君がそこそこ幸せでやっていてくれると有難い
先週の、ある日の夕方、子供たちが学校から帰って来ると、長男アーロンは「ただいま~♪ただいま~♪」と、鼻歌を歌いながらトイレに直行。
次男エクトルは、自分の部屋に直行…はせず、バックパックも下ろさずに、「タダイマー!」と日本語で言いながら、真っ先に私のいる書斎に入って来た。
今年度から、エクトルのお迎えは、中学2年生になった長男アーロンに任せている。
アーロンはちゃんと安全に弟を連れて帰って来れるのか、エクトルはちゃんとお兄ちゃんの言うことを聞けるのか、始めの頃はビクトルも私も心配でたまらなかったが、子供というのは、逆に大人の目がない時にこそ、意外にもしっかりするようで、今の所、兄弟上手くやっているようだ。
私が「おかえりー!」と振り向くと、エクトルのコートのファスナーが全開なのが目に入った。
「コラ!まーたコート全開で帰って来た!まだ寒いんだから閉めて帰って来なさいってパパも言ってたでしょうにー!」
ほれほれとエクトルを子供部屋へ追い立てながら、早速私の小言が始まる。
エクトルは、「聞いて。」と私の小言を制止すると、やれ学校の中は暑いだの、急いで帰りの支度をしなければならないだの、アーロンが待ってくれないから早足で歩かねばならないだのと、ありとあらゆる“言い訳”を、こんこんと説明してくれた。
「あーっそ。それは大変だ。じゃあさ、その説明、パパにもしてくれる?パパの意見も聞こうじゃない。」
“パパ”と聞いて、エクトルは一瞬ひるんだが、開き直ったのか、はたまたパパに怒られる覚悟でも決めたのか、「いいよ!」と言ってのけた。
「いくら学校の中が暑くったって、すぐ外に出るんだから、外に出る順番待ってる間にチャチャッと閉められるでしょう?チャチャッと。通りに出た時だって、チャック閉められないぐらいそんなに歩くのが忙しい?」
私からの度重なる攻撃を受けても、エクトルはまだへこたれない。
「梅子だってその服、前全開じゃん!梅子が閉めないのに、なんで僕ばっかり閉めなきゃならないのさ!」
家の中が寒くて羽織っていた、厚手のニットのカーディガンを指さし、エクトルの反撃が始まった。
ぐぬぬぬ…、おぬし、なかなか鋭い所を突いてきよった。
そろそろ本気モード出さないとダメだな…。
「ここは家の中だからいいんです!アンタは家族の中でいちばん風邪を引きやすいんだから、外に出たらコートのチャックは閉める!少しは自分でも気を付けて風邪予防しなさいな!後で喉が痛くなったり、頭が痛くなっても、言うこと聞いてくれない人は知りません!」
とどめを刺されたエクトルは、それ以上私に言い返す言葉が見つからず、でも言い返せないのが悔しくて、それこそ、ぐぬぬぬ…状態に陥った。
そこにトイレを済ませたアーロンが、「はぁ~、スッキリした~。」と陽気に入って来たもんだから、エクトルはそれが癇に障ったようで、「アーロン黙れ!」と、アーロンに八つ当たりした。
とばっちりを喰らったアーロン、すまん!と思いつつ、私は再び書斎に消えた。
子供たちが着替えをしていると、ビクトルが昼寝を終えて寝室から出てきた。
そして子供部屋へ向かい、「おかえりー、セニョーレス!」と、彼らに声を掛けた。
私は引き続き、書斎で沈黙を貫いていた。
果たしてエクトルが、ついさっきまで私とやり合っていたコートの件について、自らビクトルに話すかどうか、乞うご期待!だ。
子供たちは、ビクトルの登場に、まるで親鳥を見つけた雛のように、「ただいま!」と、一斉に声を上げた。
そして早速、エクトルが「パパ!あのね、話があるんだ!」と切り出した。
お!珍しく自分から白状するか?!と、期待が高まる。
はたまた私とやり合ったことをチクるんじゃないだろうなぁ…と、一抹の疑心も抱く。
ところが、エクトルが続けた言葉は、コートの“コ”の字も出てこない、まったく別の話題だった。
