梅子のスペイン暇つぶし劇場

毒を吐きますので、ご気分の優れない方はご来場をご遠慮ください。

母が何もしなさすぎて困ってます 2

前回までのお話は、コチラ

 

 

冬休みから根気よく治していたエクトルの肌荒れが、一応の終結を迎えた。

やれやれ一件落着…と、思っていたのも束の間、今度は長男アーロンが、高熱で半分死にかけながら、母親シュエの元から帰って来た。

その週末は、たまたまテレビで、寒波が再び上陸したこと、3度目か4度目のインフルエンザの流行が始まったというニュースを見たばかりだった、寒い寒い、日曜の夜だった。

 

アーロンの話を聞けば、熱が出始めたのは、金曜の夜からだったそうだ。

シュエの現夫、マックスから鎮痛解熱剤をもらって飲み、ひと眠りしたら、嘘のように元気になった。

でも、週末の間、アーロンはずっとそれを繰り返す羽目になった。

解熱剤を飲んでちょっと横になると、すぐ回復して元気になる。

でもしばらくすると、また熱が出た。

「病院に行った?」と聞くと、「行ってない。」と言った。

週末の間、アーロンの様子を気にして、都度解熱剤をくれたのはいつも、母親ではなく、マックスだったそうだ。

 

「それはね、アンタ、とうとう風邪を引いたということですよ。それか、インフルエンザかもしれないね。」

私はそう言って、とりあえず我が家に常備していたイブプロフェンを用意した。

ビクトルが、「最後に解熱剤を飲んだのはいつだ?」と聞くと、「今日は朝熱があったから、その時に飲んで…、その後は調子良かったから飲んでない。」と、アーロンが言うので、早速イブプロフェンを飲ませた。

いつもは暑がって、薄いロングTシャツをパジャマ代わりにしているアーロンだが、この日ばかりは「ガッツリ着込んでいっぱい汗かきなさい。」と、厚手スウェットを着せ、毛布をもう1枚余計に掛けてあげた。

おでこには、日本から買ってきた冷却シートを貼った。

「梅子、タマネギを枕元に置いてくれない?」と、アーロンが言った。

この週末、そんな風に熱が出たり下がったりを繰り返したので、「あんまりよく眠れていないんだ。」と言った。

 

翌日月曜日から、アーロンは学校でテストを控えていた。

火曜日も、別の教科のテストがある。

だから、前の週に子供たちを母親の元へ送り出す時、ビクトルはアーロンに、週末しっかりテスト勉強するようにと念を押していた。

週末の間、調子の良い時は、それを見計らって一応勉強はしていたらしい。

でも、この有様だ。

「こりゃぁ、明日学校には行かせられないな。」と、ビクトルが大きな溜め息と共に呟いた。

 

結局、月曜の朝も、アーロンの熱は下がらなかった。

「何のための週末なんだか!いつもこうだよ!いつもシュエの尻拭いは俺がしなくちゃならない!」と、ビクトルは朝からイライラして、「梅子、悪いけど、今日の語学学校は休んでくれないか。アーロンを病院に連れて行く。」と言った。

 

ところで今、私はスペイン語を学ぶべく、週2日だけだが語学学校に通っている。

私は語学学校に「今日は休みます」と連絡を入れると、それからアーロンを起こして服を着替えさせ、病院へ行く支度を始めた。

 

アーロンは、幸いインフルエンザではなかった。

…と言っても、日本のように、インフルエンザの検査をするわけでなく、医師がササっと簡単にアーロンを診察して、「これはインフルエンザではないね。」と言っただけなのだが。

 

インフルエンザではないけれど、ウィルス感染の風邪らしい。(ウィルス検査もしてないのに!)

