梅子のスペイン暇つぶし劇場

毒を吐きますので、ご気分の優れない方はご来場をご遠慮ください。

予期せぬ出来事

月曜の祝日を最後に、子供たちのイースター休暇が終わった。

休暇中、あれだけだらしなかった長男アーロンも、学校が始まれば、朝は自分できちっと目を覚まして、遅刻せずに学校に行くのだから、そこだけは唯一彼の尊敬できるところだ。笑。

 

イースターの間、子供たちは、前半を前妻シュエ家族の元で、後半を我が家で過ごしたのだが、我が家に戻って来た途端に、ママ(=義母)が再び転倒した。

帰って来たばかりのアーロンに、ママの家に電話をさせたのだが、何度かけてもママが電話に出ないのだった。

 

それはちょうどお昼の時間帯で、ビクトルも私も急きょママの介抱に行くことになり、子供たちとの久しぶりのお昼ご飯は、あっけなく流れた。

ママの家に駆けつけたビクトルと私は、ママを起こし、服を着替えさせ、食事をさせ、寝室を掃除して、粗相で汚れてしまった衣類や寝具をゴミ袋に詰め、ママが落ち着いたのを見届けて、ゴミ袋を抱えてようやく自宅に戻った時には、すでに子供たちは自分たちで昼食を済ませ、2人仲良くシエスタ(昼寝)をしていた。

 

もう何度も目にはしているのだけど、ビクトルはママのショッキングな姿に、やはり落ち込んでいた。

せっかく我が家に帰って来た子供たちに、のっけから寂しい思いをさせてしまったことにも、落胆を隠せずにいた。

「ねぇ、1人で抱え込まないで。だからここに私がいるんでしょう?ママのことも子供たちのことも、落ち込んだり悩んだりする時は、全部半分こ!“そうだった!僕の悲しみや苦しみは、半分は梅子に押し付けられるんだった!”って思え!って、いつも言ってるじゃん?」

がっくりうなだれているビクトルの両腕を掴んで、私はビクトルを励ました。

ビクトルは、「そうだったね。ありがとう。ありがとう。」と、何度も言いながら私をぎゅっと抱きしめると、少しだけ晴れやかな表情に戻った。

 

イースター休暇の前半は、お天気も良く、ポカポカ陽気だったのに、後半、子供たちが我が家へ帰って来てからは、雨が降ったり少し肌寒い日が多かった。

子供たちは、母親の家にいた頃のノリで、「半袖のTシャツがいい!」と言ったが、ビクトルの一喝で却下された。

それでも、そろそろ休暇も最終日という頃には、風邪っ引きの天才・エクトルが、「喉が痛い…。」と言い出して、結局風邪を引き、学校が始まっても、枕元にタマネギを置いて眠る夜がいく日か続いた。

タマネギを半分に切って器に入れ、ベッドの脇のテーブルに置いておくと、鼻づまりが息苦しくて眠れない夜でも、スースー眠れるので、今ではちょっとでも調子が悪いと、子供たちはすぐに「梅子!タマネギ置いといて。」と言う。

 

急きょ、ママがそんな具合だったので、ビクトルと私は交代でママの家を訪問しなければならなかった。

1度だけ、私はエクトルを連れてママの家を訪ねた。

ちょっと前までは、ママが何度も同じことを話したり、同じ質問を繰り返すのを、エクトルはすぐにイライラして、横柄な受け答えをしていたものだったが、今回エクトルは、「うん、うん、そうだよ、おばあちゃん。」と、イライラした顔を見せることなくニコニコ応対しているのを見て、成長したなと、ちょっと感動した。

ま、その日はたまたま「おばあちゃん家に行った後は、パパとアーロンと、みんなでカフェに行ってアイスクリームを食べよう!」と話していたので、良い子にしていただけなのかもしれないが。笑。

 

