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梅子のスペイン暇つぶし劇場

毒を吐きますので、ご気分の優れない方はご来場をご遠慮ください。

限りなく透明に近い私

平日の午後はいつも、私はほとんど夫ビクトルと会話ができなくなる。

 

子供たちが学校から帰って来ると、私は私で、子供たちの着替えの世話や夕飯の支度、洗濯やお風呂の支度なんかで忙しくなるし、ビクトルはビクトルで、子供たちの宿題を見たり、自身の仕事を片付けなくてはならなかったりする…というのもある。

 

だがしかし、それ以上の理由がある。

 

子供たちがビクトルを放さないのだ。

寝るまでずーっと「パピー!あのね…」、「パピー、あのさ~」…。

パピー、パピー、パピーである。

(注:“パピー”とは、パパ、ビクトルのこと。子犬ではない。)

 

100回中1回ぐらいは「梅子ー!」と呼ばれるが、なんてこたぁない。

「今日の晩ご飯、何?」

私への用事は、これに尽きる。

 

今、上の子アーロンは中学生になったので、1人で登下校するようになった。

しかし、下の子エクトルはまだ小学低学年なので、登下校は保護者が送り迎えしなければならない。

 

朝はいつも、ビクトルが送って行く。

でも、お迎えは、ビクトルはいつも私と一緒に行きたがる。

 

夫婦揃ってお迎えなんて、ウチだけだし、はっきり言って恥ずかしい。

アーロンがまだ小学生だった頃は、子供2人だから1人につき保護者1人ってことで…なんて、変な理屈で自分を納得させていたけど、今やエクトル1人のために夫婦が2人で毎日迎えに行くなんて、どんだけ過保護なんだよと思う。

 

家までの帰り道で、もうすでにエクトルの「パピー!パピー!」攻撃が始まる。

上手く合間を見つけて、私も会話に入ろうとするんだけど、これがなかなか難しい。

エクトルは、舌っ足らずな話し方に加え、話が長い。

私の声のトーンが低くて聞き取れないのか(これはよくビクトルにも言われる)、華麗に無視されることもしばしばで、そんな私の低音ボイスの問いかけをキャッチしてくれたビクトルが、「おい、エクトル!今梅子がお前に話しかけてるんだぞ。ちゃんと聞きなさい。」なんて叱ることも、帰り道のよくある光景だ。

 

食事の時は、子供たちがまるでビクトルを取り合うかのように、次から次へとビクトルに話しかけるので、ビクトルはいつも食べ終わるのが遅い。

それに引き替え私はというと、いつも1番に食べ終わる。

 

子供たちと一緒に外出すると、私はビクトルと並んで歩くなんてできない。

ビクトルの両サイドは、子供たちがガッチリ陣取ってしまう。

しかたないので、私が彼らの後ろを付いていく…というフォーメーションになるのだが、ビクトルはこれを嫌がる。

「家族なんだから、梅子も僕たちと並んで歩いてよ。」と言うが、歩道の幅は限られている。

前からも後ろからも人が来る狭い歩道を、どうやって横4列に並んで歩けっつーの!

 

新婚の頃は、こういうのが堪えて、結構しんどかった。

 

新参者として、突然この家族に転がり込んできたという負い目もあったし、なにしろ言葉がちんぷんかんぷんだから、今この子たちが何を話して、何をそんなに大笑いしてるのか、さっぱりわからなかったし、当然会話なんかできるはずもなく、食卓を囲んでいても、みんなで外に出かけても、常に孤独を感じていた。

 

そうは言ってもね、私は三十路超えた大人だしね、子供たちはビクトルの実子だしね、両親が離婚しちゃって、いちばん寂しいのは子供たちの方。

お父さんと一緒に過ごせるこの時間は、彼らにとって貴重な時間なんだから。

 

…と、頭ではわかっているのだが、寂しいものは寂しいし、孤独は孤独だった。

家族一緒にいる時はいつも、私はまるで透明人間だった。

 

そんな時を経て、今。

まったくの透明人間だった私も、若干色みをおびてきた。

 

言葉については、今でも聞き取れなくてわからないことはたくさんある。

でも、新婚当時に比べれば、だいぶへっちゃらになってきた。

子供たちは当初から私に遠慮なんかしなかったけど、それがかえってよかったんだとも思う。

私もそこそこ肝が据わってきて、子供たちに遠慮しなくなった。

今では、時々会話にも割って入ることができる。

「えぇ?なんて?」とか、「ごめん。今みんな何について話してんのかさっぱりわかんない。もう1回言って。」とか、平気で聞き返すようになったし、子供たちも子供たちで、「だからね、こういうことだよ、梅子。」なんて言いながら、私にも理解しやすい言葉に置き換えて説明してくれたりもする。

家族みんなで道を歩いている時は、「ちょっと~、私にも旦那様と一緒に歩かせてよ~。」なんて冗談言って、ビクトルと子供の間に割り込んでみたりもする。

 

そして、そんな小さな図々しさの積み重ねが、功を奏してきたようで、「夕飯食べ終わったら、梅子も一緒にDVD見ようよ!」などと、子供たちの方から誘ってくれるようになったり、道を歩くのも、どちらか1人が私の隣りを歩くようになって、3-1から2-2のフォーメーションに変わってきた。

ビクトルが、アーロンの宿題やテスト勉強に付きっきりになっていると、それまではリビングで1人、テレビを見るのが常だったエクトルが、最近は、いつの間にか私の傍にいる。

ベランダで洗濯ものを干していると、(手伝いはしないが、)私の背後でずーっと喋っている。

書斎に籠ってブログを書いていると、「梅子お仕事してるの?一緒にいてもいい?邪魔しないから。」と言って、私の机のすぐ隣りにあるソファに座り、静かにDSで遊んでいる。

普段のエクトルは超生意気で、私の言うことなんかまったく聞かないコンチクショーなヤツだが、こうやって、ふと気付けば私の傍に寄り添ってこられると、「あらま。私お母ちゃんみたいだわ。」と、なんだかくすぐったいような、それでいて嬉しさは否めない。

 

こうやって、子供たちから必要とされる度に、私の存在に色が付いていく。

 

今日は土曜日なので、子供たちはこの家にはいない。

でも、日曜の夜に帰って来たら、また「パピー、あのね…」、「パピー、あのさ~…」の、パピー争奪戦が始まり、私は束の間また透明になるだろう。

パパと話すのに夢中で、なかなかパジャマに着替えない彼らにイライラしつつ、そして私はまた、うっす~く色付いていく。

「コラー!喋ってばっかりいないで、手を動かせ!手を!さっさとパジャマに着替えんか~い!!」と、噴火しながら。

 

時々、透明人間。

これが、私のここでの日常だ。

 

 

■本記事のタイトルは、映画「限りなく透明に近いブルー」(1979年公開、日本)をモジって使わせていただきました。
記事の内容と映画は、一切関係ありません。