梅子のスペイン暇つぶし劇場

毒を吐きますので、ご気分の優れない方はご来場をご遠慮ください。

ママ友の教えたまいし

先日、子供たちと私の3人で、近所のスーパーに買い物へ行った。

その日の夜、家族で映画を観に行く予定だったので、映画館で飲むジュースとスナック菓子を買いに行ったのだ。

(映画館にももちろんそういうのは売っているし、本当は持ち込みはおそらくダメなんだろうけれど、映画館で買うと値段がスーパーの倍以上するので、ポップコーン以外はこうして近所のスーパーからコッソリ調達している。)

 

「ジュース何にする~?」なんて話しながらスーパーへ入ると、ちょうど買い物を終えて、これからスーパーを出ようとする親子に出くわした。

「あ!ダビドじゃん!」

親子連れの、子の方を見て、私は思わず長男アーロンの肩を叩いた。

アーロンは「ホントだ!」と言った。

ダビドもすぐにアーロンに気が付いて、「アーロン!久しぶり!」と、嬉しそうな顔で駆け寄ってきた。

 

ダビドとは、小学クラスまで、我が家の子供たちと同じ学校に通っていた、アーロンの元クラスメートの男の子だ。

中学クラスに上がると同時に、彼は別の学校へ転校してしまったので、およそ1年ぶりの再会だった。

ダビドは、アーロンに比べればさほど背が伸びた様子ではなかったけれど、それでも相変わらず小麦色の肌をして、とても元気そうだった。

新しい学校でも、うまくやれているのだろうと、よその子供ながらも少し安心した。

 

…と、ここまでは、微笑ましい子供たちの再会シーンだったのだが、それは瞬く間に終わった。

ダビドの声を聞いた母親が、ダビド以上の感激ぶりで、私たちに近づいて来たのだった。

そこからは、もう母親の独壇場だった。

ダビドなんか、一歩引き下がってしまったくらいだ。

 

ダビドの母親は、「あら~!アーロン!元気だった?しばらくね~!」と、甲高い声で叫ぶと、アーロンを抱き寄せ、両頬にムーッワ!ムーッワ!と、キスをした。

(親しい相手の両頬に軽くキスをするのは、スペインの挨拶の基本。)

次に、次男エクトルを見て、「あら~!エクトル~!大きくなったわね~!はいはい、こっちにおいで!」とエクトルの手を引き、同じく濃厚なキスをお見舞いしていた。

挨拶が終わるや否や、ダビドの母親は、「ホントに久しぶりね~。」を何度も間に挟みながらも、アーロンに次から次へと質問をぶつけていた。

質問の内容は、主に、アーロンとエクトルの母親、シュエの家族のことだった。

「ママは元気?」

「弟が生まれたんでしょう?今いくつになった?」

「弟はかわいいでしょう?元気にしてる?」

とにかく、「ママは…?」、「ママの家族は…?」、そればっかりだった。

子供たちが私と一緒にいるということは、暗に、あぁ、今子供たちは母親でなく父親家族と過ごしているんだなとわかるのだから、「パパも元気?」ぐらい聞いてもいいだろうに、“パパ”の“パ”の字は、とうとう出てこなかった。

 

ダビドの母親は、一通りシュエ家族のことを聞き終えると、「久しぶりにあなたたちに会えて今日はラッキーだったわ~!それじゃ、また会いましょうね!」と言って、ダビドを連れて台風のごとく去って行った。

結局、アーロンとダビドは、何の会話もできなかった。

それでもとにかく、「アーロン、ダビドに会えてよかったね!」と言うと、アーロンは嬉しそうに「うん。」と言った。

「さて!買い物しようか!」と、私たちは買い物に集中することにした。

 

買い物を終えて家に帰ると、ビクトルがキッチンで一服していた。

買ってきた物を片付けながら、私がビクトルに「あぁ、ダビドとダビドのママに会ったよ。」と言うと、ビクトルはすかさず、「おぉ~ぅ、最悪!」とうなだれた。

私も「うん。最悪だった。」と苦笑いした。

そして、ダビド親子と出くわした出来事を、私はビクトルに話した。

 

話を戻して、スーパーでダビドとその母親と久々の再会を喜び合っていた時のことだが、私は終始、笑顔で佇んでいた。

というか、あの場にいた者すべてが、皆、笑顔だった。

子供たち同士の再会は、なんとも喜ばしいひと時ではないか。

 

しかし、そんな、誰もが喜ばしいひと時であったはずなのだけれども、どこか、緊張感のような、張り詰めた雰囲気があったのも事実だった。

おそらく、皆が気付かぬふりをしていただけで、実は気付いていたと思う。

アーロンも、エクトルも、おそらくダビドでさえも。

 

