梅子のスペイン暇つぶし劇場

毒を吐きますので、ご気分の優れない方はご来場をご遠慮ください。

母ちゃんのシャウトが聞こえる

先週の土曜日、私とビクトルは、ママ(=義母)のために食料を買い出しに行き、ママの家を訪問した。

思ったより長居してしまい、急いで我が家に戻った私たちは、遅い昼ご飯の準備に取り掛かっていた。

もう2時間もすれば、友人がやって来て、一緒に映画を観に行く予定だったためだ。

 

「ちゃっちゃと作っちゃうね!」と、私が腕まくりしていると、ビクトルの携帯が鳴った。

「あれ?ママかな?友達かな?」

そんなことを思いながら、ビクトルが話すのに若干聞き耳を立てて、私は手を洗い、料理に取り掛かった。

 

「落ち着け、アーロン。」

 

ふいに、廊下で話しているビクトルの声が聞こえた。

え?アーロン???

思わず料理の手を止めて、ビクトルの傍へ行ってみる。

電話の相手は、前妻シュエの家族と過ごしているはずの、アーロンだった。

(我が家の子供たち、アーロンとエクトルは、毎週末をシュエの家族と過ごしている。)

 

週末の間、ごくごく稀に、エクトルが電話をかけてくることは、今までにもあった。

でも、アーロンからの電話は、今回が初めてだ。

しかも、「落ち着け」ってどういうこと?

ビクトルは電話口で、まだアーロンをなだめている。

「お前は今どこにいるんだ?エクトルは?お前と一緒か?それともママたちと一緒にいるのか?」とも聞いている。

 

まーたシュエ夫婦が喧嘩してるのだろうか。

ビクトルの電話が気になったけれど、早くお昼ご飯を作らないと、間もなく友人が来てしまう。

後ろ髪を引かれる思いで、私は一旦キッチンに戻った。

ほどなくして、「それじゃパパは電話を切るからな。心配するな。何か手を考えるから。お前はとにかくエクトルを連れて来て、自分の部屋にいなさい。」と言いながら、ビクトルは電話を終えて、キッチンに入って来た。

そして、「はぁ~、やれやれ…。」と、思いっ切りの溜め息をついた。

 

詳細はこうだ。

ビクトルの携帯が鳴り、着信番号を見ると、見慣れない番号からだった。

怪しみながらも電話に出ると、「パパ?」と声がした。

声の主は、アーロンだった。

「アーロンか?やぁ、どうした?」とビクトルが聞くと、アーロンは半泣きの震える声で、こう言った。

「後ろの声、聞こえる?」と。

 

しばしアーロンが沈黙し、ビクトルはアーロンが突然何を言ってるのか理解できないまま、耳を澄ませた。

すると、すぐさまけたたましいシュエの怒鳴り声が聞こえてきた。

アーロンの話によると、もう何十分も前から、シュエと彼女の現夫マックスが、怒鳴り合いの言い争いをしていて、収まる気配がないらしい。

一旦は止めに入ろうとしたそうなのだが、近年稀に見るシュエの狂乱っぷりを見て、アーロンはすっかり怖気づいてしまい、止めるのを諦めた。

一向に収まらない怒鳴り合いに、どうしていいかわからず、自分の部屋にコッソリ宅電の子機を持ってきて、ビクトルに助けを求めて電話をかけてきたというわけだ。

ビクトルは、シュエの自宅の電話番号を知らなかったので、見慣れない番号だったのだ。

アーロンから事の次第を聞いている間も、まるでアーロンのすぐ背後で怒鳴り合っているかのような、シュエのヒステリックな叫び声が、ぎゃんぎゃん聞こえてくる。

アーロンの話では、マックスも負けじと怒鳴っているそうなのだが、ビクトルにはシュエのクレイジーな叫び声だけが聞こえ、マックスの声はまったく聞こえなかったそうだ。

 

彼らはリビングで口論しており、その同じリビングで、エクトルと異父弟のフアンがテレビを見ていると、アーロンは言った。

幼子たちの前で、ど派手に大喧嘩を繰り広げているシュエとマックスにも面食らったが、その横で、弟と共に優雅にテレビを見ているエクトルにも、これまた面食らってしまった。

