梅子のスペイン暇つぶし劇場

毒を吐きますので、ご気分の優れない方はご来場をご遠慮ください。

もうひとりの息子

今週のお題」のお題が、もう間もなく変わっちゃうんじゃないか、すべり込みセーフできるかどうかの瀬戸際で挑む!!

 

「犬派?猫派?」

私は猫派。夫ビクトルも猫派。

 

ちなみに言えば、前妻シュエは、犬派のようである。

ちなみにちなみに、今までに知っている限りでは、ビクトルとの別居時代、海外出張で1年のほとんどを中国で過ごしていた際、彼女は子供たちに会えない寂しさから、犬(たしか黒のトイプードル的な犬)を飼い始めたが、半年もたたないうちに病死。

その後、現夫のマックスと再婚後、同じく黒のトイプードル的な小型犬と、これまた黒のレトリーバーと、なんと2匹も同時に飼い始めたが、シュエにとっての三男、マックスにとっての長男(紛らわしい…)が生まれた後、マックスと子供たちの反対を押し切って、2匹の犬をそれぞれ里子に放り出した。

我が家の長男アーロンは、シュエが2匹を里子に出すと決めた時、必死の抵抗を試みたが叶わず、今でもこの出来事を許していない。

 

 

ま、よその家の話はこれぐらいにして、我が家の“もう1人の息子”、猫の助について、今日はお話ししようと思う。

 

私もビクトルも、結婚当初から、「ペットを飼うとしたら、猫だよね~。」とよく話していた。

ビクトルは、日本語の“NEKO”という響きが可愛いと言い、私は、スペイン語の“GATO”(スペイン語では、オス猫の場合はgato、メス猫の場合はgataと言う。)という響きが可愛いくて、「もし猫を飼ったら、名前は、NEKOとGATOにしよう!」と言っていた。

 

2匹の猫を飼うのではない。

猫を1匹飼って、ビクトルはNEKOと呼び、私はGATOと呼ぶ ということだ。

猫にとっては、紛らわしいことこの上なしな話だが。

 

我が家で猫を飼う話が現実味を帯びてきて、ある日、私とビクトルは、インターネットで里子に出されている猫を探した。

そこで見つけたのが、猫の助だった。

シャムが混じった雑種で、灰色のような、カフェオレ色のような、トラのようなマーブル模様。

超イケメンで、私の一目惚れだった。

 

当時、ネット上では、猫の助は生後6か月。

もうすでに名前が付いていた。

NEKOと名付けたかったけど、GATOと呼びたかったけど、もう半年もその名前が付けられているのなら、変えるのはかわいそうだと思って、名前を変えるのはやめにした。

 

真新しい猫用のキャリーバックを持って、引き取り先の動物病院で猫の助を待っていると、里親のおばちゃんが、猫の助を連れてやって来た。

おばちゃんは、車を降りた時から、猫の助との別れを惜しんで、すでに号泣していた。

獣医に簡単な健康診断と、いくつかの予防接種をしてもらう時も、ずーっと猫の助のそばにいて号泣していた。

なんだかおばちゃんから猫の助を奪ってしまうようで、私もビクトルもだんだん罪悪感を抱き始めた。

「この子の朝ご飯は、いつもこれなの。毎朝あげてね。」と、おばちゃんから猫缶を1つもらった。

後でわかったが、これがまた結構お高いブランドの猫缶で、始めの頃はそれこそ我が家でも頑張って与えていたが、この猫缶を与えると、猫の助のうんちがびちびちになってしまうことが発覚し、ある時から与えるのをやめた。

…が、

猫の助の、「朝はウェットフード!」の習慣は今でも変わらず、朝はいつもウェットフードを欲しがる。

毎朝あげるとうんちがびちびちになるので、今では時々ウェットフードをあげている。

 

そういえば、動物病院で猫の助を引き取る時、実は他にも別の里子猫が引き取られていた。

たしか、真っ白な猫で、「アンヘル(=天使)」という名前の猫だった。

とても人懐っこい猫で、私も撫でさせてもらった。

 

でも、私は見逃さなかった。

号泣のおばちゃんに連れられて、猫の助が到着した時の、その場にいた人々の驚きを。

ネットで見た通り、猫の助は、その場にいた誰もが納得する超イケメン猫だったのだ。

 

病院からの帰り道、この超イケメン猫と一緒に暮らすのかー♪と、私はウッキウキのワックワクだった。

 

だが、やはり、人生とはそう甘くないのだと、思い知らされた。

 

この、超イケメン猫は、恐ろしく噛み癖のある、狂暴な野郎だった。

爪より口が先に出る猫を、果たして見たことがあるだろうか?

