梅子のスペイン暇つぶし劇場

毒を吐きますので、ご気分の優れない方はご来場をご遠慮ください。

散々な週末 3

あれからもう、何度週末が過ぎ去っていったことでしょう…。

本シリーズは、先月のとある週末の出来事をお送りしております…。

前回のお話は、コチラ

 

 

7時を少し回ったところで、階下のゲートの呼び鈴が鳴った。

せっかく今度こそ落ち着いて、映画に没頭しかけていたビクトルと私だったが、もう映画を見続ける気力は完全に失せた。

ビクトルはDVDプレイヤーを停止し、スクリーンをしまってリビングを出ると、キッチンにあるインターフォンに向かった。

私は私で、またいつものように寝室に向かい、窓から下の通りの様子を窺った。

呼び鈴が鳴ってからもう結構時間はたっていたのだが、外の通りでは、次男エクトルとシュエがようやく車から降りるところだった。

「何をモタモタしてんだか!」イライラが収まらない私は、1人で呟いた。

 

シュエは、エクトルをゲートまで連れて行くと、さっさと車に戻り、そして車は去って行った。

と、同時に、ビクトルが玄関のドアを開けようとする音が聞こえたので、私は急いで玄関ホールへ向かった。

 

始めに、長男アーロンが笑顔で家に入って来た。

「おかえりなさい。」と言うと、笑顔で「やぁ、梅子!」と言い、そして早速ビクトルに「ねぇパパ!あのね…」と、ビクトルと話を始めた。

しかし、ビクトルはそんなアーロンを遮って、「なんで今日は早く帰って来なくちゃならなかったんだ?」と、尋問を開始した。

「えっと…、それは…」と、話しながら2人は子供部屋へ向かった。

 

次に、次男エクトルが静々と家に入って来た。

が、エクトルの表情は、あの、苦虫を嚙み潰したような顔だった。

一瞬で、あぁ、コイツまた病気だな?と思った。

「エクトル、どうした?体調悪いの?」と、エクトルに問いかける私の声で、ビクトルとアーロンは足を止め、会話を止めた。

エクトルはコクリと頷くと、「お腹が痛くて、病院に行った。今日は2回吐いたの。」と教えてくれた。

そして、さも重病人のように、ヨロヨロと子供部屋へ向かった。

その姿を見ながら、ビクトルが「どうしたんだ?何があったのか、ちゃんとパパにも話しなさい。」と、イラつきながら言うと、エクトルの代わりにアーロンが答えた。

「あぁ、土曜日だったかなぁ、エクトルがお腹が痛いって言いだして、熱もあったんだ。フアンも喉が痛いってグズってたから、ママが“じゃあ、みんなで病院に行こう”って言って、今日、みんなで救急に行ったんだ。エクトルは、ウィルス感染だってさ。」

ビクトルが、「オー!ディオスミオ!(:オーマイゴッド)お前たちのママは、本当にすごい!本当にすごいよ!」と、大袈裟に嘆いた。

そしてすかさず、「お前たちの弟も病気で診察を受けたのか?エクトル、フアンからウィルスをうつされたのか?」と聞いた。

フアンには悪いが、ビクトルにとっては、乳飲み子のフアンよりも、我が息子エクトルの方が大事だ。

「フアンもお医者さんに診てもらったけど、フアンはウィルス感染してなかった。感染したのは、エクトルだけだよ。」と、アーロンが答えた。

 

これを聞いて私は、「はぁ~、だからか。」と、思わず呟いてしまった。

シュエが子供たちを早く我が家へ送り返したかったのは、これか!と、思った。

週が明けたら、シュエは間もなく出張に出かけなければならない。

そんな時に、エクトルがウィルス感染して、フアンにうつされでもしたら、たまったもんじゃない。

留守の間、夫マックスにさらに迷惑をかけることになるし、下手をしたら、またシュエのいない間に義母が家に来るかもしれない。

(以前、シュエが海外出張中に、自身も仕事でフアンの世話をすることができないマックスが、彼の母親を市内のシュエの家に招いて、フアンの世話をお願いしたことがあったのだが、シュエはこれに激怒。その後というものは、シュエの許可なしで義母を家に入れるのは禁止となったらしい。)

