梅子のスペイン暇つぶし劇場

毒を吐きますので、ご気分の優れない方はご来場をご遠慮ください。

ステップマザー 殺人鬼は棲んでいない家

つい先日、通っている語学学校で、新しい単語を習った。

 

それは、「padrastro:パドラストロ」と、「madrastra:マドラストラ」という単語。

スペイン語で、「padrastro」は「ステップファーザー」、「madrastra」は、「ステップマザー」という意味である。

 

それまで私は、クラスメートに「子供はいるの?」と聞かれると、いつも「いるよ。だけど私の子供ではなくて、旦那の子供。」と答えていた。

スペイン語がままならない者同士の会話のためか、それとも、状況が普通でないためか、私がそう答えると、聞いた相手は一瞬、頭の上に?マークが浮かんだような顔をするのだが、この、「madrastra」という単語を覚えた今は、会話が少しスムーズになった。

「私、madorastraなの。」と言うと、皆すぐに「あぁ、なるほど。」という顔をする。

 

Madrastra。

そう、私は、アーロンとエクトルのステップマザーだ。

 

この言葉を学んだ頃とちょうど時を同じくして、ここスペインでは、ある事件に国中が注目していた。

スペインのとある村で、8歳の男の子が失踪したのだ。

村には、特にこの男の子が住んでいる周辺は、ぽつんぽつんと親戚やら祖母の家があり、あとは貯水池があったり、井戸があったり、大きな丘があったり。

人家よりも大自然の方がその辺りを占めているような場所だった。

警察と州警察、そしてたくさんの一般の人によるボランティアの捜索隊によって、連日男の子の捜索が行われた。

 

この事件で知ったのだが、スペインでは、子供を魚に例えて表現するらしい。

だから、捜索協力の集会などの映像では、多くの人々が、魚の絵が描かれた横断幕やプラカードを持っていたし、映画「ファインディング・ニモ」の映像で、「全力で男の子を探そう!男の子が無事でいますように!」というメッセージを込めたアレンジムービーなどが、Youtubeに多数UPされた。

だが、奇しくもあの、東日本大震災のあった3月11日、事件は悲しい結果で幕を下ろした。

 

失踪当日まで一緒に暮らしていた、男の子の父親の恋人が、男の子の遺体を車に乗せて、最初の隠し場所から別の所へ移動させようとしていたところを、警察が捕まえたのだった。

両親、そして国中の人々の願いは叶わず、男の子は、帰らぬ人となっていた。

 

週が明けた月曜のニュースでは、各政党の党首がお悔みのコメントを発表し、国王までもが哀悼の意を表し、黙とうを捧げられた。

ところで今、スペインの北部の街では、連日に渡ってものすごい数の高齢者たちによる、年金の引き上げを訴えるデモが行われているのだが、このものすごい数の高齢者たちまでもが、男の子の死を悔やみ、1分間の黙とうを捧げている風景も報道された。

別のテレビ番組、日本で言うところのワイドショーのような、トークショーの番組では、冒頭に出演者全員がカメラの前に並び、男の子に対してお悔みのメッセージを発信した。

まさに国中が悲しみに暮れた週明けとなった。

 

さて、犯人が“父親の恋人”ということで、それこそ頭上に?マークが浮かんだ人も多いと思うが、この男の子の家族構成は、両親はすでに離婚しており、父親には恋人がいて、彼女はすでに父親と、そしてこの男の子と一緒に暮らしていた。

父親は、正式にはこの女性と再婚はしていなかったようだが、それでも一緒に暮らしている以上、いわゆるmadrastra、ステップマザーだ。

 

まだ警察が、ボランティアが、国中が、全力で男の子の行方を捜していた時、このステップマザーが不審な行動をおこした。

捜索活動が始まって2、3日した時に、彼女が男の子の洋服を発見したのだ。

だが、洋服が発見された場所は、警察がとりわけ集中的に捜索していた場所だったことと、その村は前日まで雨が降っていたにも関わらず、洋服は汚れもなく完璧に乾いていた。

それがきっかけで、警察は、引き続き周辺の捜索と共に、特にこのステップマザーへ事情聴取を求め、男の子の身内に目を向け始めた。

連日ニュースを見ていたビクトルや、ビクトルの友人たちの間でも、このステップマザーが怪しいという話題で持ちきりになった。

 

