エステバン ベネチアへ行く 2
前回までのお話はコチラ。
夫ビクトルの姉であり、甥っ子エステバンの母親は、少々気難しいタイプの女性だったそうだ。
「もう勉強はまっぴら!」と、大学へは進学せず、高校を出た後、彼女は社会人になった。
当時まだ健在だった、ビクトルの父親の口利きで、知り合いの事務所へ就職するも、勤務態度が悪く、クビ。
次に父親の別の知り合いの所へ就職するも、相変わらず勤務態度が悪く、ここはクビになる前に自ら辞めてしまった。
その後、「私に会社勤めは向いていない。」と、当時交際していた男性(後のエステバンの父親)と結婚。
彼女が23歳の時だったそうだ。
エステバンの父親は、当時、バンでパンやケーキの移動販売をする事業を展開しており、「もっと手広く事業をしたい」が口癖だった。
ビクトルの両親は、娘がそんな男性と結婚することをあまりよく思わず、特に母親は、最後まで強く反対したそうだ。
結婚後、パンの移動販売事業が破綻。
「夫婦でパン屋をやろう!」と、小さなパン屋を開くも、妊娠が発覚。
夫婦での経営が難しくなり、店を手放した。
その後も、エステバンの父親は、実家の両親と共にもう一度新しくパン屋を開くなどしたが、収入はいまいちだった。
稼ぎの少ない夫に対して、彼女は次第に不満を募らせていった。
エステバンが幼い頃は、両親の夫婦喧嘩が絶えなかったという。
エステバンが中学生の頃、父親が外に女をつくって家を出て行った。
彼女は、毎日夫の行方を捜した。
しかし夫婦は離婚した。
離婚後、彼女は廃人のようになってしまった。
毎日毎日、朝から晩まで浴びるように酒を飲み、1日に何箱もタバコを吸った。
昼夜かまわず友人や弟(ビクトル)に電話をかけては、「孤独だ。寂しい。独りになってしまって何もできない。」と泣きついた。
誰がどんなアドバイスをしても、仕事を紹介しても、すべて無駄だった。
これが原因で、彼女は友人も失った。
酒とタバコを買うお金が底を尽き、一族が所有する物件を勝手に売ったこともあった。
そんな生活を続けているもんだから、彼女はとうとう病に伏した。
母親が、彼女を無理矢理病院に連れて行ったことも、何度もあったそうだ。
だが、そんな周囲の心配をよそに、酒とタバコは相変わらず、挙句、病院から処方される薬を過剰摂取し始めた。
ある日、しばらく娘から電話がないと心配になった母親が、彼女の家を訊ねると、彼女はベッドの上で死んでいた。
エステバンが高校生の頃だった。
両親が離婚して、母親が酒とタバコと薬に溺れていた頃、エステバンは母親と過ごすのを避けるようになった。
家に帰ると、「あなただけは私を見捨てないで。」と四六時中泣きつかれ、少しでも無下に扱うと、ヒステリーを起こされた。
こうしてエステバンの、父親の家や祖父母の家を転々とする生活が始まった。
母親の家から歩いて数分の、もっとも近いビクトルの家にももちろん、何度も訪れた。
ビクトルも甥っ子を不憫に思い、できることなら泊めてあげたかった。
でも、できなかった。
当時の妻、シュエが「よその揉め事を持って来てくれるな」と、それを許さなかったためだった。
エステバンはよく、ビクトルに電話もかけてきた。
血の繋がった親戚の中で、いちばん年が近かったので、エステバンにとってビクトルは、時には兄、時には父のような存在だった。
2人の共通の趣味の、映画の話をして気を紛らわせるのも、エステバンにとって唯一の救いだった。
でもこれも、後にビクトルが「エステバン、もう家には電話してこないでくれ。」と言わなければならない日が来た。
「甥っ子ばっかり可愛がって、自分の息子には目もくれない!」と、シュエが激しく抗議したためだった。