梅子のスペイン暇つぶし劇場

毒を吐きますので、ご気分の優れない方はご来場をご遠慮ください。

廻る因果

【神秘】

人間の知恵では推しはかれないような不思議さ。

新明解国語辞典」より

 

私は今、“神秘”を見ているのかもしれない。

 

 

数年前、スペインに移住し、ビクトルと結婚した年。

あの1年間は、“壮絶”、この一言に尽きる1年だった。

ほぼ毎日のように、ビクトルの前妻シュエから、電話やメールで無理難題を押し付けられ、断れば理不尽に脅迫された。

子供たちを使った嫌がらせも、何度も受けた。

私もビクトルも、心の休まる日は1日とてなかった。

当時、ビクトルが使っていた携帯の着信音は、間もなく私に恐怖を植え付けることになり、何度胃腸炎になったかわからない。

 

シュエに反論すると、それ以上の凄まじい返事が返ってくる。

そんなことが毎回で、あの時はまだ、シュエの言うことをいちいち真に受けていたから、私たちはとうとう追い詰められ、事あるごとに身内や友人たちに助けを求めた。

例えば、ビクトルの甥っ子エステバンや、ビクトルの親友たちは、ほぼ毎週のように私たちと会ってくれて、話を聞いてくれた。

もちろん私も、日本の友人たちにメールで愚痴りまくっていた。

友人たちは(私の愚痴に嫌気を刺して失踪した1人を除いて笑)、親身に話を聞いてくれた。

 

そんな時、エステバンやビクトルの親友、そして日本の友人たちが、口をそろえて言ってくれたことは、「大丈夫。世の中には“因果応報”って言葉がある。シュエはいつかきっと、このしっぺ返しを喰らう時が来るよ。子供たちも、いつか必ず母親の正体を知る時が来る。」…という言葉だった。

 

この言葉は、私とビクトルにたくさんの力と安らぎを与えてくれた。

この言葉を信じて、私もビクトルも頑張ってこれたと思う。

だけど、あの時、「本当にそんな日が来るんだろうか。」と、心の片隅に100%信じきれない思いがあったのも事実だ。

高給取りのシュエ。

私とビクトルが、結婚のための手続きに勤しんでいる頃(スペインでの国際結婚はとにかく手間と時間がかかる。)、シュエはビーチでマックスと結婚式を挙げ、ハネムーンへ出掛けた。

間もなくしてマックスの車が新調された。

やがて新居も買った。

子供も生まれた。

子供たちは、毎回帰って来る度に真新しいブランド物の服を着せられていて、「自転車を買ってもらった。」だの、「スキーに行った。」だの、「遊園地に行った。」だのと、いつもお金のかかったであろうお土産話を持って来た。

そこだけ切り取れば、“裕福”…とまでは言わなくても、それでも同じ一般クラスの家庭と比べれば、贅沢な生活してるなぁと、思わずにはいられないような、幸せを絵に描いたような生活ぶり。

傍目には十分羨ましがられるような生活をしているシュエに、果たしてしっぺし返しなんか、本当にやって来るのだろうか。

シュエの恩恵を受けて、こんなに子供たちが喜んでいるのに、果たして彼らが母親を毛嫌いする時期なんて、本当にやって来るのだろうか。

そう思わずにもいられなかったのだ。

 

だが、友人たちの言うことは、本当だったと、最近特に思う。

“因果応報”って、本当に起こるんだ!と。

 

 

日曜の夜、子供たちがシュエ家族の元から帰って来ると、週末をどう過ごしていたのか、アーロンもエクトルも競うようにビクトルに話して聞かせた。

先週のあの厳しい罰を受けて、子供たちはシュエ家族の元へ行ったのだが、話を聞く限り、大人しく良い子でいたようだ。

 

パジャマに着替え、あとはもう寝るだけだという時、アーロンが書斎に入って行った。

そして、なにやらビクトルと話していた。

私は、エクトルの着替えと明日の持ち物の世話に忙しく、その時はビクトルとアーロンが何を話していたのかわからなかったが、間もなくアーロンが子供部屋に戻って来て、「梅子、おやすみ。」と言ってベッドに入った。

子供たちの眠りが深くなった頃、ビクトルがアーロンと何を話していたのか、教えてくれた。

「アーロンは、完全にシュエに失望したそうだ。」と、ビクトルが言った。

 

この週末、子供たちも、後のビクトルからの罰を恐れて、大人しくしていたそうなのだが、シュエとマックスもまた、喧嘩もせず、シュエが突然怒鳴ったりすることもなく、終始“平和な”週末だったそうだ。