ステップマザーという、同じ立場の私から言わせてもらえば、もし彼女が犯人なのだとしたら、…いや、もうすでに実際に犯人だったのだが、犯行の理由がもし、父親と交際を始めた頃からの、積もり積もったストレスや怒りや恨みからの犯行だとしても、もしくは男の子についカッとなって、咄嗟の犯行だったとしても、いずれにしても、なんだか妙に共感…というか、殺人なのだから、共感している場合じゃないのだけど、それでもつい、「なんかこの人の気持ち、わからなくもないな…。」と、思ってしまった。

 

愛する人が、自分と知り合う前に愛していた人との間にできた子供を育てるというのは、後妻としては、やはり精神的につらいものがある。

ましてや、この国では離婚後の親権が半々なので、子供は父親の家と母親の家を頻繁に行き来する。

となると、父親と母親は、離婚した後も、否応なしに連絡を取り続けなければならない。

子供のためにとはいえ、元夫、元妻と連絡を取り合うのも、離婚した彼らにとっては苦痛かもしれないが、彼らの新しいパートナーにとっても、愛した人の背後に常に、元夫、元妻の影がゆらゆらと見えるのは、決して気持ちの良いものではない。

 

我が家の場合は、ビクトルとシュエの関係は離婚後の今でも最悪で、ビクトルの私に対する精一杯の気遣いや愛情は、いつも本当に感謝しているけれど、それでもやっぱり、ごくごく稀に、私の知らないところでビクトルとシュエがメールのやり取りをしているのを知ってしまったりすると、たとえそのやり取りが、子供たちのことについての真剣な話題だとしても、単につまらないことで言い争っているだけだとしても、まるでマッチをシュッと一擦りしたように、ついつい嫉妬の火がポッと付いてしまう。

 

子供たちは子供たちで、幼ければ幼いほど、実は時に残酷だ。

我が家の場合は、特に次男のエクトル。

エクトルにしてみれば、嬉しかったことや楽しかったことをただただ教えたくて、「それは良かったねー!」と、私に言ってもらいたいだけ。

両親が離婚して複雑な家庭の中で育っていかなければならない身の上なのだから、エクトルが幸せならそれでいいじゃない!と、頭では重々わかってはいるのだけれど、それでもやっぱり、「ママにこれ買ってもらったんだー!」とか、「ママに連れて行ってもらったんだー!」とか、「ママがねー、ママがねー…」と言われると、「どうせ私は無職で何も買ってあげられませんよ。言葉もままならなくてどこにも連れて行ってあげられませんよ。あなたをそんなふうに幸せな気持ちにさせてあげることはできませんよ。」と、どす黒いブラック梅子がぬっと頭をもたげる。

「ママの〇〇の方が美味しい!」、「ママの〇〇の方がすごい!」なんて言われた日には、軽く落ち込む。

 

だから、もしこの男の子のステップマザーが、父親の背後でゆらゆらしている元妻の影や、男の子の悪気の無いママ自慢なんかに、日頃からストレスを感じていたり、男の子に「ママの方がすごいんだから!」とでも言われて、ついカッとなったりするのは、わからなくもないのだ。

 

ただ、問題は、その後だ。

ちょっと前に見た、映画だったか、ドラマだったかは忘れてしまったけど、その中で、「世の中には、人を2種類に分けるボーダーラインのようなものがあって、線を乗り越えて人を殺めてしまう人と、人を殺めたりせずに、線を乗り越えない人がいる。それはきっと生まれた時から決まっている…。」というような内容のセリフを思い出した。

ステップマザーという同じ境遇ではあるけれど、私と彼女は違う。

彼女はそのボーダーラインを超えてしまったけれど、私は超えていない。

いや、これからも超えない。

 

ガブリエル君。(今回の事件の犠牲者だ。)

痛かったね、苦しかったね。

ずっと何日も、外の井戸の中に隠されて、怖かったね、寒かったね…。

あなたのことを思って、国中のたくさんの人が、祈り、涙を流しました。

やっと、お父さんとお母さんの元に帰って来れたガブリエル君。

どうか安らかに…。

 

 

さて、この事件の犯人が逮捕されたのは、日曜だった。

その日の夜に、我が家の子供たちは、母親シュエの元から我が家に帰って来たのだが、子供たちが帰って来るまで、実は私は1人、気が気ではなかった。

 

大昔、私がまだ東京に住んでいた頃、子供たちがシュエの元で休暇を過ごすのを見計らって、スペインへビクトルに会いに来た時、もうすでに私は東京へ帰り、翌日から子供たちの学校も始まるし、シュエはシュエで、同じく翌日からまた中国へ出張しなければならないというのに、私がまだビクトルの家にいる、このまま私がビクトルの家で暮らし始めると勘違いした彼女は、半狂乱になって、ビクトルに子供を返すのを拒み、警察官まで呼ぶ事態となった。

