梅子のスペイン暇つぶし劇場

毒を吐きますので、ご気分の優れない方はご来場をご遠慮ください。

誰が為に未来はある 5

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今回は、話を少し前後して大学受験の話をすることにする。

 

5月下旬に高校の卒業式があったわけだが、その卒業式直前まで、アーロンは学年末テストに追われた。

このテストの点数次第で、第一志望のコンピューターグラフィック関連の学科をめざせるかどうかが決まるので、いつになく比較的真剣にテスト勉強はしていたようだが、日本でそれなりに試験勉強というものを経験している私からすれば、はっきり言ってまだまだ必死さは伝わらなかった。

だって、いつものことではあったが、アーロンは前日にならないとその科目の勉強をしないからだ。

不得意な科目ほど数日前から少しずつ…というような発想は、彼の中にはなかった。

もちろん「こういうふうに勉強した方がいいんじゃない?」と、彼が小学生の時からテスト勉強の仕方を何度もアドバイスしている。

でも毎回「へぇ~」とか「ふーん」とか言うばかりで、試してくれた試しがない。

蛍光ペンで大事なポイントや文章に線を引くのだって、“デキない人ほど線だらけ”なんて、私も学生時代によく聞いたものだが、アーロンの場合はプリントも教科書も、1ページ丸々最初から最後まで見事に線だらけである。

 

そして結果は、当然と言えば当然の、お決まりの低空飛行で学年末テストも終えるに至る。

そして間髪入れず、卒業式の約2週間後には大学入試が待ち受けていた。

 

ビクトルは、この大学入試に向けて、1年ほど前から幾度となくアーロンに「今から入試の勉強を始めておいた方がいい」と忠告し続けた。

その度にアーロンは、「うん。そうする。」と答えるのだが、入試6ヵ月前になっても3ヵ月前になっても、一向に受験勉強を始める様子がなかった。

「日本の私の甥っ子がね、去年大学受験したんだけど、エクトルと同じタイプで高校時代はテスト勉強なんか家でまったくしなくても、いつも上位の点数を取れる子だったの。でもそんな彼でさえ、入試の3ヵ月ぐらい前から家で毎晩朝方まで何時間も受験勉強したんだってよ。ところが最初に滑り止めで受けた私立が受かっちゃって、それで余裕だと思ったんだろうね、ちょっと怠けちゃって、そしたら第一志望だった国公立大に失敗したの。」

国は違えども、同じ大学受験生として少しでも危機感を感じてくれればいいと、ある日試しにアーロンに話してみた。

けれど、反応は予想通りの「ふーん。」

私の想いは届かなかった。

 

高校の卒業式を終えた途端、無意識のうちに夏休みスイッチが入ってしまったのだろうか、アーロンはまったく勉強せずオンラインゲームに明け暮れた。

 

ここで少し、スペインの大学入試について簡単に説明をしておく。

以前からチラッチラッと話しているように、大学受験にも高校最終学年の成績が大いに影響してくる。

スペインの成績は、小・中・高すべて1科目につき10点満点で成績がつく。

9、10点は優、7、8点は良、5、6点は可、4点以下は不可だ。

大学入試では、志望する学部・学科に合わせて入試科目が異なり、高校側は、その入試科目に沿った教科を教えている。

今回アーロンが受験した教科は7科目ほどあったのだが、まず、その7科目の高校での最終成績の平均値を出しておく必要がある。

大学は毎年、各学部・学科の合格基準値をウェブサイトに発表していて、受験生はそれをチェックして、自分の最終成績の平均値が基準値に達しているかどうかを見ておかねばならない。

エステバンがアーロンをカフェに呼び出した時に、試しに2学期の成績で換算し「お前は点数に達していない」と言ったのは、このことである。

この際ぶっちゃけてしまうが、この2学期の時点でのアーロンの7教科の平均値は6.5で、第一志望の学科の合格基準値は8.8だった。

 

大学の入試では、各受験科目の満点は14点。

この14点という点数は、時々変わるらしい。

今年度は14点満点だが、数年前は異なる点数だったそうだ。

2浪3浪している受験生は、おそらくこの各14点の点数を純粋に使って合否を決めるのだろう。

しかし、アーロンのように高校を卒業したばかりの受験生たちは、若干採点方法が異なるようで、高校での最終成績の平均値に大学入試で獲得した点数の平均値を足して、14点満点とされるようだ。

高校の最終成績が平均計算されるように、大学入試結果の点数もまた平均計算され、高校の最終成績の平均値と、入試結果の平均値を足した点数が、アーロンの最終獲得点数となる。

(※これは、あくまでも私たち家族が住む州の公立大入試の採点方法と点数であり、他の州はどのような方式で大学入試を行っているのかについては、情報収集しておりません。)

 

上記で、「大学は毎年、各学部・学科の合格基準値をウェブサイトに発表している」と書いたが、この基準値はおそらく前年度の受験生たちの点数を基に計算されたであろう値で、今年度の入試が終わると間もなく、この基準値がアップデートされて発表されるので、基準値が変化する場合がある。

受験生は受験後に再度、このアップデートされた基準値を確認して、自身の最終獲得点数が達しているか否かを見なければならない。

また、この基準値はあくまでも目安であり、基準値に達しなかった受験生は待機リスト入りして、定員に空きができ次第、入学案内の連絡が来る仕組みになっている。

 

