梅子のスペイン暇つぶし劇場

毒を吐きますので、ご気分の優れない方はご来場をご遠慮ください。

あの日見た痛みを私はまだ忘れられない。

 

愛する夫ビクトルがいない2度目の春が過ぎ、たった1人で過ごす2度目の夏が来た。

 

お盆に合わせて、日本に行こうかと思ったけどやめた。

この前の年末年始に日本でもらってきた元気はまだ少し残っているし、それになんだか今年はじっくりどっぷりスペインでの一人暮らしに浸かってみたい。

そんなふうにずっと考えていたからだ。

 

最近、ふと思い出したように、突然胸騒ぎがして落ち着かなくなることがある。

なんでだろうと考えるけど、仕事が立て込んでいるとか、ヘマをしたとか、そういうことではない。

何かの支払いか手続きでも忘れてるのかな…。

ううん、そんなことでもない。

 

思いつく先は、去年の今頃の私のことだった。

 

まるで冬のように寒かった2022年3月の、ビクトルを失ったあの瞬間は、もちろん何物にも代えがたい痛みだ。

そして、去年の今頃、6月と7月は、完全に心が壊れた。

家にいても辛く落ち着かなくて、外に出たら出たで、パニックになった。

バスがちょっと遅れているぐらいで、この世の終わりかのように絶望し、やっとバスの赤い色が遠くに見えただけでホッとして、人目もはばからずにしゃくりあげるほど号泣した。

 

毎日毎日、24時間、早鐘を打つように鼓動がドクドクと脈打ち、手の震えが一向に止まらない。

シャワーを浴びていると、膝がガクガク震えて立っていられない。

呼吸ってどうやればいいんだっけ?と考え込むほど、毎日息がしづらくて、右手で常に胸元をさすっていた。

ビクトルがいた頃、私は人生で最大に、真ん丸に太っていたのだが、この頃はみるみるうちに体重が落ちていたから、胸元をさする手には、ボロボロと肋骨を感じることができて、その度に、私にもちゃんと骨があったんだ…などと思ったりもした。

 

そうでなくても毎日毎日怖くて不安でどうしようもないのに、とうとう理性が働かなくなって、自分の心をコントロールできないと気がついた時は、新たな恐怖が生まれた瞬間だった。

 

当時知り合ったばかりで、6月に公証役場へ行く際に通訳を快く引き受けてくれた日本人の方に、震える手で電話をかけ、泣きながら「カウンセリングを受けたいのだけど、どこにどう申し込んだらいいかわからない。」と相談した。

彼女はすぐさま家まで駆けつけてくれて、私の保険会社を調べ、予約の電話をしてくれた。

ありがたいのと申し訳なく情けないのとで、頭の中はごちゃごちゃだった。

 

私のカウンセリングの先生は、絶世の美女じゃないかというほど美人で若い人だ。

もちろんスペイン語で話さなくてはならないし、スペイン人の感覚と日本人の感覚が果たして噛み合うのかもよくわからない。

でも、ただ話を聞いてもらって、辛さをわかってもらうだけでいいと思った。

その先生とは、あれから1年たった今でも、月2回のペースで話を聞いてもらっている。

 

昨年の6月と7月は、よく1人で乗り越えたなと、今でも思う。

 

当時は、ビクトル亡き後、遺産相続に関することや毎年の税金の支払い、そしてビクトルの死亡手続きなど、すべての事務的なことすべてを、ビクトルの税理士であるアルベルトの指示で進めていた。

ビクトルは生前、「もし万が一僕に何かあった時は、アルベルトとエステバン(甥っ子)に連絡すること。彼らは信頼できる。必ず梅子を助けてくれる。」と言っていた。

私も彼らには面識があったし、ビクトルがいちばん信頼していたから、私ももちろん信頼していた。

 

ビクトルがいなくなってしまってから、当然私はアルベルトに全幅の信頼を寄せて手続きを進めてもらっていたのだが、私が今アルベルトと何をしているか話をすると、フェルナンドを含むビクトルの友人たちは皆一斉に眉をひそめた。

