梅子のスペイン暇つぶし劇場

毒を吐きますので、ご気分の優れない方はご来場をご遠慮ください。

アーロン14 3 事件

前回までのお話 1は、コチラ

前回までのお話 2は、コチラ

 

私たちが叱らなくなったとわかった途端、アーロンの生活態度は日に日に、明らかに横柄になっていった。

私たちも、できるだけ彼を叱らないようにはしていたけれど、それでもやはり、どうにもこうにも度が過ぎたことが起きれば、叱らざるを得ない。

そうすると、また、「はいはい、そうですか。いつもいつも僕がすべて悪いんですね。あーそうですね。」と始まって、数日間自分の殻にこもる…が繰り返された。

初めのうちは、それでも彼の気が収まった頃には、ビクトルや私に「あの時はごめんなさい。」と言ってくれていたが、それもやがてなくなった。

彼は、謝るのをやめた。

 

ビクトルは、怒りが頂点に達すると、感情の赴くままに怒鳴り散らすことがあったので、せめて怒鳴らないよう、冷静を保てるようにと、本を買ったり、ネットで調べたり、気分が落ち着くお茶を飲むようになったりと、感情をコントロールすることに心がけ始めた。

私も、ビクトルがあまりに激怒して、アーロンに何も話したがらない時は、「パパはね、あなたにこう言いたかったんだよ。私たちは、いつもあなたのことを想って、そうしてほしいと思ってるだけなんだよ。だから今、叱るんだよ。」と、できるだけ代弁を買って出ようと何度か試みたが、私の拙いスペイン語では、到底アーロンの閉ざされた心には、届きも響きもしなかった。

むしろ、彼から返って来る言葉は、父親とは異なり、私にはどんな生意気なことも言えるのも、承知の上の発言が多かった。

だから、ついつい私もカッとなって、感情的に声を荒げる始末。

そうすると、アーロンはしてやったり顔をするのだった。

「僕、梅子を警察に突き出すことなんて簡単にできるんだからね。」とも言われたし、「あなたのことを母親とか母親の代わりだなんて、今まで1ミリも思ったことはない。」と言われたこともあった。

 

そういえば、こんなこともあった。

ある日、私は次男のエクトルを叱った。

アーロンとはまったく関係のないことで、エクトル自身のことについて、だ。

たしか、宿題をした、しないの話だったような気がする。

エクトルも、あぁ言えばこう言う性格なもんで、負けずに言い返し、私と口論になった。

その時のエクトルは、アーロンのずいぶん様変わりした私たちへの態度に、共に参ってはいたが、でもやはり子供。

子供は見ているし、真似をする。

アーロンが日頃私たちに見せていた態度や口振りを、この時エクトルが見事に真似て私に歯向かってきた時は、心底ゾッとした。

これでは埒が明かない。

私は「パパに話を聞いてもらおう。」と言い、エクトルの腕をつかんで、ビクトルのいる寝室へ向かおうとした。

 

するとそこへ、アーロンがやって来た。

アーロンは、私が寝室へ向かおうとしているのを、阻止するように、手を大きく広げて廊下の真ん中で立ち止まった。

なんとなく嫌な予感はしたのだけども、気付いていないふりをして、「エクトルが言うこと聞いてくれないの。アーロンからもちょっと言ってやってくれない?」と言いながら、アーロンに近寄ろうとした。

しかし、直後、アーロンの口からは、まさにアイスバケツチャレンジの如く、頭から氷水を浴びせられたかのような言葉を、エクトルではなく私に対して発せられた。

 

「虐待!虐待!」

「はい、今僕は、梅子が僕のかけがえのない大事な大事な弟に対して、虐待しているところを目撃しました。これから警察に行こうと思います。今すぐ警察官を連れてくるからね、梅子は逮捕されるべきなんだ!」

 

その言葉を聞いて、何事かとビクトルがやって来た。

そして、ビクトルとアーロンの怒鳴り合いが始まった。

エクトルは、涙をボロボロ流して、子供部屋に閉じこもってしまった。

私は、ビクトルとアーロンの喧嘩をやめさせようと、2人の間に入ろうとしたが、アーロンは「触るな!触るな!もう1つ児童虐待の罪が増えるぞ?」と言い、ビクトルは「梅子!お前は僕たちの問題に首を突っ込むな!」と言って、私を力いっぱい押しのけた。