それは、あの嬉しい驚きの興奮の中で唯一、ダビドの母親が、私にだけ挨拶をしなかったからだ。

あの時、一応私は「こんにちは。」と、親子に笑顔で挨拶をした。

しかし、私の言葉は、ダビドの母親のけたたましい感嘆の叫びで、かき消されてしまったのだった。

そして、彼女が私を目の前にしながら、この場にいないアーロンの母親家族の話をまくしたてたことも、私と子供たちに変な気まずさと緊張感を走らせる要因となった。

 

実は、ダビドの母親に限らず、特にアーロンのクラスメートのお母さん方が、私や夫ビクトルが傍にいようとも、我が家の子供たちにだけ挨拶をし、「ママは元気?」などと、シュエの話を始めるのは、今に始まったことではない。

すでにお察しかとは思うが、ダビドの母親含む、アーロンのクラスメートの何人かの母親たちは、シュエのママ友なのだ。

殊、ダビドの母親とシュエは、幼稚園クラス時代からのママ友で、今でも交流があるようだ。

ダビドの家は、クラスメートの中でもいちばん我が家に近く、アーロンがまだ幼い頃は、家族ぐるみでお互いの家を行ったり来たりの間柄だったそうだ。

ビクトルの話では、その頃はもちろんビクトルも、そして、ダビドの父親も仲良く交流していたらしい。

 

ところが、シュエが家を飛び出して、ビクトルと別居を始めた頃から、ダビドの両親は急にビクトルと距離を置き始めた。

ダビドの両親だけでなく、他のママたちも、それは同様だった。

 

シュエが家を出た時、子供たちはビクトルの元に置き去りにされたので、ビクトルは突然、男手一人で子供たちを世話しなければならなくなった。

わからないことばかりで、学校の送り迎えの時間を狙って、仲良しだったはずのママたちに「これはどうしたらいいんでしょう?」と、あれこれ聞きたかったのだけれども、ママたちは皆、ビクトルを避けるようになり、その時から、ビクトルは完全に孤立した。

ダビドの父親も、この頃からビクトルには挨拶もしなくなった。

 

男手で2人の幼子を育てるには限界があると思ったビクトルは、その後、私がスペインに移住するまでの間に、2度、シッターを雇った。

シッターは、いずれも若い女性だったのだが、彼女たちと我が家は、今でも交流がある。

さて、その彼女たちが、当時、学校へ子供たちを迎えに行くと、特にアーロンのクラスメートのママたちは、一斉に冷たい視線を送ったそうで、後にそれぞれが「学校へ行くと、他のママさんたちの目が怖いんです…。」とこぼすようになった。

アーロンのクラスメートのママたち=シュエのママ友たちは、どうやらシッターの彼女たちを監視しては、逐一シュエに様子を伝えていたようだ。

別居以降、学校になんか行ったこともなかったシュエから、「シッターの女がケバすぎる!」だの、「あれはアンタの趣味で選んだのか?ビッチ好きなのね!」だとか、特に彼女たちの容姿について、悪口のメールや電話が度々あっては、「シッターなんか雇わないで、自分で世話をしなさいよ!」と、ビクトルに怒鳴った。

 

私が移住してきて、私が子供たちの学校の送り迎えに行くようになってからも、もちろん、こういったシュエからの“ご意見”があった。

「あなたの奥さんとやら、いつもニコニコして気さくに挨拶するって、他のママたちから評判いいわよ。やっとまともな人を雇ったんじゃない?“シッター”として。」

シュエの機嫌がいい時は、こんな感じ。

しかし、ビクトルと揉めたりなんかして、シュエの機嫌が悪いと、「あぁ、そういえば、最近ママ友から聞いたんだけど、あなたの奥さん、最近評判悪いわよ。笑顔も作り笑いだし、太ってるし、服のセンスがダサいって。」

まったく余計なお世話だ!(太ってるのもセンスが悪いのも百も承知だ!)