友人たちだけでなく、先の、カウンセリングに予約を入れてくれた日本人の方も「なにそれ…」と怪しんだ。

それだけにとどまらず、日本への手続きでお世話になった領事館の方すらもが、「ちょっとそれは…、その税理士さんの言ってることおかしいんじゃない?」と言った。

 

「税理士に財産目録を提示してもらえ。」と、あまりにもいろんな人に言われたものだから、アルベルトに財産目録をくれとお願いしてみた。

すると、アルベルトは「誰にそんなことを吹き込まれた?僕が信用できないかい?梅子は何も心配いらない。僕がきちんと法に則ってすべてのことを進めている。」とだけ言って、結局財産目録をもらえたのは、それから何ヶ月かたって私が弁護士を雇い、弁護士がアルベルトに再三依頼してやっと…だった。

 

同時にその時、私は仕事も探さなくてはならなかった。

でも、仕事を探すには、まず自分の携帯番号と銀行口座が必要だった。

アルベルトに相談すると、「今スマホを持ったり口座を開設すると、梅子がビクトルの財産を動かそうとしていると思われてしまう可能性があるから危険だ。僕がOKと言うまで待っていなさい。」と言われた。

「それもまたおかしな話だ!」と、周りの友人たちが口を揃えた。

 

結局、スマホの契約も口座の開設もまた、弁護士を雇った直後に、アルベルトではなく弁護士の「どうしてアルベルトがそんなことまであなたに指示する権利があるの?」の一言で、アルベルトにはまるで秘密裏に取得した。

 

心が壊れたきっかけは、6月の公証役場だった。

ある日アルベルトに「公証役場へ遺産相続の相続人の申し立てをしに行くよ。」と連絡があった。

これも実は、いろんな人から「やる人もいるはいるけど、別にやらなくてもいいことなのに、どうしてビクトルの税理士はそんなにお金をかけたがるんだ?」と言われた。

 

まあとにかく、相続人の申し立てというものをすることになって、通訳を探せとアルベルトに指示された。

私は知り合ったばかりの日本人の友達になってくれた方に相談して、先の通訳さんを紹介してもらった。

彼女もまた、旦那さんを昔亡くしたという未亡人の方で、「他人事に思えないから」と、快く引き受けてくださった。

そして、彼女には“古い友達”という、スペイン人の弁護士さんがいて、その方の専門は遺産相続だった。

この友人の弁護士さんまで私を気にかけてくれるようになり、最終的にはこの方を雇うことはしなかったのだけど、相続人申し立ての件で、ご厚意でいろいろとアドバイスをくださった。

そこでもやっぱり、アルベルトがしていることはなんだかきな臭いと言われる始末だった。

 

この日本人の通訳さんと友人の弁護士さんに「アルベルトに聞いてみて」と言われて、ある日私はアルベルトにとある質問をしたのだが、これがアルベルトを怒らせる決定打となってしまった。

いつもの如く質問には答えず、「そんなに僕が信用できないのなら、公証役場で聞けばいい!彼らは弁護士よりも立場が上で、法律の塊のような人たちなのだから!」と、赤い太字のメールが送られてきた時は、どうしてただ質問をしただけなのに、こんなに激高するんだろうと、もう何が何だか訳が分からなかった。

 

そのまま、公証役場での相続人申し立ての日を迎えるのだが、公証役場に私と通訳さんが着いた途端から、アルベルトは今まで見たこともない鬼の形相になり、私たちにはあからさまな建前だけの挨拶をした以外は、目もくれなかった。

 

相続人申し立てには、ビクトルの前妻シュエも来た。

その日、本来ならば成人となった長男のアーロンも同席しなければならなかったのだが、学校の試験だとかで来ることができず、また、シュエは未成年であるエクトルの保護者兼代理人なので、アーロンの代理人も務めるということで来たのだった。

 