するとまた、アーロンが「はは!今度はパパが梅子に家庭内暴力だ!この家は犯罪者ばっかりだ!」と笑った。

 

それ以降、自身は日頃、エクトルに酷い罵声を浴びせるくせに、ビクトルや私が少しでもエクトルを叱ったり、たしなめたりすると、正義のヒーローよろしく現れては、「僕の大事な弟に何をする!」とばかりに、「虐待だ!虐待だ!」と喚いた。

 

そんな日々が続いていた頃に、前回の記事で書いていた、“アーロンがビクトルのスマホでエッチなサイト見放題”事件は起きた。

それは、2018年の6月初めの頃だった。

 

日曜の夜、子供たちが母親シュエの元から帰って来て、ビクトルは早速アーロンを私たちの寝室に呼んだ。

私は、エクトルと共に子供部屋へ行き、エクトルが楽しそうに話す週末の出来事を「そっかー!それはよかったねー!」などと相槌を打ちながら、翌日の学校の準備と寝支度を手伝っていた。

 

突然、私たちの寝室のドアが、バーン!と乱暴に開けられた。

その音に、私もエクトルも何事かと一瞬凍り付いた。

寝室からは、怒りで顔を真っ赤にしたアーロンが飛び出してきて、子供部屋にやって来た。

事情は知っているが、それでも知らんぷりをして、私は「どうした?」と、アーロンに聞いた。

アーロンは、乱暴にベッドの上を片づけていたが、手を止め、言った。

「だってパパが!パパが変なことを聞くからだよ!僕は何もしてない!何もしていないのに!帰って来るなりこの仕打ちかよ!ちくしょう!!」

アーロンの目には、涙が溢れんばかりに溜まっていた。

 

ビクトルが、アーロンの後を追いかけて、子供部屋に入ってきた。

「アーロン、違うんだ。そのことを怒ってるわけじゃないんだ。それよりももっと別の大事なことを言いたかったんだ。」と、ビクトルは言った。

しかし、アーロンは、ビクトルには目もくれず、こぼれる涙をそのままに、乱暴にベッドの上の片付けを再開した。

自分なりにも「パパが言う別の大事なことって何だろう」と考えたのだろう、アーロンは、はっと気づいたかのように、顔を上げると、今度はビクトルをきっと睨んでまくし立てた。

「あぁ、別の事って、お仕置きのことね!お仕置きのことでしょう?やれよ!DS使用禁止か?ご飯抜きか?何でもいいや!なんなりと言ってよ!僕が不幸になればそれで気が済むんでしょ?お仕置きしてよ、ほら早く!早く!」

 

ビクトルは、冷静に「お仕置きのことなんかじゃない。そもそもお仕置きなんて考えてもいない。パパはただ、お前と冷静に話したいだけだ。」と、なだめるように言った。

しかし、アーロンは「はぁ?冷静にだって?そんなバカバカしい濡れ衣着せられて、僕が冷静でいられるとでも思ってるの?今はもう誰とも話したくない!パパも、梅子も、今すぐこの部屋から出て行ってくれ!!」

 

その夜は、それ以降、子供部屋のドアは固く閉じられたままだった。

子供たちが眠りにつくまでの間、子供部屋からは、何を言っているのかはわからなかったけれど、アーロンのひそひそ話がずっと聞こえていた。

後日、エクトルから聞けば、それは、いかにこの家が最低最悪な家か、パパと梅子が悪魔のような人間かという話だったそうだ。

アーロンは、「だから、この家の人間の言うことは、絶対に聞くな。仲良くもするな。さもないと、俺だけじゃなくお前の人生も不幸になる。」と、エクトルに何度も何度も言い聞かせたとのことだった。

 

ビクトルはと言えば、「完全に失敗に終わった」と、憔悴しきっていた。

どうすればいいのかわからないこのジレンマに、だいぶイラついてもいた。

「明日から1週間、僕はアーロンの顔も見たくないし、話しもしたくないから、よろしく。」と言われた。

 

翌月曜日。

ビクトルは、アーロンが学校から帰って来る時間帯を見計らって、「それじゃ」と私に言うと、寝室にこもってしまった。

間もなくアーロンが帰って来て、こちらもまた、帰ってくるなりしばらく子供部屋に閉じこもり始めた。

いつもは、猫の助が自由に出入りできるように、どの部屋もドアは開けっ放しなのだが、この日の午後は、私たちの寝室のドアも、子供部屋のドアも、完全に閉められていた。

 

