誰が為に未来はある 2
前回までのお話は、コチラ。
本題に入る前に、今日は、スペインの高校への進学方法を、我が家の長男アーロンの経験で実際に私が見てきたことを、その時の思い出と共に軽く説明しようと思う。
もしかしたら、それは州や公立校・私立校によって方法が異なる場合もあるかもしれないということも、予めことわりを入れておく。
前回もお伝えした通り、スペインでは、中学課程が4年間、高校課程にあたる学校(このブログでは「高校」と呼ぶ。)が2年間だ。
また、高校に進学する際、日本のような入学試験はないので、中学4年生の時に猛烈に受験勉強に励む…なんてこともない。
※少なくとも、私たち家族が住むこの街の、公立、半私立・半公立の学校では入試はなかったが、私立はアーロンの希望ではなかったので詳細は不明。
中学4年の最終学期に、進学希望者は担任の先生から、進学希望先へ提出するための成績表(内申書的な意味合いも含む書類)を受け取っておく。
と、同時に、市?州?が発行している進学希望校を記入する用紙も受け取る。
この用紙には、第1希望から、たしか第10希望ぐらいまで進学したい学校名を記入することができ、子供たちはその用紙に各々進学希望校名を記入して、まずは第1希望の高校へ成績表やその他諸々の書類と共に提出するところから、いわゆる“入試”が始まる。
「その他諸々の書類」の1つに、私の住む街では「Familia numerosa」なるものを提出できる。
Familia numerosaとは、1家庭に3人以上子供がいる場合、市に申請すれば、特定の公共サービスで割引や特典を受けられるサービスだ。
我が家には、アーロンとエクトルの2人しか子供がいないが、一方シュエは、現夫マックスと再婚後、さらに1人子供をもうけたので、さすが金の亡者、出産後まもなくFamilia numerosaを申請した。
スペインでは離婚後子供の親権はきっちり半々になるけれど、そういった家庭でもFamilia numerosaの申請は可能である。
ただ、数年前にシュエが早速この申請をしようとした時も、当然ながらビクトルを巻き込み、すったもんだの大波乱になったのは、言うまでもない。
「いろんな割引を受けられて、あなたもきっと得するわ!」と、毎日のようにビクトルにメールをよこしていたが、わかってはいたけれども、結局その恩恵を受けられるのは、我が家ではなくシュエの家族のみだ。
さて、話を戻して、それらの書類を受け取った高校側は、子供たちの中学時代の成績や素行を吟味し、受け入れる子供を選ぶ。
書類の中には当然、子供たちの住所も記載されているし、現在、もしくは過去にこの子供の兄や姉が在学していたかなども記載するので、高校側はこれらの条件もポイント化して、よりポイントの高い子供を受け入れるのだ。
このポイントの中には、上記紹介したFamilia numerosaの有無も加算されるのだが、後にアーロンは「僕がこの高校に入学できたのは、すべてはママのFamilia numerosaのおかげ。」と宣った。
各高校の情報集め(美術科の有無)と、申請時、入学時の書類の準備をしたのは、ほぼビクトルなのに。
それから、これはたしか入学が決まってからの提出書類の準備の時だったと思うが、書類の中に健康診断書があった。
早速病院に健康診断の予約を入れる電話をしたら、アーロンの年齢が健康保険証の更新年齢になったとかなんとかで、それじゃあ更新しようとしたのだが、できなかった。
聞けば、今回の更新でなぜかアーロンはビクトルの健康保険の被扶養者から外れ、母親シュエの健康保険の被扶養者になっていた。
仕方がないので、アーロンの健康診断はシュエにお願いすることになった。
なったのはいいが、それを聞いてなぜかシュエが激怒した。
それまでシュエには、Familia numerosaの証明しか依頼しておらず、それ以外はすべてビクトルが準備したのに、「私にばかり何でもかんでも押し付けないで!!」と怒鳴られた。
ちなみに、その頃、当のアーロンはと言えば、父親ビクトルが毎日のように高校や市役所に電話をかけたり足を運んだり、書類と格闘していることを知りながら、実は我が家にはいなかった。
絶賛超絶レボリューション中で、勝手にシュエの家で生活していた。