何年振りかで見るシュエは、ブランド物のグラマラスなワンピースに、地面に突き刺さりそうなピンヒール、そしてブランド物のバッグを肩にかけて颯爽とやって来た。

シュエは、無言で私をギロッと一瞥した後、サッと満面の笑みに表情を変えて、頭のてっぺんから出ているような甲高い声で、「久しぶりです~!2人ともお元気にしてました~?」と、アルベルトともう1人の証人となる、私も長い付き合いのビクトルの仕事仲間の人に近寄って行った。

 

私と通訳さんは、完全にアウェーだった。

ご厚意で引き受けてくださった通訳さんには、恥ずかしいのと申し訳ないのとでいっぱいだった。

ちなみに、この日の私の恰好は、白髪が伸び放題のボサボサの髪を1本に束ね、ビクトルが昔買ってくれたヨレヨレのTシャツとGパンだった。

 

参加者が集まり、いよいよ公証人と共に相続人申し立ての文書の読み上げとディスカッションが始まった。

異議がなければ、皆がサインをして終了だ。

 

通訳さんは予め文書の下書きを読んでいたので、気になる文章のところや、アルベルトに質問しても答えてもらえなかった部分を私の代わりに質問しては、私に説明してくれた。

その度に、シュエはあからさまに「まーたくだらないこと…。どれだけ時間を無駄にするんだか。」という顔をして、鼻で笑ったり、時計をせわしなく見たりしていた。

 

文書の中で、アーロンとエクトルの現住所が、シュエの家ではなくビクトル…、私の家の住所になっていた。

「彼らは今私とは住んでおらず、ビクトルの葬儀後から母親と暮らしています。なのにどうして彼らの住所が私が住んでいる家なのですか?」と、私が公証人に質問すると、突然シュエが怒鳴った。

「今も子供たちはあなたと一緒に住んでるじゃない!ウソばっかり言わないでよ!」

 

あまりの剣幕に、私は驚いて呆然としてしまった。

その隙をつくように、シュエの中国語訛りの甲高いスペイン語が続けた。

「今でも子供たちはビクトルとの養育権を守って、平日はあなたの家で過ごして、週末だけ私の家に来ているじゃないの!」

 

「いいえ。ビクトルの葬儀が終わった時、アーロンとエクトルが私の所へ来て、今日からママの家で暮らすからねと言い、私の家から去っていきました。エクトルは、塾や習い事があるので、平日の2日間、学校が終わってから数時間だけ私の家に来て時間を潰していますが、それだけで、我が家のベッドで毎晩寝るといったことはありません。アーロンはすでに、彼が成人した誕生月である去年の8月から、我が家には住んでいません。」

私がそう答えると、シュエは「よくもまぁぬけぬけと!この大ウソつき!!!それはあなたが子供たちから鍵を取り上げて、あなたがあの家を占領してるからじゃない!」と、再び私に怒声を浴びせた。

「違います。そもそもビクトルが生きていた頃から、子供たちがあなたの家に行く時は、鍵を持たせていません。今は私1人しか住んでいなくて、子供たちが万が一鍵を失くしたら困るのは私です。そのことも子供たちと話して了承をもらって、私が鍵をすべて預かっているだけです。」

震える声で、でも公証人にしっかり聞こえるよう努めて、私は言い返した。

 

とうとうシュエは椅子から立ち上がり、私に掴みかかろうとして、アルベルトと公証人が、慌ててシュエをなだめた。

 

アルベルトが声を発した時、私を弁護してくれると思った。

この日までの私の日頃の状況をよく知っているから、子供たちがいないことも当然知っている。

 

でも、アルベルトが発した言葉に、私は愕然とした。

アルベルトはヘラヘラしながら、公証人に「梅子さんはちょっと誤解しているんですよ。後の遺産相続のために、子供たちの住民票は敢えて梅子さんの家の住所にしたままなんです。だからその住所で合っています。そのまま変更しないでください。」

 

公証人は髪の毛をグシャッと掻き上げると、「シュエさん、実際のところはどうなんですか?父親が亡くなった後も養育権が機能してるんですか?未成年の息子さんが1人でステップマザーと住んでいるんですか?それはちょっと普通では考えにくいことですが。2人の息子さんたちは今どこで生活をしているんですか?」と、シュエに向かって尋ねた。