「あのバカたれ…」と、私が額にぴしゃっと手を当てると、「あいつはそういうヤツだ。」と、ビクトルが言った。

 

ビクトルはアーロンに、「悪いけど、パパはどうすることもできないよ。お前のママとマックスの問題にパパが首を突っ込むことはできない。そうだろう?彼らの喧嘩を止められる方法を何か考えてはみるけれど、あんまり期待はするな。もし喧嘩が長引くようだったり、万が一何かあったら、また電話してこい。わかったな。」と伝えた。

アーロンは震える声で「うん。」と小さく返事をしたそうだ。

 

とにかく、状況はわかった。

さて、どうしようか。

私たちができることは何だろう。

子供たちのために、一刻も早く、あのバカな大人たちのクレイジーな怒鳴り合いをやめさせなければならない。

そうかと言って、下手に出しゃばって、シュエの怒りの矛先が私たちへと方向転換されるのも御免だ。

事は慎重に、そして急を要した。

 

一方で、シュエとマックスのアホさにもゲンナリした。

よりによってアーロンやエクトルがいる週末、よりによって子供たちの目の前で、なんで喧嘩するかねぇ。

なんで大人しくやってられないんだろうか。

 

「いちばん手っ取り早い方法は…、」

私が先に口を開いた。

「警察に電話したらいいんじゃない?“元嫁の家で、元嫁がヒステリーになっていて、私の息子たちが怯えている”って言えば、お巡りさんが止めに行ってくれるでしょ。」

言い終わるや否や、ビクトルが「警察はダメだ!」と言った。

「僕が警察に電話をしたことをシュエが知れば、速攻でシュエから僕らに攻撃が来る。同時に、“なぜ喧嘩してるのを知ってる?”となって、アーロンにも怒りの矛先が向く。それにとにかく、警察なんて行っちゃったら、子供たちがいちばん怯えるよ。事をドラマチックにしちゃいけないよ。」

あぁ、なるほど。

それじゃ警察はダメだ。

 

「じゃあさ、マックスの携帯に電話すれば?」

すぐさま考えを改め、私はビクトルにそう提案した。

「でも何て?目の前にシュエがいるんだよ?僕が“アーロンから聞いたんだけど、喧嘩をやめて。”なんて言って、シュエがそれを知ったら、それこそますます半狂乱になるよ?」

ビクトルがイライラしながら説明する。

おかげで、マックスがビクトルと電話をしている背後で、ビクトルに向かって罵声を浴びせるシュエの姿が、瑞々しく想像できてしまった…。

「違う違う!本当のことは言わなくていいの!誰かに電話するつもりが、間違えてマックスにかけちゃったっていう体で、“あ、マックス?あれ?ゴメンゴメン、友達に電話したつもりだったんだけど、間違えて君にかけちゃったみたいだ。”って言うの。これどう?」

私がそう言うと、ビクトルは「え~、そんな嘘臭いことできないよ~。シュエがスペインにいる時は、今まで一度も電話したことないのに、よりによって喧嘩中にタイミング良く間違い電話なんて、怪しまれるだけじゃないか。」と、顔をしかめた。

 

それにしても時間がない。

結局ビクトルは、マックスの携帯にショートメッセージを送ることにした。

 

「シュエには伝えないで。君たちが喧嘩をしていると、今アーロンから電話があったんだ。アーロンがだいぶ怯えているようだから、喧嘩をやめてくれないか。」

ビクトルが、打ち込んだ文章を、私に読んで聞かせてくれた。

でもそこで私は、また1つ疑問が湧いた。

「ねぇ、でもさー、今回の2人の喧嘩って、アーロンが電話してくるぐらいだもん、相当なもんなんでしょう?ということはさー、シュエだけじゃなくマックスも今、相当怒ってるわけだよね?今あなたがこのメッセージを送って、マックスの怒りがアーロンに向かないかなぁ。“アイツ何父親にチクってんだよ!”って、アーロンが怒られたらかわいそうじゃない?」

