梅子のスペイン暇つぶし劇場

毒を吐きますので、ご気分の優れない方はご来場をご遠慮ください。

今のママでいて 1

土曜日、いや、正確には日曜の朝方にかけて、長かったお祭りが終わった。

月曜から子供たちの学校が始まった。

木曜からは、今度はイースターが始まって、子供たちはまた2週間の休みになるけれど、とりあえず、お祭りの祝日休暇が終わった。

前半戦、終了といったところだ。

街は、つい先日までの喧騒はどこへ行ってしまったのか、めっきり静かになり、人々は学校へ行き、仕事へ行き、いきなり日常が戻ってきた。

 

月曜日の午前中、夫ビクトルは前妻シュエの件で、弁護士事務所へ話し合いに出かけた。

ビクトルの留守中、私は1人で遅い朝食を済ませ、猫の助のご飯がもう少しでなくなるので、キャットフードを買いに行くか、家の掃除をするか、パソコンをいじくりまわしながらしばし悩み、悩みに悩んだ末、家の掃除をすることに決め、掃除機をかけ始めたものの、キッチンと玄関を終え、リビングに取りかかった途端、掃除機の柄の伸び縮みさせる部分がぶっ壊れ、「なんだよぅ!もう!!」と格闘している最中に、ビクトルが帰って来た。

私は、「おかえりなさい」と言うやいなや、「もう、見てよ、これ。おかげで素晴らしくはかどっておりますわよ。」と、早速この、伸び縮みがスッポスポになってしまった、凄まじく使い勝手の悪い掃除機の柄を、ビクトルに見せた。

 

ビクトルは、「ただいま」と言って(ところで我が家では、出かける時と帰宅した時の挨拶は日本語で言うことにしている。たまにあべこべに、行ってらっしゃいと言いながら出て行ったり、おかえりなさいと言いながら帰って来ることもあるが)、スッポスポの掃除機を見るやいなや、「今は新たな問題を抱えたくないし、新しい掃除機を買いに行くというスケジュールは今日の日程には入っていない。」と言い捨てるとくるりと踵を返し、キッチンに入って行ってしまった。

ビクトルの冷たい態度にカチンときて、「はぁ~?なにその態度~。」と言いながらビクトルを追いかけると、「梅子、悪いけど、掃除はまた後でにしてくれないか。これからすぐにママの家に行こう。」と言って、コップに水を注いだ。

「弁護士に会う前と、弁護士に会った後でママに電話をかけたんだけど、やっぱり電話に出ないんだ。」と言って、ビクトルはコップの水を一気に飲み干した。

ビクトルの冷ややかな態度にぷりぷりしていた私だったが、最後の言葉を聞いて、私は素晴らしく不便になってしまった便利な掃除道具をすぐさま片付けた。

「靴履き替えて来るから、その間にもう一度ママに電話かけてみてよ。」と言って、私は寝室へ靴とコートを取りに行った。

 

前日の日曜日、この日は子供たちの祝日休暇の最終日でもあったので、夜、私とビクトルは子供たちを連れて、映画館へ「思い出のマーニー」を観に出かけた。

なぜかわからないけれど、先週末から、今頃、ジブリ映画の「思い出のマーニー」と「かぐや姫の物語」が、映画館で公開になったのだ。

かぐや姫の物語」は、イースター休暇が始まってから観に行くことにして、今回は「思い出のマーニー」を観に行くことにした。

 

映画館へ向かう最中で、ビクトルはママ、義母の家に電話をした。

しかし、ママは電話に出ず、映画を観終わった後に再度かけたが、やっぱり電話に出なかった。

 

翌朝のこの日、ビクトルは弁護士事務所へ向かう道中で、再びママに電話した。

でも出ない。

弁護士と話が終わって、再度電話。

でも、ママはやっぱり出なかった。―――

 

 

毎晩、ビクトルと私はママに電話をする。

これは私たちの日課だ。

ママは、88歳。

我が家から、急いで歩けば5分の古いマンションに、1人で暮らしている。

足腰がもうだいぶ弱くなり、ここ2、3年は、1人では一歩も外に出ていない。

家の中では杖をついて歩いている。

以前、腰掛付きの歩行器を買ってプレゼントしたのだが、「私がそんなに老いぼれに見える?!」と怒って、頑として使うのを拒み、昔はビクトルの部屋→今はママの寝室 の片隅に、邪魔者のように追いやられている。

 

週に1度、私とビクトルが一緒に、時にはビクトルか私が1人で、スーパーへ食料品や生活品を買いに行き、ママの家に届けている。

コッソリゴミ袋を取り替えてゴミを出し、部屋が汚れていればコッソリ掃除をし、電球が切れていれば、新しいのをコッソリ買って来て取り替える。

汚れた衣類はすべてコッソリ家に持ち帰り、洗濯してコッソリ所定の場所へ戻しておく。

キッチンの手ぬぐいがヨレヨレになっていれば、コッソリ捨てて、タオルを縫って新しい手ぬぐいを作り、コッソリ掛けておく。

 

ゴミ出しなんかは、たとえ見つかっても、なんとか誤魔化しながらできるのだが、中でも、部屋の掃除は難しい作業の1つだ。

掃除をする時は、私がママの話し相手になって、リビングから出さないようにして、その間にビクトルがチャチャッと掃除をする。

コンビプレイを必要とする作業だ。

 