アーロンは、近頃は友達との付き合いに忙しくなり、昼食後軽く昼寝をすると、午後はちょくちょく1人で出かけて行った。

そうすると決まってエクトルが、「僕はどこにも出かけられない…。」とぶすくれるので、例えばコインランドリーへママの汚れ物を洗濯しに行く時に一緒に連れて行き、帰りにカフェに寄って、何か甘い物を食べさせると、本人としては大満足のようであった。

休暇の間、私たちが子供たちと出かけたのは、映画館と、近所のバルでのお昼ご飯、そして、これまた近所のカフェでおやつを食べることぐらいだった。

 

休暇最終日の午後、この日もまた、子供たちを連れて、行きつけのカフェにおやつを食べに行った。

このカフェには、サンドイッチもデニッシュも豊富なのだが、アイスクリームも種類がたくさんあって、朝食時間から夜の閉店時間まで、いつもたくさんのお客さんで賑わっている。

エクトルは行く前からすでに、「今日はあのアイスクリームを食べるんだ!」と、大はしゃぎだった。

 

カフェに着き、ビクトルや子供たちと「さぁ、何を頼もっかー♪」などと話しながら店内に入るや否や、突然客席からバタンッ!と大きな音がした。

驚いて振り向くと、おじいさんが、座っていたであろう椅子から転げ落ちて、床に倒れていた。

一瞬にして、店内が騒然となった。

おじいさんは、見た目にもかなり高齢だった。

80代後半、おそらくは90歳近いんじゃないかと思う。

身なりはきちんとしていて、スラックスに背広を羽織っていた。

カフェには1人で来ていたようだった。

テーブルの上には、おじいさんの肩掛けの黒いバッグがあった。

 

このカフェだけでなく、他のバルやカフェでも、集団で、あるいは1人で訪れている高齢者はよく見かける。

我が家の近所は、まぁしかし、驚くほどいくつもバルやカフェがあり、昼間は特に多くの高齢者たちの憩いの場にもなっている。

膝の上で眠る愛犬の背中を撫でながら、井戸端会議に花を咲かせる、おばあさんたちの仲良しグループ。

ばっちり化粧をしていて、マニキュアも塗っていて、日頃すっぴんで出歩く私は恥ずかしいぐらい、皆お洒落に決め込んでいる。

いつも決まった時間になると、杖をつきながらゆっくりゆっくり、バルはもう目の前だけど、途中立ち止まって休憩を入れ、そうしてやっとお決まりの席に辿り着いて、お決まりのエスプレッソと、サービスでもらうピーナッツ(通常、お通しのピーナッツは酒類を頼まないともらえないのだが、それは常連ゆえの特権。)を1つ1つゆっくり噛みしめながら、コーヒータイムを楽しんでいるおじいさん。

私も伊達に近所のバルやカフェには行っていないので、こうした高齢者にちょくちょく出くわすのだ。

 

カフェで倒れたおじいさんは、直後、目をつむり、しばらく動かなかった。

おそらく意識がなかったのだと思う。

あっという間に、店内のお客さんや店員さんが駆けつけて、おじいさんの介抱が始まった。

 

「誰か!救急車を呼んで!」

「ここの住所は、〇〇通りの〇〇番地です!」

「あー!動かしちゃダメ!動かさない方がいい!」

「おじいさん、1人で来たのか?誰か連れはいないのか?」

「セニョール、ちょっとポケットを失礼しますよ。家族に連絡しますからね。」

この国の人たちのすごい所、誇れる所は、いくら見ず知らずの人であっても、何か緊急事態が起こると、周囲の人々が一瞬にしてチームになる所だと、私は思う。

何人かは、自身の携帯で救急車を呼ぶ電話をかけ、何人かは、おじいさんの介抱、何人かはおじいさんの所持品から身元を調べる。

そして、何人かはもうすでに外に出て、店の前に並べられていたテラス席を両端に寄せ、いつでも救急車両が入って来れるように準備していた。

誰も何も指図なんかしていないのに、その場にいた大人たちは全員何らかの任務を見出し、遂行していた。

 

