっと虚空を見つめながら玄関のドアを雑巾で拭いていた。
奥さんはゆっくり私に振り向いて、数秒の後、ハッと我に返ったように「あ、あら!久しぶりね。長いことあなたを見かけなかったけど、日本に帰っていたの?」と言った。
今まで目にしていた、おしゃれでいつも生き生きとしていた奥さんとはまるで別人のようだった。
化粧っ気はなく髪もボサボサで、ヨレヨレの上着を羽織っている彼女の姿を見るのは初めてだった。
元気を取り繕っているのだろうが、話し方にもどこか覇気が感じられない。
私は内心驚きつつも、「こんにちは。ご無沙汰してました。そうなんです。クリスマスは日本に帰っていました。」と笑顔で言った。
「そうなの?よかったわね。ご家族はお元気だった?」と奥さんは聞いてくれたが、やっぱりどこか上の空というか元気がない。
「主人がね、逝っちゃったの。11月に。」
一通りの挨拶を済ませた後、唐突に、奥さんが言った。
え…?
11月なら私はここにいたのに、まったく気がつかなかった…。
涙が一気に溢れた。
そうか、秋から娘さんや息子さん家族が通っていたのは、このためだったのか。
私がボロボロ涙をこぼして泣く姿を見て、奥さんも堪えきれなかったのだろう、口元を抑えて肩を震わせ始めた。
「いつものように別荘で週末を過ごしていたら、容態が急変してね…。急いでこの家に連れ帰ってきたんだけど、その時にはもう意識がなくて…。それから…、あっという間に逝っちゃった。」
返す言葉がなかった。
私は在りし日の旦那さんを思い出していた。
「エレベーターで会うと、ご主人はいつも親切に挨拶してくださって、こんな私にもいつも優しく世間話をしてくださいました。彼の優しさに私はいつも感謝していました。もうあの優しいお顔を見ることができないと思うと、本当に寂しいです…。」
声を詰まらせながら、最後に「ありがとうございました。」と、奥さんに向かってではあるが、今もまだご夫婦のこの家の中に“いる”であろう旦那さんへ送る意味で、つい日本人の癖で深く頭を下げた。
奥さんは、「私たちは若くして結婚して、主人とは45年一緒にいたの。今もまだ彼がいなくなってしまったことが信じられない。これからどう生きていけばいいのかわからない。この家でたった1人で毎日を過ごすのは耐えがたい。」と言った。
今まさに奥さんは、私が去年から毎日味わっている重い痛みと苦しみの中にいた。
「45年ですか!私は、夫と出会った頃を含めてもたった12年。結婚生活はたったの9年間でした。それでも彼がいなくなってしまったのは、今でも地獄です。だから、あなたの痛みはきっと私以上のものだと思いますが、そのお気持ちはよーくわかります。」
私がそう言うと、奥さんは再び涙を流し、そして2人でまたしばらく泣いた。
「主人の手続きが始まったのよ。書類がたくさんあって、私にはとても手に負えなくて、娘夫婦と息子夫婦が手伝ってくれているの。あなたはあれをすべて1人でやったの?」
「はい。義家族はもう誰もいませんしね。去年私がすべてやりました。弁護士と夫の税理士に助けてもらいながらですけど。」
私がそう答えると、奥さんは目を丸くして、「言葉もよくわからない中、よく頑張ったわね。大変だったでしょう?あなたは偉いわ。」と、私の肩を抱いてくれた。
そうか、私はやっぱり頑張ったんだ…と、もうこの言葉を何人に言われたかわからないけど、そうなのか、私は頑張れたんだと、何度目かわからない再認識をした。
「奥さん、この通り、私は言葉もまだままならないし、外国人ですからこの国のこともあまりよくわかっていません。あまり役に立てないかもしれませんが、でも、何か困ったことがあったら、いつでも私の家のベルを鳴らしてください。お互い独り身ですから、怖い時もありますしね。」
「ありがとう。あなたもいつでも家にいらっしゃい。お互い助け合いましょうね。」
そう言って、私たちは別れ、お向かい同士のそれぞれの家に入っていった。
奥さんと私は、奇しくも同じ階に住み、同じ年に夫に残されてしまった女同士となった。
■本記事のタイトルは、映画「この世界に残されて」(2020年日本公開、ハンガリー)をモジることなくそのまんま使わせていただきました。
記事の内容と映画は、一切関係ありません。