梅子のスペイン暇つぶし劇場

毒を吐きますので、ご気分の優れない方はご来場をご遠慮ください。

まつりのあさに

前回の記事でもお伝えしたように、私が住んでいるこの街では今、街全体がお祭りムードで賑やかだ。

 

先日、夫ビクトルの友人達の誘いで、食事に行ったのだが、その後、夜の街を歩いて、お祭り見物をすることになった。

 

スペインの夕飯時間は遅く、友人達とレストランに待ち合わせたのは、夜の10時。

食事とおしゃべりをたっぷり楽しんで、レストランを後にした時には、もうすっかり午前0時を回っていた。

 

中心街まで歩く道すがら、午前1時からの花火大会を待つ見物客でごった返す橋に差し掛かり、私たちも花火を見物することにした。

たった20分間の花火大会だけれど、冬の夜に咲く大輪の花は美しく、私もビクトルも友人達も、十分堪能した。

 

友人の1人が、「梅子、花火は日本語で何と言うの?」と聞いた。

HANABI!」と、すかさずビクトルが言った。

映画の「HANABI」で覚えたのだ。

「HANAは“花”という意味で、BIは、“火”という意味。“火の花”っていう意味だよ。」と、私が付け加えた。

すると、もう1人の友人が、「“火の花”かー。花火を“花”に見立てるなんて、日本の言葉は情緒があって素敵だね。」とつぶやくと、夜空に咲く花火を感慨深げに見上げた。

 

花火大会が終わると、私たち一行は再び、街の中心に向かって歩き始めた。

 

途中で、ビクトルと友人達が通っていた小学校に立ち寄った。

友人の1人が、実は爆竹をいくつか持って来ていて、「伝統の儀式をしようぜ!」と、いたずらっ子みたいにニヤリと笑った。

1人は、「おい、やめとけ。俺達いくつになったと思ってるんだよ。」と笑い、ビクトルは「よし!やろう!」と言って、これまたニヤリと笑った。

私と、その他の友人たちは、この小学校の卒業生ではないので、何のことかさっぱりだった。

 

彼らの“伝統儀式”とは、この祭りの時期に、母校の校門に爆竹を投げ入れるというものだった。

校門の内側は、半屋内のエントランスになっていて、爆竹の破裂音が周囲に凄まじくエコーして鳴り響いた。

爆発物が大爆発したかのような、ものすごい音だ。

「よし!もう1回やろう!」と、ビクトルと友人が再び校門へ向かい、私を含むその他は、少し離れた所で見守りながら、「まったくあいつら、いくつになっても子供だな。」と苦笑した。

 

そんな、“伝統儀式”もやりつつ、私たちは街中を歩き回って、夜通し目一杯お祭りムードを楽しんだ。

私とビクトルが家に帰った時には、すでに早朝の4時を回っており、ベッドに入ったのは5時だった。

 

2人共、見事な朝寝坊をして、起きたのは昼過ぎだった。

週末は祝日だからスーパーはどこも休みになってしまうし、子供たちも帰って来るから、食糧を買いに行こうと、2人でスーパーに出かけることにした。

 

「昨日は楽しかったねぇ~。」なんて2人で話しながら、マンションのエレベーターで階下に降りて行くと、この同じマンションの住民の1人である女性が、エレベーターホールにいた。

「あ、こんにちはー。」と言って、私たちが去ろうとすると、女性が私たちを呼び止めた。

この女性とは、普段、挨拶程度しかしない間柄だったので、呼び止められたことに少し驚いた。

 

彼女が話し始めたのだが、何を話しているのか、私にはまったくわからなかった。

「赤ちゃん」とか、「若い夫婦」、「泣いていた」という言葉をキャッチすることができたので、私はてっきり、この女性の部屋の上か下か、お向かいに、“若い夫婦”と“赤ちゃん”が住んでいて、夜になると“赤ちゃん”の夜泣きやら、“若い夫婦”の喧嘩する声、“泣いている”声に悩まされているのかなぁと、勝手に想像した。

それでついつい、「この時期、外では爆竹やら音楽やらで騒々しいし、家の中でも騒音に悩まされるのは大変ですね。」と、たどたどしいスペイン語で相槌を打ってみたのだが、女性はきょとんとした顔になり、それに気づいたビクトルがすかさず口を挟んで、女性の注意を自分に向け直した。

あれ、何かマズいこと言ったかな…と、それからは、私は口を噤んだ。

 

ビクトルは、最後に「今は僕たちは行きませんが、何日か日を待って、訪ねることにします。」と言い、会話が終わった。

女性はエレベーターに乗り込んで、去って行った。

 

「梅子、彼女が言ってたこと全然わかってなかったでしょ?今説明してあげるからね。」と、とても深刻な顔でビクトルが言った。

 

するとすかさず、エントランスのゲートから、もう1人別の住民の、年配男性が入って来た。

今度はビクトルが彼を呼び止め、今、女性から聞いたばかりの話であろう話を始めた。

私たちがゲートで立ち話をしていると、またもう1人、年配の女性が外から帰ってきたので、ビクトルは彼女も呼び止めて、立ち話の輪に入れた。

私は依然として、ビクトル含むご近所さん達が何を話しているのか、まったくわからなかったが、皆、深刻な顔で時々驚いた様子だった。

会話の中に時折聞こえる「今朝早くに」、「救急車」、「警察」という言葉をキャッチして、今朝、このマンションで何か深刻なことが起きたんだと、うっすらと把握できた。

 

