梅子のスペイン暇つぶし劇場

毒を吐きますので、ご気分の優れない方はご来場をご遠慮ください。

罪に立たされる女 後編(2)

前回までのお話(前編)はコチラ

前回までのお話(中編)はコチラ

前回までのお話(後編(1))はコチラ

 

水曜日の放課後、我が家の次男エクトルを公園に連れて行った。

大喜びで友達と遊び始めるも、滅多に公園へ連れて行かなかったことが仇となったのか、興奮しすぎて派手に転倒。

ベンチ代わりのコンクリートブロックの角に額を強打→流血。

傷跡を綺麗に縫合してもらうため、総合病院の救急へ向かった。

無事縫合を終え、帰宅。

夫ビクトルは、前妻シュエに出来事を報告するメールを書く。

私は子供たちのためにマフィンを焼いた。―――

 

総合病院で、エクトルの額の傷に塗られた局所麻酔が効いてくるまで待っている間、エクトルも兄のアーロンも徐々に元気を取り戻してきたので、私は自販機に食べ物を買いに行った。

すると、アーロンが私の後を付いてきた。

 

「エクトルがこうなったのは、梅子のせいだ。」と、アーロンに言われてから、いくらその後ビクトルが「これは誰のせいでもない!事故だった!」と主張しても、私はずっと「そうだ、これは付き添っていた私の監督不行き届きだ。私の責任だ。」と、考えていた。

 

あの時―――

時計を見て「あと10分遊ばせてやろう」と思った時、もし私が「あと10分あるけど、もうそろそろ帰ろう」と、エクトルを呼んでいれば、この事故は防ぐことができた。

エクトルが1人汗ビッショリになっているのを見た時、「おぃおぃ!そんなに興奮しないで、落ち着いて遊びなさいよー!」とかなんとか、エクトルに声を掛けていれば、エクトルももう少し慎重になって、転ぶことはなかったかもしれない。

考えたらキリがない。

 

後に起こるであろう、前妻シュエの猛烈な抗議に備え、それまで口を閉ざしていたけれど、私の頭の中ではもう8割方、「私の責任だ。エクトルに謝らなければ。前妻シュエの抗議も黙って受け止めよう。」という思いで満たされていた。

 

「アーロン、アンタの言う通りだよ。これは私のせいだよ。私がもっとエクトルを注意深く見ておくべきだった。」

自販機の中の商品を選んでいるアーロンに、私は言った。

アーロンは、「梅子、なんでそんなこと言うの?これは誰のせいでもないよ。パパもそう言ってたじゃん。」と言った。

アーロンにそう言われると思わなかったので、驚いた。

「あとはエクトルの傷が早く治るように、祈ろうよ。」

アーロンはそう言って、ミネラルウォーターのペットボトルを、自販機の取り出し口から力尽くで引っ張り出した。

この子はいつの間に、こんなに成長したんだろう。―――

 

私がキッチンでマフィンを作っていると、ビクトルがやって来た。

「シュエから早速返事が来た。」と言う。

 

前妻シュエからの第一声は、たった1行だった。

「報告してくれてありがとう。それで、その時公園には誰がエクトルと一緒にいたの?」

 

背筋に冷たいものが通った。

 

ビクトルが、「どうする?タクシーで話し合った通り、無視する?でも、どうせ今週末に子供たちが教えるだろうし、こういうのは早く知らせておく方がいいかもしれないな。」と言った。

私もそう思う。

やましいことは何もない。

無視して何も話さないで、変に怪しまれて後でギャーギャー騒がれるよりも、今のうちにすべてを話して騒がれる方がマシだ。

「うん。返事した方がいい。」と、私は言った。

覚悟を決めて。

 

シュエからまた返事が来た。

「えぇ、えぇ、そうだと思ってたわ。アンタの嫁が一緒だったんだろうなって思ってた。彼女、たしかこれで2回目よね?アンタの言う通り、これが“純粋な事故”だったと、私もそう願いたいわ!子供はねぇ、責任のある大人が傍にいる必要があるの。アンタの嫁みたいな“お飾り”じゃなくね!!!」

 