そうそう、服を着替えさせるのも、コンビプレイが必須で、尚且つ最も難儀だ。

ビクトルはドアの向こうで、「そんな姿、天国のパパが見たらガッカリするよ!」と、怒鳴ってみたり泣き落としてみたり、あの手この手で説得を試み、私はドアのこちら側で、ママに付いて「ママ、ほら見てここ!ものすごく汚れてるから、別の服に着替えようよ!大丈夫!私が手伝うから!」と言って、あとは「すみません、失礼しますよ~、失礼しますよ~。」と言いながら、着替えさせる。

 

なぜ、私たちがそうも“コッソリ”とやらねばならないか。

なぜ、汗だくのコンビプレイで服を着替えさせなければならないか。

それは、ママがおそらく認知症だからだ。

「おそらく」と言うのは、実は私たちは、ママを病院に連れて行けていない。

だから、正確なことは言えないのだが、歳からして、おそらく認知症だと思う。

 

ママは、今でも、自分自身がスーパーへ買い物へ行っていると思っている。

掃除をして、洗濯をして、ゴミ出しをして、電球も手ぬぐいも取り替えて、服も毎日着替えていると思っている。

「私ももう歳よ。」と言う傍で、「私はまだまだ現役!」と言い張る。

 

私たちがスーパーで食料品を大量に買ってくると、「あらまぁ!こんなにたくさん!」と喜び、「ごめんなさいねぇ、ここ2、3日、腰が痛くてスーパーに行けてなかったのよ。だから、助かるわ!ありがとう!」と言う。

私たちが掃除をしたり、汚れた衣類を回収したり、ゴミ袋を取り替えているのを見つけると、ママは「勝手に何やってるの?私がだらしない生活をしてるとでも思ってるの?それはついこの間やったばっかりなのよ?」と怒って、作業を止めさせようとする。

着替えもしかり。

「今朝取り替えたばかりなのよ?私がみすぼらしい恰好をしているとでも思ってるの?」と、こんな具合だ。

だから、私たちはコッソリやらなければならない。

 

ママは、転ぶと1人では起き上がることができない。

ソファに腰かけようとして、浅く座り過ぎて尻もちを突き、電話のある所まで這って行って、ビクトルに助けを求める電話をかけてくることが、稀にある。

昨年、私たちに電話をかけることなく、起き上がれないまま床の上に半日近く佇んでいたことが1度あった。

何度ママに電話をしても出ないのを心配して、ビクトルと私が駆けつけると、床にはスリッパや杖、クッションやベッドの布団が散乱して、放心状態のママがいた。

ママはベッドから引きずり下ろした毛布を床に敷いて、一晩そこで眠ったようだった。

 

すぐさまママを起き上がらせて、別の部屋へ移動させ、私がママの服を着替えさせた。

ビクトルは部屋を掃除して、汚れた衣類を回収した。

その間中、ママは「あなたたち!私の家で勝手に何をやってるの!余計なことしないでちょうだい!私の服は汚れてなんかいない!」と、ずっと怒っていた。

「ママ!ママは昨日転んで、起き上がれないまま一晩過ごしていたんだよ!」と、ビクトルが何度説明しても、転んだことも、床の上で一晩過ごしたことも、すでにママはすべてを忘れていた。

 

この出来事はビクトルにとっても、私にとっても強烈なショックで、家に帰ってから2人で泣いた。

 

それ以来、私たちは毎日、ママの家を訪れた日さえも、ママに電話をして、床に転倒していないか、ご飯はちゃんと食べているかを確認することにした。

 

ママを施設に預けることは、今の所、私たちの選択肢にはない。

ママがまだ何も問題がなかった頃、「私が年老いた時、お願いだから、施設には送らないでくれ。この家に最後までいさせてくれ。」と、ママはビクトルにお願いしていた。

だから、私たちはママの願いを叶えたい。

 

誰か、ママを世話してくれる人を探して、雇うことも考えた。

スペインでは、もちろん民間の介護ヘルパーさんなどもいるらしい。

教会が紹介してくれるヘルパーさんもいるらしい。

あとは、いわゆる“ネグロ”。

労働許可を持っていない、南米や北アフリカからの移民の人で、老人の介護や子供のシッターができる人を、伝手などで探し、個人的に雇ってお世話をしてもらう場合もあるらしい。

でも、人を雇うことは、ママが断固として嫌がった。

「買い物も行けるし、料理もできる。洗濯も掃除もできるのに、どうして人を雇う必要がある?」と、ママは心から思っているからだ。

そして、何よりも、この思い出いっぱいの家の中に、知らない誰かが入って来るのが嫌だった。

 

ママの家で私たち家族が一緒に暮らすか、それとも我が家にママを連れてきて一緒に暮らすかも、もちろん考えた。

でも、結局、私たちは、今でも別々に暮らしている。

 

「ママは、今、大きな大きな泡の中で生きている。その泡の中は、大好きだったパパとの思い出がたくさんあって、姉さんがいて、僕もいて、家族4人が幸せに暮らしていた頃の思い出がたくさん詰まった、温かい空間なんだ。ママは、その泡の中にいる限り、幸せなんだ。」

 

これは、ビクトルが2、3年前から、私や、友人や、ママを気遣ってくれる人に言い続けている言葉だ。

 

 

■本記事シリーズのタイトルは、映画「今のままでいて」(1978年公開、イタリア/スペイン)をモジって使わせていただきました。
本シリーズの内容と映画は、一切関係ありません。