梅子のスペイン暇つぶし劇場

毒を吐きますので、ご気分の優れない方はご来場をご遠慮ください。

愛しき家族のつくりかた

「梅子は変わったよ!ここに来たばかりの頃の君は、そんなんじゃなかった!!」

 

これは、私にとって、最も心に突き刺さる言葉で、そして最も私を怒らせる、ビクトルからの言葉だ。

 

子供たちの夏休み中の、とある夜、夕飯を終え、食器を洗っている最中に、私とビクトルは口論になった。

 

片付けの手伝いもせず、子供たちが狭いキッチンであっちに行ったりこっちに行ったりしながら、「お前はバカだろう!三段腹のパンチート!」「お前こそバカだろう!太っちょニガー!」みたいな、差別的な言葉を交えて、笑いながら罵り合っているのを聞いていて、私は1人、黙々とイライラを募らせていた。

以前、私は子供たちに何度か「パンチートとかニガーとか、人を差別するような言葉を使ってほしくない。」と訴えた。

でも、彼らはそんなこと、すっかり忘れてしまっているようだった。

子供たちが作業の邪魔になり始めたので、「ちょっとどいてよ、アンタたち。」と、ドスを利かせ気味に言うと、子供たちは「あぁ、ゴメン、ゴメン。」と、私の傍を離れた。

でもその後、なぜか長男アーロンが私の所へ戻って来て、肩をポンと叩いたので、私は咄嗟に「何?」と、イライラMAXの声で言ったのだ。

それまでニコニコ顔だったアーロンは、急に真面目な顔になって、「何も用はないよ。ゴメンっていう意味で、叩いただけだよ。」と説明した。

でもイライラMAX中の私は、そのままの勢いで「あぁそうなの?何か用があるんだと思って、こっちは“何?”って聞いただけなんだけど!」と言った。

このやりとりを、ビクトルが聞いていて、「アーロンは謝っただけだよ。それが何か問題か?」と、私に突っかかってきた。

私はビクトルを睨んで、「だから、それは知ってるってば!“ゴメン”って言うのを聞いたんだから!でも、その後に肩を叩かれたから、他に何か用事があるのかな?と思っただけでしょう?」と言い返した。

そうして、私とビクトルの口論が始まったのだ。

子供たちは、いつの間にかリビングに避難していた。

ビクトルはおしまいに、冒頭の「梅子は変わったよ!」を吐き捨てると、ぷいとリビングに移動して、子供たちと映画のDVDを見始めた。

ビクトルがDVDを見る時は、リビングのドアのすぐ真上に取り付けてあるスクリーンを広げて、プロジェクターを使って見るので、リビングのドアは閉められ、私は1人、キッチンに取り残された。

 

ビクトルと子供たちの、楽しそうに話す声を聞きながら、私は本気で「今度こそ日本に帰る飛行機のチケット、予約しなくちゃ。」と考え始めていた。

 

夏休み中、私は子供たちと言い争うことが多かった。

私の目には、子供たちがとにかく、だらしなく日々を過ごしているようにしか見えなかったからだ。

だからもちろん、家の中のちょっとしたことを、とにかくいろいろ手伝いさせた。

「デイリー・ミッションを授ける!」と言って、毎朝、朝食前に、アーロンにはベランダにあるエアコンの室外機から出た水を捨てることと、猫の助のご飯と水を新しく取り換えること、エクトルには、ベランダの植物の水やりを、それぞれの任務とした。

食事前にはテーブルを拭くこと、フォークや箸、ナプキンを並べること、食事の後は、自分が使った食器をシンクに持って行くこと、最後にもう一度テーブルを拭くことも、彼らの任務にした。

 

それでも、なんだかなぁ~、とにかくだらしなかった。

テレビを見たり、DSで遊ぶ時は、2時間も3時間も、散々堪能した後でも、「え~!もうおしま~い?」と、ブーたれるくせに、勉強は、ダラダラ、ダラダラと、始めるまでに30分はかかる。

やっと始めたかと思えば、それこそ30分もしないうちに、「終わりました~。」と、さっさと終えてしまう。

勉強中は、ビクトルの目を盗んでは、おしゃべり…からの、喧嘩が勃発して、エクトルがぎゃん泣き

私が監視すれば、やれ「アイス食べたい。」だの、「お昼ご飯は何?」だの、もうとにかく食べ物の話ばかりして、全然集中してくれない。

さらにさらに言えば、何度も注意していることを、ものの数分後には、すべて忘れてくれる。

「部屋を出る時は、テレビと扇風機と灯りを消しなさい。」

「トイレットペーパーが終わったら、冷蔵庫の豆乳(我が家は皆、牛乳でなくて豆乳だ。)や水がもう少しでなくなるなと思ったら、次の人のために、新しいのを用意しておきなさい。」

「(我が家は外からの靴を脱がないで入る家なので)靴下や裸足で家中を歩くのはやめなさい。」

毎日毎日まーーーーーーーいにち注意しても、毎日毎日まーーーーーーーいにちアーロンかエクトルのどちらかが、テレビやら扇風機やら灯りが付けっぱなしだし、トイレットペーパーの芯がペーパーホルダーにそのままだし、よりにもよって真っ白い靴下で、ペタペタと家中を歩き回っている。