書斎で1人、沈黙の中ガッカリする私。
しかし、エクトルの口から思いもよらぬ言葉が出てきたのを聞いて、ガッカリしていたのも束の間、私の耳はすぐさまダンボのように大きくなるのであった。
エクトルの話は、こうだった。
先々週の週末、アーロンとエクトル、そして前妻シュエの家族は、夫マックスの実家のある村へは行かず、市内にあるシュエの家で、マックスを除くシュエと異父弟のフアンと4人で過ごしたそうだ。
最近彼らは、ほとんど村へ行かない。
なんでも、ある日、シュエが「マックスの実家に行くとなると、家族みんなの着替えだとか、毎回大荷物を準備しなくちゃいけないのに疲れたから、今後は隔週で、マックスの実家と私の家で過ごすことにするわ!」と、突然宣言したらしい。
「じゃあ中国語レッスンはどうするんだ?あんなにお前たちのママが熱心に通わせてたのに。」と、ビクトルが聞くと、どうも、その辺はシュエも子供たちにうやむやに話しているようで、とにかく「荷造りが大変なの!」の一点張りなのだそうだ。
ちなみに、中国語レッスンは、昨年の11月頃からほとんど行っておらず、12月、1月は1度も行っていない。
週末の間、マックスはどこにいたのかというと、母親が入院→手術をすることになり、世話をしなければならないのと、ちょうど実家方面で自身の仕事も立て込んでいたために、数日前から実家に滞在中だったそうだ。
母親の病状は、膝だか腰だかの簡単な手術のようで、さほど深刻ではないらしいが、手術後はとにかくしばらく歩行が困難になるので、誰かの助けが必要なのだそうだ。
そんな、夫不在の状況で、母子4人の週末を過ごしていると、シュエが唐突に「ママとマックス、離婚した方がいいと思う?意見を聞かせて。」と、アーロンとエクトルに聞いたらしい。
エクトルは、「そんなのママとマックスの問題だから、“知らない”って答えたんだ。」と、ビクトルに言った。
アーロンは、エクトルが突然ビクトルにそんな話を始めたことに嫌気を刺していたようだったが、ビクトルに「お前は何て答えたんだ?」と聞かれ、「おんなじ。“知らない”って言った。」と、ぶっきらぼうに答えた。
「それからね…」と、エクトルは続けた。
「今、ママの会社が上手くいってなくて、何ヵ月か前からお給料が減ってるんだって。1000€ぐらい減ったんだってさ。」
「違うよ!2000€減ったって言ってたんだよ!」
すかさずアーロンが訂正する。
1000€は、今のレートで日本円に換算すると、約12万円。
2000€だと24万にもなる。
「2000はさすがにないだろう!」と、ビクトルが怪訝そうにコメントすると、「あ、そうか。」とアーロンはとぼけた声で呟いた。
その後アーロンとエクトルの間で「違うよ!1500€だよ!」だの何だのと、少々のいざこざがあり、「わかったわかった。とにかく1000€~1500€ぐらい、お給料が下がったってことだな?」と、ビクトルが制した。
飽くまでも子供たちの話なので、100%確実な情報ではない。
それでも私とビクトルは、子供たちからのこの確実でない情報を元に、後日、カフェで緊急ミーティングを開き、シュエとマックスが本当に離婚するのかしないのか、その確率について頭を悩ませるのである。
おそらく、今回のシュエの離婚云々…騒動は、前回の激しい口論(※詳しくは、前記事「母ちゃんのシャウトが聞こえる」をご覧ください。)が、大元のきっかけだろう。
一旦収束はしたものの、まだ火種は燻っているのだと思う。
そこに飛び出した、マックスの母親の入院と手術の件。
シュエがまだビクトルと夫婦だった遠い昔、ビクトルのお姉さんが自宅で亡くなっているのを発見した時(※詳しくは過去記事「エステバン ベネチアへ行く」をご覧ください。)、ビクトルはすぐさまお姉さんの家に駆け付けたのだが、シュエは「気持ち悪い!死体なんて見たくもない!」と、一緒に行くのを拒み、「身内の死だぞ!」とビクトルが怒って初めて、渋々付いて行ったという。