彼女が「2回目」と言ったのは、前にも似たようなことがあったからだった。

あの時は、ビクトルもいたんだけど、2年ほど前、私たちは子供たちと近所の小さな公園で遊んでいた。

その時、私は子供たちと鬼ごっこをしていて、アーロンが遊具に思いきり頭をぶつけ、大事には至らなかったのだが、その時も流血した。

この時も、シュエは「お前の嫁は悪魔だ!」と、私を激しく罵った。

 

予想はしていたが、私を激しく罵倒するシュエに、ビクトルはもう一度「これは誰のせいでもない。事故だった。犯人探しはやめてくれ。」とメールを返した。

 

シュエの私に対する怒りは、収まるわけがなかった。

「アンタのメール読むと、深い傷を負った自分の息子の話をしているとはとても思えないわ。まるでよその子に起きたことを話してるみたいに思える。アンタは息子の傷のことよりも、無責任な嫁がいかに良い嫁かの方が重要みたいだけど、そんな話、私に聞かせなくて結構!ホントに信じられない!!」

 

「これが初めてのことなら、まだ理解できる。でも2度目よ、2度目!言い訳なんか聞きたくないわ。アンタの嫁は無責任!無責任中の無責任!エクトルは彼女の子供じゃないんだから、そんな女がそもそも責任なんか持てるわけないわ!」

 

シュエがあまりにも「無責任」という言葉を連呼するもんで、それに目を付けたビクトルが、「そういうお前はどうなんだ?お前は常に責任持ってるって言えるのか?」と、返事を返した。

別居時代、離婚後、子供たちがシュエと一緒にいる時にも、いろいろ事故が起きた。

シュエの家で、アーロンとエクトルが兄弟喧嘩をして、怒ったエクトルがアーロンの背中に思いきり噛み付いたことがあったらしい。

アーロンの背中には、今でもくっきりと、エクトルの歯型が丸く残っている。

シュエが現夫のマックスと結婚してからも、事故はあった。

マックスが子供たちを山登りに連れて行き、エクトルが転んで膝に深い傷を作り、薬局で買った塗り薬を持たされて帰って来たこともあった。

ビクトルと私はその傷の深さに驚いて、病院に連れて行こうか一晩悩んだ。

「ママとは病院には行ってない。薬局に行っただけ。」と、その時エクトルが教えてくれた。

いずれの時も、シュエはビクトルにはまったく報告してこなかった。

これらのことを、思い出す限り、ビクトルはメールに書いたのだった。

 

「私の家でエクトルがアーロンと喧嘩して家具に口をぶつけて大怪我をした時、私は1人で2人の幼い子供を見ていたし、その時私は子供たちのためにキッチンでご飯を作っていた。だから防げるはずがなかった。でも、今日アンタの嫁がしでかした出来事は何?たった1人の子供を見てたんでしょう?エクトルが傷ついている時、彼女は何をしてたの?近くにイケメンのパパでもいて、見惚れてたんじゃないの?そんなんだったら、全盲の人が面倒見る方がよっぽどマシだわ!とにかくアンタの嫁は、責任を持って子供の面倒を見るってどういうことなのかわかってない!ただの無責任!繰り返すけど、これが2度目!!どうする?3度目も待ってみる?次何やってくれんのか、アンタもよーく目見開いて待ってるといいわ!!!ホントに信じられないわ、アンタたち!」

 

現夫マックスの失態については、当然のことながら、シュエは言及しなかった。

なるほど。ご飯を作っていれば、子供がいくら派手な喧嘩をしようとも、血を流そうとも、罪は免れるんだなと、1つ勉強になった。

それにしても、こんなにスペイン語を操れる彼女には尊敬の念すら覚える。

 

シュエからの、こういった私に対する罵倒メールは、朝方まで続いた。

 

翌、木曜日。

朝起きると、エクトルはすでに起きていて、制服に着替え、バックパックの用意をしていた。

ビクトルが「気分はどうだ?頭、痛くないか?」と聞くと、「うん。大丈夫。」と言って、エクトルは元気に学校へ行った。

 

