梅子のスペイン暇つぶし劇場

毒を吐きますので、ご気分の優れない方はご来場をご遠慮ください。

GO FOR IT

日本ではあまり知られていないと思うが(かくいう私は知らなかったのだが)、テレンス・ヒルとバッド・スペンサーという2人の映画俳優がいる。

1960年代から1970年代にかけてイタリアで作られた多くの西部劇映画(通称マカロニ・ウエスタン)で、2人のコンビが繰り広げるコメディが多くの人に人気となり、欧米ではこの2人を知らない人はいないのではないかというほど、人気の俳優たちだ。

(※ちなみにマカロニ・ウエスタンのことをスペインでは「スパゲティ・ウエスタン」と言う。)

 

初めに記したとおり、私はこの2人の俳優のことも、2人が出演する映画もまったく知らなかった。

教えてくれたのは、もちろん私の夫ビクトルだ。

ビクトルは彼らが出演する映画のDVDもおそらくほぼすべてコレクションしていたと思う。

今、それらのDVDは、ビクトルの子供たちアーロンとエクトルが形見分けですべて持って行ってしまったので、この家にはもう、1つもない。

ビクトルはテレンス・ヒルとバッド・スペンサーのPS4のゲームソフトも持っていたが、それもゲーム機ごと子供たちに持っていかれてしまった。

今私に残されたのは、2人のフィギュアだけだ。

 

バッド・スペンサーは、2016年に86歳でこの世を去った。

 

この時のことを私は今でも覚えている。

ネットニュースでバッド・スペンサーの死を知ったビクトルは、ショックのあまり1日寝込んだ。

「また1人、大好きな俳優がいなくなってしまった。」と、その落ち込みようは酷く、見ていられないほどだった。

 

私の夫ビクトルは、死を恐れていた。

こんなふうに有名人が亡くなったとか、誰々が亡くなったとかそういう話は大嫌いだったし、病気の話も嫌いだった。

病院も大嫌い。

「もし私かあなたに万が一のことがあったら…」なんて話も嫌いで、私がそういう話を始めると、いつもすぐに機嫌が悪くなって、「もうこんな話やめよう!」と、話を中断させてしまうのだった。

 

ビクトルがまだ生きていた頃、私は時々、「もしビクトルが死んじゃったらどうしよう…」と考えて眠れなくなったり、思わず涙がこぼれてしまうことがあった。

 

7か月前、それが現実に起きてしまった。

 

「人生が変わった瞬間」は、これまでに何度かあったけど、これほどまでにつらく、突き刺さる痛みと共に人生がガラリと変わった瞬間は、後にも先にもこの瞬間がナンバーワンだろう。

2022年は、私にとって「人生が変わった瞬間」の何物でもない。

一生忘れられない瞬間だ。

 

私には、ビクトルとの間に子供はいない。

ビクトルの両親はすでに他界している。

ビクトルのお姉さんも然り。

唯一の肉親である、ビクトルの子供たちアーロンとエクトルは、ビクトルの葬儀が終わった日の夜、「じゃあ梅子、僕たちはこれからママと一緒に暮らすね。」と言って、この家から去って行った。

甥っ子のエステバン…。

「万が一のことがあったら、誰よりもまずはエステバンに連絡すること!」と、ずっとビクトルに言われていたほど、ビクトルとエステバンの絆は深い。

だけど、ビクトルがいなくなってしまってから、私はあまりエステバンを頼ることができなかった。

それは、ビクトルの複雑な遺産相続が控えているためでもあった。

 

相続の対象となる私と子供たち。

エクトルがまだ未成年なので、母親であるシュエが出てくる。

ビクトルの遺産には、エステバンと共有しているものがいくつかあった。

それを私が相続するのか、子供たちが相続するのかはっきりしないうちは、エステバンも容易に私に接触できなかったと、後で本人から聞いた。

殊、お金に絡むことについては、エステバンも私も、シュエに最大の注意を払わなければならなかったのだ。

 

そんなわけで、ビクトル亡き後、私はこのスペインに猫の助と共に、たった1人取り残された。

 

日本の両親はもう高齢だし、個人で海外旅行もしたことがない。

ましてやこんなコロナ禍で、飛行機に乗るのも厄介な状況で、おいそれとスペインまで来ることはできなかった。

子供がいないから、「悲しんでる場合じゃない!私がしっかりしないと!」と思う必要も、そんなふうに自分を奮い立たせる手段もない。

心がボキボキに折れながら、毎日泣きながら、訳のわからないスペイン語だらけの書類と格闘し、いろいろな手続きをこなした。

 

最初は、1人でバスやタクシーに乗るのも初めてで、ものすごく怖かった。

手続きのために、今日はこのオフィス、明日はこの役所…と、毎回1人で初めての場所に行くのも怖かった。

 

やっと窓口に立ち、つたないスペイン語で一生懸命話しても通じない。

説明を受けても、何を言われているかわからない。

私はまだビクトルがいなくなったことを認めたくないのに、毎回始めに「夫が亡くなりまして、この手続きをしたいんです。」と言わなければならないのは、まるで拷問だった。

行きのバスで人知れず涙をこぼし、帰りのバスで放心状態で涙が頬を伝った。

今までは必ずビクトルと一緒に乗っていたバスに、毎回1人で乗らなければならないのは、やりきれなかった。

 

