罪と罰 1
今週、私と夫ビクトルは、気分の重い平日の午後を過ごしている。
本当は、子供たちとたくさん話したいし、平日の夜を普通に家族団らんしたい。
子供たちの好きな親子丼を作ってあげようと思って、週末に鶏のもも肉を買っておいたけど、それも作ってやれそうにない。
会員になっている映画館が、今週からビクトルの誕生日割引になるから、学校の宿題具合を見計らって、子供たちが見たいと言っていた映画を観に行こうと、密かに計画していたのだけれど、それも行けそうにない。
今週、私とビクトルは、子供たちに“罰”を与えている。
日曜の夜、彼らは、すべてのゲームをビクトルに没収された。
我が家でのゲームの使用は、無期限で禁止になった。
次男エクトルの、火曜と木曜のパソコンを使える日も無期限で中止になり、その代わりに毎日の読書が30分から1時間になった。
おやつはなし。
夕飯は、私がサンドイッチ用の食材だけを準備し、あとは自分たちで作って食べ、食器も自分たちで洗わねばならない。
長男アーロンは、毎日ビクトルに連絡帳を見せなければならない。
連絡帳は普段、子供たちが学校で宿題やテストのスケジュール、範囲などを書き込まねばならない物だ。
今週1週間の間に、もし、アーロンの連絡帳が真っ白なままだったら、「来週お前の連絡帳を持って、担任の先生に“先週は何も書くことはなかったのでしょうか?”と聞きに行く。」と、ビクトルが言っている。
さらに、アーロンは今週、いくつかテストを控えているので、その結果次第で罰が延長&増罰される。
宿題や読書を終え、夕飯を終え、寝るまでの自由時間は、各々自由に過ごして構わないけれど、殊エクトルには、何をして過ごすか自分で考えなければならないと、厳しく言い渡した。
さらにさらに、明日にでも、私とビクトルは、ドリルや問題集、そして本を買いに行く予定だ。
これからは、この問題集や本を毎週末子供たちに持たせ、“パパからの宿題”と称して、彼らに課す。
週末の間、学校からの宿題があろうがなかろうが、シュエ家族との予定があろうがなかろうが、ビクトルに指示された範囲をこなして来なければならない。
何故、突然、私たちが子供たちにこんなにも厳しい“罰”を与えているのか。
私たちは何も好き好んで、楽しんで子供たちを苦しめているわけではないことを、念のために言っておく。
苦汁を舐めたのは、むしろ私たちだ。
こうするしか、もう方法はないと、私たちはそれこそ、苦渋の決断をした。
なぜ今?
それは、日曜日のある1本の電話を受けたことから始まった。
ご記憶にも新しいだろう、先週のアーロンの告白を受け、私たちは子供たちのことが心配ながらも、彼らをシュエ家族の元へ送り出し、子供たちに何事もないことを心の隅で祈りながらも、私たちは私たちの、穏やかな週末を過ごしていた。
日曜日、私とビクトルは、アルムエルソ(午前中のおやつ)というか、昼ご飯とも取れるような時間帯にカフェに行き、軽食を済ませ、その後その足でママ(=義母)の家を訪問した。
お昼ご飯にと、私がママにインスタントのスープに溶き卵を入れて振る舞うと、いくら熱いものは熱いうちに食べるのが好きなママでも、さすがに今回のスープは熱すぎたか、最初のうちママは飲むことができなかった。
それで思い出したのだろう、ママは「昔ね、私がまだ子供だった時、母が熱いスープを父に出すと、父はいつも“熱すぎる!”って怒ってたの。でも、私も母も、スープは熱いほど美味しいと思っていたから、ある日、私が母の代わりに“お父さん、スープは熱いうちに飲むものです!”って、父をたしなめたのよ。末っ子の私が父に偉そうに言ったもんだから、父も母も驚いてねぇ。あの時の2人の顔は傑作だったわ~。」と、ビクトルも知らなかった義祖父母の昔話をしてくれた。
この日のママは、とてもご機嫌が良くて、時折ビクトルまでもが大笑いするほど、私たちはお喋りが弾んだ。
気分が良いままママの家を後にして、「久しぶりにママと大笑いしたなぁ。」などとビクトルが言いながら歩いていた帰り道、ビクトルの携帯が不在着信を伝える音を鳴らした。
まさか子供たちか…?