後から知ったのだが、アーロンが大学入試の受験申込をする時、アーロンは当初第一志望のコンピューターグラフィック学科と、エステバンから「プランB」と勧められていた修復・復元学科の2学科のみを申し込もうとしていたのを、エステバンがこっそり後から美術一般学科も付け加えて申し込ませていた。

この3学科の中で、合格基準値がいちばん高いのがコンピューターグラフィック学科、次いで美術一般学科、いちばん低いのが修復・復元学科である。

というわけで、アーロンには専門学校のプランCの他に、美術一般学科というプランDも準備していた。

 

…と、ここまで話していて、母親であるシュエが今のところまだ登場してこないが、アーロン、エクトル両方からの話を聞く限り、シュエの望みは大学進学一択のようだった。

口を開けば「学部や学科は何でもいい。何が何でも大学へ行け!勉強しろ!」としか言わないと、アーロンが辟易していた。

だから、例の専門学校は、もしかしたらシュエが反対するかもしれないと、最初のうちアーロンは不安がっていたが、「それを説得するのはお前の仕事。」と、ビクトルによく言われていた。

我が家では、ビクトルもエステバンも院卒で、スペインの大学事情を良く知るいわば精鋭がそろっているが、シュエの家には大卒者がいない。

現夫のマックスは中卒で、シュエは中国で大学受験に挑戦したらしいが失敗し、法律系の専門学校に進むも、その頃にビクトルと出会い結婚してスペインへ移住するため、中退している。

スペインの大学進学事情についてはまったく未知の世界が故、ビクトルに委ねるしかないのだろう。

シュエがアーロンの受験絡みで首を突っ込んできて、うるさく言ってこないことだけが唯一の救いだった。

 

大学入試は6月の第2週、火曜から木曜の3日間だった。

6月が始まっても、一向にノートや参考書は開かず、ノートパソコンばかり開いているアーロンの姿を見て、ビクトルと私の方が本格的に焦り始めてきた。

ビクトルはもうアーロンに何も言う気が起きないようだった。

入試まで1週間をとうに切ったある日の晩ご飯、アーロンが唐突にこう言った。

「梅子、晩ご飯が終わったら勉強するよ。今日は2教科ぐらいやろうと思うんだ。」

やっとかよーーーー!!!

そう心の中で叫びつつ、私は努めて冷静に「そうなんだ。頑張りな。泣いても笑ってももう1週間ないんだからね。」と言った。

するとアーロンが、思いもよらず胸の内を話し始めた。

「大学入試は、パパやママが受けろって言うから受けるだけで、本当に行きたいのは専門学校の方なんだ。クラスメートのセルヒオもそこをめざしてるからね。」

セルヒオとは、前回の専門学校の時の話に出てきた、高校の仲良しのクラスメートのことだ。

アーロンの中で大学のコンピューターグラフィック学科は、受かりそうにないとすでに見切りをつけていた。

じゃあどうしてせめて専門学校の受験勉強すらも始めないわけ?!と、ここまで言いそうになったがやめた。

「入試で基準値クリアできる可能性もまだあるんだし、専門学校を本命、大学は滑り止めだと思って挑戦すれば?第一志望に受からなかったとしても、大学にさえ入れたら後で編入することもできるんだから。可能性は広げておいた方がいいと思うよ。」

そう言うにとどめた。

 

しかし、晩ご飯が終わってアーロンが開いたのは、またしてもノートパソコンのオンラインゲームだった。

愕然とした。

怒りが込み上げたが、どうにかこうにか抑え込もうとした。

が、無理だった。

「なーるーほーどー。それが大学の受験勉強なんだね~。」と言いながら、わざとノートパソコンを覗き込んでやった。

「違うよ!今ちょうど終わろうとしてたとこだよ。これから勉強しようと思ってたとこ!夕飯前に中途半端にやめちゃってたから、キリのいいところまで進めてただけで…」

アーロンの口数が多くなる時は、動揺しているか後ろめたいことがあるか、何かを隠そうとする時だ。

私はそれ以上は何も言わず、書斎に戻った。

 

数時間後、アーロンが書斎にやって来た。

私ではなく、ビクトルの傍に行った。

「勉強に集中したいから、明日からママの家に行って、月曜の夜に帰って来ようと思う。」

今は水曜日の夜。

ビクトルとシュエの養育権の契約では、6月いっぱいは金曜の午後から日曜の夜までが、シュエの親権時間だ。

ビクトルは念のためこの契約の話を前置きしてから「でもお前が勉強に集中するための最善の方法なのならば、今回は特例だ。」と言った。

後で、ビクトルに夕飯時と夕飯後の出来事を話すと、ビクトルは「ハッ!」と吐き捨てた。

「あいつが母親の家に行きたいって言う時は、何か思惑がある時だ。なるほど、そういうことがあったからか。あいつが集中したいのは、勉強なんかじゃなくてゲームだよ、ゲーム!ここは監視が厳しいけど、あっちの家では好き放題やれるからな!」

 

翌日、まだ誰も起きていない早朝に、アーロンは家を出て行った。

もちろんノートパソコンと共に。

 

 

■本記事シリーズのタイトルは、映画「誰が為に鐘は鳴る」(1943年公開、アメリカ)をモジって使わせていただきました。

本シリーズの内容と映画は、一切関係ありません。