人の膝に乗るなんて、もってのほか。

撫でられることさえ嫌がる。

長年夢見ていた、猫とのモッフモフライフは、木端微塵に打ち砕かれた。

 

猫の助は、引き取る時からすでに去勢済みだったのだが、後日、別の予防接種で動物病院に行くと、獣医もナースも驚くほどの狂暴ぶり。

「あらー残念。たまーにいるのよね。去勢しても狂暴さが残ってる猫って。猫の助ちゃんは、ハズレだったかー。」と、獣医に言われた時の、私とビクトルの絶望感たるや…。

ハズレって…。

 

一時期、私とビクトルは本気で、猫の助の狂暴な性格をどうにかしようと悩んだ。

動物病院に紹介されて、猫のカウンセリングなるものを受けようかとさえ思った。

ネットで調べると、「4年たって、ようやく触らせてくれるようになりました。」という書き込みを見つけて、「4年かよー!!!長すぎじゃねー???」と嘆いた日もあった。

 

日頃は、私が猫の助にご飯を与える係りで、ビクトルが猫の助のトイレの掃除をする係りだ。

以前は、トイレの掃除も私がやっていたのだが、ある年、私が結腸に凄まじいバクテリア感染を起こして入院したのがきっかけで、トイレの掃除はビクトルがやることになった。

ちなみに、一緒に寝ることもできなくなり、冬の寒い夜にあったかモフモフ一緒に眠るという夢も儚く散った。

 

私は猫の助に甘いので、完全に舐められており、始めの1、2年は毎日のようにガブガブ噛まれ、生傷が絶えなかった。

だが、それを許さなかったのもまたビクトルで、猫の助が文字通り私に歯向かおうものなら、すぐさまビクトルの怒りの稲妻が轟き、おかげさまで、今では、猫の助はビクトルに絶対服従になった。

私がいくら大声で猫の助の耳元に命令を下しても、ちっとも言うことなんか聞かないが、遠くの部屋でビクトルが「猫の助―!!!」と叫んだだけで機敏に従うその姿は、憎らしさも通り越して呆れるほどだ。

 

話は変わるが、猫の助はデカい。

デブっちょなのではない。

デカいのだ。

顔が小さいので、ますますデカい。

 

猫の助を見る誰もが、「おデブちゃんだね~。笑。」と言うので、私はいちいち「デブなんじゃなくて、デカいんです!」と説明していたが、最近、“デカい”という言葉に惑わされ、少々ご飯をあげ過ぎていたので、とうとうおデブの世界にも一歩踏み入れつつある。

(現在、8kgは優に超えている…。)

ご飯を制限しているつもりだが、この超イケメン顔で「ご飯ちょうだい」と見つめられると、ついつい「もう!そんな目で見つめないでよ!」と、あげてしまう。

イケメンなんぞ取り扱ったことのない生活が長かった仇が、ここで来た。

 

そんな超イケメン+DVの猫の助だが、こうして長年連れ添っていると、こ奴の噛むタイミングも少しずつわかってきて、今では噛まれることは滅多にない。

また、猫の助も大人になってそんなに荒ぶることもなくなった。

度が過ぎなければ、触っても撫でても嫌がらなくなった。

特に眠っている時なんかは、もう、触り放題だ。

この調子で、いつか膝の上に乗ってくれるといいなぁ。

デカいから、膝に乗ったら速攻で足が痺れそうだけど。

 

もし、猫の助と会話することができたら、猫の助のお父さんやお母さんのこと、兄弟はいたのかどうか、どうして触られるのが嫌なのか、どうして噛むのか、聞きたいことはたくさんあるのだけれど、それよりもいちばんに聞きたいことがある。

 

「猫の助、この家に来て、今、幸せ?」

 

「幸せだ。」って言ってもらえたらいいなぁ。

猫の助、長生きしてね。

 

 

■本記事のタイトルは、映画「もうひとりの息子」(2012年公開、フランス)をモジることなくそのまんま使わせていただきました。
記事の内容と映画は、一切関係ありません。