「ちゃんと座りなさい。」と言っても、テレビを見始めれば、ものの数秒でソファとクッションに埋もれて寝そべるし、DSをやり始めれば、ベッドの上でゴロゴロ寝転がる。

 

そんなんだから、夏休み中は、ビクトルよりもむしろ、私の方が子供たちに厳しくて、ちょくちょく雷を落としていた気がする。

でも、子供たちは、ビクトルほどは私を怖がらないので、彼らも負けずに言い返してくることも多々あった。

そうなると、私VS子供たちの喧嘩だ。

 

そんな日が続いて、ある日、ビクトルが私に苦言を呈した。

「最近、子供たちが梅子を嫌いになり始めているよ。あまり口うるさくしない方がいいんじゃないか?」と。

それからは、私が子供たちを叱り始めると、いつもビクトルが「叱るのは、僕の役目にしてほしい。梅子はそれ以上怒るな。」と、後から割って入ってくるようになった。

 

たしかに、特に長男のアーロンは、私とやり合った後は、1人、部屋にこもって考え事をしたり、ビクトルのちょっとした用事なんかがあると、すぐにビクトルと2人だけで外出したがるようになったのは、私も少し気にはなっていた。

私、ちょっと鬼軍曹みたいかな…。

そう思ったりもしたけれど、でもそう思った次の瞬間には、子供たちが何かをやらかしている。

そして、私は再び鬼軍曹に戻るのであった。

 

洗い物を終え、私は書斎に移動して、パソコンの前に座った。

Youtubeを見たり、ネットサーフィンをしながら、でも、頭の中ではずっと、ビクトルに言われた最後の言葉、「梅子は変わったよ!」の意味を考えていた。

飛行機のチケットサイトは、まったくチェックする気も起きなかった。

ビクトルと子供たちは、まだDVDを見ていた。

時折、子供たちがビクトルに何か質問している声や、それに答えるビクトルの声が聞こえた。

 

どうして私は変わってしまったか。

いや、私は本当に変わってしまったのか?

交際していた頃は、たしかに猫は被っていた。笑。

でも、猫を被っていたとは言っても、東京時代、私は気取って小洒落た生活をしていたわけでもないし、そんなに大袈裟な変化はない。

男手一つで子供2人を育てるビクトルの苦労話をただただ親身に聞いて、大した口出しはしなかった、ぐらいなものだ。

覚悟を決めて移住して、このビクトル親子と暮らし始めてから、私はこの親子の前では一切猫を被るのはやめた。

私のダメな所も全部さらけだしたし、子供たちの問題も、前妻シュエとの問題も、少しずつ口を出した。

だって、家族だから。

だって、これは、私の家族の問題だからだ。

それを「変わった」と言うのなら、それは当然のことだ。

 

どうやら、ビクトルと子供たちがDVDを見終えたようだった。

ガヤガヤとリビングから出てきて、子供たちは寝る支度を始めた。

ビクトルは、沈黙のまま、私のいる書斎に入って来て、自分のパソコンのスイッチを入れた。

パジャマに着替えたアーロンが、書斎の入口までやって来て、「梅子、おやすみなさい。」と言った。

私も「おやすみ。」と言った。

 

子供たちが寝てしまった後も、しばらく沈黙のまま、私もビクトルも、各々にパソコンをいじっていた。

私は、ビクトルにこれから言うべきことを、頭の中で丁寧に英語に変換していた。

これから言おうとしていることを、もし、ビクトルが理解してくれなかったら、それまでだ。

パソコンを消して、寝よう。

そして、それこそ、明日の朝にでも、地下のガレージからスーツケースを持ってきて、日本に帰る準備をしようとさえ思った。

 

「あのさ、あなたは“私は変わった”って言うけども、私の根っこの部分は何も変わってないよ。でも、私がここに来て、あなたや子供たちと暮らし始めた時に比べれば、もちろん、変わった部分もあるのは確かだよ。」

そっとパソコンの電源を落として、ビクトルにバレないように深呼吸をして、私は、やおらビクトルの背中に語りかけた。

ビクトルはキーボードを叩くのをやめて、でも私に振り返らず、話を聞き始めた。

 

「私がここに来たばかりの頃は、スペイン語が全然わからなくて、あなたと子供たちが何を話してるのかさっぱりわからなかったし、自分の気持ちを子供たちに伝えることもできなかった。でも、今は少しずつだけど、あなたや子供たちが何を話しているのかわかるし、会話が成立するようになってきた。私の意見を子供たちに伝えることもできるようになってきた。それは1つの大きな変化よね?」

ビクトルは、「そうだね。」とボソッと言った。

 

「それから、私が子供たちと暮らし始めた頃は、まずはとにかく、新しい家族として、子供たちに受け入れてもらうために、子供たちに好かれようとした。だから、大したことでは怒らなかったし、いつも笑顔を努めたよ。子供たちの友達になることから始めたんだよね。それで、子供たちが受け入れてくれたおかげで、こうして私は今、この家族の一員になれた。でも、家族って、親子って、そんなに毎日毎日、笑顔で過ごすような間柄?時には怒ったり、時には機嫌が悪くて八つ当たりする時だってあるよね?」

