梅子のスペイン暇つぶし劇場

毒を吐きますので、ご気分の優れない方はご来場をご遠慮ください。

母が何もしなさすぎて困ってます 1

毎年のことではあるけれども、日本も度重なる寒波に見舞われているようで…。

寒中お見舞い申し上げます。

 

さて、ここスペインでも、つい最近まで2度目?3度目?の寒波が来ていた。

北部の地域では、やれ大雪だの大雨だの、道路交通が麻痺しただの川が氾濫しただのと、連日のようにニュースが流れた。

 

そんなスペインだが、それでも昨年の11月、12月、冬の始めの頃は、雪は降らないわ雨は降らないわで、全国的に深刻な水不足でもあった。

毎日毎日乾燥していて、浴びるほど化粧水を使っても、テカテカになるほど乳液やクリームを塗りたくっても、顔がパリッパリになって粉を吹くので、とうとうオリーブオイルを塗った。

(オリーブオイル、侮ることなかれ。塗って2日でしっとりお肌がよみがえった!)

 

ずっと雨が降らないものだから、首都マドリードをはじめ、各地の都市で光化学スモッグが充満した。

こと、マドリードでは、中心街への車での侵入や路上駐車の規制が行われ、私が住むこの街も例外ではなく、大気汚染のレベルが上がったと、連日報道された。

 

雨が降らず、大気汚染が深刻になると、インフルエンザを始めとする、ウイルス感染の患者数も跳ね上がった。

病院ではベッドが足りず、廊下で診察や点滴を受ける患者の姿も、テレビで何度も見た。

 

だ・か・ら!

私は気を付けていた。

自分はもちろんだけど、我が家の子供たちが風邪を引かないように、毎日「うがい!手洗い!」としつこく言った。

その割には、冬の始めに図らずも私が大風邪を引いて、1週間寝込んでしまった時は、24時間マスク付けっぱなし。

子供たちに風邪がうつらないことだけを祈った。

ちょっと寒い日は、夕飯の献立には必ず、ショウガと大根を入れた味噌味の豆乳スープを作った。

汁ものが嫌いな次男エクトルは、「え~!またスープ~?」と文句を言ったが、長男アーロンは、思春期になって味覚が変わったのか、この味噌豆乳スープをいたく気に入り、ほぼ毎日のようにリクエストするまでになった。

おかげで今、我が家の味噌が切れてしまったぐらいだ。

 

子供たちが、少しでも鼻水をすすろうものなら、少しでも咳をしようものなら、すぐさまショウガ入りの温かいハチミツレモンを作って飲ませ、冷蔵庫にはハチミツ大根を常備した。

 

次男エクトルについては、乾燥となると、肌が壊れ始める。

夜、パジャマに着替える時、私はいつもエクトルの肌のチェックをした。

彼の肌荒れがひどくなるのは、大抵決まって、太ももの裏、手の甲と指、それから目元と口元だ。

クリームを塗る時は、肌の様子を見て、状態や場所によってクリームを変えた。

 

そうして、冬休みを迎えた。

 

我が家の子供たちの冬休みは、前半と後半で親権が変わる。

冬休み開始日から12月31日、大晦日までの前半は、前妻シュエが親権を持ち、元日1月1日から冬休み終了日までの後半は、ビクトルが親権を持つ。

(※これは、あくまでも、ビクトルとシュエの養育権の契約によるもので、スペインの子持ち離婚夫婦が、皆が皆、必ずしもこのようなシステムでクリスマスの子供の親権を分けているのではないということを、念のため明記しておく。)

 

「それじゃ、子供たちとクリスマスを過ごせないじゃん?」と、思う方もいらっしゃると思うが、ご安心を。

スペインのクリスマスは、12月24日と25日も、もちろん1年でいちばん大事なイベントだけど(スペインでは、25日は祝日だ。)、それでクリスマスは終わらない。

年明け1月6日は、Los Reyes Magosと言って、東方から3人の賢者がラクダに乗って、イエス・キリストの誕生をお祝いに来たと言われている、クリスマス最後の大イベントの日(ちなみにこの日も祝日)だ。

日本では、クリスマスよりも大晦日と新年三が日を重視するが、スペインでは、もちろん、大晦日はnoche viejaと言って、夕食にはご馳走が並び、ブドウを食べながら年明けのカウントダウンを祝うけれども、個人的には、クリスマスイベントの方が重視されているような印象を受ける。

 

年末のクリスマス前半を、ビクトルと2人だけでしっぽりと過ごした穏やかな日々を、少し惜しみつつ、一方で久しぶりに子供たちに会う楽しみの中、私は子供たちの帰りを待った。

そして、1月1日元日、子供たちが我が家に帰って来た。

 