ウィルスなら抗生物質をもらえる!と思ったら、「このウィルスには抗生物質がないから、引き続きイブプロフェンで。」と言われた。

抗生物質がないウィルスなら、それってインフルエンザじゃないの?と、心の中で思ったけれど、黙っておいた。

我が家に常備していたイブプロフェンでは、アーロンのこのバカでかい図体には含有量が少なすぎるそうで、含有量の多い物を処方してもらった。

「先週の金曜から熱が出たの?じゃあ、このウィルスは1週間続くから、木曜まで薬を飲みなさい。学校は、熱が下がるまでは行っちゃダメだなぁ。」と、医師が言った。

1週間発熱が続くなら、だからやっぱりそれってインフルエンザなんじゃないのー?と、もう、喉元すぐそこまで出てきたが、やっぱり黙っておいた。

 

その日から、我が家では徹底的なウィルス撲滅運動が始まった。

アーロンにマスク(これももちろん、日本で買ってきた貴重な物だ。)を渡し、誰かと一緒にいる時は、絶対にマスクを取るなと言った。

この国には、日本のようにマスクを付ける習慣がないから、「息ができない…。」と、アーロンは文句を言った。

緑の、ものすごいねぎっ鼻が出ても、熱でボーっとしているからなのか、はたまた言いつけに従って、絶対にマスクを外せないと思っているからなのか、マスクの中に大量の鼻水を垂らし、アーロンはその貴重なマスクを時々無駄にした。

 

それから、弟のエクトルには、今まで以上にうがいと手洗いを徹底させた。

手洗いの後には、アルコールの消毒ジェルまで使わせることにした。

お願いだから弟にはうつしてくれるなと、なるべく一緒にいないように、アーロンにもエクトルにも散々言ったが、気が付けばリビングで、気が付けばキッチンで、子供部屋で、こういう時ばかりに限って、めずらしく喧嘩もせず、仲良くじゃれ合う兄弟。

その度に、ビクトル、もしくは私が「くっつくなー!!」とシャウトした。

 

アーロンの熱は、火曜日まで続いたが、それでも少しずつ回復して、水曜日の朝にはすっかり熱が下がった。

これ以上学校を休ませるわけにはいかないとビクトルが言い、水曜日から学校に行かせた。

あとは、エクトルにうつっていないことだけを祈った。

 

祈ったのだが、祈りは届かなかった。

 

木曜の夜になって、とうとうエクトルが咳をし始め、喉が痛い、頭が痛いと言い出した。

万事休す。

翌日からは、子供たちは母親の家に行くというのに、流行りとはいえ、子供たちが病気の顔であの母親に会ったら、後で何と言われることか…。

そう考えただけでも、こっちの頭が痛くなる。

だからあれだけ気を付けていたのに…。

ガッカリしたい気持ちで一杯だったが、そうもしていられない。

とりあえず、エクトルにイブプロフェンを飲ませ、厚手のパジャマを用意して寝かせたが、翌金曜の朝、熱はないものの、それでも半分ゾンビのような、若干死にそうな顔をしていた。

本当ならば、学校を休ませたい。

でも、ビクトルは「今日、お前たちはママの家に行かなくちゃいけない。だから学校を休ませるわけにはいかないんだ。今日は学校は半日で終わりなんだから、ママが迎えに来るまで頑張れ!」と言って、学校へ連れて行く支度を始めた。

エクトルは、「ママなんか迎えに来ないもん。いつも迎えに来るのはマックスだもん。」と、泣きそうな顔で最後の抵抗を見せた。

私もビクトルも、その言葉を聞いて改めて呆れたし、改めてエクトルを哀れに思ったが、「あのな、エクトル。金曜日は、午後からはママがお前たちの責任を持つ番なんだ、それは裁判所で決められてるから、パパと梅子は何もできないんだよ。ママが迎えに来ないのなら、もしどうしてももう限界だと思ったら、先生にマックスの携帯番号を教えて、マックスに迎えに来てもらいなさい。ママは当てにならない。マックスの携帯番号は知ってるな?」と、ビクトルが優しく言った。

 

その、同じ日の昼過ぎ、私とビクトルが外出をしていると、ビクトルの携帯にマックスから着信が入った。

要件はあらかた想像がついた。

エクトルには可哀想だったけど、ビクトルが電話を取ることはなかった。

 

2日後の日曜の夜、子供たちが我が家に帰って来た。

エクトルは、元気ハツラツとしていたが、手には病院の処方箋を持っていた。

 