警察や救急隊が来て、ママ(=義母)は泣いて取り乱し、部屋の中は騒然としていたのだが、その時シュエはどこで何をしていたのかというと、泣きもせず、取り乱しもせず、ママやビクトルを気遣うでもなく、隣りの部屋で優雅にソファーに座り、「仕事のメールしなきゃだから。」と、携帯をいじっていたそうだ。
そんなシュエだ。
たかだか義母の入院と手術なんぞで、ビクともするわけがない。
「私、仕事があるし、子供の世話もしなきゃだから、お義母さんの看病はできないし、村になんか行けないわ。」とでも言っただろう。
おそらくこの件でも、マックスと一悶着あったであろうことは、想像に難くない。
彼女のお給料については、子供たちが言っていることが本当なのだとしたら、「ご愁傷さま。」としか言いようがないが、このご時世だ。
今まで破格の給料を貰えていたことに感謝するしかないだろう。
時々ビクトルとこの話をするのだが、シュエにとって、ビクトルを失い、マックスと再婚したことは、おそらく彼女の人生最大の失敗だったと思う。
ビクトルとの結婚時代は、ママがまだ現役だったので、一族の稼業はママが取り締まっていた。
それをシュエは良く思っておらず、「お義母さんを早く引退させて、稼業を引き継げ!」と、ちょくちょくビクトルに迫っていた。
当時ビクトルは、小さな仕事を転々と渡り歩いていたのだが、シュエはそれも良く思っていなかった。
この時はビクトルが家計を管理していたのだけれど、それでも家族4人、贅沢しなければごくごく普通の生活を送ることに何の問題もなかった。
毎年夏になると、家族で中国へ里帰りして、2ヵ月以上も滞在できた。
夏だけでなく、1年に2回も家族で里帰りすることもあった。
エクトルが生まれると同時に、シュエは働くことに目覚め、自身で稼ぐようにもなったが、それでも、彼女のクレイジーなまでの、洋服やら靴やらバッグやらの買い物は、すべてビクトルのクレジットカードで賄っていた。
だが、マックスと再婚した今は、状況が180度違う。
家族の稼ぎ頭はシュエであり、家計を管理しなければならないのもシュエだ。
マックスの稼ぎは安定しておらず、マイナスの時もあって材料費やアシスタントの給料を払えず、シュエにお金を借りることもあるらしい。
それだけに限らず、マックスは少々手癖も悪いようで、「マックスがね、ママの銀行のカードで勝手にお金を引き落として、カジノで遊んでたんだよ。ママがすごく怒ってた。」と、子供たちが笑いながら教えてくれたこともある。
ビクトルとの離婚当初、シュエは子供たちに会うと、いつもどこかしらに連れて行っては、誕生日でもクリスマスでもないのに、最新のゲームソフトやら、新しい服やらを子供たちに買い与えていた。
ビクトルが子供たちを映画館に連れて行きたくても、「それ、もう観に行ってきた。ママと。」と、よく言われたものだ。
ある時は、シュエが出会い系サイトで知り合ったオランダ人に会うために、シュエが子供たちを連れてドイツとオランダを旅行したこともある。
しかし再婚後は、シュエはアーロンとエクトルを海外旅行どころか、1度も中国の祖父母に会いに行かせていない。
マックスがシュエと共に中国へ行ったのも、おそらく、再婚した最初の年だけだし、その時アーロンとエクトルは私たちに託され、留守番だった。
異父弟フアンは、たしか2度ほどシュエが中国へ連れて行っている。
しかし、それはいつもシュエの中国出張の時だけだし、アーロンやエクトルの話によれば、マックスやフアンの飛行機代は、彼女が海外出張で貯めたマイルで賄っているとのことだ。
最近は、映画館も滅多に連れて行かなくなった。