だから、いつもならアーロンやエクトルが病気になると、「週末は、病院はどこもやっていないから…」とかなんとか言って、滅多に病院には連れて行かず、子供たちを病気のままビクトルに託すシュエが、この週末はめずらしく子供たちを病院へ連れて行ったのだろう。

さらに言えば、エクトルには悪いけれど、シュエが子供たちを病院へ連れて行った真の目的は、エクトルよりも、フアンがウィルスに感染しているかどうか、ただそれを知りたかっただけ。

エクトルの腹痛は、ついでだったのだと思う。

 

エクトルは、学校用のバックパックから、薬と処方箋が入ったビニール袋を取り出し、「ママがパパに渡せって。読めばわかるって。」と言って、ビクトルに手渡した。

ビクトルはただただ怒っていた。

怒りながら処方箋を読み、怒りながらエクトルに今日の夜の分はもう飲んだのかどうかを聞いていた。

薬は、液体のボトルが2種類で、約10日間分。

1つは食前に、1つは食前食後関係なく、でも決められた時間ごとに飲まねばならない物だった。

学校でも飲まなくてはならないので、早速エクトルの連絡帳にそのことを書かねばならなかった。

それらも全部、エクトルは怒りに狂いそうになりながらも、1つ1つ慎重にこなしていった。

 

つい数分前まで、シュエはビクトルに嫌みたらたらのショートメッセージはじゃんじゃん送ってよこしたが、エクトルの病気のことは、メッセージをやり取りしていたその時も、子供たちが我が家へ帰って来た後も、翌日になってさえも、とうとう報告を受けることはなかった。

 

出だしに怒ってしまったから、その後エクトルの病気の報告をするのは気まずかったのかもしれないが、でも、それとこれとは別だ。

いくら感情が大爆発していたとしても、お願いだから、母親としてやるべきことは全うしてもらいたい。

 

エクトルの薬の件が一段落した。

エクトルはまだ調子が思わしくないようで、「もう寝る。」と言って、早々にベッドに入った。

アーロンもパジャマに着替えたものの、寝るにはまだ早く、「テレビを見てもいい?」とビクトルに言って、リビングへ移動した。

なんだかすっかり白けてしまった私たちは、もう映画の続きを見る気分でもなければ、カフェに行く気分でもなかった。

子供たちの明日の準備を済ませたりしているうちに、優雅な日曜日の気分は完全に吹っ飛んで、まるで平日の通常モードになってしまった。

 

通常モードついでに、ビクトルが「あ、そうだった…」と思い出して、ママ(=義母)に電話をかけることにした。

今日はママの家に行かなかったので、そういう日は、こうして電話をかけて無事を確認している。

 

1度目、ママは電話に出なかった。

「トイレに行ってるのかもしれない。」と、10分ほどたってから、再度電話をかけた。

しかし、2度目の電話にもママは出なかった。

その後も数分おきに何度か電話をしたが、何度かけてもママは電話に出なかった。

ビクトルも私も、そしてアーロンも、「もしや、また転倒しているんじゃ…」と、一抹の不安を抱きながらも、「いやいや、きっとトイレかキッチンにでもいて、電話の音が聞こえていないだけかもしれない。」と考えるのだが、それでもやっぱりママが電話に出ることはなく、「ママの家に行ってみよう。」とビクトルが言うまでにそう時間はかからなかった。

 

エクトルがもう寝ているので、アーロンに留守番を頼み、私とビクトルがママの家に行くことにした。

行く道すがら、どんどん深刻な顔になっていくビクトルを見て、私は「そう心配しなさんな!たぶん大丈夫だよ。それに、万が一ママがまた転んでたとしても、大事には至ってないよ。ママの骨、丈夫だもの。」と、ビクトルの背中をポンと叩いた。

