梅子のスペイン暇つぶし劇場

毒を吐きますので、ご気分の優れない方はご来場をご遠慮ください。

梅子さんは学習をしない 1

やってしまった。

 

いつもぶち壊す、事を大きくして荒立ててしまうのは、私だ。

今までせっかく和気あいあいとやってきたのに。

ほのぼのとした、平和な日々だったのに。

今はもう、“反省”、この一言しかない。

でも、いくら反省しても、もう元には戻れない。

どう収拾していいかわからない。

穴があったら、一生その穴の中に引きこもりたい。

私さえいなければ、この家族はもっと平和で幸せだったろう。

 

我が家の次男エクトルは、自立心が強い。

それはとても良いことなのだが、身の程をわきまえていないというか、まるでもうすっかり1人の大人!みたいに思っている節があって、我が道を行き過ぎる感がある。

 

中学生になってから、エクトルは1人、…というよりはむしろ友達と一緒に、どこにでも出かけるようになった。

出かける時は、「行ってもいい?」ではなく、「行ってくるから!」といつも決定事項で宣言調。

 

母親シュエの家では、シュエがエクトルをどうコントロールしているかわからない。

ある日の週末、友達と2人だけで、自転車で我が街から何十キロも先の湖まで、片道3時間だか4時間かけて行ってきたと、エクトルが嬉しそうに教えてくれたことがあった。

それをあのシュエが許したのかと思うと、驚きだ。

私も何度かその湖には行ったことがあるが、もちろん車でだ。

湖に着けば遊歩道やサイクリングロードが整っているが、湖までの道中は、歩道がないに等しいような所がずっと続く。

服装も自転車もバッチバチにキマッているサイクリストたちが、車と一緒に車道を走っているような道だ。

そんな道を、街で自転車乗り回すのと変わらないようなノリと服装で、13歳、14歳ぐらいの少年たちが大人も同行させずに走っていたのかと、想像するだけでゾッとする。

その時、私は「うんうん。そうなのー!すごいね!遠かったでしょう?」ぐらいに返していたけど、ビクトルは「それは大したもんだ。だけどな…。」と言って、子供たちだけで行く危険性を説いた。

ビクトルが小言を言い始めたことで、その時エクトルは一気に不機嫌になった。

 

エクトルが「どこどこに出かけてくる!」と言い出す時、ビクトルと私夫婦は、大概は彼を止めることができないでいる。

強いて言えるのは、「○時までには帰って来なさい。」とか、「気を付けなさいよ。」ぐらい。

エクトルは学校の成績が良く、宿題はほぼすべて学校で済ませてきてしまうので、「そんな暇があったら、勉強/宿題しなさい!」とかいう理由で、止めることができない。

私たち夫婦は、シュエのように社交的でも日々どこかに出かける用事があるような、忙しい人種でもないので、「今日は○○があるからダメだ。」とも言えない。

せめて「少し遠いんじゃない?」とか「お天気悪いみたいよ…?」などと言ってみても、遠かろうが近かろうが、雨が降ろうが槍が降ろうが、エクトルにそんなことは関係ない。

 

月曜日。

週末土曜日からの雨が断続的に降っていて、肌寒い日だった。

めずらしくビクトルが風邪を引き、月曜になってもまだ体調が思わしくなかった。

大事を取って、ビクトルと私は引きこもりのようにここ2、3日1歩も外に出ないでいた。

そんな中、学校から帰って来るなり、エクトルが「夕方友達と出かけるから。映画見てくるよ。」と言い出した。

こんな雨降りの寒い日にわざわざ行かんでも…と、私もビクトルも内心思った。

だけど、いつものように私たちは「ダメ。」とは言えなかった。

「20時半までには帰って来なさいよ。」と言うと、「梅子~。映画は17時半から2時間ないぐらいなんだから、20時半よりも前には帰って来れるに決まってんじゃん。」と、エクトルは呆れたように言った。

