梅子のスペイン暇つぶし劇場

毒を吐きますので、ご気分の優れない方はご来場をご遠慮ください。

罪と罰 2

前回までのお話は、コチラ

 

 

私たちが、日頃子供たちに言い聞かせていることを、ビクトルがマックスに伝えると、マックスは、言葉を失ったようだった。

「実は、最近、僕たちは実家に行くのをやめてるんです。お恥ずかしい話ですが、以前から僕の母とシュエの折り合いが悪くて…。今、シュエは遅ればせながらの産後うつになってまして、ちょっとしたことでもすぐにヒステリックになるので、なおさら母には会わせられないんです。」と、マックスが告白した。

 

はぁ?産後うつだぁ?!

異父弟のフアンは、たしか2歳になった。

それを言うなら、育児ノイローゼなんじゃない??

でも、マックスには、シュエにも申し訳ないけど、それは育児ノイローゼでもない気がする。

マックスや子供たちの話を聞く限り、平日も週末も、朝から晩までフアンの面倒を誰がいちばんよく見ているかと言ったら、それは間違いなくマックスだろう。

この時、マックスはこうも言っていた。

「とにかくシュエは、“うるさいから”と、子供たちの機嫌が悪くなって騒ぎ出すのを嫌がるんです。ちょっと前に、フアンの保育所では、おしゃぶりをやめさせようとしていて、毎日のように“ご家庭でもご協力ください”と、連絡帳に書かれてきてたんですけど、シュエは“フアンが泣き止まないから”と言って、すぐにおしゃぶりを与えてしまう。いくら“保育所からも協力してくれって言われてるだろう?”と言っても、“それは保育所の仕事!”と言って聞いてくれない。だからある日、僕は家中のすべてのおしゃぶりを隠したんです。フアンだけじゃなく、シュエにも見つからないように。初めの頃は、それで何度もシュエに“虐待だ!”と怒鳴られて、喧嘩になるのもしょっちゅうでした。でも、そのおかげでやっと今、フアンはおしゃぶりから卒業できたんですよ。」

 

こんな話を聞いて、マックスもフアンも、本当にもう気の毒でしょうがないが、話を戻して、そんなシュエだ。

何をどうしたら、彼女が育児ノイローゼになるのか、教えてほしいもんだ。

 

「シュエの場合は、違う意味での鬱だよ。」と、ビクトルが私に言った。

「あ、お給料が減ったことについての鬱でしょ?」と、私が茶々を入れると、「うん、それも理由の1つだろうね。でもそれだけじゃない。」と、ビクトルが真面目な顔で話した。

 

今、シュエが本当に何らかの“鬱”なのだとしたら、彼女が直面している問題は、彼女が描いていた理想と今の現実が、驚くほどかけ離れてしまったこと、離婚してから人生が上手くいくと信じていたのに、実際はまったく上手くいっていないことに気付いてしまったからだと、ビクトルは言う。

アーロンもエクトルも、だいぶ大きくなってしまって、可愛い盛りは過ぎた。

今では、あぁ言えばこう言い返してくる、生意気半端ない盛りだ。

それじゃあせめて、下の子フアンを可愛がろうにも、何かとマックスに「お前のやり方は間違っている」と言われる。

再婚相手のマックスは、車を乗りこなし、子供たちを愛し、文句なしの旦那だと思った。

でも、その満足は最初だけだった。

今では、彼の安月給ばかりが目に付くし、自分が彼の車を買ってやらねばならない有様だ。

中古で買ってやった車は、何度修理に出しても、次から次へと壊れていく。

極め付けは、自身の給料だ。

ビクトルにどんな脅しや文句を言われても、ハードな海外出張をこなし、あれだけ身を尽くして働いてきたのに、給料はどんどん下がるばかり。

彼女の目の前の物事すべてが、彼女の思い描く通りにならない。

それを傍目に、一方でビクトルは、なにやら幸せな平穏な生活を送ってるようじゃないか。

 

こんなはずじゃなかった!!!!

 

これが、今、彼女を苦しめている、真の問題なのだ。

シュエはいつも、目先のことしか考えていない。

「昔、僕との結婚時代に、彼女が別居を決意して出て行った頃、彼女はまさにこんな感じだったよ。だから、別の人生を求めて、彼女は出て行った。あの時はまだ彼女も若かったから、新しい男を見つけて人生をやり直すくらい屁でもなかっただろう。でも、今は違う。彼女はもう若くないからね。果たしてもう1度、同じことを繰り返せるだけの魅力とバイタリティが、彼女にあるかどうか…。」

ビクトルはそう言って、もう1本、タバコに火をつけた。

 

シュエに問題があること、すべての物事がいつもつまずき、すべての人が苦しまなければならない原因は、すべてシュエだということは、もう忘れてしまいたいぐらい、わかっている。

根源のシュエをどうこうしたくても、悔しいけど、どうにでもできないのもわかっている。

だからせめて、こうして少しでも常識的な感覚のあるマックスとビクトルと私が身を寄せ合って、まずは子供たちに少しでもこれ以上シュエの毒が回らないように、少しずつ少しずつ、子供たちから毒を抜いてあげなければならない。

