梅子のスペイン暇つぶし劇場

毒を吐きますので、ご気分の優れない方はご来場をご遠慮ください。

うつろいの季節(とき)

 

夫ビクトルが逝ってしまった忌まわしき3月が、とうとう来てしまった。

 

去年まで、3月は二度とスペインにはいたくないと思っていた。

この1ヵ月間は日本にでも逃げよう、ずっとそう考えていた。

 

だけど、年末年始に日本へ帰り、思いのほか元気をもらってスペインに帰って来ることができたから、この調子でいけば、意外と平気で3月を過ごせるんじゃないかと思った。

それに、相続の細かいことや前妻シュエとのクソみたいなゴタゴタもまだ残っているし、仕事も少しずつ忙しくなってきて、今ここで再びクローゼットからスーツケースを引っぱり出して、飛行機のチケットを予約する…なんて面倒くさくて無理。

泣こうが落ち込もうが、スペインで3月を乗り切ろうと腹をくくった。

 

来週後半から週末にかけて、この街の最高気温が30℃近くまで上がるらしい。

日本に比べれば年間を通して東京よりも暖かいが、冬から春に移ろいゆくこの時期は、日本と同じように“三寒四温”の日々なのが、この街だ。

びゅうびゅう風の強い肌寒い日もあれば、冷たい雨が降ることもある。

そうかと思えば、来週の週末のように、驚くような夏日のこともある。

さらに3月はこの街挙げての大祭があるので、こと天気については、去年はこうだった、一昨年はああだったと皆の印象に残りやすい。

 

せめて去年の天気も、こうであってほしかった…。

 

去年の3月は、この街だけでなくスペイン全国で天気が悪く、気温の低い1ヵ月だった。

80年だか100年以上だったか…、もう忘れてしまったけど、それぐらいぶりの悪天候らしいと、ビクトルの葬儀に向かう途中だったか、帰り道だったか、車中で誰かがそう話していたのを、窓の外の土砂降りの景色をボーっと眺めながらぼんやり聞いていたのを覚えている。

いつもピーカンのこの街には似つかわしくなく、毎日毎日冷たい雨が降り、風が吹き、真冬のような3月だった。

 

せめてお天気だけでも良かったら、ビクトルは病気にならなかったかもしれない。

病気になったとしても、すぐに回復できたかもしれない。

あの時何の役にも立たなかった自分がいちばん忌々しいが、天気すらも忌々しい。

 

あれから私は雨の日が大嫌いになった。

3月の雨はもっと大嫌いだ。

 

今年。

3月はまだ始まったばかりだが、今のところ雨は降らないので少しホッとしている。

できるだけ落ち込まないように頑張っているが、気を抜けない。

 

先月末ぐらいから新しい仕事が立て込んできて、「梅子さん、これ間違えてる。」とか「そうじゃないです。」とか、ガンガン指摘が入る。

「じゃあこれはちょっと急ぎめでやってもらいましょうか。」なんて依頼も入るから、新人ぺぇぺぇの私はてんてこ舞いMAXだ。

指摘されることにムダにいちいち落ち込んでしまうのだが、だけど、この職場の人たちの素敵なところは、その後で必ず「大丈夫?慣れるまで大変だよね。無理だったらいつでも言って!サポートするから!」とフォローをくれることだ。

なんせ去年からメンタルが過敏もいいとこなので、こんなフォローをいただくとつい涙腺が緩む。

早く役に立ちたいのに、要領悪くてすみませんと、1人PC画面に頭を下げる。

 

思うように仕事をテキパキこなせないまま、気がつけば外は日が暮れていて、「いつまで仕事してるんだ?俺は腹が減った!」とでも言っているかのように、猫の助がご飯の催促に来る。

「あぁ、あぁ、ごめん猫の助!もうこんな時間か!ごめんね。お腹空いたよね?」

スマホに目をやれば、whatsappの着信やらメールが来ている。

大急ぎで確認して、「メッセージ見てる余裕なかった!お返事遅れてごめん!」と返信する。

 