年配の女性は、私たちの部屋の1つ上の階に、年老いた母親と妹さんと3人で住んでいて、私たち家族のことをよく気にかけてくれている家族だ。

また、お互いに高齢の母親を持つ身としても、この年配の姉妹と私たち夫婦は、会う度に「そちらのお母さんはお元気?」などと、介護の様子や愚痴なども話すような間柄だ。

会話の途中途中で、彼女は私にも「本当に驚いたわ~。だって、◎△$♪×¥○&%#なんだもの~。」とか、話を振ってくれるのだが、私はそもそも内容がよくわかっていないのだけども、わかっている振りをして「そうですね~。」ぐらいしか返すことができなかった。

 

ひとしきり会話が済むと、「呼び止めて失礼しました。それじゃ、また。」とビクトルが言って、束の間の立ち話は終わり、私たちは通りに出た。

「どうしたの?」と、私が聞くと、ビクトルが静かに話し始めた。

 

私たち家族が住むこのマンションの最上階には、エレベーターホールで私たちを呼び止めた女性の家族と、もう1つ、別の家族が住んでいる。

この、別の家族というのは、30代から40代の若い夫婦で、5歳ぐらいの男の子と、2か月前に生まれたばかりの赤ちゃんの、4人家族だ。

奥さんの顔は、イマイチ記憶にないのだが、旦那さんと男の子は、時々エレベーターで会ったり、近所の通りで会うことがあったので、顔は知っていたし、よく挨拶も交わした。

エレベーターに相乗りすることもあった。

旦那さんは、朴訥なイメージがあるが、男の子と2人で道を歩いているのを見たり、時には旦那さんが1人でキックボードで移動している様子を見ると、悪い人ではないなと思っていた。

 

その旦那さんが、この日の朝、ベッドで亡くなっていたらしい。

 

私たちを呼び止めた、最初の女性の話によると、この日の朝の7時過ぎに、誰かがドアのチャイムを鳴らす音で目が覚めたそうだ。

こんなに朝早くに誰だろうとドアを開けると、そこには、向かいに住む家族の奥さんが立っていて、「夫を起こそうとしたが、起きないし、まったく動かない。息もしていないみたいだ。どうすればいい?」と、泣いていた。

女性は驚いたが、「とにかく、警察と救急車を呼んだ方がいい。」と言って、奥さんに付き合い、警察と救急車を呼んだそうだ。

 

すぐさま救急車と警察が到着して、救急隊員が心臓マッサージやAEDで電気ショックを与えてみたりしたそうなのだが、残念ながら手遅れだったそうだ。

 

その後、救急隊員は、旦那さんを担架に乗せ、シートですっぽりと頭まで覆い、階段を使って階下まで降ろした。

この頃、何やら外が騒がしいと気になった、我が家の真上に住む年配の女性が、何事かと妹さんと一緒に玄関のドアを開けて様子をうかがっていると、救急隊がシートでくるまれた誰かを担架に乗せて、降りて来たのだそうだ。

 

旦那さんは、42歳だった。

 

「2人目の子供が、つい2か月前に生まれたばっかりなんだよ?上の子だってまだ小学校にもあがってないぐらいだっていうのに。夫婦としても、これからって時だったろうに。奥さんが本当に可哀想だよ。旦那さんも悔しいだろうな。」と、ビクトルが言った。

本当にその通りだと思った。

 

ビクトルは、「神はどうしてこういう、これからっていうような人を選ぶんだろう。」と続けて、心から悔しがっている様子だった。

本当にその通りだと思った。

 

スーパーへ向かう間も、スーパーを出て帰り道の間でも、ついつい私とビクトルはこの話題を話していた。

家に着いてからもなお、私たちはポツリポツリとこの話題に触れた。

 

最後に私たちが、あの旦那さんを見かけたのはいつだったろう。

残念ながら鮮明には覚えていないのだが、たしか、年末か年始の頃だったような気がする。

その時は、特に変わった様子は感じられなかった。

もし、あの旦那さんが、特に何の重い病気にもかかっていなくて、この日突然亡くなっていたのなら、ますます奥さんと幼い子供たちを哀れに思った。

もし、彼が重い病気を患い、病床に伏していた矢先の出来事なのであれば、奥さんも少しは心の準備や覚悟をすることができただろう。

でも、彼が前の晩まで元気に普通に過ごしていたのなら、幼子2人を抱えた奥さんの絶望は計り知れない。

 

今、奥さんはおそらく子供たちを連れて実家にでも身を寄せているのか、このマンションでは今のところまったく見かけない。

でも、もし奥さんがこのマンションに帰って来たら、私たちはご挨拶兼ねて訪ねようと思っている。

「ウチにも子供がいるし、私は日がな一日家にいるし、子供たちを預かるお手伝いぐらいはできるよ!」と、私はビクトルに言った。

ビクトルも、奥さんを訪ねた時に、そう言おうと思っていたらしく、「僕だって、子供2人を赤ちゃんから育てた経験があるからね。おむつの取り換えやミルクを作って飲ませるのだって、我ながら上手だよ。」と言った。

 

街は相変わらず、賑やかで華やかなお祭りムード。

朝から晩まで爆竹や打ち上げ花火が鳴り、音楽が鳴りやまない。

 

来年のこの賑やかな時期がやって来た時、いや、来年だけじゃなく、次の年も、そのまた次の年も、このお祭りの時期になる度に、奥さんは、愛する夫を失った悲しい思い出がよみがえってきてしまうのかなと、ふと考えて、胸がギューッと、とてつもなく痛くなった。

 

 

■本記事のタイトルは、映画「あらしのよるに」(2005年公開、日本)をモジって使わせていただきました。
記事の内容と映画は、一切関係ありません。