その年、本来ならば養育権の契約上、その期間アーロンは我が家で過ごさねばならなかったのに、「反抗期だからしょうがない。アーロンをビクトルの家にいさせるのは可哀想。」とかなんとかシュエが言うから、シュエが受け入れているのなら…と、こちらもそのご厚意に甘えたのが運の尽きだった。
想像通り…と言えば想像通り、シュエの中ではあっという間にそれは「アーロンが反抗期だからしょうがない」ではなく、「ビクトルとその嫁は、アーロンが嫌いだから私にアーロンを押しつけた」に脳内変換されていた。
そんな状況の中、合格発表とでも言うのか、受け入れ決定が発表される日、ビクトルはアーロンと、ではなく私と、その発表を見に高校へ行き、アーロンではなくビクトルが、事務員さんたちに代わるがわる「おめでとうございます」と言われ、入学手続きの書類を受け取った。
ビクトルは「こんな時ですら当の本人は来なくて、ちっとも喜ばしくなんかない。」と、小声で皮肉を言っていた。
ところで、アーロンの中学時代の旧友たちも、何人か同じ高校を第1希望で申請していたが、アーロン以外は誰も、この高校に受け入れてもらえなかった。
その中の1人は、第2希望の高校でもダメ、第3希望の高校でもダメで、第4か第5希望ぐらいでようやく受け入れてくれる高校が決まったそうだ。
そうして、2019年の9月から、アーロンの高校生活が始まった。
高校生活が始まったと同時に、アーロンの超絶レボリューションが若干落ち着いた。
晴れて16歳となり、ビクトルが我が家へのスマホの持ち込みを解禁したのが、おそらくいちばんの理由だ。
いつだったか、アーロンが私にこう言ったことがある。
「僕は、他の子たちと違って、スマホなしでは生きていけないような人間ではない。」
しかし、高校が始まってからというもの、アーロンはとにかく、毎日、いつ何時も、スマホとイヤホンを肌身離さず、夕飯の時は動画を見て、お風呂に入る時は音楽をかけて、どっぷりスマホ漬けの日々だった。
ある日、私が皮肉を込めて「完全にスマホ中毒だね~。」と冗談を言ったら、「前にも言ったけど、僕はスマホなしでは生きていけない人間じゃないよ。音楽なしでは生きていけないんだ。」と、真剣に返された。
その直後、アーロンのスマホに繋がれていたイヤホンから漏れ聞こえてきた音楽が、「ムーンライト伝説」だったのには、今思い出しても爆笑してしまう…。(彼は生粋のアニヲタ。)
高校1年の2学期の頃、アーロンが「近々ママにパソコンを買ってもらおうと思う。」と言い、ビクトルに家電量販店の広告を見せた。
「ママと相談したら、初心者だから安いのにしなさいって言われたから、この中のいちばん安いものを買うつもり。」と、嬉しそうに話した。
「もちろんこれは学校用に使うためのパソコンだから、共有口座のお金を使ってもいいか、パパに聞いてってママに言われたんだけど、いいかな?」
アーロンは、続けざまにそう聞いた。
「学校用に使う」と言われてしまったら、ダメと言う訳にもいかない。
ビクトルも私も、当然イヤな予感はしたが、ビクトルは了承した。
とある日曜の夜、いつものように子供たちがシュエの家から帰って来ると、アーロンは大事そうに、新品のノートパソコンを箱ごと抱えていた。
そしてそのパソコンはどうなったかというと、まぁまぁ学校の課題や宿題の作成にはちょこちょこ使っているようだった。
…が、それ以上に、そのパソコンの使用用途はオンラインゲームをする時間の方が圧倒的であった。
エクトル経由だったか、シュエの夫マックスから直接聞いたか覚えていないが、ビクトルに「いちばん安いのを買う」と言ったのはほんの建前で、実際は、シュエははなからそこそこハイスペックの、そこそこいい値段のするパソコンを買う予定でいたのを、マックスが「子供がそんなもの必要ない!」と叱って止めたと、後に聞かされた。
さらに、つい最近も、シュエ本人から「先日アーロンが、“僕はオンラインゲーム中毒”と白状した。」と聞かされた。
超絶レボリューションは、スマホが元凶だった。
そして、現在はこのパソコンとオンラインゲームが元凶で、我が家に大嵐が停滞中なのであった。
■本記事シリーズのタイトルは、映画「誰が為に鐘は鳴る」(1943年公開、アメリカ)をモジって使わせていただきました。
本シリーズの内容と映画は、一切関係ありません。