「たしかに。」と、ビクトルが頷いた。

 

「前はよく、エクトルが、“マックスと遊んだ”とか、“マックスがどこどこに連れてってくれた“とか、嬉しそうに話してたけど、最近は、エクトルはマックスの愚痴ばかり言うようになったじゃない?これって、マックスも私と同じだからだと思う。」

「同じ…って?」と、ビクトルが聞いた。

 

「私もマックスも、次のステップに入ったからだと思う。友達としてじゃなく、時にはお兄ちゃん、お姉ちゃん、時には、パパの代わり、ママの代わりとして、家族として、子供たちに接するようになったからだと思う。」

 

子供たちの話を聞く限り、前妻シュエの家族と共に過ごしている時、「勉強しろ!」とか、「本を読め!」とか、「家でゲームばかりしてないで、外で遊んで来い!」と言うのは、シュエではなく、シュエの夫マックスの方らしい。

以前、マックスとビクトルが電話で話をした時があって、その時も、マックスはビクトルに「子供たちは家の中にばかりいる。勉強するでもなく、日がな一日ゲームをしたりテレビを見るばかりで、シュエはそのことについて全く叱らない。」と、思わずこぼした。

でもこれは、マックスの目が他人ではなく、自分の家族として子供たちを見るようになった表れだと思う。

私もマックスも、何もいつも怒っているわけではない。

今も変わらず、子供たちと一緒に遊ぶし、楽しいこともたくさんする。

でも、子供たちをただ楽しませるだけではなく、マックスは父親の代わりとして、私は母親の代わりとして、教育や躾もするようになったのだ。

 

アーロンが11歳の時、彼は靴紐を結ぶことができなかった。

11歳にして、まだ蝶結びの結び方を知らなかったのだ。

だから、シュエはそれまでずっと、マジックテープのスニーカーを買い与えていた。

でも、肥満児だから靴のサイズもどんどん大きくなり、マジックテープのスニーカーを探すのは難しくなったのだろう。

ある日からナイキやらニューバランスやらの高価な紐のスニーカーを履かせるようになった。

でも、紐はどうやらシュエがいつも結んであげているようだった。

 

私は心底驚いて、それを知った翌日、中国人の店へ靴紐を買いに行った。

少し長めの靴紐だ。

そして、その日からアーロンに蝶結びの特訓を始めた。

彼を椅子やソファに座らせ、太ももに紐を回して、蝶結びをする。

アーロンはものすごく嫌がったけど、私はしつこく毎日練習させた。

今、彼は、まだまだ微妙な縦結びではあるけれど、それでもチャチャッと靴紐を結ぶことができる。

 

「私は、日本で育ってきたし、ウチの両親は、子供は家の手伝いをするべし!の育て方だったから、この国の子供の育ち方とはちょっと違う所があるかもしれない。私のやり方は、この国の一般的な親たちに比べれば、厳しすぎるかもしれない。でも、そういう人間がこの家族に加わって、アーロンやエクトルが、スペイン式、中国式、日本式、梅ノ木家式の育ち方も取り入れながら成長できるのは、すごく貴重なことだと思うし、決して悪いことではないと思う。」

 

「それにね、」と、私は付け足した。

「それに、今もし、アーロンが、エクトルが、私を嫌いになっているのなら、私はそれでも構わない。家族愛って、そういうものでしょう?時々どうしようもなく、母親や父親を鬱陶しいと思ったり、でも次の日にはケロッとして笑い合ったりして。生涯嫌われちゃうのは困るけど、一時的な嫌いだったら、それは家族としての絆がもっと深まる過程の1つにすぎないのだから、時々は嫌いになってくれて大いに結構だと、私は思ってるよ。」

 

ビクトルが少し沈黙した。

そして、大きな息を一つ吐いて、言った。

「梅子、話してくれて、ありがとう。君が子供たちのことをどいうふうに考えてくれているか、よくわかった。ありがとう。“梅子は変わった!”って言ったけど、本当に君の言う通りだ。変わって当然なんだよな。君もマックスも、今はもう、子供たちのもう1人のお母さんとお父さんなんだもんな。」

そう言うと、ビクトルは急に立ち上がり、私の傍に来た。

そして、「ひどいこと言ってゴメン。」と言って、私の頭をギュッと抱えた。

 

翌日、私のいない時を見計らって、どうやらビクトルは子供たちに、マックスの話も踏まえて、この話をしたようだった。

子供たちにとっては、「やれやれ、梅子はこれからも厳しいままかよ…。」と思ったに違いない。笑。

 

「そういうわけで、日本には帰れなくなりましたー♪」

後日、実家に電話をかけた時、私は母にそう言った。

母にこの夜の出来事を話したのだった。

母は、「あらまー。ざんねーん!」と、大笑いしていた。

 

 

■本記事のタイトルは、映画「愛しき人生のつくりかた」(2015年公開、フランス)をモジって使わせていただきました。
記事の内容と映画は、一切関係ありません。