 

「そ、それは…、」

さっきまでの剣幕とは裏腹に、シュエは「私の家で暮らしています…。」と、モゴモゴと答えた。

 

「それじゃあ、息子さんたちの住所は修正しないといけませんね。」と、公証人が言った。

「やったね!」と、通訳さんが小さく私に合図した。

 

子供たちの住所をシュエの家の住所に修正することで、私たちはサインをするに至った。

サインする時、通訳さんが「したくなければしなくていいのよ。」と言ったけど、これ以上揉めたくない思いが先行していた私は、「もうどうでもいいんです。」と言って、ブルブルに震える手で、驚くほど汚いサインをした。

 

サインを終え、公証役場を出る時、通訳さんがアルベルトにちょっと喰ってかかった。

「さっきのはなかったんじゃないですか?私はあなたが“僕は梅子の味方だ”と言ったから、安心していたのに。もう少し梅子のことも考えていただけませんか?」

 

すると、今度はアルベルトが突然怒鳴り出した。

「アンタ一体何様だ?ただの雇われ通訳だろ?僕はもう何十年もこの仕事をしてきて、いろんな人を見てきたけど、アンタみたいな礼儀も立場もわきまえない人は初めてだよ!梅子!この通訳は即刻クビにしろ!領事館に電話して別の通訳を紹介してもらえ!わかったな!」

 

さっきのシュエの怒声で完全に萎縮していたところに、アルベルトの怒声を浴び、私は1人、生きた心地がしなかった。

通訳さんに「早く帰りましょう。今日は本当にありがとうございました。」とだけ何度も繰り返して、でも1人ではもう立っていることすらできなくて、通訳さんに抱えられながら、逃げるようにその場を後にした。

 

通訳さんは、ケロッとしていた。

「あの税理士、とうとう本性現したわね。あなたには悪いけど、あなたの旦那さんとんでもない税理士雇ってたわね。私もあんな税理士初めて見たわ!」と、鼻で笑っていた。

 

私も早く、通訳さんのように今日の出来事を鼻で笑える日が来たらいいのにと思った。

だけど、私にやってきたのは、鼻で笑う余裕なんかではなく、パニック障害だった。

 

アルベルトからは、毎日のように「早く領事館に電話して新しい通訳を探せ!」とメールが来た。

ちょうどその頃、私は領事館の出張サービスでビクトルの死亡手続きをする予定だった。

その時に、「どうせこんなこと話してもな…」と思いながら、ダメ元で公証役場での出来事を領事の人に話してみた。

「大変な思いされましたね。私が思うに、梅子さんの場合は通訳さんよりも一刻も早く弁護士さんを付けるべきだと思います。そうすれば、あなたが窓口となってその税理士さんとやり取りせずに済むから、精神的にもかなり楽になると思いますよ。」

 

それから弁護士探しが始まった。

フェルナンドのお母さんが心配して紹介してくれた弁護士さんは、おばあちゃん弁護士だった。

「報酬?そんなものいらないわ。私はただ、あなたを助けたいだけよ。」と言ってくださった。

だけど、残念なことに彼女は私のたどたどしいスペイン語をまったく理解できなくて、私は泣く泣くお断りした。

 

最終的には、日本人の新しいお友達の伝手で紹介していただいた弁護士さんをつけることになった。

日本人の顧客を経験した方だったので、私たち日本人がどんな人種なのかも一応把握してくれていたし、言葉ができないことも理解してくれていたことが、私にとっては大きな決め手となった。

 

カウンセリングを始めると同時に弁護士も見つかって、いくらか精神が落ち着いた。

当時の「やることノート」の6月と7月の最終ページには、「今月も私よく頑張った!よく乗り越えた!」と、涙でにじんだ走り書きがある。

 

 

■本記事のタイトルは、映画「劇場版 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」(2013年公開、日本)をモジって使わせていただきました。

記事の内容と映画は、一切関係ありません。


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