アーロンが話したかったのは、この週末のことではなく、1つ前の週の週末、日曜にマックスがビクトルに電話をかけてきた、あの週末の出来事だった。

(あの週末の後、子供たちはビクトルの罰を受けることになったので、アーロン曰く、話す暇がなかったとのこと。)

 

金曜日なのか、土曜日なのかはわからないが、どちらかの日の夜、日頃子供たちの前ではあまりお酒を飲まないシュエが、ワインを飲みだしたそうだ。

皆が止める中、飲みに飲み、あっという間に1人でワインを2本も空にした。

当然、シュエは酔っ払い、子供たちやマックスに絡みだしたそうだ。

そして、あろうことか、1人で暴露大会を始めた。

 

「アーロン、アンタのパパはねぇ、もう本当に退屈な人だった!それなのにどうして私がパパと結婚生活を続けられたか、わかる?お・か・ね!アンタのパパはお金持ってたからよ。だから結婚生活が続いてる限りは、パパから取れるだけお金を取ろうと思って、たくさん買い物したわ~。パパと離婚することになった時もね、どうやったらパパから財産を踏んだくれるか考えに考えたの!それで“家が欲しい”って、ダメ元で言ってみたんだけど、アンタのパパったら!ホントにくれたのよー!すごいでしょー?やっぱり結婚するなら、金持ちとするべきね。」

 

シュエは、アーロンにこう言ったそうだ。

アーロンは、シュエがビクトルのことをそういう目で見ていたのだと改めて確信し、言葉を失った。

 

続けてシュエは、「それに比べて今の旦那ときたら…」と、マックスに対する愚痴を言い始めた。

それはやはり、主にお金絡みの愚痴だったそうだ。

ちなみに、その場には、当然マックスもいた。

 

「初めて実家に連れて行ってもらった時は、“あぁ!この人もお金持ちだー♪”と思ったのよ。車も持ってたし。でも、騙された!完全に騙された!金なし家なし職なしの最低人間だったわ。実家にはババアが2人もいるし!(マックスの実家には、母親の他に、マックスの叔母だか祖母だかにあたる高齢のおばあさんも一緒に住んでいる。)今はほら、見てよ!この家買ったのも私。車買ってやったのも私。食わせてるのも私。給料下がったっていうのに、子供まで増えて、もうお先真っ暗よ!どうしてくれんのよ!!」

そう言って、シュエは泣き出した。

 

この時ビクトルは、「子供まで増えて」という言葉に引っかかった。

だからアーロンに、「おい、おい、ちょっと待て。お前のママは、お前たちよりもむしろフアンを可愛がってるんじゃなかったのか?」と聞いた。

アーロンは言った。

「ううん。ママはフアンをあんまり愛してないよ。だって、“フアンを産んだのは大失敗。完璧に中国人顔で可愛くないし、そのくせマックスにばっかりなついて、私にはちっともなつかない。”って、よく文句言ってるもん。」

それを聞いて、今度はビクトルが言葉を失った。

 

以前、私はフアンの顔を写真で見たことがある。

生まれたばかりの頃の写真と、保育園に通い始めた頃の写真。

最初の写真は、「いつでも弟に会えるように」と、シュエがエクトルに持たせていて、いつもエクトルのバックパックに入っていた。

2枚目の写真は、ある日マックスが間違えたのか、フアンの保育園用のバッグで、我が家の子供たちのユニフォームが返されてきたことがあった。

バッグの取っ手の所に、フアンの名札と顔写真が付いていた。

生まれたばかりの頃のフアンは、目がクリクリと大きく、西洋人のミックスなんだなぁと思えなくもない感じだった。

しかし、保育園のバッグに付いていた顔写真は、本当に同一人物?!と目を疑うほど、細い一重の目で愛くるしく笑う、完璧にアジア人の顔だった。

 

話が逸れるが、中国人の遺伝子というのは、相当強いんだろうか?

まぁ、何を以って“強い”というのかはわからないけれども。

例えば、我が家の子供たちの場合も、中国人とスペイン人のミックスなわけだが、長男アーロンは、髪も真っ黒で、肌も若干浅黒く、目は良く見れば二重だけれど、一見では一重に見える、完全にアジア人の顔だ。

おかげさまで、私と一緒にいると、傍からは違和感なく親子のように見えるので、何かと勘違いされるし、一方で助かることもある。

一方エクトルは、完全にミックスの顔…だと思う。

髪はよーく見れば黒ではないし、目はぱっちり二重で、色白。

アジア人にも見えないし、かと言って、明らかな西洋人顔でもない。

そこにきての、異父弟フアンは、アーロンをも凌ぐアジア人…というか、典型的な中国人の顔。

顔だけ見ている分には、マックスの要素をどこにも感じられない。

 