おじいさんは、転倒の際に左側頭部を強打したのだろう、左のこめかみの辺りから血が流れているのを、皆が発見した。

店員さんが大急ぎで大量のキッチンペーパーを持ってきた。

流血しているのを見て、即座にビクトルが目で私に合図をする。

私は頷いて、傍にいた子供たちを外のテラス席に移動させた。

店内が見えないように、店に背を向けさせ、テラス席のいちばん端の席に2人を座らせると、「パパと梅子が戻って来るまで、DSで遊んでなさい。注文はその後ね。」と言った。

アーロンは、こうした緊迫した状況、いつもと異なる状況に緊張しているようで、私の言うことを「うん、わかった。」と、少し深刻な面持ちで聞いていた。

「アーロン、エクトルを任せたよ。」と、私は言い、すぐさま店内へ戻って、おじいさんの周りにあった椅子やテーブルをどかすのを手伝った。

おじいさんは、その時にはすでに意識を取り戻したようで、目を開けていたが、時折足や手をピクピクと動かし、顔色はやけに赤黒かった。

お客の1人が、医療処置に詳しい人だったのか、この男性が主におじいさんの介抱を指揮していた。

常に脈をチェックし、床に面している左側頭部の傷の具合を診るために、「誰か!鏡を持っていないか!」と、叫んでいた。

店員さんの1人は、ずっとおじいさんの頭を持っていた。

意識が戻ったおじいさんが、時折思い出したように、頭を起こしたり動かそうとするので、それを抑えていなければならなかった。

 

「遅いなぁ!救急車は何をやってるんだ!」

実際の時間の流れ的には、誰かが救急車を呼ぶ電話をしてから、まだ10分もたっていなかったと思う。

だけど、徐々に皆がイラつき始め、何人かはすでに通りに出て、今か今かと救急車を待ち構えていた。

そこでやっと、1台のパトカーがやって来た。

パトカーには警官が2人乗っていて、1人は早速店内へ入り、皆から事情を聞き、おじいさんの介抱を指示し始めた。

今まで私たちは、おじいさんを仰向けにしていたのだが、警官はおじいさんの体を左に傾けるように指示をした。

それを見て、ビクトルは「脳に出血があるかもしれないんだから、こういう時は絶対動かしちゃダメなんだよ!あの警官はわかってるのかな?」と、怒っていた。

もう1人の警官は、路上にいて、無線で救急車の誘導をしていた。

そして、通りに出ていたお客さんたちの話を聞き、無線でおじいさんのID番号をどこかに伝えて、家族の連絡先を調べているようだった。

 

間もなく、救急車が到着した。

「やっと来た!」と、おそらくあの場にいたほとんどの大人たちが、そう言っていたと思う。

3人の救急隊が、大きなバッグや機材を持ち、手にゴム手袋をはめはめ、店内に入って行った。

救急隊の登場は、まるで映画のワンシーンのように、スローモーションのように見えて、ものすごくかっこよく思えてしまった。

 

しかし、かっこよく思えたのは、ここまでだった。

その後、救急隊は、おじいさんをあっちへ動かしこっちへ動かしするし、慣れた手つき…なのかどうか、おじいさんの服を結構強引に脱がせて、上半身をはだけさせると、あっという間におじいさんの胸や腹に心電図のような機器を取り付けた。

おじいさんの右胸には、白い布ケースのような、札のような物が付いていた。

あれはおそらく、ペースメーカーか何かだろう。

 

救急隊は、少しの間、床の上で直接おじいさんを処置していた。

おじいさんは、今度は時折頭をもたげ、口を開け、舌を何度もべーっと突き出していた。

何かを話したいのかな?と、最初は思ったのだけど、何度も何度も繰り返すのを見て、おそらく無意識の行動なのだろう。

おじいさんの頭上にいた救急隊が、おじいさんのその行動に何も気にしていないようだったので、私は少しヤキモキして、「舌を何回も出してるよ?あれちょっとおかしいよね?大丈夫なのかなぁ。」と、ビクトルに何度も訴えた。