だから、ビクトルも私も、いつも心を鬼にして、子供たちに厳しく常識を教えてきたつもりだった。

でも、子供たちは私たちの努力を全然理解していなかった。

薬は苦い。

でも、毒は甘い。

苦いより甘い方を選びたくなるのは当然だ。

子供ならそれはなおさらのこと。

ただ、どうしても許せないのは、子供たちが、私たちの前では苦い薬を飲むふりをして、実は私たちに隠れて、飲んではいけないとわかっている毒を、ガブガブ飲んでいたことだ。

ビクトルは、「アーロンにはがっかりした。エクトルには怒りしかない。」と言った。

前回の記事「兄はつらいよ アーロンの告白」で、アーロンの心の内を聞いた時、私は子供たちを改めて不憫に思い、胸を痛め、絶対に幸せにしたい、そう思った。

諸悪の根源は、すべてシュエだ。

彼女のせいで、子供たちが真っ当な大人になれなかったら、いちばん傷付くのは子供たちだ。

それだけは何としてでも阻止したい、そう、改めて心に誓った。

でも、マックスの話を聞く限り、子供たちはまるで、自ら進んで毒を飲んでいるような印象だ。

アーロンは特に、母親の正体を少しずつだが気付き始めているはずなのに、母親の愚痴を言い、ビクトルに助けを求めるばかりで、自ら戦うことをすでに諦めているような気さえした。

前からそれとなく感じていたことではあるけれど、あの子たちは、父親家族と母親家族のいいとこ取りばかりに勤しんでいる。

でもそのおかげで、周りの大人がどれだけ振り回されているか、実はそれを見て楽しんでいるのではないかとさえ思えた。

もし、あの子たちが私の実の息子たちだったら、私は間違いなく、軽く2、3回は、渾身の力で彼らを張り飛ばしただろう。

私の夫、ビクトルを故意に悲しませたり、苦しめるヤツは、息子だろうが誰だろうが、私は絶対許さない!

私は1人、怒りに震えた。

 

 

変な時間に、少しだけど物を食べたので、夕方になってビクトルが「お腹が空いたね。」と言った。

本当ならば、私の方がとっくにお腹が空いてもおかしくない時間帯だった。

でも、私はちっともお腹が減っていなかった。

だけど、「何か食べた方がいいよ。」とビクトルが言うので、私たちはピザを食べることにした。

私は無理矢理、ピザを口に押し込んで食べた。

どうしても、怒りが収まってくれなかった。

 

ピザを食べながら、私たちは、これから子供たちをどうしようか話し合った。

「もう、実力行使でいくしかない。」と、ビクトルが言った。

もう何年も、何万回も何億回も、子供たちには同じことを言い聞かせているのに、「わかったわかった」と言いながら、彼らはまったく実行に移さない。

移さないばかりか、こともあろうに母親ともはや同類になって、想像以上の惨いことを、マックスやマックスの母親にしていた。

そのことに、私たちがどれだけ絶望し、悲しみ、怒っているか、子供たちに実際に見せるしかない。

痛みは一過性にはしない。

子供たちが帰って来る今夜から、再びシュエの家に行く金曜日まで、味わわせる。

「本当の鬼になるしかない。」

私たちは、そう決断した。

 

 

夜になった。

子供たちが帰って来た。

マックスの車ではなく、彼らだけでタクシーで帰って来た。

ビクトルが事情を聞くと、またしてもマックスの車が故障したのだという。

 

ビクトルは、それ以後、子供たちには何も話さなかった。

「今、お前たちとは何も話したくない。パジャマに着替えてもう寝なさい。」と言って、おやすみのハグもせず、ビクトルは子供部屋を後にした。

子供たちは、状況がまったく理解できずキョトンとしていたが、話しかけてはいけない雰囲気なのだと何となく把握したようで、大人しくパジャマに着替え、早々に床に就いた。

 

翌日、子供たちが学校から帰って来ても、私とビクトルの態度は変わらなかった。

1度アーロンが、私の所にやって来て、「梅子、何か怒ってる?」と聞いた。

私は、アーロンの顔を見ることなく、「うん。怒ってる。」と、そっけなく返事をした。

アーロンは続けて、「僕に怒ってるの?パパも怒ってるの?」と聞いた。

「心配すんな。パパと私が怒ってるのは、何もアーロンにだけじゃないから。」と私が言うと、「あぁ!あとエクトルもなんでしょ?」と、アーロンがすかさず返した。

これ以上、私はアーロンと話したくなかった。

「とにかく、もうすぐパパがアンタたちに話すから、それまで待ってなさい。」と、私はアーロンを子供部屋へ追いやった。

 

着替えを終えた子供たちは、宿題や勉強道具を抱えて、キッチンに行き、早速各々勉強を始めた。

ビクトルの機嫌が悪い時、子供たちのこうした行動は、普段と見違えるほどに迅速だ。

いつになくテキパキ行動する子供たちの様子がおかしくて、ついつい笑みをこぼしてしまいつつ、いつもこうであってくれるといいのに…と、心の底から願う私は、ベランダで洗濯物を干していた。

 