「大事に至るとか至らないとか、そういうこと言うのやめてよ!縁起でもない!」と、ビクトルがちょっと怒り出したので、私は慌てて「あぁ、ゴメンゴメン!」と言った。

「でもさ、ママもどんどん老いていくじゃない?こういうこと考えるのは嫌だけど、でも、いつか来る“その時”に備えて、心も強くしていかないとダメだと思う。」

なぜかわからないけれど、私はママのお世話をすることが、まったく苦ではない。

ママは元から気難しい人で、今はボケも進んでいるから、取り扱いはますます厄介だ。

だけど、それでもママのお世話をするのは、なぜか嬉しくてしょうがないのだ。

私はそう話して、「ビクトルさんよぅ、アンタ、良い奥さん貰ったね。神様に感謝しなさいよ。」と、ニヤッと笑い、もう1度、ビクトルの肩を叩いた。

あれだけ深刻な顔をしていたビクトルも、この時ばかりは少し笑みを浮かべ、「ハハハ。そうだな。神様に感謝しなくちゃな。」と言った。

でも、その会話を終えて次の瞬間からは、私もビクトルも、また少し、深刻な表情に戻るのだった。

 

ママの家に着き、ドアを開けると、家の中は真っ暗だった。

真っ暗なのだが、その暗闇の中から、ママがひとしきり何かを話しているか細い声が聞こえてきた。

声は、寝室からだった。

ビクトルが駆け足で寝室に向かい、部屋の灯りをつけると、そこには、ベッドの傍の床の上に、枕を置いて掛け布団をかけて横になっているママがいた。

ママは、傍にあるベッドが何なのか認識できないようで、「この重い塊は何なの?どうして動かないの?」と言いながら、片手でベッドを押し動かそうとしていた。

ママがしきりに話していたのは、これだった。

ビクトルは、束の間ショックで佇んでいたが、私が部屋に辿り着くと、すぐに我に返り、新しいごみ袋と掃除道具を取りに、廊下に出た。

私はママに駆け寄って、「ママ、こんばんは。私たち来たよ。もう大丈夫だからね。さぁ、起きよう!」と言い、ママの介抱に取り掛かった。

 

ママは、いつ転んだのかも、自分が転んだことすらも、すべて忘れていた。

粗相で汚れた冷たい床に枕を置いて、掛け布団をかけて、ついさっきベッドに入ったばかりなんだ、これからもう寝るんだと主張した。

「そうね。もう寝る時間だね。でもママ、ちょっと待って。服が濡れてるみたいだから、このままだと風邪引いちゃう。私が手伝うから、着替えようよ。」

私が何度そう言っても、ママは聞かなかった。

業を煮やしたビクトルが、廊下で怒鳴った。

「ママ!お願いだから梅子の言うこと聞いてよ!覚えてないだろうけどママは転んだんだよ!床も、服も、布団も、全部濡れてるんだ!お願いだから僕たちに取り換えさせてよ!」

それを聞いて、ママは「私は汚れてない。もう寝たいのに、どうしてあなたたちは私を起こしたいのよ!」と嘆いた。

でも、ビクトルのこの怒鳴り声を聞いてからは、ママは私に協力してくれるようになり、私はママを床から起こしてベッドに一旦座らせると、体を拭くためのウェットシートとタオルを何枚か、そして新しい下着を急いで取りに行き、ママを着替えさせることに成功した。

その後の私たち夫婦の行動は、実に早かった。

私はママを一度リビングへ移動させて、脱がせた衣服を袋に詰めた。

そして、キッチンに走り、腰痛の薬と水を準備→ママに飲ませた。

「温かいミルクでも作ろうか?」とママに聞いたが、ママは「おしっこが近くなっちゃうから」と言って断った。

清掃部隊と化したビクトルは、寝室に入り、汚れた枕カバーや掛け布団の回収と、床の掃除、そしてベッドメイクをした。

ビクトルが作業をしている間、私はママとおしゃべりをして時間を稼いだ。

ママは、転んだことも忘れていたが、ついさっきまで床の上で寝ていたことも、もう忘れてしまっていた。

ママと私の会話を聞いて、時々ビクトルが寝室から「ママは床に転んでたんだよ!だから今僕が掃除をしてるんだよ?」と叫ぶのだが、それを聞いたママは「えぇ?私、転んでたの?いつ?」と言うばかりだった。