危うく送信ボタンを押しかけていたビクトルは、はたと手を止めて、「それもそうだな。」と天井を見上げた。

「だからさー、やっぱり間違い電話の振りして、マックスに直接電話かけちゃった方がいいと思うよ。」私がそう言うと、ビクトルはほんの少し考えて、「そうだな。それしか方法はないか。」と言った。

 

想像してほしい。

もし、今シュエとマックスが言い争いの真っ最中だとして、そこにふとマックスの携帯が鳴る。

相手を見ると、ビクトルだ。

おそらくマックスは、シュエに着信を見せて、「シッ!黙れ!お前の元旦那からだ!」とでも言うだろう。

シュエもマックスも、ビクトルにはこんな醜態を知られたくないはずだから、おそらくシュエも一旦は大人しくなるはずだし、しかも滅多に電話してこないビクトルから電話だなんて、どうしたんだろう?という雰囲気にもなるはずだ。

とにかくこれで、彼らのバカバカしい口論は、少なくとも一時停戦ぐらいにはなるだろう。

シュエはともかく、マックスならば、このいかにもわざとらしい私たちからの“間違い電話”に、何かを察してくれるかもしれない。

そんな希望も少しあった。

それに、ビクトルから「かける相手を間違えました。」と言われれば、アーロンが2人に内緒で電話をかけてきたことも知る由がないし、いずれアーロンが自白したとしても、シュエはビクトルを責めることはできない。

なぜなら、ビクトルは「アーロンから電話がきた。」なんて一言も言っていないし、この電話は、あくまでも“間違い電話”なのだから。

 

私がリビングのテーブルに皿を並べている時、ビクトルは「かけるよ。」と言って一息つくと、いよいよマックスに電話をかけた。

マックスは、思いのほかすぐに電話に出た。

電話に出るなり、咳き込みながらこう言った。

「ゴホン、ゴホン、やぁビクトル。申し訳ありません、喉の調子が悪くて。ゴホン、ゴホン。どうしたんですか?」

それを聞いて、ビクトルは思わず吹き出しそうになったらしい。

電話の後、ビクトルが私にそう教えてくれた時、私は思いっ切り吹いた。

今の今まであのシュエと格闘していたのなら、そりゃぁ、喉も潰れるわ。

 

電話では、計画通り、ビクトルは「あれ?マックス?いやぁ、ゴメンゴメン!友達に電話をかけようとしてたんだけど、どうやら間違えて君にかけてしまったみたいだ。」と、スットボケもいいところの、迫真の演技を見せた。笑。

マックスは、「あぁ、そうだったんですか。」と言い、「ところで久しぶりです。元気ですか?」と、ビクトルに聞いた。

マックスの声は、いつもと違い、少しバツが悪そうな、何か隠し事でもしているかのような動揺が感じ取れた。

ビクトルは「あぁそうだね。久しぶりだね。僕は元気だよ。」と言い、「友達にかけたと思ってたんだけどねぇ。邪魔しちゃって本当に申し訳ない。」などと続け、そそくさと電話を切った。

「“そちらは元気ですか?”って聞けばよかったのにー。」と、電話の後で、私は茶々を入れた。

もしビクトルが「そちらは元気かい?」と聞いたら、マックスは一体どんな返事を返しただろう。

 

この“間違い電話・大作戦”を仕掛けた後、アーロンから再び電話がかかってくることはなかった。

そして、おかげさまで、この後の週末、私たちの間ではこの一件が専らの話題となった。

 

翌、日曜の夜。

子供たちはマックスの車に乗って、我が家へ帰って来た。

送って来たのはマックスだけのようだった。

(ところで最近、シュエはまったく同乗していないようだ。子供たち曰く、毎週日曜は、シュエは家の掃除で忙しく、いつもすぐに異父弟フアンと留守番を買って出るらしい。)

ビクトルは、早速子供たちに、土曜日何が起きたのかを聞いた。

 

