梅子のスペイン暇つぶし劇場

毒を吐きますので、ご気分の優れない方はご来場をご遠慮ください。

私の街は戦場のようだ

今月に入った途端から、それはすでに始まったのだが、今週に入ってから、私が住むこの街では、本格的にお祭りムードになってきた。

今週末の聖人の日がクライマックスなのだけど、この祭りが終われば、春分がやって来て、スペインにも春が来る。

 

この祭りについては、いかに盛大でいかに華やかで…なーんて情報のブログやら旅行サイトは、ググればごまんと出てくるので、当ブログでは特に明記しない。

むしろ当ブログらしく、華やかなこの祭りの裏の部分を、サックリとえぐっていこうと思う。

 

「今月に入った途端から…」と、上記にお伝えしたが、それはもう本当に、きっちり3月1日から、通りの至る所で、子供たちが放る爆竹が鳴り出し、市庁舎前では毎日昼間に、盛大な爆竹ショーが始まった。

 

子供たちが遊ぶ爆竹には、いろいろ種類がある。

火を付けて放り投げると、パーン!と鳴るごくごく普通の物から、連発の物、火を付けなくても、ただ地面に落とすだけでも、薄紙に包まれた火薬がパンッ!と可愛い音で破裂するだけのような物。

この可愛いヤツは、よちよち歩きの幼児が放ってもパンッ!と鳴るので、よちよち組は一般的にこの爆竹…爆竹と言うのだろうか…で、パパやママと一緒に遊ぶ。

 

その他にも、火花を散らしてシュルシュルーッと地面を這う、ねずみ花火のような物やら、ロケット花火やら、普通の爆竹より爆音がとんでもないヤツやら、種類は豊富だ。

この時期、車道や歩道の至る所に、爆竹のカスが散乱している。

 

この街の伝統的な祭りなので、街は“爆竹を鳴らすのはむしろ大歓迎!”的な雰囲気で、「やぁかましい!!!」と怒鳴っている人など見たことないが、それでも不意打ちの爆音には、未だに心臓が口から飛び出そうになる。

外を歩いている時、バルでお茶してる時、不意打ちの爆竹は突然やって来るし、家の中にいても油断はできない。

下の通りやらで、何者かが投下して行った爆竹のとてつもない爆音に「おぉっ!!」と飛び上がることもあるからだ。

 

佳境に入って来た今週になってからは、朝から晩まで…もなにも、夜通し、あちこちで爆竹が鳴る。

私が住んでいる所は市街地なので、一般的に人家はマンションなのだが、そういった高層の建物が多いからなのかもしれない、遠い所で鳴った爆竹でも、パァーン!とけたたましく鳴り響く。

パァーン!パンパーン!たまにドゴォーン!!と鳴り響く爆竹は、まるで戦場にでもいるようだ。

めでたい祭りに“戦場”って言葉も不謹慎だが、不謹慎ついでに、こうも四六時中パンパン鳴ってると、どこかで誰かが拳銃を撃ったり、爆弾を投下したとしても、誰も気が付かないだろうな…とさえ、ふと思ってしまうぐらいだ。

 

さらに、今週は、毎日昼間の市庁舎前の爆竹ショーに加え、夜中の1時に市内で花火も打ち上げられる。

繰り返すが、夜中の1時に始まる花火大会である。

それも毎晩だ。

昨夜なんて、夜に少し雨が降ったからか何なのかわからないけど、花火大会は夜中の2時から始まった。

その爆音もまた、我が家までしっかり届く。

 

今週はどの学校も休みだし、社会人も職場によっては半ドンだったり、休暇だったりするので、花火大会には、子連れも含め、多くの人が見物に行く。

私も実は、先日、夫ビクトルとその友人達と共に、花火を見に行ったのだが、見物場所になっているいくつかの橋は、この時間帯だけ車の往来は遮断され、車道は人で溢れかえっていた。

 

朝方まで続くのは、何も爆竹の音だけではない。

それは、屋外に設置された特設ステージでの、これまた大音量の音楽だ。

一般住民にとって、実はこっちの方が爆竹よりもタチが悪い。

我が家の近所では、朝方の4時頃まで、センスの悪いユーロビートや、それたしか去年も流してたよね?というような、国内で人気の曲が延々と流れる。

 

夜はユーロビートだが、昼間は昼間で、異なる音楽が流れる。

というのは、音楽隊付きのパレードだ。

たくさんのグループが、朝から晩まで、断続的に街を練り歩く。

私たち夫婦の寝室とリビングは、大通りに面しているので、朝はパレードの音楽で叩き起こされ、昼は、リビングで昼食を食べながら見ているテレビの音がかき消される。

夜は夜で、ユーロビートでノリノリの眠れない夜が続く。

 

この祭りでは、住んでいる通りというか、ブロックごとに、“祭り実行委員会”のようなグループがあって、市内含め、祭りに参加している地域に約300以上のグループがある。

これらのグループは、彼らのメインストリート沿いにある建物のテナント部分を“寄合所”として所有しており、祭りのない時期でも、定期的に集会を開いている。

祭りの時期になると、この“寄合所”前の道路を封鎖して車の往来を遮断し、彼らの特設テントと、特設ステージを設置。

昼間は路上で大きなパエリヤ鍋でパエリヤを作ってランチパーティをし、夜は大音量で音楽を鳴らし、ライトをビカビカつけて屋外ディスコと化す。

音楽隊付きのパレードも彼らがやっているので、この時期彼らは一体、いつ寝るんだろうと不思議に思う。

 

