罪に立たされる女 後編(1)
前回までのお話(前編)はコチラ。
前回までのお話(中編)はコチラ。
毎日のように「公園に行って友達と遊びたい」と言う、我が家の次男エクトル。
あんまり「ダメだ」と言うのもかわいそうなので、水曜日の放課後、連れて行くことにした。
久々の公園で、友達と遊べて大喜びのエクトル。
私が読書に夢中になっていると、ハメをはずして派手に転んだエクトルが、額から血を流して私の元へ戻ってきた。
その場にいたママたちの素早い処置。
1人の親切なママの助けで、近くの病院で応急処置をしてもらうことができたが、跡が目立たないように縫ってもらうよう総合病院へ行けと言われる。
総合病院へ行く道すがら、ビクトルに「やってくれたな…」と言われ、長男アーロンには「梅子のせいだ」と言われた。―――
私がもし日本で普通に暮らしていたなら、「お前のせいだ」と言われたら、何も躊躇うことなく、素直に「そうだよね、私のせいだよね、ごめん。」と言ったと思う。
でも、ここは日本じゃない。スペインだ。
そして私たち家族は、いつもあの前妻シュエの黒い影に包まれている。
普通に暮らしてるつもりだけど、本当は普通じゃない。
そういう状況の中の暮らしで学んだのは、簡単に自分のせいだと認めてはいけないこと。
簡単に「ごめん」と言ってはいけないことだ。
日本人独特の習慣で、つい「ごめん」なんて口走ったら最後、いくら自分に非がなかったとしても、この国では、「ごめん」と言った者が悪者になり、罪人になる。
アーロンに「梅子のせいだ」と言われ、私は咄嗟に「はぁー?なんで私のせいよ?」と声を荒げた。
「ねぇちょっとビクトル、アーロンが私のせいだって言うんだけど。」と、ビクトルに告げ口までしてしまった。
これを聞いたビクトルが、アーロンに怒鳴った。
「これは事故だ!誰のせいでもない!エクトルは1人で転んだ。誰も彼を押し倒したりもしていない!それがどうして梅子のせいになるんだ?誰もエクトルが転ぶか転ばないかもわからないし、いつ転ぶかもわからないのに、転んだ時に、瞬間移動でもして助けられるとでも思ってるのか?」
ビクトルはアーロンを叱り続けた。
もういいよ…ってぐらい、あんまり叱るもんだから、アーロンがかわいそうになってきた。
アーロンは、人の心に敏感な子だ。
ただ、弟がこんなひどい傷を負ってしまったことが悲しくて、心を痛めているだけなのだ。
そのやりきれなさを、エクトルに付き添っていた私にぶつけるしかなかった。
ただそれだけだ。
私の中で、日本人特有の…とでも言うのか、「いやいやその通りだよ、アーロン。監督責任者は私だった。これは私の責任だ。」感がムクムクと湧き上がってきた。
ビクトルがこんなにも感情的になって「梅子のせいじゃない!」と言う気持ち…と言うよりも“思惑”もわかっていた。
これは、後の前妻からの攻撃に備えた伏線だ。
子供たちには、とにかくこれは事故だった、誰のせいでもなくて、梅子のせいでもないということを、頭に叩き込ませなければならなかった。
だからここで、「いいの。アーロンの言う通り、私のせいなんだよ。」と、ビクトルを遮ることはできなかった。
大通りまで来ると、急いでタクシーを拾い、私たちは総合病院の救急へ向かった。
タクシーに乗り込むとすぐに、エクトルは私に体を預けて眠った。
時計を見ると、7時半を回っていた。
この1時間ぐらいの間に、彼の小さな体では受け止めきれないほど大きな出来事が起きた。
本当に驚いたね。怖かったろうに、痛かったろうに。
タクシーが救急の入り口に停まるまで、私はエクトルを寝かせておくことにした。
眠るエクトルに肩を貸すことでもいい、エクトルのためならば何でもしてあげたかった。
救急に着くと、傷口に直接、局所麻酔薬を塗られ、また包帯を巻かれた。
待合室で、麻酔が十分効くまで待たされて、1時間半ほどたってようやく処置室に呼ばれた。
処置室にはビクトルのみが付き添って、私とアーロンは廊下で待っていた。
麻酔が効くまでロビーで待っている間、エクトルもアーロンも元気を取り戻し、自販機でサンドイッチとビスケットを買って、モリモリ食べれるまでになった。
たまたま私が持っていたカメラで、アーロンがエクトルの写真を撮った。
エクトルもおどけてポーズを取っては、兄弟2人でケラケラ笑い合っていた。
そんな姿を見れただけで、私は十分ホッとした。
後からビクトルに聞いたのだが、傷口にはだいぶ砂が入っていて、医者は縫合する前に、消毒液を付けたガーゼで傷口をゴシゴシ拭いては、水をかけて洗い流し、それを何度も繰り返したそうだ。
「傷口からバイ菌が入って、感染症を起こすのがいちばん怖い。」と医者が言っていたそうだ。
帰りのタクシーの中で、私とビクトルは、どうやって今日の出来事を前妻シュエにメールしようか、小声で話し合った。
「病院からもらった診断書とか、注意事項が書かれた紙をまずスキャンして、添付。今日の出来事については、淡々と述べて、“そういうわけだから、病院からの書類に目を通してくれ”だけでいいと思う。あまり余計なことは言わない方がいい。何を言ってもどうせ怒りの返事が来る。狂った内容の返事が来ても、できるだけ相手にしない。その方がいい。」
自宅に帰って来た時には、10時を回っていた。
医者には「明日、学校に行ってもいい」と言われたが、明日の朝、様子を見て、学校に行かせるか決めようと、ビクトルと話した。
エクトルもさすがに疲れて、めずらしく素直にベッドに入った。
いつもならば、ベッドに入れるのさえ一騒動なのに。
ベッドに入ったとはいえ、なかなか寝付けないようで、しばらくの間何度も寝返りを打ってはウンウン唸っていた。
そうこうしているうちに麻酔が切れて痛みがぶり返してきたようで、一度起こして鎮痛剤を飲ませた。
医者が、「48時間は注意して見ていてください。意識を失ったり、何かあったらすぐに来てください。」と言っていた。
48時間。
最後の数時間は、エクトルはこの家にはいない。
金曜日だから、午後から前妻シュエの家だ。
ビクトルは早速、病院からの書類をスキャンして、前妻にメールを書いていた。
私は何もする気が起きなかったんだけど、ふと思い立ってマフィンを焼くことにした。
明日子供たちが学校に持って行くおやつだ。
子供たちに言われたのだ。
「エクトルが手術で泣かなかったから、何かご褒美にケーキかパンを焼いて。」と。
子供たちは、私が作るお菓子やパンが大好きだ。