梅子のスペイン暇つぶし劇場

毒を吐きますので、ご気分の優れない方はご来場をご遠慮ください。

CRY MACHO

私の夫ビクトルは、自身の趣味を生かしていろんなことを企画したり挑戦する人だった。

 

読書好きが高じて、スペイン国内で購入可能な日本の書籍を紹介するFacebookページを立ち上げ、週に何度か紹介記事を投稿していた。

読書好きの友人たちと月一で我が家に集まり、缶ビール片手にアセイトゥナ(オリーブの酢漬け)をつまみながら、1人ずつお勧めの本を持ち寄って語り、その談笑を録音したのをYoutubeに投稿していた。

 

幼少期からの、筋金入りの映画マニアでもあったビクトルは、パンデミック前は月に1度、週末の夜に友人たちを家に呼び、ビクトル自慢のDVDコレクションから選んだ映画を皆で見て、その後近所のレストランやバルで夕食を楽しむという企画も立てた。

これは友人たちの間でも大好評で、おそらく2年ぐらいは続いたと思うし、パンデミックが落ち着いてくると、友人たちから「またやろう!」と催促された。

それからビクトルは、Facebookにアジア映画を紹介するページも立ち上げて、数々のアジア映画を紹介していた。

 

パンデミック後のある日、幼馴染みの1人で、ビクトルに負けず劣らずの映画マニアな友人から声がかかり、オンライン上で映画について語るポッドキャストのチャンネルにも、ビクトルは喜んで参加していた。

チャンネルの中で、ビクトルは「Paul Kersey」というニックネームを名乗っていた。

Paul Kerseyとは、「狼よさらば(Deth Wish)」シリーズで、チャールズ・ブロンソン演じる主人公の名前だ。

 

このポッドキャストは、ちょうど今頃だったろうか、去年の秋から始まった。

その輝ける第1回目の放送のテーマであり、ビクトルが気の合う友人たちと大盛り上がりで話したのが、今日のタイトルである、「CRY MACHO(クライ・マッチョ)」だった。

 

ビクトルにとっては、チャールトン・ヘストンチャールズ・ブロンソンも、そして、クリント・イーストウッドも大好きだった俳優の1人だ。

 

「A story of being lost..., and found.」

これがこの映画のサブタイトルだ。

己の過去や人生に向き合い、これからどう生きるか。

そういったことを考えさせられるこの映画が、ふと自分に重なったような気がした。

 

この映画のタイトルにひっかけて言うなら、今の私は「CRYING UMEKO」とでも言うべきか。

3月のあの日、ビクトルがいなくなってしまってから、私は毎日、それはそれは泣いている。

 

1日も欠かすことなく、本当に、見事に毎日泣いている。

なんなら今も、これを書きながら泣いている。

「毎日泣く人」として、近い内ギネスブックにでも載るんじゃなかろうか、今ならすぐに涙を流せる女優にでもなれるんじゃなかろうかってぐらい、毎日泣いている。

 

まるで体中に、それこそ「CRY」というスイッチがたくさんあって、どこかのスイッチがOFFになると、すかさず別のスイッチがONになる。

そんなふうに、油断すればすぐに涙がこぼれる。

 

「今は泣きたいだけ泣くんだよ。」と、友人たちは言う。

でも実際、泣くのはしんどい。

鼻水が大量に出て息ができなくなるし、泣き終わると、目がシパシパして眠くなる。

それになにより、気分がどん底まで落ち込む。

いくら泣いても、何も現実は変わらなくて、ビクトルはやっぱりいなくて、空しくなる。

泣いてスッキリ!…なんてしない。

 

だから本当は、あまり泣きたくない。

泣きたくないから、ビクトルの写真や動画を見れないし、Youtubeポッドキャストに残っているビクトルの声を聞けない。

途端に泣いてしまうからだ。

 

でも、そういうのを避けているせいか、最近なんだか、ビクトルの顔や声の記憶が薄れてきている気もする。

前々からよくビクトルに笑われていたが、私の記憶力のなさにはほとほと呆れてしまう。

 

 

ビクトルとの結婚生活は、私自身にとっては幸せそのものだった。

前回の記事にも書いたが、私のスペインでの生活は、何から何までビクトルに守られていた。

 

私たちが結婚する時、日本の私の両親は初めは大反対だった。

だからビクトルは、私の両親を安心させ信頼を得るのに必死だったんだと思う。

「ほら、梅子はお金にも食べ物にも困っていませんよ。僕が毎年梅子を日本に行かせますよ。梅子が病気にならないように細心の注意を払っていますよ。梅子が風邪をひいたら、すぐに病院へ連れて行っていますよ。」

実際こういうことを、ビクトルが私の両親に言ったことは1度もない。

だけど、私が両親に定期的に連絡する時や、日本に帰省した時に、私が両親に話す内容から、きっと私の両親はそんなビクトルの思いをきちんと感じ取ってくれていた。

だから、両親とビクトルとの距離は、日本に帰る度に縮まっていった。

 

最近、私の父は、「こんなことになるのなら、ビクトルをもっといろんな所へ連れて行ってあげればよかった。言葉は通じなくても、もっと可愛がってあげればよかった。」と、LINEのビデオ通話でよく言っている。