 

私がスペインで結婚生活を始めたばかりの頃、シュエは子供たちに、第二次世界大戦でいかに日本人が極悪非道であったかを教え、「パパの家に住んでいる日本人も、同じ極悪非道の殺人鬼だから、絶対に口を利くな。」と言い聞かせた。

また別の時は、子供たちにマックスのことを「パパと呼びなさい。」と言い、「あなたたちは本当に幸せ者ね。ママが1人、パパが2人もいるんだから。」と言った。

 

弁護士たちの前では、私のことを「ビクトルが、“子供たちのために”と、勝手に雇ったお抱えシェフ。ビクトルは無断で、子供たちの養育費の共通口座からいつも高額なお金を引き出し、給料として彼女に支払っている。」とまで言い放った。

 

こんなことを、いつまでも覚えているのもだいぶみみっちいが、でも私は、一生忘れないだろう。

 

とにかくだ。

今までの、シュエのこうした言動による経験から、シュエだってきっと知っていたであろうこの男の子の失踪事件の結末をテレビで見て、あるいは誰かに聞いて、きっと子供たちに「あなたたちも、パパの家に帰ればこの男の子と同じ環境なのだから、十分気を付けなさい。」だとか、あるいは「あの日本人女には、必要以上に近づくな、刺激するな。怒らせたら殺されるかもしれない。」だとか、言っているに違いない。

最悪もしかしたら、「あんな女の住む家に、子供たちを返すわけにはいかない!」と、またも半狂乱にでもなって、子供たちが帰って来れないかもしれないとさえ思い、子供たちが帰って来るまで不安でたまらなかった。

 

しかし、そんな私の不安をよそに、子供たちは、シレっといつものように帰って来た。

子供たちを送って来たのは、いつものようにマックスで、シュエは同乗していなかった。

ホッとするやら、「こんな事件のあったばっかりだっていうのに?」と驚くやら、呆れるやら、なんだか複雑だったけど、とりあえず、子供たちを返してくれたことに安心した。

シュエはきっと、私を信頼しているのではなくて、ビクトルを信頼している。

だから、子供たちを返してくれたのだろうか。

それとも、ただ単に、これだけ騒がれていたこの事件のことを知らないのか、興味がないのか、はたまた、単にもう子供たちが傍にいることが億劫で、一刻も早くビクトルの元に返したかったのか。

それは、私にはわからない。

 

 

実は先月、私とビクトルは、思春期真っ盛りの長男アーロンと一波乱あった。

(この話題については、また別の日に改めて書こうと思っている。)

その時アーロンは、私たちのことをシュエにチクり、シュエからビクトルへ「あなたのパートナー、アーロンにだけやけに厳しく接するみたいね。いたいけな私の息子が、見ていられないほどひどく憔悴しています。こんなに純真な子が、なぜそんなにつらい目に遭わなければならないの?」と、私に対する苦情のメールが来た。

それはちょうど、前記事でお伝えした、エクトルの腹痛が“おとぎ話”だと、シュエからの返事のメールが来た時で、その同じメールの中に、「エクトルのことで文句を言うなら、私からもアーロンのことで一言申し上げたい。」と言わんばかりに、「ところで…、」と、アーロンのことが書かれていたのだ。

ビクトルはこの時、今まさにシュエに言われたばかりの、“おとぎ話”という言葉を使って、「君がエクトルの体調不良を“おとぎ話”と言うのなら、アーロンが君に話したことも、きっと“おとぎ話”だろう。」と返事を返し、一蹴した。

 

この、アーロンとの一波乱があった時、ビクトルも私も、連日アーロンにばかり係りっきりだったもので、おそらく孤独を感じたのであろうエクトルが、エクトルまでもが!、思いもよらない形で爆発した。

その爆発で、エクトルは私に向かってこう言った。

「もう梅子の助けはいらない!僕にはママがいるんだから!これからはママに助けてもらう!」

終わった…と、思った。

 

ステップマザーにも、「マザー=母」という言葉はついてはいるけれど、私は所詮、彼らの母親ではない。

私がやれることにも、日頃子供たちが私を家族の1人だと思ってくれていても、どちらにもやっぱり限りがあって、本当に深刻な何かがあった時、結局、子供たちの行きつく先は、ニセモノの私ではなく、本当の母親なのだ。