新年の挨拶もそこそこに、エクトルが神妙な面持ちでこう言った。

「パパと梅子に、1つ悲しいお知らせがあります。これを見て…。」

そう言って、エクトルはおもむろにズボンを脱ぎ、後ろ向きになった。

 

「ギャーー!!!なにこれーー!!!」と、私は思わず日本語で叫んだ。

 

エクトルの太ももの裏は、どエラいことになっていた。

両足、共に膝の裏からパンツの中のお尻まで、尋常じゃないほどカッサカサの粉を吹いた状態に加え、まぁしかしどんだけ掻きむしったんだよ?というほど、真っ赤にただれ、所々で出血。

パンツにはすでに所々血が滲んでいた。

 

私はすぐさまエクトルを子供部屋に連れて行くと、ベッドの上に腹ばいに寝かせ、軟膏を取りに走った。

こりゃぁいつものクリームやヴァセリンではダメだ。

何かの時のために、今まで使わずに取って置いた、日本の病院の軟膏を塗らないとダメだ。

私の手が冷たくて、エクトルは「触らないでぇ~!」とぎゃあぎゃあ騒いだが、やかましい!

そんなことよりも、頭の中は「なんで…?なぜゆえ…?母親といてどうしてここまでひどくなる…?」と、?マークが乱れ飛んだ。

当の本人、エクトルに聞いてみれば、「ママも知ってる。クリームも塗ってくれた。時々。アロエを。」とのこと。

はぁーー???時々だとーー???しかもアロエだとーー???

 

「アンタ、これ痒かったんでしょう?それじゃアロエなんかじゃ効かないよ!なんで痒み対策の軟膏の1つも塗ってやんないかなぁもう~。しかも時々って何よ?こんなん、毎日でしょうが!しかも毎日最低でも、最低でもよ?2~3回は塗らないと治らんよ!こんなにまでなっちゃったら!」

怒りと興奮と呆れで、日本語交じりのとんでもないスペイン語で、私は一気に言った。

でも、新年早々、しかも、子供たちが帰って来たばかりだというのに、早速怒鳴り飛ばしたくはない。

だから、こうして文字にするとあたかもまくしたてているようだけど、実際は「アロエなんかじゃ効かないじゃんか~。」と、極力語尾を荒げないように、それでもネガティブな内容は、エクトルにわからないように、日本語を使った。

それでもきっと勘のいいエクトルは、私のシュエに対するイヤミぐらいは気付いたかもしれない。

 

それから私は毎日、朝と晩の2回、エクトルの足に軟膏を塗った。

本当は朝・昼・晩の、少なくとも3回は塗りたかったが、日本の病院からの軟膏は、容量が少なく、1本しか持っていなかったので、特に出血のある箇所にだけ少しずつチマチマ使うしかなかったのと、私があんまり何度も「薬塗るよ!」と言うもんで、しまいにはエクトルがブーブー言い始めたからだった。

 

足もだったが顔は特に、アトピーのような症状で、ビクトルと共にエクトルを連れて薬局へ行き、薬剤師さんも「これはアトピーだわね。」と言うので、アトピー用のクリームとシャワージェルを買った。

クリームもシャワージェルもなかなかの高額で、たったそれだけで7千円以上もした。

しかしこのアトピー用のクリームは、まったくもってエクトルの症状には効果がなかった。

効果がないばかりか、塗ったそばから痒い!痒い!と、それこそ泣き出すほどの勢いで悶えるし、このクリームを塗った翌日、エクトルの顔は真っ赤に腫れ上がり、ますますひどくなってしまった。

大枚をはたいたが、これ以上使うわけにはいかず、結局また、日本の病院からの軟膏を、これ以上出ないというほど絞り出して使うしかなかった。

軟膏は1週間もたたないうちになくなって、今度は、去年の夏日本のドラッグストアで買ってきた、ステロイド入りの軟膏を、苦渋の決断の末、使うことにした。

私も痒みを伴う肌荒れに毎年悩まされているので、この軟膏だけは自分のために使いたかったのだが、そうも言っていられない。

日本の病院からの軟膏と、このステロイド入りの、日本のドラッグストアの軟膏は、エクトルの肌荒れにずいぶん効果があった。

だんだん面倒になってきたエクトルのブーたれ攻撃にも屈することなく、2週間しつこく塗り続けて、ようやく掻きむしった傷が癒えてきた。

このままもう少し、私が集中して治してあげたいところだけど、そうもいかないのが、この養育権システム…。

学校も始まり、いつもの週末、子供たちが母親の家に行く日がやって来た。

 