一抹の不安がよぎる。
携帯をチェックすると、不在着信の相手は、シュエの現夫マックスからだった。
ついさっきまでの、ママとの楽しいお喋り、さっきまでの穏やかだった週末が、一瞬にして凍り付き、“現実”と言う名の暗雲が、みるみるうちに立ち込めたような気がした。
少し考えてから、ビクトルが言った。
「もし、マックスに“子供たちを今から返したい”と言われたら、“これから母の家に行くから、2時間ほど待ってくれ”って言うことにする。」
果たしてその嘘に、何の意味があるのだろうと思ったが、もし、ビクトルが推測するように、シュエ家族が子供たちを早めに返したいのだとしたら、これからマックスと電話で話せば、その“言い訳”が聞けるだろう。
そしてその“言い訳”に、私たちは一通り腹を立て、とりあえず気の済むまで文句を言い、腹立たしい現実を受け止め、子供たちを迎える心の準備をするのに、最低でも2時間は必要かもしれないなと、思い直した。
かくして、ビクトルがマックスの携帯に電話をかけた。
マックスはすぐに電話に出た。
「やあビクトル、こんにちは。休日なのにすみません。今、話ができますか?」と、マックスが言った。
何か思い詰めているようだった。
マックスの話は、思いのほか長かった。
ビクトルが、「今、母の家に行く途中だけど、いいですよ。話せますよ。」と言ってしまった手前、私たちは家に帰ることもできず、マックスの話を聞きながら、ママの家と我が家までの間の道を、グルグルと行ったり来たりした。
ほとんどの通りという通りを回りきってしまっても、マックスの話は終らなかった。
なので、私とビクトルは目で合図しながら、いつもとは別の、ママの家からは反対の方向にあるカフェに向かうことにした。
時折、「そうそう、そうなんですよ、例えば我が家でもね…、」などと、ビクトルが話し手に回ろうとするのだけれど、ほとんどすべてマックスに遮られ、聞き手に戻された。
マックスの話は、どうやら子供たちのことだった。
プラスαで、シュエのことも含め。
ビクトルが「なんてことだ…。」と何度か言っているのを聞いて、私は頭が痛くなってきた。
決して良い話題ではないことは、容易に想像できた。
今、2人が何を話しているのか、早く聞きたいような、聞きたくないような、そんな気分だった。
カフェに着く頃、ようやくマックスとの電話が終わった。
「飲み物を注文したら、話すよ。」と言ったきり、ビクトルは無言になった。
カフェのテラス席で、私たちはいつものようにカフェオレを注文した。
注文したばかりだというのに、ビクトルは早速タバコに火をつけた。
「梅子も気が付いたと思うけど、マックスの話は、子供たちのことだった。」
私は、現実逃避したいような目で、通りを行きかう人の姿を見ながら、これからビクトルが話すことを覚悟して聞こうじゃないかと、腹をくくった。
マックスは、「もうどうしていいかわからないんです。恥を承知で電話しました。」と、言っていたそうだ。
我が家の子供たち、アーロンとエクトルが、金曜の午後シュエの家にやって来て、彼らがマックスの実家のある村で週末を過ごすとなると、マックスにとってはまだマシだと思うのだそうだ。
だけど、村へは行かず、市内のシュエの家で過ごすとなると、それはまさに地獄のようだと、マックスは言った。
まず、子供たちは四六時中、プレステか、DSか、はたまたシュエに買い与えられたスマホ、タブレット、果てはシュエのパソコン…、とにかく機械とゲーム三昧なのだという。
「アーロンは特に、てんかんを患っているし、毎日薬も飲んでいるのに、いくら週末だけとは言え、あんなに何時間もマシーンばかりいじっていられると、大丈夫なんだろうかと心配なんです。エクトルはエクトルで、“じゃあ、何したらいいのさ!”と僕に盾突く有様で…。もうどうしていいのやら…。」と、マックスが言った。
「勉強しろ!本を読め!」と言うと、子供たちはマックスに対してあからさまに嫌な顔をし、嫌々ながら宿題やら読書を始める。
でも、それは本当に一瞬で、金曜日と土曜日は、もって20分。
日曜日は、いくら何を言っても、子供たちは「宿題は全部終わった。読む本はもうない。」と言い返し、何もしないのだそうだ。
だから今日も子供たちは、朝からゲーム三昧でいると、マックスが言った。