日頃のシュエが、どんな母親であろうと、アーロンとエクトルにとっては、かけがえのない存在なのだと、改めて痛感…、本当にこの言葉どおり、痛く、痛く、私の心に突き刺さった出来事だった。

 

そんな、心の痛みもまだ癒えぬうちに、今年もこの街には、年に1度の祭りの日がやって来た。

子供たちの学校は、木曜から翌週月曜の父の日まで5連休になる。

子供たちの養育権の契約によって、毎年この祭りの時は、連休最終日の父の日を除いて、残りの休日は全日、シュエが子供たちの親権を持たなければならない。

休暇が始まる目前の週末、ビクトルは、エクトルに母親宛てのメモを書かせた。

いつからいつまで子供たちがシュエの家にいて、いつの何時にビクトルが子供たちを迎えに行くか、という内容のメモだ。

「(休暇が始まる前日の)水曜日、ママは学校に僕たちを迎えに来て、ママの家に連れて行く。」と、ビクトルはエクトルに書かせた。

 

ところがこの週末の日曜の夜、子供たちはこのメモ書きを再び我が家に持ち帰って来た。

「ママが返事を書いたから読んでって…。」と、メモを託されたアーロンが、ビクトルに手渡した。

アーロンは、シュエが何と返事を書いたのかは知らなかったようだった。

エクトルについては、シュエが返事を書いて、アーロンに託したことすらも知らなかった。

 

メモには、シュエからこう書かれていた。

「水曜日は、私は夜の8時まで仕事があるので、子供たちを迎えに行けません。とにかく、平日は毎日遅くまで仕事があるので、夕方の学校の終わる時間に迎えに行くのは、いつも不可能だということは、あなたもご存知のはず。木曜の朝、10時までに、あなたの家に迎えに行きます。」

 

私は、つい咄嗟に、でもいつものように「はぁーーーー???」と声を上げ、ビクトルは「やっぱりね。そう言ってくると思ったよ。」と、呟いた。

平日はいつも不可能なんだったら、アンタの3番目の息子のお迎えはどうしてんのさ?と思った。

こういう時に限って、もはやシュエのしもべと言っても過言ではないマックスの名前が登場してこないのは、“マックスを使いたくない=子供たちにそんなに早く来てもらいたくない”からであることは、ビクトルも私も、長年の経験から身に着いた知識だ。

「子供たちは、今特に、アンタの愛情を必要としてるんだよ…。わかんないかなぁ…。」

ビクトルと子供たちに知られぬよう、私は日本語でそう呟き、呆れた。

 

子供部屋で寝支度をしていたエクトルが、私たちの騒ぎを聞きつけやって来て、シュエからの返事を読みたいと、ビクトルに言った。

ビクトルは、「お前たちの母親は、いつもいつも忙しくてご苦労なことだな。」と、イヤミのジェスチャーをしながらそう言って、エクトルにメモを渡した。

「8時に仕事が終わっても、その後この家に迎えに来ればいいものを、それもしたくないほど忙しいのか?」

ビクトルがそう言うと、子供たちは黙ってしまった。

エクトルが、メモを読み終えて、中を仰いだ。

その顔は、母親の本性を垣間見てショックを受けたような、いつもと違う、やけに寂しそうな顔だった。

 

この時、本当は私もビクトルのように、シュエに対する文句を二言三言言いたかった。

例えばつい最近、シュエは再び犬を飼い始めた。

チワワだか何だかの小型の純血種だそうで、平日の、子供たちがシュエの家にいない日に、わざわざマヨルカ島にまで出向いて、購入したそうだ。

「市内でも売ってたんだけど、3000€もしてものすごく高かったから、安く売ってるマヨルカ島に行って買って来たんだってさ。」と、お喋りエクトルがすべてを教えてくれた。

2年前に、無残な方法で2匹もの犬を捨てたのに、懲りもせず、また新たな犠牲者…ならぬ犠牲犬を飼い始める、その精神にも驚くが(ちなみに、これについてエクトルは、「あの時は、弟のフアンが生まれたばかりで、犬が2匹もいると危ないから手放したけど、今はフアンも大きくなったし、平日僕たちがいなくて、フアンが寂しがるといけないからって、フアンのために買ったんだよ。」と、なぜかシュエの代わりに弁解した。)、「平日、犬を買いにわざわざ遠い島まで行ける人が、年にたった1度の、しかも、同じ市内に住む、自身の可愛い可愛い息子たちの迎えには行けないのか?!」と、喉元まで出かかっていた。

でも、言うのをやめた。

もしここで私まで文句を言い出したら、まるで私たちもさっさと子供たちをシュエの元へ放り出したいみたいではないか。

もし子供たちがそう感じてしまったら、彼らの居場所がなくなってしまう。

私はシュエのようにはならない!