それに比べると、日本人の遺伝子は、弱いのか?と、思ってしまう。

私の友人が、アメリカ人と結婚して、子供が2人いるのだが、2人とも完全にあちらの顔だ。

西洋人と日本人のミックスのテレビタレントを見ても、まるで西洋人のような顔だし、まぁ、それはたまたま彼らがものすごく日本人離れした顔で、飛び抜けて可愛かったりハンサムだったりするから、テレビに出られるのかもしれないが…。

 

話を戻して、ビクトルからこれらの衝撃的な話を聞いて、私は息をするのも忘れるほど、驚愕した。

「信じられない…。」

この一言しか出てこなかった。

シュエがビクトルと別居しながらも離婚しなかったのは、どうせお金が欲しかったんだろうと、想像はしていたけれども、酔っ払っているとはいえ、いざ実際に本人の口から告白されると、改めて衝撃だ。

一方で、異父弟フアンについては、まったく予想外の告白だったので、これもこれで衝撃だった。

開いた口が塞がらない私をよそに、ビクトルは続けた。

「“でもなんでまた、シュエはそんなに酔っ払うほど、その日は飲んだんだ?”って、アーロンに聞いたんだよ。」

すると、アーロンは即座にこう答えた。

産後うつだから。」

 

どうやらここ最近、シュエの家では、「産後うつ」という言葉が流行っているようだ。

シュエとの大喧嘩が続くもんだから、ある日マックスが「お前、産後うつでヒステリーになるんじゃないか?」と言った。

そして病院へ連れて行こうとしたのだが、シュエは頑なに拒んで、未だに病院には行っていない。

じゃあせめて、処方箋なしで買える薬を飲ませようと、マックスが薬を買ってきても、シュエは一切飲もうとしないのだと、先週、子供たちが教えてくれた。

あのエクトルでさえもが、「ママは今ね、産後うつだから、マックスも僕たちも、ママを放っておいてるの。」と言っていた。

今では、当人のシュエでさえもが、ヒステリーを起こした後は必ず、「今、産後うつ中だから!」と言うらしい。

世の中の、今、本当に産後うつ育児ノイローゼで真剣に悩んでいるお母さん方には、心から申し訳ないと、なぜか私が思ってしまう。

 

ビクトルは、「それは産後うつじゃないよ。」と、アーロンに言った。

アーロンは、「うん、僕も産後うつじゃないと思ってる。」と答えたそうだ。

それもびっくりだ。

「今、お前のママが何かしらの鬱なんだとしたら、それは、彼女が描いていた人生の理想が、全部ことごとく叶っていないことに気付いたからだよ。」

ビクトルがそう言うと、アーロンは「パパは本当にママのことよく知ってるね。その通りだよ。」と言った。

 

あの夜、彼女が酔っ払って夫や子供たちに暴露したことが、すべてだと、私も思う。

今、シュエの人生は、崩壊の危機に直面し始めた。

そして、長男アーロンは、完全に母親の正体を知った。

友人たちが言っていた、“しっぺ返し”の時がとうとう来た、…のだと思う。

 

昨日、シュエは海外出張で中国へ旅立った。

出張期間は、来月の半ばまでの約1カ月間。

先日、シュエからビクトル宛てに、出張の報告と、彼女の会社から出された出張日程表がメールで送られてきた。

メールの最後には、「すべての週末、子供たちはあなたの家族と過ごすことになります。勝手にマックスに連絡をして、彼に子供たちを押し付けるようなことはしないでください。」と、書かれていたが、「ふん。スペインから出た奴は黙ってろ。あとは僕とマックスの問題だ。」と、ビクトルが言っていた。

とりあえず、今週末は、ビクトルの誕生日を控えているので、子供たちは私たち夫婦と過ごす予定だが、残りの週末については、マックスが子供たちと会いたければ彼に託すし、彼が仕事や母親の世話などで忙しいようであれば、喜んで私たちが子供たちを引き受ける。

シュエが国内にいない時の方が、週末のやりとりはとにかく平和でスムーズで、子供たちも含めて皆が穏やかに暮らせる。

 

奇しくも、シュエが旅立った同じ日、エクトルは熱を出して学校を早退した。

アーロンも、ゲホゲホ咳が止まらない。

日曜の夜、2人して見事な鼻声で帰って来たのだ。

子供たちの前で喧嘩をしなければしないでホッとさせられるのも束の間、こうも毎回風邪を引かせて返してよこされるのも、本当に、もう、呆れて呆れてどうしようもない。

 

おかげさまで、とうとう私も風邪をうつされた。

この冬はめずらしく、1度も風邪引かなかったのにーーーー!!!!

 

 

■本記事のタイトルは、映画「廻る因果」(1920年公開、アメリカ)をモジることなくそのまんま使わせていただきました。
記事の内容と映画は、一切関係ありません。