街の中心地では、そもそも中心地に住んでいるのはお金持ち→よってグループも資金が潤沢、プラス、観光客もたくさん集まるので、何もかもスケールが違う。

会場までは露店がひしめき、特設ステージではDJが粋な音楽をかけ、たくさんの若者たちがお酒片手にもみくちゃに踊りまくっている。

 

しかし、それだけ人が集まる分、路上はゴミだらけだ。

簡易トイレがいくつか設置されているが、あまり十分とは言えず、あちこちで若者たちの立小便の跡や、嘔吐した跡があるので、足元も十分注意して歩かなければならない。

 

中心街は、良くも悪くも、スケールが違う。

 

街の中心から外れた地区でも、特に資金のないグループは、道路を封鎖して特設会場を設置することはないが、それでも彼らの“寄合所”で、朝から晩まで大宴会をする。

 

中心街のグループは、見物に来た地元民や観光客を相手に商売ができるから、オープンで商業的なイメージだが、中心から外れた地区のグループのこうした大宴会は、屋外にせよ、“寄合所”内でにせよ、彼らだけが楽しんでいるような、閉鎖的なイメージがある。

 

忘れてならないのは、それらの屋外ステージにしろ、“寄合所”にしろ、付近はほぼすべてが市民の住居だということだ。

自身がグループに所属しているのならまだいいが、グループは希望者の集まりなので、所属していない住民ももちろんたくさんいる。

 

言うまでもないが、当然のことながら、我が家はそういったグループに所属していない。

我が家のマンションで、グループに所属しているのは、以前、このブログに登場した「隣人は5階に潜む」の家族だけだと思う。

(グループには、基本、家族単位で所属する。)

よって、グループのメンバーでもないごくごく一般の住民にとって、街に繰り出し祭りを楽しむ以外は、この時期は、苦痛の時期と言っても過言ではないのだ。

 

例えば、先日、ビクトルが友人(女性)に電話をした時、友人の機嫌がすこぶる悪かったらしい。

「どうしたんだ?」と聞くと、前の晩一睡もできないまま、仕事に来ているとのことだった。

なんでも、彼女が住むマンションの1階が、祭りグループの“寄合所”で、その“寄合所”内で明け方4時まで大音量の音楽が流されていたらしい。

ブチ切れて、3時頃に警察に電話で苦情を入れたらしいのだが、「この時期は、彼らは4時まで音楽を流せる許可を取っているので、4時までは我々も介入できない。」と言われたそうだ。

 

スペインでは、大抵のマンションは1階部分がテナントで、バルやカフェが入っていたりもするのだが、バルやカフェでは、特別なライセンスがない限り、深夜に大音量の音楽を流すことはできない。

「あそこは“寄合所”で、バルでもカフェでもないんだから、深夜に音楽流せるライセンスなんか持つことできるんですか?」と、彼女も負けじと対抗したらしいが、警察からは「介入できない」の一点張りだったそうだ。

「あーっそ!じゃあ、アンタが私の代わりに明日仕事に行ってくれるっていうわけね!」と、彼女は警察官に捨てゼリフを吐いて電話を切ったらしい。

 

ビクトルも、彼女に激しく同意して、「ホントにこの街は何もわかっちゃいない!」とかなんとか、いつまでも熱く語るもんだから、「そういうのってさー、個人が警察やら市役所やらに苦情入れるよりも、団体で苦情入れた方が、役所も動いてくれる可能性があるんじゃない?マンパワーよ、マンパワー。」と提案してみたのだが、「そこまでやる義務は自分にはない。」と切り捨て、その後もしばらく不満を言っていた。

だから、不満があるなら市長に手紙でも出せばいいじゃんか!

 

この時期、こういった騒音トラブルを回避するべく、この街を離れる市民は、意外と多い。

去年、私とビクトルも、この休日を使って旅行した。

イースター前なので、旅費も安く済むし、この時期は旅行するにはもってこいの時期だったりするのだ。

しかし今年は、前妻シュエの海外出張で子供たちがどこで過ごすことになるのかギリギリまでわからなかったのと、我が家の財政事情により、逃避行の旅行には出かけなかった。

祭りの期間中、街に留まるなら留まるで、腹をくくって祭りを楽しむのもこれまた一興だ。

この街で生まれ育ったビクトルにとっては、この時期にこの街に留まるのは、反吐が出るほどウンザリなことだが、住み始めてまだ数年の私にとっては、騒音はキツいけれど、やっぱり異国の祭りとしてまだまだ興味深い。

…と、散々愚痴っておいて言うのもナンだが。

 

今日、土曜日は、その聖人の日でもあり、スペインでは父の日でもある。

今朝、子供たちがシュエの夫マックスに連れられて、我が家に帰ってきた。

父の日だからだ。

 

これからビクトルと子供たちは、近所の爆竹屋で爆竹を買って、遊んでくるらしい。

散々「やぁかましい!!!」と愚痴っていた我が家も、いよいよ騒音を立てる側になる。

 

 

■本記事のタイトルは、映画「僕の村は戦場だった」(1962年公開、旧ソ連)をモジって使わせていただきました。
記事の内容と映画は、一切関係ありません。