ポジティブに考えようと思った。

つい最近まで、子供たちはビクトルと私との間でいざこざがあって、シュエに母親の愛情を求め、拠り所を求めていた。

でも、その母親が今まさに、子供たちに裏切りを見せた。

これは私たちにとって絶好のチャンスだ。

私たち夫婦と子供たちの関係を修復できるチャンスだと思った。

だから、私は沈黙を貫いた。

私が吐き出したかったことは、ビクトルが大方吐いてくれた。

(後でビクトルが、「ちょっと言い過ぎた…。」と反省していたのは、ここだけの話だ。)

子供たちに母親の悪口を聞かせるのは酷だが、“他人”の私が吐くよりはまだマシだろう。

でもだからと言って、シュエに対する怒りや呆れが消えたわけではないけれど、これでいいんだと、自分に言い聞かせ、エクトルの寝支度の再開に付き合った。

 

「エクトル、足にクリームを塗ろう。」

そう言って私がエクトルのベッドに向かうと、それまで母親からのメモを読んで放心状態だったエクトルが我に返り、ベッドに走ってやって来た。

エクトルは、さっきまでとは180度打って変わり、ベッドに思いっきりダイブすると、「梅子~。梅子?梅子~!!!」と、突然何度も私の名前を呼び、甘え始めた。

私は「何よ~。何かご用ですか?エクトルくーん!」とニヤっと笑い、エクトルの脇腹をくすぐった。

エクトルは、キャーキャー喚いて布団の中に隠れた。

あっという間にベッドがぐちゃぐちゃになったが、かまわずしばらくエクトルとじゃれ合った。

この時エクトルはきっと、子供ながらの本能で、母親に突き放されてしまった今、他に自分を愛してくれている人がいるかどうか、確かめたかったのではないかと思う。

だから私に甘えて、「この前はひどいことを言っちゃったけど、梅子はまだ僕を愛してくれているかな…。」と、確かめたのだと思う。

今ここで私ができることは、エクトルのその不安を消し去り、「大丈夫。あなたを愛している人は、まだここにもいるよ。」と、彼の心に伝えることだ。

 

かくして休暇前日の水曜日。

子供たちの学校が終わった後、ビクトルは「映画を観に行こう!」と言い、ちょうど公開が始まった「メイズ・ランナー: 最期の迷宮」を観に行った。

メイズ・ランナー」は、アーロンが好きな映画シリーズだ。

子供たちは、久しぶりの映画館で、だいぶ満足したようだった。

 

…が、なんとなくアーロンの様子がおかしい。

楽しいはず?なのに、なんだか心から楽しめない…、そんな雰囲気だった。

 

翌、木曜の朝になっても、アーロンの様子は暗いままだった。

もうすぐ10時を回るという頃、ようやく我が家の呼び鈴が鳴った。

シュエが子供たちを迎えに来た。

…と思ったら、それはシュエではなく、迎えに来たのはマックスだった。

「マックスか…。やっぱりね…。」

アーロンが吐き捨てるようにそう呟いたのが聞こえてしまった。

 

子供たちがシュエの元へ行ってしまった後、私はビクトルと、水曜の夜からアーロンの様子がおかしかったことを話した。

「それはたぶん…、」と、ビクトルが教えてくれた。

水曜の午後、映画を観に行く少し前に、アーロンがビクトルの元へ来て、「明日からの休暇の間、ママの家じゃなくて、この家にいてもいい?」と聞いたらしい。

ビクトルは、「それはできない。ママとの契約だから、お前たちはママの家に行かなければならない。」と答えた。

すると、アーロンは「そっか…。」とだけ言って、ビクトルの元を去って行ったらしい。

「その後からだよ。アーロンが暗い顔をし始めたのは。」と、ビクトルが言った。

 

 

今日は、休暇最終日の父の日だ。

今朝、ビクトルが子供たちを迎えに行って、我が家に帰って来た。

アーロンもエクトルも、母親の家でそれなりに休暇を満喫してきたようで、特にアーロンについては少しホッとした。

 

だが、私の思い過ごしだろうか…。

今日はやけにアーロンが、「パピー、パピー!」と、ビクトルにくっついているような気がするのは。

 

 

■本記事のタイトルは、映画「ステップファーザー 殺人鬼の棲む家」(2009年公開、アメリカ)をモジって使わせていただきました。
記事の内容と映画は、一切関係ありません。