「アーロンは、明日テストを控えてるんです。彼から聞いてますか?」と、ビクトルが聞くと、マックスは「今週テストがあることは聞きましたが、明日だとは知りませんでした。彼の連絡帳を見ても、もうここ最近はずっと真っ白だし、本人に“連絡帳は書かなくていいのか?”と聞いても、“特に書くことはない。頭の中に入ってる。”って言うんです。」と教えてくれた。
ほう、ほう、ほう。
アーロン、いい度胸してるじゃないか。
彼の常套句、“頭の中に入ってる”は、もうずいぶん昔に、ビクトルに何度も木っ端微塵に打ち砕かれ、私たちの前ではめっきり言わなくなったと思ったら、なるほど、今はマックスに使っているというわけだ。
また、子供たちが週末だらしなく過ごしていることで、マックスが叱り、子供たちと言い争いでも始めようものなら、まるで母熊か、はたまたボスキャラか?!のように、必ずシュエが現れ、「私の息子を叱るな!休日なんだ!好きなことをさせろ!子供たちを休ませろ!」と、マックスを怒鳴りつける。
子供たちもシュエが守ってくれるのを知っているので、マックスに叱られるとわざと声を上げて、シュエに助けを求め、マックスに対してますます舐めたことをするのだという。
そのいい例が、何を隠そう、エクトルだった。
ある日の週末、エクトルは家の中で、棒付きキャンディーを食べていた。
キャンディーを食べ終わると、こともあろうにエクトルは、キャンディーに付いていた棒を床にポイと投げ捨てたのだそうだ。
それを目撃したマックスが、すぐさまエクトルに「ゴミを拾いなさい!」と叱った。
しかしエクトルは、マックスの顔を真っ直ぐ見つめると、こう言ったという。
「いやだ。」と。
ここで叱り続けていても、この後何が起こるのか、マックスは知っていたので、仕方なく自分がその棒を拾い、捨てたのだそうだ。
エクトルは、マックスに「ありがとう。」と言うでもなく、さもお前が捨てるのが当然と言わんばかりだったそうだ。
我が家でもし、子供たちが床にキャンディーの包みや棒を捨てた日には、すぐさま私かビクトルの雷が落ちる。
「家は外の道じゃない!床にゴミを捨てるなんて言語道断!自分で食べた物のゴミは、責任持って自分で捨てなさい!」と、もう何百万回も言い聞かせている。
それでも時々、テーブルの上にキャンディーの包み紙が置きっ放しになっているのを見つけるので、なんでこの子たちは、こういう基本的なことをいつまでたっても覚えられないもんかねぇと、不思議に思っていたが、今ようやくその謎が解けた気がする。
「僕や妻が、我が家で子供たちにいつも何と言い聞かせているか、金曜日の朝、子供たちに何と言って学校へ、あなた方の元へ送り出しているか、知っていますか?」
日頃の心労を、ぶつけにぶつけたマックスに、ビクトルが言った。
我が家での子供たちの顔と、シュエ家族の元での子供たちの顔が違うことぐらい、私たちははなっから知っている。
厳しい私たち、特にビクトルがいないこと、逆にシュエが甘やかすのをいいことに、週末は子供たちが好き勝手やっていることや、マックスやマックスの家族は好きだけど、でも実はちっとも彼らを敬っていないことも、稀にマックスが電話してくる時にこぼす愚痴や、子供たちとの会話から、だいたいの想像はできていた。
だから私とビクトルは、「ママの家では、マックスはお前たちのパパの代わりなんだ。彼が言うことは、パパが言ってることだと思って、ちゃんと聞きなさい。お前たちはまだ子供だ。マックスもマックスのお母さんも、お前たちのことを思って叱るんだ。彼らはお前たちの将来を真剣に考えてくれているんだ。それを理解しなさい。子供が大人に口答えするのは、もってのほかだ。いくらお前たちのママがかばってくれたとしても、ママは時々間違ったかばい方をする。それはお前たちもよく知ってるだろう?悪いことをして叱られたら、素直に謝りなさい。」と、何度も何度も、週末が来る度に子供たちに言い聞かせてきた。
その度に子供たちは「うん。わかってるよ!」と言っていた。
しかし、「わかってるよ!」の結果が、このザマだ。
■本記事シリーズのタイトルは、映画「罪と罰」(2002年公開、フィンランド)をモジることなくそのまんま使わせていただきました。
本シリーズの内容と映画は、一切関係ありません。