梅子のスペイン暇つぶし劇場

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裁きは終りぬ ~決戦編~ 1

※本シリーズは、現在進行形の出来事を提供しているため、飛び飛びに更新しておりますこと、何卒ご容赦ください。

尚、前回までの記事につきましては、以下のリンク先をご参照ください。

 

前回のお話「裁きは終りぬ」は、コチラ

前回のお話「裁きは終りぬ ~弁護士と再会編~」は、コチラ

 

 

前回の「裁きは終りぬ ~弁護士と再会編~」では、夫ビクトルが約1年ぶりに弁護士に再会し、離婚後の子供の養育権の契約書を昨年書き換えたばかりにも関わらず、シュエの海外出張の回数が度を超えている問題について初めて相談。

助言をもらったところまでを書いた。

その後も引き続き、ビクトルは何度か弁護士の事務所を訪ねたり、メールでやりとりをして話を詰めていた。

 

弁護士に相談した結果、私たちは、前回の記事でお話した、“方法③: 「契約書をリスペクトしないと、法的な手段に出ますよ?」と、シュエに直接、法的に警告する。”という方法を選んだ。

“法的に警告”とは、具体的に言うと、“bro-fax”という、日本で言うところの、内容証明が、威力がもう少しパワーアップしたような法的文書を、ビクトルの弁護士の名でシュエに送付して、調子こいてやりたい放題のシュエのお尻をぺんぺんすることにしたのだ。

 

“お尻ぺんぺん”。

これは、シュエ絡みの問題が発生した時に、時々私たち夫婦が使う表現だ。

 

“規則は破るためにある!”…なんて、どこかの青春マンガか何かで聞いたことのあるような言葉だが、シュエはまさにこれを地で行くタイプだと思う。

彼女の性格なのか、国民性なのか、両方か、いや、やっぱ性格かな…、わからないけれども、いくら裁判所発行の養育権の契約書があろうとも、ビクトルと個人的にメールで話し合って決めたルールであろうとも、遅かれ早かれ必ず何かしらの理屈をつけて、もしくはビクトルと何かで揉めた時の腹いせに、ルールの抜け道を見出して、勝手に新たなルールを作り出す。

一度決めたことをやり通すということが、彼女にはできないし、相当ご機嫌が良い時か、何か後ろめたいことがある時でもない限り、「これからはこうしてみない?」というような、“提案”や“お伺い”ができない。

だから、シュエが調子に乗って勝手をやり出すと、ビクトルが時々戒めて、彼女を元の道へ強制的に戻さねばならなかった。

それがまるで、親が子供のお尻を叩いて叱るのに似ているから、“お尻ぺんぺん”。

 

例えばこうだ。

最初の養育権の契約書は、作成当初は、シュエは時期も期間も不定期な海外出張が多く、コンスタントに子供たちの面倒を見ることができなかったので、「夏休みや冬休み、春のイースターなど、子供たちの長期休暇の時はシュエが子供たちの面倒を見て、それ以外の日は、主にビクトルが子供たちの面倒を見る…」というような契約だった。

しかし、私がスペインに移住してくると、彼女は仕事のスタンスを変え、海外出張を大幅に減らした。

そして私がスペインにやって来るまさに直前から、「スペインからあまり移動しなくなったから、毎週土日は私が子供たちの面倒を見たい。」と言い出し、“平日はビクトルが、週末はシュエが、子供たちの面倒を見る”という、いわゆる“第1回目のルール変更”が始まった。

 

たまたま、このルール変更は、子供たちにとっても、ビクトルの今までの負担を鑑みても、悪いことではなかったので、ビクトルは受け入れ、「毎週土日はシュエが子供たちの面倒を見る」という、シュエとビクトルだけの新たなルールが作られたのだが、ここからシュエの暴走が始まるのは、想像に難くないだろう。

 

やがてシュエは、毎週毎週の土日を子供たちに費やすのに疲れを見せ始めた。

まず手始めに、金曜の午後、子供たちの学校に迎えに行くのが億劫になってきた。

金曜日になると、時々なぜかビクトルに「下校の時間帯は学校に行くな!」とメールやら電話をよこし、はじめは私たちも、何が何だかさっぱりだったのだが、ある日、ビクトルがアーロンに忘れ物を届けるため、シュエの意味不明の警告を無視して学校に行って、初めて理由がわかった。

当時、まだ婚姻手続きを始めたばかりだった私の存在に対して、「訳のわからない日本人女が、息子たちと一緒に暮らしているなんて気持ち悪い!」と、ビクトルに抗議していたシュエは、当時まだ“恋人”だったマックスに、子供たちの迎えに行かせていたのだった。

 

それぐらいならまだ可愛い方だ。

それから間もなく、シュエは、金曜の午後から子供たちの面倒を見ることに文句をつけ始め、「土曜の朝に迎えに行く!」と言い出す。

金曜日の学校へのお迎えも、土曜の朝に我が家に迎えに来ることもボイコットし、日曜の朝になってひょっこり来ることも、何度かあった。

 