ビクトルは、「僕もわからないよ。でも確かに尋常じゃない行動だよね。」と言った。

 

その後担架がやって来て、おじいさんを担架に乗せると、救急車の中に入って行った。

担架の上でも、おじいさんは相変わらず、顔は頭に血が上った時のように赤黒く、時々頭を持ち上げては口を開けて舌をべーっべーっと何度も出していた。

脳梗塞とか、首の骨折とか、頭を動かさない方がいい時は、担架に乗せられた時、頭を固定させられると思うのだけど、おじいさんの頭は固定されておらず、ビクトルと私は、こちらもこちらでますます頭をかしげるのだった。

 

おじいさんが救急車に乗せられた時、おじいさんの家族らしい女性が、警官と話しているのに気がついた。

警官との会話の中で、「これが初めてではないんです。」という、女性の言葉が聞こえた。

 

救急車は、おじいさんを乗せた後もしばらく、その場を立ち去らなかった。

車内では引き続き救急隊が処置をしているようだった。

店内では、店員さんが床に付いていたおじいさんの血痕を拭き取り、お客さんたちが動かしたテーブルや椅子を元の位置へ戻していた。

何人かのお客さんたちは、お会計を済ませようと、レジの周りに集まっていた。

 

私はその頃はもう、ビクトルと共に店の外にいて、ただぼうっと、ガラス越しの店内と、救急車を交互に見ていた。

手が震えていることに、ふと気が付いて、思わず子供たちの傍に駆け寄り、アーロンのたくましくなった肩を、ただひたすらさすり続けた。

 

「なんてタイミングで来ちゃったんだろう。とんでもないおやつになってしまった。さぁ、何か注文しよう。」

ビクトルが、思い出したように言った。

私は子供たちに「さぁ、中に入って注文しよう!」と言い、アーロンと共に店内へ入って、アイスクリームとカフェオレを2つずつ注文した。

 

私たちがおやつを楽しむ間も、救急車は私たちの傍に停車したままだった。

それがなんだか私たちを落ち着かせなかった。

こんな時だからこそ、話したくない話題だとわかっているのに、私もビクトルも、ついついママの話をしてしまう。

でもどうにか話題を逸らそうとして、「ママのヨーグルト、まだもう少し冷蔵庫にあったよね?買い物はあと2~3日は必要ないかな?」とか、ママのことではあるけれど、できるだけどうでもいいような話をすることに努めた。

 

やがて、救急車が去って行った。

回転灯も点けず、サイレン音も鳴らさずに去って行った。

救急車がいた時には、私たちの席からは見えなかったのだけど、救急車がいた場所には、家族らしき女性、そしてもう2~3人、おそらく彼らも家族なのだろう、数人と先ほどの2人の警官が立ち話をしていた。

家族であろう1人の若い女の子は、何度も涙を拭っていた。

「救急車、回転灯もサイレンもなしで行ったね。たぶん、あのおじいさん、助からなかったんだ…。」と、ビクトルが静かに言った。

 

思わぬかたちで、私たち家族は、1人の老人の最後を看取った。

おじいさんは、果たして、人生の最後の瞬間を幸せに過ごすことができただろうか。

ビクトルの言葉を聞いて、私はふと考えてしまった。

 

おじいさんにとって、日々の楽しみの1つであったであろうこのカフェに来て、楽しみの1つであったであろう甘い物を食べ、大好きだったであろうコーヒーを飲み、おやつを楽しむ他の家族連れをほのぼのしながら眺め、最後の最後は、幸せだなぁと思いながら、幕を下ろすことができただろうか。

 