 

こんなこともあった。

ある日、アーロンのクラスがバスで遠足に行ったのだが、交通事情で学校に戻って来るのが遅くなった。

そんな時、担任は、予め用意しておいた保護者の連絡網を使って、「○時○分頃、学校到着の予定です。」と連絡をするのだが、我が家にその連絡をくれたのは、次にビクトルに連絡すべき連絡網の保護者からではなく、なんとシュエからだった。

ビクトルに連絡をしなければならなかった保護者は、シュエのママ友の1人だった。

本来ならば、学校関係はビクトルがすべて担っているので、連絡網の連絡先はビクトルの携帯の番号のはずなのだけれど、シュエのママ友はビクトルに電話をするのを嫌がり、シュエに連絡を入れた。

シュエは、「アンタに電話したくないからって、私が連絡を受けたわ。こっちは仕事で忙しいのに、しょうもない電話を取らせないでよ!何したか知らないけど、ママ友たちとも上手くやってもらわないと困るわよ!」と、ビクトルに怒った。

シュエからの連絡を受けて、私たちは慌てて学校へアーロンを迎えに行ったのだが、ビクトルは終始ブチギレしていた。

シュエにも。

そして、ビクトルに電話するのを拒んだ、連絡網のママ友にも。

 

こういうことが何度か続いて、とうとうビクトルは担任の先生に直談判し、連絡網の順番を変えてもらった。

先生から直接、ビクトルに連絡が来るようにしてもらったのだった。

 

そんな、シュエのママ友の中でも、最も厄介だったのが、何を隠そう、ダビドの母親だった。

ダビドの母親は、いわゆる、保護者の中でもリーダー的な存在で、「幼稚園クラス最後の年だから!」とか、「小学クラス最後の年だから!」と言っては、「先生に何かプレゼントしましょうよ!」などと言い出すのは、いつも彼女だった。

しかし、よくよく知れば、そんな彼女の提案に賛同しているのは、息のかかったママ友連中の間でだけのようで、取り巻きに入っていない保護者は、そんなイベントがあることすらも知らないようだった。

ダビドの母親は、当然、ビクトルにはこういう連絡は一切してこなかった。

けれども、毎回我が家はこういうくだらないイベントの一員だった。

ダビドの母親が、いつもシュエに情報を提供していたからだ。

そして、ある日突然、シュエから「お金!用意しといてよ!」と連絡が来たリ、そうかと思えば、お迎えの時に、突然、「シュエから聞いてると思いますけど、プレゼント代いただけますか?集金してますので。」などと、ダビドの母親か、その下っ端のママ友から言われるのがオチだった。

 

なぜ、ビクトルが、こんなにもアーロンのクラスメートのママ友たちから毛嫌いされるようになったのか、実際の理由は、私もビクトルも知らない。

でも、裏でシュエが操っていることは確かだ。

 

これも話せば長い話なのだが、昔、私がまだ東京に住んでいて、ビクトルと遠距離交際していた頃、シュエとビクトルは警察を呼ぶ騒ぎを起こしたことがある。

私とビクトルが交際していることを知ったシュエは、なぜか私がビクトルの家に住み始めたと勘違いして、自身は翌日から中国へ出張だというのに、「子供たちを変な女と一緒に生活させたくない!」と言って、ビクトルに子供たちを引き渡すのを拒否したのだ。

事実、確かにその数日前まで、私は休暇を利用してスペインへ行き、ビクトルの家に滞在していた。

しかし、ビクトルが子供たちを引き取りに行った日は、私はすでに東京に戻っていた。

半狂乱になったシュエを止められず、ビクトルはやむを得ず警察を呼んだ。

そして、シュエは自身を落ち着かせるために、近所に住む職場の同僚を呼んだのだが、そこでシュエは、「ビクトルに暴力を振るわれた!」と、同僚に嘘を言って、警察が来るまでまた一騒動起こした過去がある。

(ちなみに警察が到着した時、シュエはそのことをおくびにも出さなかったそうだ。)

 

その経験から、ビクトルは「どうせシュエが、ママ友たちに根も葉もない嘘を吹き込んだんだろうよ。」と話す。

「実はビクトルはDVで…。」だとか、おそらく言いふらしたのだと、私も思う。

そうでもしなければ、ある日突然、ここまで嫌われるはずがない。

「いろいろイラつくことはあるけども、真実を知ろうとせず、シュエの嘘を真に受けて僕から距離を置いて行った人に興味はない。シュエもママ友たちも、ただ、哀れな人たちだなぁと思うだけだよ。」と、ビクトルは言う。

 

スーパーで起こった、ダビドの母親との出来事を話し終えると、ビクトルは子供たちを呼んで、こう言った。

「ダビドのママは、梅子に挨拶もしないで無礼だ!お前たちに忠告しておく。世の中にはな、一見親切そうな仕草をしておいて、実はくそったれな奴は大勢いる。そういう奴にだけはなるなよ。」

 

 

■本記事のタイトルは、ドラマ「わが母の教えたまいし(向田邦子新春スペシャル)」(1989年、日本)をモジって使わせていただきました。
記事の内容とドラマは、一切関係ありません。