とある週末、その時もシュエは子供たちを迎えに行くのをボイコットした。

もうその頃は、すでにシュエは何度か週末全部をボイコットして子供たちの面倒を見ない週末もあった。

でもこの週末は、特に日曜日がスペインの「母の日」だったので、ビクトルは「本当に子供たちに会わなくていいのか?」と、シュエに再三メールをしたのだが、返事が来ることはなかった。

仕方がないので、ビクトルと私は、子供たちもよく懐いている友人達を誘って、「日曜日、ピクニックに行こう!」と計画を立てた。

子供たちは大喜びだった。

ピクニック前日の、土曜の夜、家族4人で映画のDVDを見ていると、突然シュエから電話が来た。

もう夜の9時とか10時頃の話だ。

シュエは、アーロンに「明日の朝、迎えに行くからね。」と言った。

「明日はパパの友達とピクニックに行くから、行けない。」とアーロンが言うと、シュエは「明日は母の日なのに、アーロンとエクトルに会えないなんて、ママ淋しい!」と泣きを入れ、アーロンは渋々承諾した。

当時アーロンはまだ幼く、電話の後、アーロンは泣き出してしまった。

その後、ビクトルがシュエに苦情のメールを送ったのだが、「アンタの友達なんて、どうせ爺さんと婆さんの集まりでしょう?私の息子たちをそんな年寄り達に付き合わせるより、アンタたちより断然若い私たちと一緒にいた方がどれほど幸せか!」と返事が来て、翌朝、子供たちは連れて行かれてしまった。

 

金曜の午後に誰が子供たちを学校に迎えに行って、シュエの家に送り届けるか、日曜の夜は誰が我が家まで子供たちを連れて来るかで、シュエが騒いだことも1度や2度ではない。

 

金曜の午後については、ビクトルが学校に先手を打って、シュエ家族が迎えに行かなければならないように仕向けた。

日曜の夜については、シュエ家族は、週末、市内のシュエの家で過ごしたり、そうかと思えばマックスの実家に滞在していたりと、こちらではまったく把握できない状態だったので、これもシュエ家族が連れて来なければならざるを得なかった。

 

これらの苦い苦い経験を経て、どうにかこうにか、“週末はシュエが、金曜の午後から日曜の夜まで子供たちの面倒を見て、我が家に返してよこす”というルールを習慣化させた。

そして、昨年作成した新しい契約書には、週末はシュエが親権を持つことと、誰が子供たちを片方の家に移動させるか、はっきりと記している。

また、この新・契約書ができた頃と同時期に、シュエは毎週土日、子供たちを中国語レッスンに通わせ始めたので、いくらシュエが週末をボイコットしたくても、「子供たちはレッスンに行かなくていいのか?」とビクトルが言えば、子供たちを預からざるを得ない状況を、自ら作り出してくれた。

 

例えの話がだいぶ長くなってしまった。

ま、こんなふうに、今までは、友人や甥っ子のアドバイスを聞いたりして、ビクトルだけでなんとかシュエのお尻をぺんぺんすることができていた。

しかし、今回のシュエの海外出張頻発の問題は、このまま見過ごせば、去年契約書を書き直したのは一体何だったんだ?と、私たち夫婦の我慢も怒りも限界に来ていた。

だから、今回ばかりは、弁護士にお金を払ってでも、もっと強くて効果的な方法で、シュエを戒めることにしたわけだ。

 

ビクトルの弁護士名義で、シュエにbro-faxを送ることに決めたビクトルは、bro-faxに書く内容について、弁護士と話し合いを始めた。

要点を絞り、まずは弁護士がベースとなる文章を作成した。

弁護士が作成した文章は、専門家ならではの法的な難しい言葉と、回りくどい言い回しが多かった。

今やシュエは、スペイン語をかなりペラペラに話すことができるが、やはり外国人である彼女には、この文章は難しい。

ビクトルは、弁護士の文章をもう少しわかりやすい言葉に置き換え、できるだけ単刀直入に要求できる内容に変えた。

弁護士に返送する前に、ビクトルは、親友の1人でもあり刑事事件を専門としている弁護士の友人にチェックしてもらった。

友人からOKサインをもらってから、弁護士に返送した。

弁護士からも「この内容の方が、より明確でわかりやすいわね。」と合格をもらった。

 

そうして、bro-faxの文章はできた。

あとは、これをシュエに送るのみ。

いつ、このbro-faxを送るか。

それが、最大の問題だった。

 

 

■本記事シリーズのタイトルは、映画「裁きは終りぬ」(1950年公開、フランス)をモジることなくそのまんま使わせていただきました。
本シリーズの内容と映画は、一切関係ありません。