夕方になって、いくぶんか落ち着いたのか、アーロンはキッチンにやって来て、テスト勉強を始めた。

この頃は、期末テストの真っ最中でもあったので、いくら個人的な揉め事があろうと、勉強はしなければならない。

1、2時間勉強をすると、いつもならば「ちょっと休憩する」と私に言うアーロンが、その日は何も言わずにキッチンから出て行き、リビングに入って行った。

リビングのドアもぴしゃりと閉められた。

 

間もなく、リビングで電話が鳴った。

私が電話を取りに行こうとすると、アーロンがすでに取って、「もしもし」と話しているのが聞こえた。

私は、リビングのドアの前で、ドアを開けようかどうしようか迷っていた。

時々、前妻のシュエが、子供たちに電話をかけてくることがあるので、電話の相手はシュエかもしれないと一瞬頭をよぎったのだ。

電話はすぐに終わったようだった。

「よし、シュエじゃなかったみたいだ」と、少しホッとした私は、リビングのドアを開けようとした。

しかし、寸での差で、アーロンが先にドアを開け、ドアの前で佇む私に言った。

「パパの税理士さんからの電話だったけど、いないって言っといたから。パパに言っといて。」

 

そうだった。

前日のあの大事件で、私もビクトルもすっかり忘れていたが、この日は税理士さんから大事な電話がかかってくる日だったのだ。

この税理士さんは、多忙だからなのか知らないが、こちらから電話をかけた場合は、一旦留守電にメッセージを残して切らなけらばならない。

その後、しばらくたってから税理士さんの方から電話がかかってきて、やっと話ができるという、謎のルールがあって、税理士さんの方から電話がかかってきた場合は、何が何でもそのチャンスを逃せないのだ。

 

私は、「え!税理士さんだったの?なんで電話切る前にそれを言ってくれないの?パパが寝室にいること、あなただってわかってたでしょう?」と、アーロンに言った。

アーロンは、はじめ、何も言わなかったが、思いついたように「だって、時々パパは居留守を使うじゃんか!今日もそれだと思ったんだ!」

私は負けじと言った。

「でも、居留守を使いたい時は、パパは予め私たちにそう言うでしょう?電話を取り次ぐなよって。」

アーロンも、負けずに何かを言いたそうだったけれど、返す言葉が見つからないようだったので、私は続けた。

「昨日の今日で、あなたがパパと顔を会わせたくないのは、わかる。でもね、それならそれで、私を使ってほしかった。“パパに電話来てるから、パパに言って”って言ってほしかった。」

 

私は、アーロンをその場に置き去りにして、とにかくビクトルの元へ向かった。

税理士さんの電話は、とにかく仕事の話なので、一刻も早くビクトルに伝えねばならない。

ベッドの上でふて寝を決め込んでいたビクトルに、「たった今、税理士さんから電話があったんだけど、アーロンが受けて、“パパはいない”って切っちゃったみたいなの。」と言った。

ビクトルは、「何だって?」と、素早く起き上がり、リビングに走って行った。

そして、すぐさま税理士さんの留守電に電話をかけた。

私は、キッチンに戻った。

いつの間にか、ちゃっかりキッチンのテーブルに戻って、テスト勉強を再開していたアーロンに、「この件は、昨日の件とは関係がない。パパに一言、この件についてだけでいいから、謝りなさい。」と静かに諭した。

 

「謝りなさい」と言った途端、アーロンの怒りモードにスイッチが入った。

あの、笑いたくもないのに無理やり作りだしてる感満載の、不敵な笑みを称えて、お決まりのフレーズを繰り返し始めた。

「はいはい、いつもそうやって僕が、僕ばっかりが、悪いんだよね。謝るのはいつも僕ばっかり!はいはい、そうですよ、この家では全部パパと梅子が正しくて、僕はいつも悪者なんです。はいはい、わかってます。」

 

そこへ、電話を終えたビクトルが「お前たち、何を話してるんだ?」とやって来た。

アーロンは、勉強の手を止めて、立ち上がった。

「パパがいつも居留守を使えと言うから、僕はそれに従ったまでなのに、梅子にそれも間違いだと言われた。とにかくあなた方にとって、僕のやることなすことはすべて間違いなんでしょう?それで?今度はどんなお仕置きを受けなければならないんですかね?」と言い、またそこでビクトルとアーロンの言い争いが始まった。

