宇宙人スペインに現る
「たぶんね、宇宙人だよ。」
前妻シュエの数々の武勇伝を愚痴った時に、それを聞いてくれていた私の友人が言った言葉だ。
「たぶんね、宇宙人だよ。」
私もそう思う。
つーか、そうでも思わないと、やってけない。
そもそも私がこのブログを立ち上げた最大の理由は、この際ぶっちゃけちゃうと、前妻についてのことを大いに愚痴りたかったからだ。
こういう愚痴を、今までは例えば日本に住む姉や、友人たちに愚痴ってきた。
姉には「とにかくそれは、ビクトルさんと前妻さんの問題なんだから、アンタがとやかく言うことじゃない。そんなに悪く言うもんじゃないよ。」と言われ、それ以降は姉に愚痴を言えなくなってしまった。
姉の言うことはもっともだ。
次に私の愚痴を聞く羽目になった友人Kは、始めこそ「うんうん」と聞いていてくれていたものの、私からあまりにも負のオーラ全開の愚痴メールが届くからか、しばらくして音信不通になってしまった。
友人Kには悪いことをしてしまった。
それから私は、しばらくの間、日本の家族や友人に愚痴るのを極力やめた。
事情を知る友人から「前妻、どうよ?」と聞かれたら答える…ぐらいに留めた。
その結果、私はちょいちょい胃腸炎になった。
スペインに来て最初の年がいちばんヤバかった。
ビクトルと結婚する前から、前妻の数々の悪行は知っていた。
ビクトルと交際を始めた頃から、前妻がすでに私にまでも攻撃を始めていたことも知っていた。
結婚すれば、もっとすごいことに出くわすんだろうなと、十分予想もしていたし、腹もくくっていた。
いざスペインに移り住み、結婚生活を始めると、その攻撃は予想通り、予想を超えるものだった。
あの時は、私だけでなく、ビクトルもヤバかった。
初めの頃は、ビクトルは私には火の粉が降りかからないようにしてくれていたけど、徐々にそんな余裕すらなくなった。
1を返せば100倍になって戻ってくる。
前妻からの、度重なる異常なまでの攻撃で、私たちは、携帯の着信音がトラウマになったし、まるで片思いの人を想うかのように(種類は違うが)、寝ても覚めても前妻のことばかりが頭に浮かんで、狂いそうになった。
後で改めてじっくり書こうと思うが、しかし、とある大きな出来事が起きて、それ以来、前妻からの攻撃は徐々に減った。
それでも未だに前妻はいろいろやらかしてくれるが、それは時々の出来事になってきたし、もう携帯の着信音を恐れることはなくなった。
私は再び、日本に住む別の友人に前妻のことを愚痴るようになった。
前妻のことを「宇宙人」と呼んだ、上記の友人だ。
かわいそうに、次の愚痴聞きターゲットとなってしまったこの友人だが、「そういう話、好き。いつでも聞くよ!」と言ってくれるのが、せめてもの救いだ。
私も以前のように、ただ愚痴って、自分の苦しみを押し付けるのではなく、「こういうどうしようもない人がいるんだけど、ちょっと一緒に苦笑してくれない?」と、少し冷静な目で出来事を捉え、愚痴と共に嘲笑できるまで、一応ここまで心が落ち着いた。
やっぱり女という生き物は、愚痴らずにはいられない、話を聞いてもらわずにはいられない生き物なんだと思う。
三十路を超えるとなおさらだ。
しかし、前妻の話は、尋常じゃないほど負のオーラを放つ。
友人家の息子ちゃんが熱を出したと聞けば、まさか私が放った負のオーラが、インターネットを通って海を越え、友人家へ飛び火したんじゃあるまいなとさえ思う。
友人から「最近ツイてないわー」なんて聞いた日には、背筋が凍る。
今、私の愚痴聞き相手になってくれている友人に、これ以上この負のオーラを浴びせるわけにはいかない。
でも、私の胸の内だけでは、到底消化しきれない。
ポジティブに考えれば、日本で地味に暮らしていた頃に比べると、はるかにドラマチックな日々を過ごしている。
もう韓流ドラマも真っ青なほど、次から次へとドロドロの展開が待ち受けている。
「コレをブログにすれば、かなりいいネタなんじゃない…?」と、ある日思いついた。
というわけで、私はこのブログを立ち上げ、無限のインターネットの中へ、この負のオーラを撒き散らすことにした。
読者のみなさん、このブログを読んだ後、もしツイてないことがあったらごめんなさいね。
それ、きっと、このブログの負のオーラのせいですわ。
■本記事のタイトルは、映画「宇宙人東京に現る」(1956年公開、日本)をモジって使わせていただきました。
記事の内容と映画は、一切関係ありません。