その日は一日中、ビクトルとシュエからのメールについて話した。

私は、「彼女の私に対する怒りはごもっとも。彼女が怒る理由もわかるし、粛々と受け止めてるよ。」と言ったが、ビクトルはそういう私の反省の態度さえにも苛立った。

「シュエはただ、今までヘマをしなかった梅子を罵るチャンスがなかった。やっとチャンスができたから、今までの鬱憤をまき散らしてるだけだ。」と、ビクトルが言った。

 

もし、この出来事が、子供たちがシュエや夫のマックスと共にいた時に起こっていたら、それはもう間違いなく、ビクトルも私もそれ見たことか!と罵るだろう。

シュエがどれだけ無責任な母親か、子供たちにも言うかもしれない。

それに、女、母親の立場からすれば、継母が付いていて我が子に怪我を負わせたとなれば、ますます許せないと思うのは当然だ。

だから、今、シュエが私に対して怒り心頭なのは、痛いほどよくわかった。

 

ビクトルが言うように、待ってました!とばかりにシュエが私を罵るのも、予想はしていた。

でも正直、「じゃあ、アンタはどんだけ責任のある母親なんだよ!」とも思うが。

 

毎年冬になると、乾燥がひどくて、エクトルの膝の裏や太ももの裏、両手、目の周り、至る所肌が荒れる。

掻くなと言っても掻きむしるから、どこもかしこも掻きむしったかさぶただらけだ。

だから私は毎晩、エクトルがベッドに入る時に、まんべんなくクリームやワセリンを塗る。

患部の良し悪しによって、クリームを換え、時には日本から持ってきた薬入りのワセリンを塗ったり、夜だけでなく、朝学校に行く前に塗ったりもする。

今年はエクトルだけでなく、日頃問題のなかったアーロンの手もものすごく荒れて、赤くパンパンに腫れ上がってしまったので、アーロンの手にも毎晩クリームを塗っている。

 

週末が近づいてくると、私はいつも「週末は、ママに塗ってもらうんだよ。ママ、クリーム持ってるでしょ?」と2人に言うのだが、いつも返って来る言葉は、「僕たちもたまに忘れちゃうんだけど、ママに言っても、全然塗ってくれないんだよね~。クリームも持ってないみたいだし。」

 

日曜の夜に子供たちがシュエの元から帰って来て、ベッドに寝かせると、彼らの手は荒れ放題で、また1からやり直しだ。

平日の間、クリームやワセリンのおかげでせっかく肌が正常に戻って来ても、日曜の夜にはまた荒れ放題で帰って来るのが、冬の恒例だ。

 

夏は夏で、蚊に刺された跡だらけで帰って来る。

特にエクトルの肌は弱く、下手をすると何日も熱を持って赤く腫れ上がる。

子供たちに聞くと、シュエは何もしないと言う。

だからいつも、治すのは私が日本から持ってきた、ムヒだった。

 

ビクトルが甥っ子のエステバンに電話をかけた。

「日曜の夜、シュエが子供たちを送って来る頃、家に来てくれないか。」と頼んでいた。

エステバンは、私たちとシュエとの関係をよく知っている人物の1人だ。

事情を聞いた彼は、快く了承してくれた。

「エステバンのために、夕飯は腕を振るうわ!」と、私が笑うと、ビクトルも「それがいい。そうしてやってくれ。」と笑って言った。

 

今週末は、エクトルが怪我をして初めての週末だ。

日曜の夜、彼らが帰って来た時に、まだ言い足りないシュエが家の前で一騒ぎしてくれる可能性が高い。

でも、エステバンが一緒に出迎えたら、シュエはきっと口を噤むだろう。

 

数年前の、大きな事件(これについてはまた改めて後日書くことにするが、)が起きて以来、日曜の夜、シュエから子供たちを引き取る時、ビクトルは必ずポケットにボイスレコーダーを忍ばせて行く。

次の日曜も、もちろんボイスレコーダーは持って行く。

でも、それだけでは心許ない。

だから、エステバンを呼んだ。

何か事が起きた時、エステバンには目撃者になってもらう。

 

今日は土曜日。

明日は日曜日。

「明日は今日の続き」だ。

 

 

■本記事シリーズのタイトルは、映画「罪に立つ女」(1928年公開、アメリカ)をモジって使わせていただきました。
本シリーズの内容と映画は、一切関係ありません。