だけど、手続きでも何でも、何かを成し遂げると、ビクトルの友人がいつも「Bien, una cosa menos.(よくやった。これでまた1つ(課題が)減った。)」と言ってくれた。

その言葉を聞く度に、「うん。よくやった私。」と少しずつ自信になった。

 

ビクトルがいなくなってしまってから、まず私が考えたこと、そして、子供たちからもビクトルの友人たちからも、日本の両親や友達からも聞かれたことは、「この先私はスペインに住み続けるのか。それとも日本に帰るのか。」ということだ。

両親は「帰って来い。」と言う。

 

でもこれは、実は今でもはっきり決められないでいる。

 

見渡せば、ビクトルとの思い出が溢れるこの街で、たった1人で生きていくのはつらい。

でも、たとえ日本に帰っても、やっぱりビクトルはいない。

どこにいても、結局ビクトルはいないから、私にとっては日本にいようがスペインにいようが、何も変わらない。

 

ビクトルの生まれ育ったこの街、ビクトルの面影がまだ残っているこの街にいた方がいいのかなと、思うこともある。

ビクトルと通いつめていた近所のカフェやバルを目にする度、ビクトルと手を繋ぎ腕を組んで何百回と歩いた通りを歩く度、「でももうビクトルはいないんだ。」と現実を突きつけられるのは、つらすぎると思うこともある。

たった1人でいるよりも、家族に囲まれて暮らしたいと思うこともある。

 

知り合った在住日本人の方に、「梅子さん、あなたそんなことじゃ、この先スペインでなんかやっていけないわよ?日本に帰りなさい。」と言われたことがある。

私があんまりメソメソして、怖い怖いと弱音を吐かせてもらっていた時だ。

 

ごもっともと思った。

でも、その言葉は今、私の中でずっと響いていて、生きる力というか、教訓というか、この言葉のおかげで今日まで頑張ってこれたと思っている。

 

4月のある日、ビクトルがいなくなって間もなくの頃、日本の父と電話で話した。

「もう俺は年だから…」と、今までスマホにもインターネットにもまったく興味のなかった父が、「光ファイバーを契約して、俺のガラケースマホに換える!」と言い出した。

私の姉から「LINEだったら梅子と電話できるよ。」と教わったらしい。

「泣くな!俺もスマホに挑戦して、LINE使えるように勉強する。一緒に前に進むからお前も前に進め!お前が頑張らなくてどうする?」と、父は言った。

 

その後父は、ネット回線を契約し、スマホに買い替え、LINEのHow to本を大量に買い込んで、あれよあれよのうちにスマホもLINEも使いこなせるようになった。

父はノートPCにLINEを繋いで、今では毎日のように私とLINEのビデオ通話で話している。

 

年老いた父の、そんな姿を見せつけられたら、私も頑張らないわけにはいかなかった。

だから今日まで頑張った。

 

これからの道を、ビクトルなしで1人で歩くのは、本当はいやだ。

だけど、たとえいやでもこうして私が息をしている以上、皆が寄り添い励ましてくれる以上、父が率先して前を歩いている以上、私は後に続いて前に進んでいかなければならない。

 

今年私は、たくさんの新しい人に出会った。

当然ビクトルが会ったことがない人ばかりだし、こんなことにならなければ、私も出会うことができなかったであろう人たちばかりだ。

 

日本人同士で、初めてカフェにも行ったし、レストランへ食事にも行った。

新しくできたスペイン人の友達とも、もう何度もカフェに行った。

知り合った日本人やスペイン人の新しい友人に仕事を紹介してもらって、スペインで初めて働いた。

今は、日本の友達に紹介してもらった日本の企業で、フリーランスとしても働き、毎月お給料をもらっている。

スペインで初めて、しかも私1人で開設しに行った自分の銀行口座で、今はビクトルではなく私の名義に変えた家の管理費や光熱費、保険料も支払っている。

猫の助に足を噛まれた時は、私1人で救急に行き、1人で診察も受けられた。

猫の助が咳をし始めた時は、私1人で猫の助をクリニックに連れて行き、診察してもらうこともできた。

トイレの水が止まらなくなった時、私1人でリフォーム会社に電話して、水道屋さんに修理してもらった。

 

皆のおかげで、私は1つずつ、1つずつ、1人でできるようになってきた。

 

ビクトル、見てる?

あなたにしてみれば、私はまだ危なっかしいかもしれないけど、みんなのおかげで今日まで頑張って生きてこれてるよ。

全部あなたに話したいのに、「よくやった」って言ってもらいたいのに、それができないのが本当に、本当に…

 

Go for it、梅子!

Adelante、梅子!

 

 

■本記事のタイトルは、映画「GO FOR IT」(1983年、日本未公開、イタリア、アメリカ)をモジることなくそのまんま使わせていただきました。

記事の内容と映画は、一切関係ありません。

今週のお題「人生変わった瞬間」