リピーターズ
今朝方、夢を見ていて目が覚めた。
時計を見ると、普段の起きる時間まで、まだ4時間近くもあった。
こういう時、いつもならもう一度寝ようと努力して、すぐに眠りに落ちるのだが、今朝はどう頑張っても目が冴える一方で、眠ることができなかった。
仕方がないので起きることにして、今、こうしてこのブログを書いている。
どうしてもう一度眠ることができなかったのか。
理由は1つだ。
昨夜の日曜の夜、子供たちが前妻シュエ家族の元から帰って来た際に、またしてもシュエとその夫マックスが、子供たちの制服を忘れて、持って来なかったのだ。
目が覚めた時、私は無意識に昨夜のこの出来事を思い出してしまった。
冷静になろう、別のことを考えよう、と、いくら頑張っても、「なーにが責任感のある親だ!!」と、どうしても沸々と怒りが沸き起こってしまって、ダメだった。
昨夜、子供たちが帰って来る時間帯に、私はいつものように、寝室の窓辺にスタンバって、まるで諜報員のように、彼らの乗る車がやって来るのを待っていた。
やがて、マックスの黒光りの車が我が家の前の通りにやって来て、路肩に駐車すると、マックスと子供たちが車から降り、続いてシュエも助手席から降りてきて、皆がトランクの前に集まった。
子供たちはそれぞれに、自身の学校用のバックパックを背負い、長男アーロンが、我が役目とばかりに、一目散にゲートの呼び鈴を鳴らしに向かおうとしたのだが、誰かに呼び止められでもしたのか、突然立ち止まって、未だトランクの前で佇んでいるマックスとシュエ、そして次男エクトルの方に振り返り、そこから動かなくなってしまった。
街路樹が邪魔をして、彼らが何をしているのかよく見えなかったのだけれど、どうやらシュエとマックスが話し込んでいる様だった。
話し合いが終わったのか、アーロンが再びゲートの方へ走りだした。
そしてエクトルがそれに続いた。
いつものようにシュエが子供たちについて来るのかなと思ったら、ついて来たのはマックスだった。
シュエは、助手席ではなく、我が家側の後ろの座席に乗り込むも、なぜかドアは閉めずにいた。
なんだか待機している風だった。
怪しい予感がした。
「今日はシュエじゃなくて、マックスがゲートについて来たよ。」と、ビクトルに伝えると、ビクトルは、「よしよし。今日はラッキーだ。」と言った。
そして、ゲートの呼び鈴が鳴った。
以前、前記事の「日曜の儀式」シリーズでは、毎週日曜の夜は、子供たちが帰って来ると、ビクトルが階下へ行き、子供たちをゲートの中へ迎え入れ、と、同時にシュエから子供たちの制服と靴が入った袋を受け取り、ビクトルは先週末に子供たちが着て帰って来たシュエ家の私服と靴を返す、というのが恒例とお伝えしたが、実は、最近、我々は一方的にこのシステムを変えた。
※前回、彼らが子供たちの制服を忘れてきた一件については、前記事の「日曜の儀式 1」と「日曜の儀式 2」に詳しく書いたので、ぜひそちらをご一読いただきたい。
というのは、これは元々私の提案で始まったのだが、先月から新学期が始まったのを機に、毎週金曜日、私たち夫婦は、先週の私服と靴を、子供たちにそれぞれ持たせて学校へ行かせることにしたのだ。
そうすれば、毎週日曜の夜、ビクトルはわざわざ階下に行かなくて済むし、何といっても、シュエと顔を合わせなくて済む。
階下でビクトルがシュエと顔を合わせても、2人は今までろくに挨拶もしたことがない。
100歩譲って2人が会話するとしても、それは結局口論となり、シュエが発狂してマンション中にそのクレイジーな叫び声を轟かせ、子供たちは恐怖と緊張で委縮し、ビクトルは怒りに震え、ご近所に対してこの上なく恥ずかしいだけだ。
顔を合わせないというだけで、ビクトルがどれだけのストレスから解消されることか。
それに、これは決して、ビクトルが楽になるだけの話ではない。
今までは、シュエとのばかばかしいトラブルが悪化するのを回避するために、わざわざ甥っ子のエステバンに来てもらうこともあった。
でも、このシステムを導入すれば、エステバンにご足労いただく迷惑も、かけなくて済むようになる。
また、このシステムは、シュエ自身にも好都合だろう。
「子供たちの受け渡しには、親が責任を持って付き添うべき!マックスを巻き込まないで!」などと豪語していたシュエだけど、前回制服を忘れて来た時、彼女はいけしゃあしゃあとマックスを使い、ビクトルとの直接対局を恐れた。
それだけではない。
夏休み中の子供たちの受け渡しも、迎えに来たのはマックスで、送ってよこしたのもマックスだった。
普段は、“子供思いの素晴らしい母親”を気取るくせに、本音の所では、子供たちの送り迎えが面倒でたまらないし、結局ビクトルと顔を合わせるのだって本当は苦痛でしょうがない、というのが、痛々しいほど見え見えだ。
アーロンもエクトルも、もう小さい子供ではない。
両親の仲が至上最悪なのも、悲しいけれど、彼らなりに十分理解できている。
そもそも自分たちの洋服なんだし、このぐらいの責任は持たせていい歳になったと思う。
初めのうちは、ビクトルはこの新システムの導入について、「シュエが“子供たちを使うな!”と言ってきたらどうするんだ?」と、猛反対だった。
子供たちも、「学校に余計な物を持って行っちゃダメなんだよ!」なんて言う始末。
ビクトルに関しては、「僕はシュエと顔を合わせることなんて、ちっとも恐れていないし、何とも思わない!」とまで言いだした。
でも、妻として、私はこれ以上ビクトルに無駄なストレスを抱え込ませたくなかった。
子供たちはもう、ヨチヨチ歩きの子供なんかじゃない。
殊アーロンに関しては、「子供たちだけで、ウチのマンションのエレベーターを使わせるのは危険!」なんていう歳でもない。
学校に余計な物を持って行っちゃダメ?