お父さん、そんなことないよ。

ビクトルは、「僕は、今ではもうすっかり梅子のお父さんとお母さんに可愛がってもらっている。いつも良くしてもらっている。梅子のお父さんは本当におもしろい人だ。」って、よく笑って言ってたんだから。

 

話が逸れたが、そんなふうに、私はスペインで、ビクトルさえいてくれれば何不自由なく暮らしていた。

ビクトルさえいてくれれば、友達もいらないとさえ思っていたから、スペインでは私は自身の友人を作ったこともなかった。

日本の数少ない友人たちや家族と連絡さえ取れればよかったので、私は今まで1度も自分の携帯電話番号が必要なかった。

だから、スペインでは携帯電話番号を持っていなかった。

仕事もする必要がなかったし、買い物はいつもビクトルと一緒だったから、スペインで自身のお金を管理する必要もなかった。

だから銀行口座も持っていなかった。

 

でもこれじゃダメだよな…とは、自分でも薄々考えてはいた。

私ももういい大人なんだし、いつまでもビクトルにおんぶにだっこばかりではいられないと、思ってはいた。

思ってはいたけど、ビクトルに甘えて何もしてこなかった。

 

そして3月。

ビクトルが突然この世からいなくなってしまった。

大きなシャボン玉の中でのうのうと暮らしていた生活が、突然破裂した。

 

ビクトルとはほぼ英語で話していたので、スペイン語がろくに話せない。

携帯電話をどこでどうやって契約するのかもわからない。

銀行口座の開設方法もわからない。

仕事もない。

大して言葉ができないから、仕事を探したくても探せない。

ビクトルの友人たちに助けを求めたくても、言いたいことがスムーズに伝わらないし、何を言われているのか全然わからない。

 

ここは長年住み慣れた街のはずなのに、まるで見知らぬ街に放り出されたような感覚だった。

恐怖だった。

今までビクトルに甘えきって、何も自立してこなかった自分が情けなくて、殴りたかった。

 

誰かに助けを求めようと思った。

言葉がわかる人、スペインの仕組みを教えてくれる人、それは在住日本人の人だ。

 

だけど、足がすくんだ。

今まで「ビクトルさえいればいいから、友達なんていらない」と高を括っていたくせに、いざ困ったから「助けてください」と言うのはおこがましい。

「それみたことか!」と足蹴にされるのがオチ。

 

どうしよう。

どうしたらいいんだろうと、何日も悩んだ。

 

そんな時、ビクトルの死亡手続きの件で、ある日私はとある役所へ電話した。

「死亡」とか、「夫が亡くなった」という言葉を使う度に、それを認めたくない自分と、あぁ本当にビクトルは死んでしまったんだという絶望が葛藤して、つい涙声になりながらも、粛々と手続き方法を聞いた。

 

最後に職員さんは、「こんな話、本来ならこの電話で言うことではないのだけど…」と前置きして、話し始めた。

「梅子さん、私も以前夫を亡くしたんです。だからあなたの今の気持ちがよくわかります。梅子さんはスペインに日本人のお友達はいますか?」

私は、「いいえ、いません。」と答えた。

「それじゃあ、私があなたの最初の友達になります。それから、あなたの住む街でもバルセロナでもどこでもいい、スペインに住む日本人の友達を作りなさい。彼らはあなたが知らないことをたくさん知っています。そしてあなたにいろんなことを教えてくれる。きっとあなたを助けてくれる。」

 

友達を作ろう!

そう思った。

 

すぐさま在住日本人の掲示板サイトにスレッドを立てた。

ドキドキしたし、怖かったけど、やるしかないと思った。

 

その日のうちだったか、翌日からだったか、スペインの北から南まで、全国各地に住む日本人の方から続々とメールが届いた。

メールが届く度に、私は泣きながらPC画面に向かって「ありがとうございます。」と頭を下げて、泣いた。

いただいたメールを1つ1つ読んではまた泣いた。

まさかこんなにたくさんの方から、メールをもらえるとは思いもしなかった。

 

奇跡が起きたと思った。

 

 

この出来事が、おそらく、ビクトルがいなくなってしまってから、私が大きく動き出した最初の出来事だったと思う。

 

「あなたが自分の力で頑張ったんだよ。」と、最近よく、皆が言う。

でも私は、どうしてもそうは思えない。

友達を作ることができたのも、あの役所の職員さんの後押しがあったからだ。

こうやって、常にいろんな人たちが、私の手を引き、尻を叩き、背中を押し、「前を向け!」と顔をグイッと前に向けてくれるから、私は今日まで生きてきた。

自分の決断やしていることが、果たして正しいのか間違っているのか全然自信がなくて、おっかなびっくりの毎日だ。

 

皆に生かされて、私は今日まで生きているようなものだ。

 

そして、きっと間違いなく、ビクトルが「どうか梅子を助けてやってください。」と、今でも皆に頭を下げて回ってくれているのだと思う。

いつまでも手のかかる嫁でごめんね、ビクトル。

 

 

■本記事のタイトルは、映画「CRY MACHO(クライ・マッチョ)」(2022年公開、アメリカ)をモジることなくそのまんま使わせていただきました。
記事の内容と映画は、一切関係ありません。