今回の2人喧嘩の原因は、エクトルが長時間テレビを占領して、プレステ三昧だったことがきっかけだった。

子供たちの話によれば、土曜の午後、エクトルは1人、リビングのテレビでプレステに興じ、その傍で異父弟フアンがひとり遊びをし、アーロンは自室でくつろいでいた。

シュエは寝室で寝ていた。(←これを聞いただけで、早速呆れる私。)

子供たちは好き放題、母親は昼寝、殊エクトルはもう何時間もテレビを占領している。

そんな状況にイラついたマックスは、なぜか家を出て、外からシュエの携帯にショートメッセージを送る。

「お前の息子が何時間もテレビを占領していて、俺は何もできない。お前の息子をなんとかしろ!」と。

ショートメッセージの着信で起きたシュエが、リビングに向かい、エクトルに小言を言う。

しかし、そこにはマックスの姿がない。

そこで、シュエがマックスに電話をすると、「外にいる。」と、ちんぷんかんぷんな回答。

なぜかそれに怒りの火が付いたシュエは、マックスに帰って来るよう言い、帰って来るなり口論が始まった。

エクトルは、引き続き異父弟フアンと共にリビングに居座り、アーロンがビクトルに電話をかけていたことは、知らないようだった。

ビクトルは、アーロンだけをキッチンに呼び、あの私たちの“間違い電話・大作戦”のことを話した。

(このことは、エクトルには内緒にすることにした。アイツの口は史上最強に軽いので、シュエやマックスに漏れないようにするためだ。)

アーロンは、ビクトルがマックスに電話をかけたことを知っていた。

アーロン曰く、ビクトルが電話をかけた時、実はもうすでに2人の喧嘩は収まっていて、冷戦状態にもつれこんでいたらしい。

マックスがビクトルと電話で話していた時、シュエはもうその部屋にはおらず、アーロンとマックスだけだった。

そして、このビクトルからの電話の後、アーロンは勇気を振り絞って、マックスに「喧嘩を終わらせてくれ。」と頼んだそうだ。

マックスは、「わかった。お前のママを許してやるよ。」と、言ってくれたのだそうだ。

 

その後ビクトルは、「もしまた、ママとマックスが喧嘩を始めたら、お前やエクトルは、ママたちのバカげた言い争いに苦しむ必要はない。今回みたいに、パパに電話をかけられるチャンスがあったら、いつでも電話をかけてきていい。でも、そういうチャンスがない時は、エクトルを連れて外に出て、公園にでも行って、しばらく家に入るな。」と、アーロンに言い聞かせた。

 

それからビクトルは、エクトルを呼んで叱った。

今回の、シュエとマックスの原因は、エクトルだったからだ。

我が家では、子供たちのゲームの時間、テレビの時間、パソコンを使える時間は、結構厳しくコントロールしている。

だが、母親シュエの家では、平日の間に培わせたものがすべてパーになる。

中でも問題なのは、何を隠そうシュエだ。

マックスは、子供たちに対する考え方や躾け方が、比較的私たちと似ているので、子供たちが止め処なくゲームやテレビに興じていると、厳しく叱る。

「本を読め!勉強しろ!」と、口酸っぱく言う。

だが、それをシュエが叱るのだ。

マックスに「私の子供たちを叱るな!好きなことをさせろ!」と。

それでいて、成績どん底のアーロンに対しては、「アンタは絶対に、大学に進学しなさい!」なーんて言ってるのだから、もう、彼女の思考回路は、私たちには到底解読できない。

そんなシュエは置いといて、ビクトルは「マックスが言うことと、パパがお前に良く言うことは、だいたいいつも同じだろう?だからマックスが嫌だと思うことはするな!わかったな。」と、エクトルを諭した。

 

さて、そうして1週間が過ぎ、週末が来た。

子供たちは、シュエの家族と共に過ごしている。

アーロンからの「助けて!」電話は、今のところない。

 

 

■本記事のタイトルは、映画「父ちゃんのポーが聞える」(1971年公開、日本)をモジって使わせていただきました。
記事の内容と映画は、一切関係ありません。