あの2日前の金曜日、学校でエクトルはとうとう限界を感じて、先生に頼んでマックスに電話をかけてもらった。

マックスは、その2時間後…、いつもの迎えの時間と変わりない時間帯に迎えに来た。

その後、子供たちはマックスに連れられ母親の家に向かったが、母親の家では、母親と、そして異父弟のフアンがインフルエンザでダウンしていた最中だった。

新たにエクトルまでもが病人でやって来たもんだから、これはたまったもんじゃないと、シュエは早速マックスを駆り立て、エクトルとフアンを病院へ連れて行った。

インフルエンザではなかったアーロンのウイルスを受け継いだはずのエクトルは、インフルエンザと診断された。

さらに、インフルエンザなのに?、抗生物質を処方された。

薬のおかげか、はたまた、“病院へ行った”という、子供特有の病院マジックか、エクトルは金曜日1日ダウンしただけで、翌土曜からはすっかり元気になった。

本当にインフルエンザだったんだろうか…。

 

「経緯はわかった。それで?薬は?バックパックの中?」

長々と、舌っ足らずのエクトルの説明を聞いた後、ビクトルと私は、シュエがエクトルに持たせてよこした診断書と処方箋に目を通しながら、そう聞いた。

処方箋には、抗生物質の服用は6日間と書かれてあったので、少なくとも翌水曜まで飲ませなければならない。

「買ってないよ。ママがパパに明日薬局で買いに行くようにって言ってた。」

 

はぁーーー????

 

もう、はぁーーー????である。

はぁーーー????しか出てこない。

 

「なんで?金曜日に病院に行ったんでしょう?それから薬は毎日飲んでなかったの?」

こんがらかった頭で私がそう聞くと、エクトルは、「うん。飲んでたよ。」と言った。

ますます頭がこんがらかった。

「お医者さんに処方箋をもらった時、ママが、“この子は日曜までしか我が家にいないから、日曜までの薬を今ください。月曜からの分は父親に買わせますから。”ってお願いして、特別にお医者さんから直接もらったの。だから、明日からの薬は、パパに頼みなさいって、ママが…。」

 

それまで黙って話を聞いていたビクトルが、持っていた診断書と処方箋を突然ビターン!とテーブルに叩きつけると、そのまま黙ったまま、書斎へ消えていった。

この最後のエクトルの一言で、ビクトルの怒りが頂点に達した。

 

書斎に消えたビクトルだったが、またすぐ戻って来た。

そして、戻って来るなり、ものすごい早口で、時にスペイン語交じりで、それまで胸の内にため込んでいたのであろう怒りを、一気に吐き出した。

「畜生!毎週毎週子供たちを病気にして返してよこすくせに、なんなんだ?たった1度エクトルを病気で託したからって、これが俺に対する仕返しか?!仕返しのためなら子供の薬も買わないのか?!彼女は本当に母親か?!鬼なんじゃないのか?!なんでいつも俺がやらなきゃならないんだ?!俺は本当にシュエと離婚してよかった!心からそう思うよ!それなのに、それでもまだ苦しめられる!俺は子供たちのために、今まで何回病院に、薬局に行った?彼女は何回行った?絶対俺の方が多いさ!たとえ彼女がようやっと子供たちを病院に連れて行ったとしても、このザマだからな!」

ただただ驚く私とエクトルの前で、ビクトルは吠えるだけ吠えた。

吠えるだけ吠えて、最後に「タバコ買いに行って来る!」と言うと、玄関のドアをバタンと勢いよく閉めて、出て行ってしまった。

エクトルは、バツが悪そうにしていた。

私は何も言うことができず、ただ、エクトルに「さぁ、もう寝る時間だ。パジャマに着替えようか。」としか言えなかった。

 

 