仕事でも謝り、猫の助にも謝り、友達にも謝りっぱなしだ。

何してんだろう、私。

 

仕事でガッチガチになった頭でヨレヨレのまま、猫の助のご飯を用意して、ビクトルの写真に晩酌用のビールを供える。

お茶でも作って少しリラックスしよう。

あ、湯たんぽのお湯を作らなくちゃ。

お風呂にも入らなくちゃ。

でもお腹空いたな…。

何か食べたいけど、作らないとか…。

冷蔵庫、何もない…。

買い物行かないと…。

そうだ、弁護士にメールしないとだったんだ。

あ、そういえば、市役所の件はどうしたらいいんだろう。

今日のあの仕事は、あれでよかったんだろうか…。

あぁ!あの仕事もやらないとだったのに忘れてた!

ブログ書きたいなぁ。

でもそんな時間あるなら、やらなきゃいけないことまずはやらなくちゃ…。

はぁもう、なんかいろいろ面倒くさい…。

はいはい、猫の助。わーかった、今ご飯用意してるからちょっと待って。

 

とりあえず、冷凍庫に残っていた冷凍ピザトーストをオーブントースターに放り込む。

せめてアルミホイルは敷くかと、アルミホイルを手に取ると、残り僅かだったのか、5cmあるかどうかの最後の切れ端が出てきた。

 

このアルミホイルを買った時には、まだビクトルは生きていた…。

 

買い置きの新しいアルミホイルの箱を開けながら、ビクトルが生きていた時の痕跡のような、証しみたいなものが、こうやって少しずつなくなっていって、アップデートされていくんだと思うと、胸がギューッと絞めつけられた。

 

疲れたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

1人で全部背負うのはもう疲れた!!!!!!!!!

 

誰もいなくなって1年になろうとするこの家、私と、足元に擦り寄る猫の助以外誰もいなくなってしまったキッチンで、いろんな感情が交錯して、突如涙が込み上げる。

 

ご飯にがっつく猫の助を撫でながら、床にへたり込む。

猫の助の柔らかで温かい背中を撫でていると、命の温もりを感じてますます涙が溢れる。

 

ビクトルに会いたい!

こんな時こそビクトルに会いたい!!!

「頑張ってるね。」と、その一言でいい、あの優しい笑顔で言ってもらいたい。

声を聞きたい。

あの、いつも温かかったビクトルの手を触りたい。

猫の助の毛並みのように柔らかだったビクトルの髪に触れたい。

でももうできない!!!!!!!

 

ビクトルが亡くなった直後からずっと、いちばん私に寄り添い助けてくれている人がいる。

以前、「友情十字路」という記事で書いた、ビクトルの幼馴染みの1人、フェルナンドだ。

 

フェルナンドは、思い出の詰まり過ぎたこの家で、私が1人で暮らすのはつらすぎるだろうと、よく言う。

この家は賃貸に出して、心機一転、別のピソに住んではどうかと。

そう言われる度に私は、「まだそこまで吹っ切る覚悟と決心がつかない。」と答えている。

 

冷たい床の上にへたり込んで、大泣きで猫の助の背中を撫でながら、フェルナンドが言っているのは例えばこういうことなんだろうか…と、ぼんやり考える。

 

でも今の私には、たとえアルミホイル1箱でも、色褪せ始めてきたタオル1枚でも、私に買ってくれた靴下1足でも、ビクトルが残していった思い出と、ビクトルがたしかにここで生きていた証しがある限り、この家から離れたくはない。

 

それがどれだけしんどくても、この家から離れるより全然ましだ。

 

オーブントースターが「チーン!」と勢いよく鳴った。

とりあえず一旦すべてを保留にして、一瞬だけ考えるのをやめよう。

休むのは大事。

明日考えよう。

 

最近はこんなふうに夜が更けていく日々。

 

 

■本記事のタイトルは、映画「うつろいの季節(とき)」(2006年製作、トルコ、フランス合作)をモジることなくそのまんま使わせていただきました。

記事の内容と映画は、一切関係ありません。


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