私たちもよく行く映画館に行くと言うので、私はエクトルに私名義のその映画館の会員カードを貸してあげた。

このカードがあると、チケット代が安くなる。

「ありがとう!じゃ、出かけるまで昼寝するね。」とカードを受け取り、エクトルは意気揚々と自室に帰って行った。

エクトルが出かける頃、雨は止んでいた。

だけど、帰って来る頃にまた90%の確率で雨が降るようだったので、「傘、持って行った方がいいんじゃない?」と、私は言った。

でもエクトルは「いい、いい。いらない。」と言って、傘を持って行くのを拒んだ。

念のための雨よけに、エクトルは母親の家から着て来たウインドブレーカーを羽織っていた。

でもウインドブレーカーだから、防寒のための綿は入っておらずナイロン生地1枚の超薄手だ。

しかも、ウインドブレーカーの下には、半袖のTシャツしか着ていなかった。

おいおい…と思ったが、もうこれ以上何も言えなかった。

言えばエクトルの機嫌が悪くなるのは百も承知だったから。

ビクトルが、「カード失くしたら死刑だぞ。」と冗談を言った。

エクトルは「失くすわけないじゃん。もういい?じゃあね。」と、ビクトルの冗談を足蹴にして出かけて行った。

 

映画が終わったであろう時刻、外は再び大雨になった。

「20時半より前に帰って来る。」と言っていたから、今頃どしゃ降りの中を歩いているに違いないと思った。

それ見たことか…と思いつつ、私は念のため玄関にバスタオルを用意しておいた。

だけど、エクトルが帰って来たのは、20時半を回ってしばらくした頃だった。

その頃雨は小康状態で、エクトルは大して濡れずに帰って来た。

 

帰って来て早々に、エクトルは「梅子。大事な話がある。」と言って、書斎へやって来た。

エクトルはビクトルの椅子にドカッと腰を下ろし、「はぁ~。」と溜め息を1つついてから話し始めた。

「カード、失くした。」

は?え?

「またまたぁ~!冗談でしょ?はい、返して。」と私が手を差し出して笑うと、「いや。本当に失くした。」とエクトルは真顔で言った。

映画館に着いたところで、ポケットにカードがないことに気が付き、途中で立ち寄ったショッピングモールに引き返し、友達と3人で血眼で探したらしい。

それでも見つからず、ショッピングセンターに常駐している警察官に事情を話し、見つかったら連絡してほしいと、ビクトルのスマホの番号を伝えたらしい。

映画館に再び戻る時も、歩いてきた道を3人でくまなこで探したが見つからなくて、チケットを買う時に係員にも事情を話したそうな。

係員には、「見つからない場合は、カードを再発行しなければならない。その際にはお金がかかる。」と言われたそうだ。

「映画にはギリギリ間に合ったんだけど、全っっっ然楽しめなかった。友達とも気まずい雰囲気になっちゃうし、最悪だったわ~。はぁ~、つまんなかった。」と、言うだけ言って、エクトルの話は終わった。

「カード失くしてごめん。」の一言は、なかった。

 

「最近、僕、よく物を失くすんだよねー。」と、エクトルが再び続けた。

「この1、2ヵ月で失くしたの、15ユーロだよ?15ユーロ!1回目は、ママに買い物頼まれて、10ユーロ札もらってスーパー行ったら落としたでしょ?それから、この前は友達と遊んでて5ユーロ札落とした。すごくない?」

「はぁ。」としか言えなかった。

 