ママが転んだショックや恐怖を覚えていないのはホッとするのだけど、でもこんなにもすべてを忘れてしまうのはやっぱり悲しくて、一瞬泣きそうになった。

でもここで泣いてる場合ではないのだ。

 

ビクトルの「終わったよ!」の声で、私は立ち上がった。

「ママ、遅くにお邪魔してゴメンね。もう寝ましょうか。」と言って、ママの手を引き、寝室へ誘導した。

肌寒くなってきたこの時期に合わせて、ビクトルは冬仕様のベッドにしつらえていた。

ママは「あら!素敵なベッドねぇ!」と感激して、ビクトルにありがとうのキスをした。

ママをベッドに寝かせると、ビクトルは掛け布団を首元まで掛けてあげて、おやすみのキスをした。

そして私たちは、汚れ物が入った袋を持って、ママの家を後にした。

ママは、私たちが玄関のドアを閉めるまで、「ありがとうね。おやすみなさい。」と何度も繰り返していた。

 

 

精神的にどっと疲れた1日、いや、夜だった。

家に帰って、ママの家から持って来た汚れ物を洗濯機に押し込み、やれやれと一息ついていると、ビクトルが言った。

「梅子、今からコーヒーを飲みに行かない?」

ビクトルは、私以上に、そして私が思っている以上に、堪えた夜だったようだった。

「もう爆発しそうだよ。」と、ボソッと言った。

「もう少しテレビを見たい。」と渋るアーロンをベッドに入れ、「ちょっとコーヒー飲んで来るよ。」と言って、私たちは再び出かけた。

 

カフェで私たちが何を話したか。

ついさっきまで介抱していたママのことは、それほど話題にはならなかった。

ママの姿を見た時は、ショックはショックだったけれど、「こういうことに慣れていかなくちゃならない。」と事前に話し合っていたから、それほど大きな衝撃だと捉えさせなかったのかもしれない。

 

メインの話題は、やっぱり、シュエのことだった。

金曜日の、学校を巻き込んだ傍若無人といい、今夜のことといい、結局シュエのやりたい放題に終わった週末だったということについては、思い返すだけでも腹立たしかったが、でも、唯一の収穫は、おそらく私たちは、また彼女の尻を叩くことができたであろうこと。

これからシュエは、長期出張に出かけてしまうけれど、帰ってきたら、またしばらくの間は、彼女も少しは用心深くなるだろう。

後日談として、この日、子供たちが帰って来た時、ゲートのチャイムを鳴らしたのは、アーロンだった。

チャイムを鳴らしてからしばらくして、ようやくシュエとエクトルが車を降り、それを見ていた私は、「何を悠長に!」とイライラしたのだが、なぜ2人が遅れて車を降りたのか、ある日エクトルが話してくれた。

それは、ビクトルが送ったショートメッセージによって、シュエが少しビビったからだった。

あの時、ビクトルは「僕たちにも予定があるのだから、急に時間を変更されても困る。」とシュエに返事をした。

だからシュエは、「もしかしたら、パパたち、家にいないかもしれない。」と、子供たちに言ったのだそうだ。

そして、子供たちを乗せたマックスの車が我が家に着いた時、シュエはアーロンにチャイムを押しに行かせ、具合の悪いエクトルは自身と共に、車内で待機させていたそうだ。

 

ママのことはそれほどでもなかった。

だけど、シュエについては、とにかく、心底疲れた週末だった。

 

 

■本記事シリーズのタイトルは、映画「惨劇の週末」(2000年公開、スペイン)をモジって使わせていただきました。
本シリーズの内容と映画は、一切関係ありません。