見ず知らずの、名前も住んでいる所も知らないおじいさんだったけど、おじいさんが倒れた時、私はおじいさんのために力を尽くせただろうか。

おじいさんが床の上で動けないでいる時、私はおじいさんの頭が床の上にあるのが可哀想で、首に巻いていたストールをほどき、せめて枕の代わりにと、差し出そうとした。

おじいさんが流血していたのは知っていたけれど、おじいさんの血で私のストールが汚れることなんか、ちっとも構わなかった。

でも、ビクトルや他のお客さんたちに「今頭を動かすのは危険だ!」と止められた。

その後は、巻き直すのも忘れて、ストールはずっと手の中にあった。

私はおじいさんにとって、まったくの他人だし、他のお客さんたちも、店員さんたちも、おじいさんにとってはまったくの他人だ。

でも、あれだけ皆でできる限りの手を尽くし、皆で救急車が早く来ないかと祈ったけれど、おじいさんを助けてあげることができなかったのが、悔しいというか、心にずっとモヤモヤするものが残った。

 

家に帰り、子供たちと夕飯を済ませ、子供たちが寝支度を始めた頃、たまたま私とビクトルは2人でキッチンにいた。

ビクトルが、子供たちに聞こえないように声を押し殺して、こう言った。

「こういうこと、本当は考えたくないし、口にしたくもないんだけど…。僕のママはおそらくこの1~2年だと思う。生きていられるのは。」

こんな時に、突然何を言い出すんだ、この人は!と、思った。

 

今日、午前中にビクトルとママの家に行った。

ママは珍しく、今日はまだベッドメイキングをしておらず、リビングのいつもの椅子に座って、ボーっと窓の外を見ていた。

昨夜から降り続いている雨で、今日は朝から肌寒く、ママは少し風邪を引いたようで、いつもより元気がなかった。

「鼻水が垂れるから、紙が手放せないのよ。」と照れながら、カーディガンの袖の中から、クシャクシャのティッシュペーパーを取り出しては、鼻を拭いていた。

私はいつものように、溶き卵を入れたインスタントのカップスープを作って、ママに差し出した。

ママは最初こそは、「今はあんまりお腹が空いてないから、いらないわ。」と言っていたが、しばらくすると、「いらない。」と言っていたことも忘れ、おもむろにカップを触って「あら、温かいのね。」と、カップを手に取って、スープを食べてくれた。

温かい物を食べたら、少しは元気になってくれるかなと思っていたのだが、スープを食べ終えても、ママは元気がなかった。

時々、苦しそうに息をしながら、いつもの昔話をしていた。

 

今日、ママは、まだパパ(=義父)もパパのご両親も健在だった時の、クリスマスの親戚回りの話をしてくれた。

「12月の25日は義両親の家にお呼ばれして、1月6日のレジェス(スペインのもう1つのクリスマスの祝日)には、義両親を我が家へ招待したのよ。」と、ママが教えてくれた。

「それじゃあ、6日はママがお料理を作ったんでしょう?わ~、私も食べてみたいなぁ~。ママのクリスマス料理。」

私がそう言うと、ママは、嬉しそうな、悲しそうな顔をして、「それはもう、遠い遠い昔の話。私はもうこんなに年老いちゃって、もう台所には立てないわ。私の出番は終わってしまったの。」と、窓の外を見ながら言った。

 

私は、先日のカフェから帰って来た後の、ビクトルの呟きを思い出してしまった。

ママ、お願いだから、そんな悲しいことを言わないで。

私はママの膝をさすりながら、「そんなことないよ~。ママは今でも現役ですよ。」と言った。

 

ママは、スープを食べ終わってから、ずっと膝掛けの中で温めていた手を出して、「ほら、触ってみて。手がこんなに温かくなったわ。」と言った。

冬の間、いつ触っても冷たかったママの手が、今日は、とっても温かかった。

風邪を引いているから、もしかして熱があるのかしら?と、思わずママの額も触らせてもらうほど、温かい手だった。

 

ママの手が、いつまでも、いつまでも、温かくありますように。

 

 

■本記事のタイトルは、映画「予期せぬ出来事」(1963年公開、イギリス)をモジることなくそのまんま使わせていただきました。
記事の内容と映画は、一切関係ありません。