しばらくして、ビクトルが子供たちのいるキッチンへ現れた。

「梅子もちょっと来てくれないか。」と、私も呼ばれた。

そして、恐怖の裁判が始まった。

 

ビクトルは、日曜日にマックスから電話があったことは、子供たちには言わなかった。

ただ、「お前たちの週末の行動が、パパにわからないと思ったら大間違いだ!」とだけ言い、マックスから聞いた数々の彼らの“武勇伝”を、「アーロン、お前はてんかん持ちなのに、何時間もゲームに没頭してるらしいじゃないか。何年も頭の検査をして、毎日薬も飲んでるっていうのに、大したクレイジーだな。」とか、「エクトル、お前は週末になると、まるで王様気取りだな。キャンディーのゴミを床に捨てて、大人に拾わせるとは、大した度胸だ。」と、話し始めた。

2人共、明らかに「なぜそれをパパが知ってるの?」という、驚きとバツの悪い顔で、ただただビクトルの話を聞いていた。

アーロンは、病気のことを持ち出されると、自分でも何かを想像したのか、恐怖の表情に変わった。

エクトルは、バツの悪い表情を隠しきれないといった風ではあったが、それでも何度か、「それは違う!」と反論を試みた。

しかし、それはすべてビクトルに「黙れ!」と遮られた。

ビクトルは、これらの週末の出来事を知った時、いかに自分と梅子がショックを受けたか、いかにガッカリして、悲しくなって、怒りに震えたかを子供たちに伝えた。

アーロンには「お前には心底ガッカリさせられた。」と言い、エクトルには「お前にはもう怒りしか湧いてこない。」と言った。

アーロンは、共感したのか、悲しそうな表情を見せたが、エクトルは、頑なに「パパは大きな勘違いをしている!」というような表情を崩さなかった。

 

ビクトルは、2人に判決を下した。

「よって、両者、共に有罪。」

 

そして、以下の罰を命じた。

・無期限のゲーム禁止。

・無期限のパソコン使用の禁止。

・アーロンは毎日連絡帳を見せなければならない。

・エクトルは読書を1時間に延長。

・メリエンダ(午後のおやつ)は、無期限でなし。

・今週の夕食は、梅子には作らせないので、自分たちで用意すること。

・パパと梅子は、今週、一切干渉しないから、自分たちでやるべきことをして、自由時間も何をすべきか自力で見つけること。

 

最後に、ビクトルが、特にエクトルに向かってこう言った。

「おい、エクトル。お前はお喋りだから、次の週末、早速ママにこのことをチクるんだろう?チクれるもんならチクってみろ。もし、お前のママからクレームのメールが来たら、次の週のお前の人生は、さらに厳しくなるからな。覚えておけ。」

エクトルは、すべての望みを失ったような、絶望的な顔になり、今にも泣きそうだった。

 

「僕たちのこと、マックスから聞いたの?」

ふいに、アーロンが聞いた。

私はつい、ギョッとしてしまった。

しかし、ビクトルは冷静だった。

「あのな、アーロン。今はパパが話してるんだ。お前の意見や質問は求めていない。今お前たちには一切の質問する権利も、口答えをする権利もない。」

そう言って、アーロンを黙らせた。

ビクトルの話の中に、マックスの名前は1度も出てこなかった。

「これからは、お前たちの週末の様子は、パパが聞けばいつでも報告してもらえることになっている。悪い知らせを聞いたら、お前たちはまた今週と同じ日々か、それ以上に厳しい日々が待ってることを忘れるな。」

 

そして、恐怖の裁判は閉廷した。

私とビクトルがキッチンを去ると、間もなくエクトルのすすり泣く声が聞こえた。

でも、エクトル、今はアンタの傍に行くことはできないよ。

アンタは、どうしてこんなにもパパが怒っているのか、どうしてこんなにも厳しい罰を与えられたのか、自分のしてきたことを振り返らなければならない。

 

 

今週は、バレンタインデーがあることをふと思い出した。

スペインでも、「サン・バレンティン」と言って、2月14日はバレンタインデーだ。

でもそれは、日本の習慣のように、女子が男子にチョコレートをあげる日ではなく、恋人や夫婦が甘いお菓子を食べながら、お互いの愛を確かめ合うような日だ。

そうは言っても、我が家には日本人の私がいる。

今年は、今年こそは、日本式のバレンタインで、何かチョコの入ったマフィンかケーキでも焼いて、我が家の男子たちに振る舞おうかなぁ~♪なんて考えていたのに、今回の件ですっかり忘れていた。

今は、たとえ作っても、おやつが禁止だから、子供たちにあげることはできない。

「スペイン式でいいよ。ハート型のチョコケーキを買って、僕たちだけで食べようよ。」と、ビクトルは言っていたが、結局私たちがケーキ屋には行くことはなかった。

 

金曜日まで、あと何日…。

いつもなら、あっという間に過ぎ去ってしまう平日が、今週はやけに長い。

 

 

■本記事シリーズのタイトルは、映画「罪と罰」(2002年公開、フィンランド)をモジることなくそのまんま使わせていただきました。
本シリーズの内容と映画は、一切関係ありません。