私は、エクトルに日本の軟膏を持たせなかった。

それはもちろん、シュエに何を使っているのか教えたくなかったし、ましてや日本の薬を見せたくなかったからだ。

「梅子がねー、日本の病院の薬をねー…、」とかなんとか、子供たちがとっくにシュエに話しているだろうから、見せないところでどうというわけでもないのだが(もし、後でエクトルの皮膚に何か万が一のことが起きたら、「どこぞのわからん国の、変な物を塗りやがって!」と、シュエから真っ先に責められるのは、当然私だろう。)、できるだけシュエには私たちの情報を与えたくない。

母親なら、可愛い息子の皮膚にはどんな薬が良いのか、どうすれば乾燥対策、アトピー対策できるのか、自力で探しやがれ!…というのが、私の本音だ。

…というわけで、その週末、エクトルにはヴァセリンのみを持たせた。

「毎晩寝る時と、朝起きた時の2回。手と顔は自分で塗りなさい。足はママに頼みなさい。」

そう言うと、エクトルは「足だって自分で塗れるよ!」と、何度も言い張った。

でも私は、シュエでもマックスでもいい、誰か大人に塗ってもらいたかった。

太ももの裏、しかも両足なんて、子供のエクトルが自分で塗るには難しい。

ヴァセリンを無駄遣いして終わってしまう。

「ママさー、いっつも“忙しい!忙しい!”って言うからさー、頼みたくないんだよね~。」と、エクトルがブーブー言い始めたが、「ママがダメならマックスに頼めばいいじゃん。とにかく!足は大人の人に塗ってもらうこと!」

そう言って、送り出した。

 

さて、日曜。

夜、子供たちが帰って来て、早速パジャマに着替え始めるエクトルの太ももの裏をチェックした。

そして再び悲鳴を上げた。

エクトルの足は、またふりだしに戻り、掻きむしって血だらけだった。

顔も、手も、すべてまた、あのひどい状態だった。

 

私がギャーギャー言ってたもんだから、ビクトルもやって来た。

そしてエクトルの足を見て愕然とし、ちゃんと母親に塗ってもらっていたのかと問いただした。

エクトルは、怒られると思ったのか、涙声で週末の出来事を話し始めた。

 

シュエの家での初日の金曜日、シュエにヴァセリンを塗ってと頼んだら、この日は塗ってくれたそうだ。

しかし、シュエはエクトルの足を見るなり「何なの?このひどい状態は!!」と、驚いた。

それはまるで、2週間前の、年末の冬休みの時の状態を、シュエはすっかり忘れているようだったので、エクトルは「これでも冬休みの時より良くなってきたんだよ。」と話した。

だが、シュエは、出血の傷も癒え、赤みもだいぶ引いたエクトルの足を見て、「冬休みの時より悪化してるじゃない。」と、宣った。

さすがに呆れたエクトルは、「冬休みの時は、血が出ててもっとひどかったんだよ?ママ覚えてないの?」と説明し、やっとの思いで思い出させたらしい。

 

翌日の土曜の夜は、実はエクトルは、シュエにヴァセリンを塗ってくれと頼めなかった。

「なんでよ?」と、ビクトルと私が思わず口を揃えて訊ねた。

「だって…、夜にママとマックスが大喧嘩して、その後もママがずっと怒ってたから、怖くて言えなかったんだ。」

エクトルは声を詰まらせながらそこまで言うと、頭まですっぽり布団に潜り、声を押し殺しながら泣き始めた。

私もビクトルも、顔を見合わせて呆れた。

「そうか…。そんなことがあったのか。ごめん、ごめん、エクトル。それじゃママに頼めないね。」と、布団に潜ったままのエクトルのお腹を優しくポンポンしながら、私は言った。

「怒って悪かった。お前のせいじゃないのにな。ごめんな。」と、ビクトルも言った。

 

そして、その次の週末からは、兄のアーロンにヴァセリンを塗ってもらうことにした。

「アーロン、頼んだよ。もうアンタしか頼れる人はいないからね。」と、私はアーロンの肩を叩いた。

アーロンは、「わかったよ。俺がやるよ。」と、半ば面倒くさそうに言った。

そんなわけで、平日はとことん私が、週末の間は、アーロンに世話をしてもらったおかげで、エクトルの肌荒れはほぼ回復してきた。

 

やれやれ、エクトルの肌荒れ、一件落着!

…と思っていた、とある日曜の夜、子供たちがシュエの元から帰って来ると、アーロンが息も絶え絶えの、真っ赤な顔で帰って来た。

おでこを触ると熱がある。

早速熱を測ってみると、38.5度あった。

 

 

■本記事シリーズのタイトルは、映画「兄に愛されすぎて困ってます」(2017年公開、日本)をモジって使わせていただきました。
記事の内容と映画は、一切関係ありません。