数年前、誕生日かクリスマスのプレゼントとして、私はエクトルに財布をあげたことがある。

当時彼がハマっていたレアルマドリードのマークと、アディダスのロゴが入った財布だ。

でも、今はレアルなんぞこれっぽっちも興味を失せ、むしろレアルのマークが入っているのが恥ずかしいと、エクトルはその財布を使うのをやめた。

「財布はポケットに入れずらいから、もういらない。」と言い、今はズボンのポケットに裸銭を入れるのが、彼の中でクールだと思っているっぽい。

今年の誕生日の時に、私はポーチ的なものをプレゼントしようと考えていた。

今時の男の子用のヒップバッグのような、肩からたすき掛けできるような、カッチョイイやつだ。

だけど、エクトルに「そういうのもいらない。」と、あっさりと却下された。

そうして、我を貫いた結果がこのザマだった。

 

翌日火曜日。

この日は、エクトルが塾に行く日だった。

塾は我が家から歩いて10分もしない所にあり、20時40分に終わる。

初めの頃は、21時前にはちゃんと帰って来ていたのだけど、最近は、21時過ぎに帰って来るようになっていた。

 

ちなみに先週は、長男アーロンを呼んで、レストランへ食事に行く予定があったので、「21時前には必ず帰って来いよ。」と、ビクトルが何度も念を押したのに、結局帰って来たのは21時過ぎ。

しかも、どうしてもシャワーを浴びたいと言い出して、レストランへ出かけたのは22時近くになってしまった。

(※スペインでは一般的に夕飯時間が遅く、21時~22時頃になる。レストランも同様。)

 

いつだったか、エクトルが言っていたのだが、どうやら塾が終わるとエクトルは一緒に通っている友達を家まで送ってから帰って来るようだった。

友達と言っても、女の子ではなく男の子で、しかもその子の家は我が家よりも少し遠い所にある。

友達とお喋りがしたいがためだ。

 

21時になったが、エクトルは帰って来なかった。

この日、私はいつになく胸騒ぎがしてソワソワしていた。

なぜソワソワしていたのか、自分でもよくわからない。

生理前というわけでもない。

夕飯を作り、エクトルが帰って来たらすぐ席について食べられるように準備万端にした。

それでも帰って来ない。

ちょうどビクトルがキッチンにやって来たので、「もう21時過ぎてるのにまだ帰って来ないよ。」と、時計を指差した。

ビクトルは、「今日は君からエクトルに言ってくれよ。僕はまだ体調が悪いんだ。小言を言う気力がないよ。」と、嫌そうに言った。

「それで、次回もまた遅く帰って来るようなら、その時は僕がビシッと言うから。」

そう言って、ビクトルはリビングルームに行ってしまった。

「君から言って。」と言われても、結局言えないのが最近の私だった。

それで後でビクトルに「ちゃんと言った?なんで言わないの?」と文句を言われる。

それも常だった。

 

ふと、エクトルがもう家の近くまで来ているか、窓の外を見ようと思って、私は寝室に向かい窓を開けた。

 

あぁ、この浅はかな行動を、時を戻せるのなら戻してやり直したい。

私が窓から見てみようなんて思いつかなければ、結果は大きく違っていたはずだ。

 

寝室の窓を開け、階下の歩道を見ると、ちょうどエクトルが家の前の信号機を横断して来たところだった。

塾の方向はそっちではない。

信号機なんか渡らなくていい方向。

そっちから来るということは、今日もやっぱり友達を家まで送って来たということだ。

ここで私の中で、プッチンと堪忍袋の緒が切れた。

「おそーい!!!」と、思わず窓からエクトルに向かって声を上げた。

我が家の階下にはレストランがあって、テラス席には2組ほど客がいた。

私の声でエクトルも見上げたが、客の何人かも見上げたのがわかった。

 

この時の私は怒りに満ちていた。

キッチンの夕飯をそのままに、書斎に行き、タバコに火を付け、エクトルが帰って来るのを待っていた。

 

エクトルは、無言で帰って来た。

無言のまま自室に入って行ったので、私はエクトルの部屋の前に行き、ドアをコンコンとノックした後、「今何時だと思ってるの?最近塾から帰って来るの遅いんじゃない?」と言った。