長々と、2話に渡って話してきたが、実は、こんなことがつい最近まで、ほぼ毎週末続いていたことを、果たして信じていただけるだろうか。

3週…、いや4週に渡って、毎週金曜日になると、「代わりに子供たちを迎えに行ってくれないか。」と言う、マックスからの電話に始まり、日曜は日曜で、平日の間は元気だったはずのアーロンかエクトル、どちらかが必ず、月曜は学校を休ませなければならないほど具合が悪くなって帰って来る…というのが、本当につい最近まで、嘘じゃなかろうか?!というぐらい、連続で続いたのだ。

マックスが金曜日に「代わりに迎えに…」と電話をしてくる時、その時母親はどこで何をしているのか、彼は1度たりともビクトルに話さなかった。

 

月曜からの学校に備えて、せめて日曜だけでも、子供たちがきちんと体調管理、心の準備をしていないことももちろん問題だ。

子供たちももう小さくないのだから、それぐらいのことをしてもらわなくては困る。

だけどそれ以上に、子供を管理する親が、大人が、子供の健康をきちんと見ないでどうする?

ましてや今は冬で、連日のようにやれインフルエンザが流行してるだの、やれ気温が下がるだの、ニュースで散々やっているし、そもそも子供は病気になるのが得意中の得意なのだから、だからこそ、周りの大人がより一層気にかけてあげなければならない。

我が家でも散々気にかけて、あれこれやってきたが、それでもやっぱり子供は病気になった。

それなのに、“自称(ここはたっぷりイヤミを込めてそう呼ばせてもらう。)・息子たち命” の母親は、一体どこで何をしているのだ??

子供たちの口から聞くのはいつも、「マックスに薬を用意してもらった。」「マックスがやってくれた。」と、マックスの名前しか出てこない。

いつも子供たちを世話しているのはマックスばかりで、シュエが何かをしてくれたという話は一切出てこなかった。

強いて言うならば、この数週間の間、子供たちの話から母親の活躍を聞いたのは、エクトルと、あとそうだった、彼女の大事な大事な三男坊がインフルエンザになって、病院に連れて行った時の、たった1度きりだ。

 

ある日の週末に、アーロンが盛大にお腹を壊して、土曜日丸1日嘔吐し続けたらしい日があった。

でもその翌日の日曜日、まだ胃がキリキリしているけれど、もうこれ以上胃の中に吐くものは何もないアーロンに出された最初の食事は、シュエお手製のチャーハンだったそうだ。

その日の夜、アーロンがげっそりと真っ青な顔で我が家に帰って来て、この話を聞いた時は、私もビクトルもふんぞり返るほど呆れた。

 

あまりに子供たちの体調不良での帰宅が続くので、また別の、とある日曜日、今度はエクトルが週末の間もずっとお腹を下し、月曜日も学校を休まなければならないほど下痢がひどかった時、業を煮やしたビクトルが、シュエにクレームのメールを送った。

「子供たちの週末の健康管理を、お願いだから僕たちのように真剣に取り組んでくれ。」と。

 

すると、即座にシュエから反撃のメールが返って来た。

「そうね、わかったわ。」なんていうメールじゃない。

反撃なんだからすごい。

 

「エクトルのおとぎ話をマジメに信じてるなんて…!こちらの方が笑いすぎてお腹が痛くなりそうです。あの子はね、食べ物の好き嫌いが多すぎて、嫌いな物が出るとすぐにお腹が痛いと嘘をつくの!責任ある親なら、エクトルの嘘ぐらい見抜けるものだと思いますけど?」

 

その返事を見て、私もビクトルも、あぁ、この人はもうダメだ、話にならん…と思った。

 

ちなみに、少し話が脱線するが、良く言えば“おとぎ話”、若干皮肉を込めた意味では“ほら吹き話、デマ話”…などと言う時、スペイン語で「cuento chino」という表現がある。

「cuento」は「物語」、「chino」は「中国」の意味だ。

シュエは、エクトルのほら吹き話のことを「cuento chino」と書いていた。

中国人として、屈辱に感じないのかな…と、なぜかふと、冷静に考えてしまった。

 

 

■本記事シリーズのタイトルは、映画「兄に愛されすぎて困ってます」(2017年公開、日本)をモジって使わせていただきました。
記事の内容と映画は、一切関係ありません。