私はウンザリした。

「やめて。」と言っても、誰も私の声なんぞ聞いちゃいなかった。

私は、声を張り上げた。

「ストーーーップ!!とにかく!アーロン!今回の件についてはパパに謝りなさい!」

 

今まで、ビクトルとの口喧嘩に集中していたアーロンが、私を睨んだ。

その顔は、今まで見たことがないくらい、怒りと憎悪で溢れていた。

アーロンは、ビクトルを無視して、今度は私に牙を向けた。

 

「俺に怒鳴るな!俺に怒鳴るな!俺に怒鳴るなーーーーー!!!!!」

そう叫ぶなり、アーロンは目の前の、勉強道具を広げていたテーブルを持ち上げると、テーブルを挟んで真向かいに立っていた私目がけて、テーブルをひっくり返した。

私側にあった椅子ごと、テーブルは私の腹部と左手に当たって、ドォーーーン!!と大きな音を立てて床に倒れた。

左手の甲から、スーッと一筋、血が垂れた。

アーロンは、「後で自分で片付ける!俺の物に一切触るんじゃない!!」と再び叫び、倒れたテーブルや椅子、散乱した勉強道具をまたいで、再び子供部屋に閉じこもりに行ってしまった。

 

私は、放心状態のまま、テーブルと椅子を元に戻そうとした。

テーブルは、私1人では持ち上げられないほど重かった。

それでもなんとか持ち上げて、「アーロンすごいな。こんなに重いテーブルひっくり返せるなんて…。」と、とりとめのないことを考えていた。

アーロンの勉強道具も拾い集めた。

流血している左手と、無傷だった右手が、尋常じゃないほど震えていることに気が付いた。

 

その間、ビクトルは「アーロンが自分でやると言ったんだ!梅子!触るな!君がやることじゃないんだ!」と喚いていた。

でも、私は、それらを全部、震える手に怯えながら、1人で元に戻した。

 

その日の夜は、それ以降、キッチンに行くことができなかった。

子供たちへの晩ご飯は、ビクトルが代わりに作ってくれていた。

手の震えは、夜通し止まらなかった。

少し笑えてきて、「ほら見て。震えが止まらんのよ。」と、エクトルに見せたりしていた。

エクトルは、私の手を握って「梅子、もういいよ。わかったから。大丈夫だから。」と、私を励まそうとしてくれているのか、それとも、もうこれ以上こういう状況は見たくないとでもいうような、よくわからないリアクションだった。

 

こんなことがあったのだから、きっと胃が痛いのだと思っていた腹痛は、胃痛ではなかった。

お腹には、横一文字にアザが付いていた。

手の甲も、しばらくアザが残っていた。

 

その日から1週間…、2週間近くだろうか、私は、アーロンが勉強している時のキッチンには、入れなくなってしまった。

「何をそんな大袈裟な!相手は子供じゃない!家族じゃないの!」と、自分の意気地なさに呆れて、何度かキッチンに入り、晩ご飯を作ろうと試みた。

でも、やっぱりダメだった。

料理している背後に、アーロンがいると思っただけで、あの月曜の夜のことがものすごくクリアなビジョンで頭の中によみがえってきて、すると途端に手が震えだし、息が苦しくなってしまった。

 

それからしばらくは、ビクトルにばかり晩ご飯を作らせるわけにもいかなかったので、アーロンが学校から帰って来る前に、晩ご飯を作っておくことにした。

毎晩、ビクトルがそれを温めて、子供たちに与えた。

 

アーロンが、この夜の一件のことを、私に謝りに来ることは、悲しくも当然のことながら、なかった。

ケガを心配するような言葉をかけられることもなかった。

アーロンはその時、私がケガをしていたことを知らないでいたと、だいぶだいぶ後になってから本人が言った。

しかしその時も、「ケガをしたとは思わなかった。それは僕の意図したことではなかった。あの時僕を怒らせて、テーブルを倒させたのは、梅子だ。」と言い、あれから2年たった今でも、この件について彼からの謝罪はない。

 

 

■本記事のタイトルは、映画「アポロ13」(1995年公開、アメリカ)をモジって使わせていただきました。
記事の内容と映画は、一切関係ありません。