それなら、なんで毎週金曜日、週末母親の家で遊ぶためにDSをバックパックに忍ばせて学校に行くのさ?
先生方は、我が家の事情をよく知っているし、私服を学校に持って行ったとしても、まさか着て行くわけじゃあるまいし、「今日はママの家に帰るからです。」とでも言えば、わかってくれるはずだ。
(DSについては、先生方にはその理由は通用しないかもしれないけど。)
それに、そもそも、毎週毎週、最高に犬猿の仲の2人が顔を合わせることで、一体誰が幸せだ?
本当に束の間の、“真の親子の対面”という点では、もしかしたら子供たちは幸せかもしれない。
でも、お互い挨拶もしない、目も合わせない、口を開けば口論が始まる両親の姿を、一体どこの子供が望むんだ?
新システムを導入するなら、タイミング的にも、まさにこの時だった。
新学期が始まって、また1学年、子供たちは大きくなった。
もし、シュエがブウブウ文句を言ってきたら、「子供たちは自分の洋服と、その責任を持てるほど十分成長した。」とでも言えばいい。
それと、私にはもう1つ確信があった。
実は、近々シュエは、長期の海外出張を控えている。
もしかしたら、出張中の週末の子供たちの世話を、ビクトルにお願いしなければならない立場のシュエが、今このタイミングでビクトルに文句を言うとは、到底思えなかったのだ。
そんなわけで始まったこの新システムだが、思惑通り、今の所、シュエからは何のコメントもクレームない。
子供たちにも、シュエは特に何も言っていないようだ。
ビクトルはシュエの顔を見なくていいストレスから解放されて、「梅子の提案のおかげだよ!」とまで言うほどになった。
そこに来ての、昨夜の制服忘れだ。
ゲートのインターフォン越しに、ビクトルとマックスが会話をした。
マックスは、再びビクトルに平謝りし、「明日(月曜日)、仕事が終わり次第、届けに伺います。」と言った。
当然のように、この件について、シュエからは未だ何の連絡もなければ、謝罪もない。
マックスが車に戻ると、後部座席で様子を窺っていたシュエが、一旦車から降り、マックスと一言二言交わしているようだった。
そしてすぐさま助手席へ回り、再び車に乗り込むと、マックスの埃だらけの黒光りの車は、夜の闇へ消えて行った。
今日、月曜日。
今朝、エクトルが、モジモジしながら私に話しかけてきた。
「昨日、ママが僕たちの制服を忘れたじゃん?あの袋にね、靴も入ってたのね。それで、今日学校に履いて行く靴がない…。どうしよう、梅子…。」
そうだったー!
不覚だったー!
アーロンもエクトルも、金曜日と月曜日の制服はポロシャツにスラックスだから、靴は黒のローファーだ。
ポロシャツとスラックスは2着ずつあるから気にしてなかったけど、ローファーは2人共、1足ずつしか持っていない。
中学生になったアーロンは、体育がある日のスニーカーは、色が自由になったから、運良く黒のスニーカーでなんとか誤魔化せるけど、エクトルのスニーカーは、真っ白だ。
「う~ん…。どうしたもんじゃろの~ぅ。」と悩んで、「よし!しょうがない。今日からフットサルクラブも始まるし、体育の白スニーカー履いて行きな。先生に何か言われたら、ちゃんと説明できるよね?」と、私が決断を下すと、エクトルは「うん、できる!わかった!」と言って、早速スニーカーを履いた。
シュエは、本当に大した母親だ。
見上げたものだよ、まったく。
なぁ~にが“責任持って子育てしろ!”だ!!
お前になんぞ言われなくとも、こちとら実の子なんぞいないけど、お前のおかげで頑張ってやっとるわい!
…と、本人には伝える術も度胸もないので、ここに吐き出し。
■本記事のタイトルは、映画「リピーターズ」(2010年公開、カナダ)をモジることなくそのまんま使わせていただきました。
記事の内容と映画は、一切関係ありません。