すると、エクトルが部屋の中から言った。

「窓から怒鳴る必要あった?」と。

それを聞いて、私はますます頭に血が上ってしまった。

「早く帰って来てたら、私も叫ぶ必要なかったんだけど?20時40分に終わって、家まで10分もかからないのに、どうして30分もかかるの?」

でも、エクトルは負けなかった。

そうだ、こいつは小さい頃からこういうヤツだった…と、なぜか無性に懐かしくなってしまった。

「いつも時間通りになんて終わったことないよ!今日も終わったのは50分ぐらいだったし!」

「じゃあ、走って帰って来れば21時前には着くよね?」

「#$&%#&%$!!黙れよ!!」と、ドアの向こうでエクトルが叫んでいた。

私はやめなかった。

もう、アドレナリン出まくり状態なのが、自分でもわかった。

「こっちはねー、アンタが帰って来るのが遅くていつも心配してるの。遊びに行く時は門限20時半だけど、これは塾だからじゃあせめて21時までには…って思うけど、それでも心配なの!」

「心配なんかしなくていい!」

「そうは言ってもアンタまだ子供でしょう?大人には子供を守る責任があるんだよ!」

「責任は自分で取る!梅子に心配してくれって頼んだことなんかない!」

「じゃあ、もし、アンタに何かあった時、どうするつもり?自分でどうにかできるの?」

「…。」

一瞬、エクトルが黙った。

よっしゃ、勝った!と思った。

が、それも束の間だった。

「いいからもうほっといてくれ!黙ってくれ!」

「夕飯できてるよ。それから、手洗ってよね。」

「夕飯はいらない。手なんか洗ってられるかクソ!!」

「さっきから、ごめんなさいという言葉が聞こえませんけどー。」

 

リビングルームで映画のDVDを見ていたビクトルが、何事か?!という顔で出てきた。

「これは一体何事?喧嘩しろなんて頼んでないよな?あぁもう、体調悪いんだからさー、お願いだからやめてくれよ。落ち着けって。なぁ?落ち着けよ。」と、ビクトルが私に懇願した。

同時に、エクトルが部屋から出てきてバスルームへ手を洗いに行った。

「この騒ぎはなんだ?お前、どうしてもうちょっと早く帰って来れないんだ?」と、今度はビクトルがエクトルをなじり始めた。

ダメだ、ダメだ、これじゃアーロンの二の舞だ。

2対1の構図になってはいけないと咄嗟に思い、「あなたは入って来なくていいから。これは私とエクトルの問題だから。」と、私はビクトルの腕を掴んだ。

「冗談じゃないよ。こっちは具合悪いのに、最悪な状況作ってるのは誰だよ?」と、ビクトルが私にもう1度文句を言った。

はい…。ごもっともです…。全部私がしでかしたことです…。

 

エクトルは、「2人とも黙れ!黙れ!」を繰り返していた。

これに対し、ビクトルが「親に向かってその言い草はないだろう?」と言うと、エクトルが「それを言うなら、わざわざ窓から外の僕に向かって怒鳴る必要もないだろうが!」と言い、それから何かもう一言二言言って、部屋に戻って行った。

最後に何と言ったのか、私は怒り心頭中で聞き取れなかった。

ドアはバチン!と閉められた。

「はっ!一言しか叫んでないんだから、アンタのママよりはまだマシだと思いますけどね!」と、私は言った。

言った瞬間に、あ、これ、いちばん言っちゃいけないヤツだった…?と思った。

 

気が付けば、私とビクトルは、エクトルの部屋の隣りの書斎に佇んでいた。

ビクトルは、入口のドアの前で、廊下の方を向いて「あぁもう…。なんてこった…。」とうなだれていた。

 

 

■本記事シリーズのタイトルは、映画「田中さんはラジオ体操をしない」(2011年公開、オーストラリア)をモジって使わせていただきました。

記事の内容と映画は、一切関係ありません。


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