ビクトルが子供たちを映画に誘うと、大抵のものは見ていないので連れて行けるようになったが、そうでない時は「それ、もうパソコンで見ちゃった。マックスが違法ダウンロードしてくれたから。」と言われるようになった。
マックスは、ビクトルとは異なり、アウトドアで、車でどこへでも行く。
子供たちに分け隔てなく愛情を注ぎ、楽しませるのが上手い。
でも、それだけだ。
シュエにとって最も重要な、“お金”は運んでこない。
「だからきっと、彼女は今、僕と離婚したことをものすごく後悔してると思うよ。飽くまでもお金の面だけでね。そんなこと、絶対白状しないだろうけど。」と、ビクトルは言う。
若い頃は、遊び方をよく知っていてちょっと悪ぶった男性を好きになってしまう…なんてことがあるけれど、マックスとシュエの出会いは、まさにそうだったのではないかと、思わずにはいられない。
ビクトルは、家で大人しく自分の趣味に没頭するような人だから、すっかり退屈してしまった若き日のシュエが、ビクトルとは正反対のワイルドなマックスに惹かれたとしても、不思議ではない。
子供たちのことも可愛がってくれるし、子連れの不倫には打ってつけの相手だっただろう。
しかし、そういう男性と恋愛するのと結婚するのとでは、状況は大きく変わるだろうし、リスクを伴う場合だってある。
シュエがそこまで考えて覚悟の上で再婚を決意したのかどうかはわからない。
たぶんそんなことは考えていなかっただろう、あの当時は。
シュエだけが「離婚したい…」と言っている分には、まだそこそこ安心できる。
なぜならそれは、彼女の一時的な気分の問題で、真剣に離婚するとは思えないからだ。
だけど、もしマックスも離婚を考えている、もしくは「離婚したい」と言い始めているとしたら、それは決して冗談ではないだろう。
そして、それは我が家でも、別な意味で大問題になってくる。
なぜか。
2人が離婚してしまったら、シュエの怒りや不満のはけ口は、子供たちのネタを言い訳に、再びビクトルへと向かうからだ。
「そんなこと、言いきれるの?」と、読者の皆様は思うだろうが、悲しいかな、言いきれる。
「離婚したから…」、「マックスの方の息子(フアン)を〇〇しなければならないから…」などと、いちいち自身の不幸やら苦労やらを言い訳にして、養育権の契約書なんか完全に無視!
アーロンとエクトルを私たち夫婦に押し付けてくるのは、目に見えている。
それだけは何としても避けたい。
これでもやっと、私たちは平穏を手に入れたのに、それを再びシュエによって邪魔をされ、壊されるのだけは、絶対に阻止したい。
だからそのためにも、シュエにはそこそこ幸せでいてもらいたいのだ。
「私の夫は、あなたと違って子供たちをとっても可愛がるから…」だとか、「私の夫は車が運転できるから…」だとか、いちいちマックスとビクトルを比べられるのには、反吐が出るほどウンザリしていたが、離婚されるぐらいなら、そんなイヤミを聞いている方がまだマシだ。
とにかく、1日も早く、彼らが和解してくれることを祈るばかり。
これ以上、バカバカしいトラブルに巻き込まれ、悩みを作りたくはない。
ところで、前述の、エクトルのコート全開の件。
翌日から、エクトルはコートのファスナーをキッチリ上まで閉めて帰って来るようになった。
「お!エライ!ちゃんと閉めてるじゃん!」と、エクトルの顔を両手で包み込んでエライエライをしてやると、彼は照れながらこう言った。
「うん…。だって、昨日から少し喉が痛くなったのと、鼻水が出るようになったから…。」
マジかーーーー。
「ほらね、梅子の言うことはいつも当たりでしょ?」と、エクトルにドヤ顔しつつ、コヤツの風邪対策どうするべかと、別の頭を悩ます私であった。
■本記事のタイトルは、映画「君が元気でやっていてくれると嬉しい」(1995年公開、日本)をモジって使わせていただきました。
記事の内容と映画は、一切関係ありません。